第二話

 おれが日本と米国のいびつな関係に違和感を覚えたのは、小学5年生くらいだったと思う。


 米国の戦場カメラマンによって撮影された、『日本のとある行為』が、白黒の動画ではっきりと残っていたのだ。


 空を舞う一機の飛行機。

 激しい対空砲火を行う空母だか戦艦。

 あきらかに飛行機の飛ぶ角度がおかしい、そう思ったときだった。


 その飛行機は、あろうことか、自爆しやがったのだ。

 無人機というわけではない。人が操縦している。

 突っ込んだ。

 ばかでかい鉄の船が業火に包まれる。

 飛行機の残骸など、どこにも見当たらない。


 これをひたすら繰り返す……。

 すなわち、『特攻』、『バンザイアタック』。

 一つの命を確実に犠牲とする代償に、敵対象に大ダメージを与える、おおよそまともな判断で行えるとは思えない戦略。


 が、日本はこれを行った。

 行い続けて、敗戦が確定したにもかかわらず、あらがい続けて……核兵器を使わせるまでに至った。一発ではまだ抗戦の意思があったのか、二発も。広島と長崎である。


 すこし脱線してしまったので、本題に戻す。

 日本がテロリズム先進国であることに気づいたのは、大学生になってからだ。

 2001年9月11日。

 アメリカ同時多発テロ事件が発生した。

 おれはテレビ越しで、まさにリアルタイムでその映像を見て……重ねた。


 飛行機による大型敵建造物への突撃行為。

 そう……『特攻』を見たのだ。


 50年以上も前に、日本は自力で辿り着いていたのだ……。

 世界が忌避する、テロリズムに。


 日本は米国の核投下行為を、あまりにもしゅくしゅくと受け入れている。

 米国は日本との第二次世界大戦における最終決戦の状況を、なぜか掘り返そうとはしない。


 敗戦国である日本は、ほとんどを米国の一部として受け入れられている……。

『特攻』という目を逸らし続けるしかない、凶悪な爆弾をその身に宿して……。


 米国はテロには決して屈しないという。

 テロ行為は断固として拒絶するという。


 さて。

 そろそろどれだけ『日本』という国に、凶悪な潜在能力と位置づけが眠っているか、気づいた方もいるのではないだろうか。


 口には出せないだろうが、特攻隊員は当時の日本にとって、国のために最後まで勇敢に戦った英雄なのだ。平成寄りの昭和の社会では、第二次世界大戦の授業を行う際に特攻を知ることとなる。おれのように『いやそれちょっとおかしくねえか?』と言えない従順な子どもたちは、特攻を『英雄的な行為』としてすり込まれる。


 そのざまが。

 第18回電撃文庫大賞の受賞作である。

 日本と米国による第二次世界大戦をモチーフにした作品は、世界観からはじまり、キャラクター、ストーリーともに素晴らしく、神速バトルアクションの肩書きに恥じない、見たこともない文章表現を見せてくれた。

 最終決戦戦法の名称が『特攻術』なことを除いては。特別攻撃術の略称ですから? それ、米国さんの前で言えんの? 日本の『特攻』のおかげで米国にどれだけの理不尽な戦死者が出たと思ってんの?


 真に世界に向けて『わたしは日本人ですよ』と言いたければ、こういうところを見直さなければならないと、おれは思う。ちなみに、作者には一切の責任はない。完璧に編集の失態であると考えている。

 もし『特攻術』が差し障りのない別の名称であれば、米国にも売り込めるだけの作品であった。めちゃくちゃ面白いし、好きなのに、残念である。


 次のフェーズに移ろう。

 北朝鮮は、日本を『一方的に』利用すべきだったのだ。

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