第4話 我



「――次元偏位の低下を確認しました。現時刻をもって、状況を終了。R09小隊に、人的損害はありません。小隊各位は残党を警戒しつつ、誘導に従い指定のポイントに移動して下さい」


 無線のマイクから顔を離した九條が、白衣の女――遊佐みちるを覗き見た。

「主任。予定通り、南部にあるパーキングエリアに彼らを誘導します。センサーに生じていたノイズも、現在は確認されません。」

「ああ、それでいい。彼らの回収は君に任せる」

 自身の鼓膜が圧迫される感覚を察して、遊佐は身支度を整えた。脱ぎ捨てられた白衣の下から、黒いスーツ姿が現れる。

「任せるって……主任はどうされるんです?」

「すぐに戻るさ。ただ、一足先に手負いの友人と合流しようと思ってね」

 目を丸くした九條に、白衣の女が怪訝な顔を返した。

「なんだ、その目は」

「主任がまともな優しさを見せるのが珍しくて、つい」

「……キミね、私だって女だぞ。仕事終わりの男を労う程度の作法は知っている」

 男かどうかはともかく、と遊佐は心の中でひとりごちた。

 今後の振る舞いについてわずかに思い悩む彼女を、九條はますます目を丸くして見つめている。

「二重で驚きです。遊佐先輩、そういう冗談も言うんですね」

「一段と気が抜けているらしいね、九條。お望み通り今日は残業を用意しよう」

九條が「ひい、はめられた!」と嘆く声を背にして、遊佐は輸送機のハッチへと向かった。ヒールに踏みしめられた鉄製の床が、鈍い音をたてて軋む。

「ああ、そうだ。九條、キミの子を借りてもいいかね」

「? 別にいいですけど……主任もご自分のをお持ちでは?」

「少し確かめたいことがあってね。念の為さ」

 釈然としない表情を浮かべる九條からを受け取って、再び輸送機の出口へと向かう遊佐。その背中を見送りながら、九條が恐る恐る口を開く。

「あの……怪我人苛めちゃだめですよ?」

「冗談を言うな。だいたい、手負いの獣が一番恐ろしいと言うだろうに」

「冗談じゃないんだよなあ……」

 遊佐が振り返ると、九條はびくりと身体を震わせてモニターに向き合う。

 気が付けば輸送機に取り付けられたローターの音が、徐々に落ち着き始めていた。遊佐はスーツの襟を引いて、気持ちを入れ替える。


 手負いの獣。

 人間は社会的動物である、と最初に言ったのはどこの誰だったか。ともあれ、ヒトもまた獣であることには変わりない。ただ何かを使うことに指向した進化を遂げた結果、少しばかり利口になっただけ。

 生物の本質とは、叩きのめした後にこそ初めて片鱗を見る。

 それが遊佐の考える人の理解方法であり、それゆえに彼女を知る同僚たちはこう語る。

「ハムスターをドーベルマンにする方法を知ってるか? 遊佐に預けることさ」

 と。

 輸送機のローターから吹きつける風の中、髪を抑えながら遊佐は苦笑した。



「さて。今度は、多少なりとも男前だといいのだが」



■■■



〈大尉はそのまま現在位置で待機していて下さい。次元偏位が低下しているため“鎮火”の際はご注意を〉

 あてもなく灰色の街を彷徨っていると、女の人の声が頭の中に響いた。

 骸骨の兵士達はいつの間にか居なくなっていた。先刻響いた言葉から考えると、テロが終わったのかも知れない。彼らも自分の仕事を終え、どこかへと帰ったのだろう。

 ひとつ、ため息をついた。

 空を見上げると、曇り空の端から差し込む斜陽が目に刺さる。

 いま、何時なんだろう。心の中で呟いた。


 落ち着いてくると、分からないことばかりだ。

 急に巻き込まれたテロ災害。しかしそもそもテロとは、人災だ。それに比べて、今日見た光景はあまりにもフィクションなものだった。

 途端に切り替わった視界。かと思えば耳をつんざいた悲鳴。ホラー映画のような化物達。そして、髑髏の怪物になった僕。

 けれどそれらを差し置いて、何よりもおかしな事がある。


 ――僕は、誰なんだろう。


 寿人が語っていた言葉を思い出す。いや、思い返してみるとそもそもあの男が寿人という名前だったのかも、はっきりしなかった。

 自分は、彼といつ知り合ったのか。彼と、どこで知り合ったのか。どれだけの時間を、彼と過ごしたのか。

 寿人との思い出は、途切れ途切れながら憶えている。

 それがいつのものなのかは分からないけれど、実感として残っている。麻雀で協力してイカサマをしたり、それがバレて仲良く巻き上げられたり、二人で徹夜してゲームをしたり。さっきの別れは少し寂しいものだったけれど、彼とは親友だった気がする。

 だから、僕はきっと過去がある人間のはずだ。

 昨日今日生まれ落ちたわけじゃなくて、僕という生があった存在のはずだ。

 なのに、それが思い出せない。

 旅をしてきた中での思い出はあるのに、何処から来たのかが分からない。何処へ帰ればいいのかが分からない。何のために旅をしていたのかが分からない。

 僕はきっと、生きていた。

 だけど今は? 今の僕は、果たして生きていると言えるのだろうか?


 そう自問する僕の耳に、こつん、という音が届いた。


「先程ぶりだな、大尉」

 男の声だった。この声は、憶えている。

 キャンパスの中庭で聞いた、黄炎の髑髏。

「早いところ鎮火した方がいい。いくら手酷い怪我を負っていようと、下手をすればショック死だ。せっかく拾った命を、そんな形で終わらせることもないだろう」

 目線でその声を辿る。

 歩き続けていた大通りの脇。ひとつ伸びる路地裏の中心から、男が僕を見ていた。

 男、だと思う。実際は分からない。

 真っ黒い細身の宇宙服のようなものを着ていて、顔は同じように宇宙服みたいなヘルメットで隠れていた。

 今の僕を幾分みすぼらしくして、ヘルメットを被せたらあんな感じだろうか。

「余計なお世話だとは思ったがな。流石に知った顔を放って一人で戻る、というのもバツが悪い。それで死なれでもしたら夢に出てきそうだからな、貴様は」

 何だか、勘違いされている気がする。自分の事さえ分からないけれど、この人は多分知らない人のはずだ。

「ポイントまでの残党は既に掃除してある。早いところ鎮火するがいい」

 鎮火。

 それは、この首から出ている炎のことだろうか。

「……ええい、まだるっこしい男め! 仕方ないから肩を貸してやる! だからとっとと――」

 黒い宇宙服が、痺れを切らしたようにずかずかと歩いてくる。


「待て、キヌライ。大尉は私が連れて帰ろう」


 今度は、女の人の声。

「――どういう風の吹き回しだ、遊佐女史。ああいや、貴様が戦場を歩いていることに違和感はない。だがわざわざ人を迎えに来るとは、まるで天変地異だ」

「貴様、と次に呼んでみたまえ。懇切丁寧に輪切りにしてやろう」

「……」

 押し黙る男の人。僕も心なしか、股がきゅっと締め付けられたような感覚。素朴な疑問だけど、この身体ってついてるんだろうか。

 大通りの中心、車線境界線を跨いで黒いスーツの女の人が仁王立ちしていた。

 綺麗な人だ。伸ばされた髪をバレッタで留めている。その髪は、わずかに差し込む斜陽で艶めかしく輝いていた。

「俺は大尉のために言っている。き……貴女が連れて行ったら、そのままあの世まで行きそうだ」

 うん。良くはわからないけど、凄い人なんだろうなっていうのは理解した。

「それこそ余計なお世話だよ、キヌライ。大尉とてむさ苦しい男よりも異性に介抱される方が嬉しいだろう。第一、どうしてお前がここにいる? 急いでポイントに移動しなさい」

「それは無論、俺が大尉を助けたからだ。厄介なバグを飛ばす羽付きがいたのでな」

 凄く刹那的な願望な気はするけど、男の人には頑張って欲しい。

「……ああ成る程、その点は褒めてやる。けれど、それとこれとは話が別だよ。それに、お前も知っているだろう? 私は医療資格も持っている。つまり、適任だ」

「ぐ、ぬ。道具も無しにか? せめてメスの一つも持って言って欲しいが」

「道具ならあるさ。なんならお前も治療してやるが?」

 そう言って、女の人は黒々としたそれを取り出した。本物……だろうか。けど、僕の記憶が正しければこの国は依然銃の携行は禁止されているはずだ。やっぱりこの人達は自衛隊なんだろうか。

「それみろ! 治療は治療でも末期治療ではないか!」

「くどい。どうしてもがあるなら、後で説明してやる。だから今は先に行け」

「ぬ……フン」

 キヌライと呼ばれた男の人が、僕の脇を通り過ぎていく。彼は去り際に僕の肩を叩いて、

「まあ、あれだ。頑張れ」

 とだけ告げた。


 黒い人影が遠ざかっていく。

 それを見届けて、女の人――遊佐さん?が、僕に振り返った。

「さて。邪魔は入ったが、これでようやく話が出来るか」

 かつりかつり、とヒールの音をたてながら近付いてくる。

「いい加減“カグツチ”の火を落としなさい。と言っても、今のキミには分からんだろう?」

 そう言って、

「鎮静剤みたいなものだ。痛くはあるが、死にはしないよ」


 がん、と僕の頭に引き金を引いた。


「――っっ」

 ごしゃ、と音をたてて頭蓋が砕ける。

「ァ――ギ、ィ」

 痛い。頭部への衝撃と、続いて体に走る燃え盛るような痛みで体が仰け反る。

「ギーーぃ、アア!!!」

 燃えている。体が、内側から灼かれている。

 目が、喉が、肺が、腸が、そして全身の血管が体液に変わってマグマを流している。

 いつか見た炎の壁が、唐突に蘇った感覚。彼らは僕の皮膚を通り越して、僕の臓腑を焼き焦がしている。

「ぅ――ぶ、ぇ」

 吐き気。そしてあの時とは比べ物にならない程の頭痛。

 もう死んでしまったほうが楽なんじゃないか、とさえ思えるほどの責め苦。

 地面を転げ回りながら、苦痛で塗り潰されるような感覚に抗う。

 痛い。熱い。痛い痛い熱い熱い熱いイたくてアツいいたいいたいいたいい!!!


「言っただろうに。痛い、と。まあ私はそれを味わったことがないから、他人事でしかないけどね」

「ァ――ば、ぁグ」

 少しずつ。ほんの少しずつではあるけれど、熱と痛みが薄れていく。

 胸を掻きむしると、柔らかい感触が手に触れた。

「う……あ……?」

 黒くて分厚い布。胸の部分には大きな穴が空いているけれど、体全体を覆っている。そして頭が堅い硝子に覆われていることに気が付いて、自分もさっきの男性と同じ姿になっている事を理解した。

「落ち着いてきたかね? それは何より。では聞きたいこともあるだろうが、次のステップだ」

 腕を引き上げられる。

 そこでまた、失ったはずの人間らしい腕が戻っていることに気が付いた。

「あ、間違っても吐くなよ? 頭のそれ、それ高いんだから」

 そんな、勝手な。

「ほら、手に握りなさい……む。こら、しゃんとなさい!」

 ぱしん、と硝子ごしに頭を叩かれた。

 それ自体には痛みは無かったけれど、衝撃で視界が定まってくる。同時に、手に握らされた道具が像を結んでいく。

「あ……これ……?」

「見れば分かるだろう、拳銃だ。正確には、『ベレッタ・モデル92』。とんだ年代物だが、おかげで安い上に信頼度もそこそこだよ」

 意味が分からない。どうして撃たれた直後に、銃なんて握らせるのか。

「そっちの中身は実弾だから、間違っても私に向けないように。最悪向けてもいいが、私もそれなりに抵抗するから死んでも文句は聞かないよ」

 ますます、訳が分からない。

「キミの引き継いだものは面倒な代物でね。他人の苦しみに理解を示す、と言うと聞こえはいいが、おかげで境界が曖昧になりやすい」

 境界……?

「いずれは慣れてもらわなければいけない事だ。どうせなら、早いほうが良い。それに、こういうのは落ち着いてからでは余計に重くなる」

 彼女は僕を無理やり立たせて、路地の一つへと引っ張っていく。

「治療、と言っただろう? だがこればかりは、他人がどうやって治るものではない。実感を伴って理解したまえ。キミは、『キミ』だ」

 路地を進んで、一軒の家屋の前で放り出される。

 その直後、彼女とは異なる声が聞こえた。

「ぅ……ぁ……人、です、か……?」

 僕のものではない。

「ぃた、ぃんです……たすけて、くださぃ……」

 これは、わたしの声だ。

 一部崩れた家屋の柱に、足が潰されて、すごく痛い。

 お父さんがお母さんに食べられて、弟は仲が良かったはずの飼っていた犬をバラバラにしてしまった。そのすぐ後に青いお侍さんがやってきて、わたしは隠れて、それで――


 がん、と足を撃たれた。


「が、ああああああ!!痛っ!!ああああ!」

「いかん、思わず撃ってしまった……まったく、えらく自我が貧弱だな。キミはキミだと言っただろう。区別が出来なければ生活すらままならないぞ」

 足から血が流れている。これは僕の足だ。わたしの足は潰れてしまったけれど、僕にはちゃんと足がついている。

「進度が早いか遅いかの違いだけだ。あの子もいずれは“羽付き”になる。キミは運が良かっただけだよ……もしくは、飛び抜けて悪かっただけ」

 知らない女の人が、怖い顔でよく分からない事を言っていた。

 女の人の足元で、黒い宇宙服を来た人が苦しそうに喘いでいる。


 ごつん、と頭を蹴り飛ばされた。


「ハァ……仕方がない。手取り足取り、というのは柄ではないんだが」

 ぐい、と腕を引っ張られる。

 拳銃を握る手の甲に、柔らかい感触が覆いかぶさる。

「彼女を見ろ。キミが殺す命だ。絶対に目を逸らすな」

 人差し指をぐい、と押し込まれる。

 少女が、うつろな瞳で僕を見ている。

 思わず顔を逸らして、みぞおちを殴られた。

「目を逸らすな。それがせめてもの、殺す側の責任だ」

 駄目だ。だって、彼女はまだ人間だ。殺す意味が、本当にあるのか。

 隣の女性の顔を覗き見た。彼女は、凄く険しい顔で少女を見つめている。

 どす、という音でまたみぞおちが締め付けられた。

「見ろ!」

 痛みで俯いた体を、どうにか引き起こす。

 そして少女と目があってーー


 わたしの頭が、跳ね上がった。


「――あ」

 生きていた。僕は、生きている。

 あの子は死んでしまった。けれど、僕は生きている。

「そうだ。彼女は死んだ。だが、キミは生きている」

 僕は、オレじゃない。

「あの子は、ヒトとして死んだ。それを彼女が望んだかどうかではない。我々の、人間の都合であの子を殺した」

 僕は、わたしじゃない。

「それを絶対に忘れてはいけない。生きているかぎり、絶対にだ」

 僕は、僕だ。

 名前が分からなくても、過去が分からなくても、僕は他ならない僕だった。

「……キミは、これから怪物として生きていく。キミの心情など関係ない。を引き継いだ以上、がせめてもの生者としての責務だ」


 ――なんて、傲慢な話だろう。

 人の死によって、僕は僕を自覚した。

 そんなのまるで、お伽噺の怪物そのものじゃないか。

 けれど。

 僕は、生きている。


 ぐい、と再び腕を引き上げられた。





「む……? はぁ、まったく。泣くな、馬鹿者」

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