第3話 黄昏
足りない。
既に六体、よく分からないモノをこの手に掛けた。
でも、こんなものじゃない。
もっと疾く、もっと毅く、もっと惨く。
内燃する衝動が、自家中毒のごとく廻り続ける。
怒りが速さに、慚愧が力に、怨嗟が手法に。
殺して殺して、それでも尚満たされずに走り続ける。
――そして、そこに辿り着いた。
「よう。生きてたか」
巡り巡って戻ってきたキャンパスの中庭。レンガみたいに赤く染まった大地の中、昼休みぶりに会う友人は、昼休みと変わらない暢気さでそこに立っていた。
「――ヒ」
寿人、それは僕の台詞だ。
「なんだ、喋れないのかお前ら。クク、また随分と怪物らしくなっちまったな」
そんな事はどうでもいい。
「まあそう唸るなって。俺もそれなりに走り回ってたんだぜ? 話したいことが多すぎるってのも考えもんだ」
「……ィサ、ト」
何故か、確信するものがある。今必要なのは、力ではなく言葉だ。寿人が僕に言うことがある、と言った以上に、僕も寿人に伝えなければならない事がある。
「……思ったより混ざってないな、お前。まあ、お前らしい中途半端さではあるが」
「ァザ?」
「なんだ。本当にぼんやりしてんなお前……いや、こればっかりはまず見たほうが早いか。しょうがない、友人としてのサービスだぜ?」
ぱちん、と寿人が指を鳴らした。
「――」
いつか、本で読んだことがある。
名前はたしか、スリーピー・ホロウ。デュラハン。そして、首の無い騎士。
けれど僕が知るその伝承とは大きく異なるのは、首が無いのに顔があったこと。
昔の宇宙服のように大きく無骨な漆黒の鎧と、首元から燃え上がる蒼白い炎。
その業火の中で、黒い
「幽霊の正体見たり枯れ尾花、ってな。意味としちゃあ逆だが、こいつが長年世界を騒がせているテロリスト様の正体さ。そして、今のお前だ」
「……」
「あん? なんだ、これには驚かねぇのかよ。ああ、怪物としての自覚はあったってわけか。ハハハ、殊勝なお前らしいな!」
耳障りな笑い声が聴覚に突き刺さる。
寿人は、こんな笑い方をする奴だっただろうか。いや、それよりも、さっきの寿人の言葉には何か違和感があった。
「と、悪ぃな。俺も少し機嫌が悪くてよ。なんせ、そこそこ時間をかけてあちこち駆け回ったっつーのに、肝心の目的が果たせずじまいだ。何が言いたいか分かるか? 全部お前のためにやったのに、全部お前のせいで水の泡になったってことだよ」
違う、そもそも最初から、何かがズレている。
そもそもオレは、いや僕は――
「ったく、平均値じゃ駄目ってことか。出来る限り薄く均したつもりだったんだが、どうやらそもそものアプローチが間違ってたらしい」
自分は――誰だったっけ。
「これでも、友人としては気に入ってたんだぜ? だからこそ、俺もお前を連れて来てやろうと思ったんだ。だってのにお前、何だよそのザマは」
寿人は――この人は誰だったっけ。
「……ん? なんだよおい。意外と形にはなってるのか、お前。つまりあれか。後押しが必要ってだけか?」
どうしてこんな所にいるんだっけ。いや、それはハッキリしている。オレ達は、僕がされたことを、どうするんだったか。
「……やっぱ、お前は最高の友達だよ。落としてから上げるなんざ、とんだジゴロだ。なら、背中を押してやるのが友人である俺の仕事だよな」
男が近付いてくる。
思考が定まらない。
撹拌された意識が、脳から切り離されている。
きりきり、という音が僕を薄めていく。
「そら、俺の目を見ろ。それで全てが分かる」
男の目は僕を――
「クハハ、喋る“羽付き”とは! 面白い個体がいるじゃないか!!」
「――ッ」
焦点が戻る。解けた思考が形になる。逃げなければ、という漠然とした意思が身体を弾いた。
「……“ペイルライダー”か。人間風情が、俺達の真似事をしやがって」
寿人が、大きく後方に飛んだ僕から視線を外した。
「それを言うなら、化物風情が人間サマの言葉を使うなよ。姿形まで真似ても、俺の部隊には通用せん」
「……」
寿人の目線を追う。
「化物を
それはさしずめ、黒い軍服。
焼け焦げたマントを羽織るその姿は、歴戦の指揮官を思わせる。
「つまり貴様は殺す。俺の同胞が手練手管を以て、貴様を駆逐する」
黄金に燃える首と、灼け爛れた黒い髑髏。
――二人目のデュラハンが、血塗れの屋上から俯瞰していた。
■
「アルファ、殺れ」
軍服の声と同時に、とめどない火薬の炸裂音がキャンパスに響き渡った。
「チィ、群体か! 人間らしい出鱈目しやがって!」
悪態をつきながら寿人が弾幕の中を駆け抜ける。降り注ぐ鉛の嵐の中、それはおよそヒトでは有り得ない曲芸だった。
「フン。化物に言われるのは業腹だが、褒め言葉として受け取ってやろう! 数こそ力! 量より質など、旧態依然の世迷い言だ! 平均された暴力こそ、叡智の為せる奇跡の業!」
正直、言っていることは良く分からない。
けれど、その破壊力は本物だ。途絶えることのない炸裂音が、中庭の地面を端から端まで抉り出していく。
「――!?」
……端から端まで。
「クハハハハハ!! ものはついでだ! 大尉殿にも昇進をプレゼントしよう!」
「ッ!」
「あ、おいコラ! 逃げるな!」
そんな無茶な。
というか、話が違うじゃないか! あの女の人は味方だって言ってたのに!
「クソ! おいブラボー、大尉を追え! 何、“羽付き”? そんなもん後だ! 意地でも仕留めろ!」
作風変わってる! これ作風変わってる!
「コラ! 逃げるなというに!」
無・理!
◇
中庭からはいつの間にか、銃撃の音が消えていた。
「――フン。ブラボー、そのままお守りをしてやれ。あの調子では、うっかりエリア外に行きかねん」
黄炎の髑髏――
「おたくら、随分と面倒見がいいんだな。聞いてた話とは大違いだ」
「だからお前らは化物だと言うのだ。俺は紛れもない本心しか口にしていない」
たった今口にした言葉もまた、嘘ではない。絹頼は本気で『大尉』を攻撃し、あるいは彼がそれを凌げないようであればそのまま命を奪うつもりでいた。
上座の席がひとつ空くのなら、それもまた良し。そも、『大尉』は深手を負って生体反応が一時途切れたと通信で聞いていた。こと怪物の部隊と呼ばれる彼らにおいて、弱者が同類を統べることなどあってはならない。それが、絹頼という男の下した結論だった。
「……もっとも、死に瀕してなおあれだけ動けるのであればまだ見る所はある。加えて、あれはおよそ本調子ではなかった。貴様、何か仕込んだな?」
「矛盾してねぇか、それ? 俺は何もしちゃいないよ」
「矛盾などするものか。これだけ死骸が転がる場所で、あの男が大人しくやられる訳がない。たとえ躰が腐り果てても、あれは貴様らを殺し続ける。あれは、そういう生物だ」
「……ああ、そういうことね」
黒髪の男が鼻白む。それを無視して、絹頼は右手を掲げた。
「貴様を殺すのは簡単だ。俺がこれを振り下ろした瞬間、貴様は蜂の巣になる。抵抗も無駄だ。次は手加減などせん」
「ふうん。で? そういう言い方をするってことは、何か聞きたいことがあるんだろ?」
「無論だ。……貴様、一体どれだけ生きている?」
絹頼の問いかけに、黒髪の男は破顔で返した。
「ッハハ、なるほど。何も知らずに殺し回ってるわけじゃないんだな、あんたら。似た者同士だと理解して、その上で踏み躙ってるわけだ!」
「……」
「あーいや、悪かったって。そう怒りなさんな。そうだな、精々一年ってところじゃないか? ヒトだった頃を加えるなら、二十年だ」
「……まったく。どこの無能か知らんが、いらん仕事を増やしてくれたものだ」
「そう言ってやるなよ。俺はもともと見た目の変化が少なかったんだ。皆が皆、進んで人殺しが出来るわけじゃないさ」
「知らん。そして興味もない」
取り付く島もない黄炎の髑髏。その顔を見上げながら、黒髪の男が嘆息を漏らした。
「……ま、いいけどね。それで、聞くこと聞いたら後は用無しかい?」
「最低限のコミュニケーションは理解しているようで何よりだ。上の連中は研究対象として欲しがるだろうが、生憎とこの場を覗き見ることも出来ん。お前らの胎盤が、お前らを殺すということだ」
「俺、喧嘩が出来るタイプの性能してないんだけどね」
「勘違いするな。これは喧嘩ではなく、ただの駆除だ」
絹頼が右手を下ろす。その直前、黒髪の男が目を剝き出した。
「ハ、間抜けが!」
“羽付き”と呼ばれる化物として進化を遂げた、彼の特異性。五感を侵食し、認識を瓦解し、果ては現実まで捻じ曲げる生存機能。
しかしそれは――
「やはり所詮化物か。言っただろう、無駄だと」
真の部隊とは、脳を失ってなお正しく機能する細胞単位の殺戮機構。
そしてそれこそ、絹頼が“ペイルライダー”と称される怪物として獲得した、特化の形だった。
一度きり。
遠く響く火薬音と共に、一匹の“羽付き”が地に崩れた。
■■■
……ずっと付いてきてる。
銃口を向けてくることは無くなったが、わらわらと四体の骸骨が後ろを歩いている。キャンパスで会った黄炎の髑髏とは違い、彼らは迷彩柄の服を身に纏っていた。
「……」
まともに口が利ければ、声を掛けるのもやぶさかではない。
何故か?
なんたって彼ら、凄い楽しそうである。
「カチカチカチカチ」
「カチカチカチ」
「カチ、カチカチカチカチ」
声は出ていないが、会話は成り立っているらしい。綺麗に並ぶ歯をカチカチと鳴らして、一人の骸骨が別の骸骨を肘で小突く。小突かれた彼は、その反動で落ちた頭を綺麗にキャッチ。ゴキ、という音を鳴らして自らの首に嵌め込んだ。
「カチカチカチカチ」
拍手喝采。実にご機嫌な一行だった。
彼らは歯の音と共に、似たような打刻音を手で刻んでいる。
「……」
すごくツッコミたい。
あまりにもサタデーナイトな空気のおかげか、先刻まで脳を震わせていた熱もどこかへと消えてしまっていた。
……あれ? 今日って何月で、何日で、何曜日だっけ。
「――」
薄暗い大通りを歩く。背後に付いてくる陽気な気配のおかげで忘れそうになっていたけれど。
ここは依然、地獄だ。
列を成すことを諦めたように道路を塞ぐ、自動車の骸たち。
街を照らすはずの街灯は根本からひしゃげ、地面に脈を張っている。
大通りを彩る飲食店は息を潜め、日々の喧騒の名残さえも感じさせなかった。
笑顔に溢れていたはずの亡骸の数は、最早言うまでもない。
そこかしこに、死の残骸が溢れている。
薄れゆく過程すら通り越して、彼らはその呼吸を終えていた。
「――」
振り返ると、骸骨達は黙して僕を見つめていた。
骸骨の兵士を率いる、髑髏の騎士。まるで神話の一頁だ。
けれど、ここには厳かさなんて欠片もない。ただ何かが何かを殺し尽くした、という事実だけが残っている。悲哀は感じても、同情はしない。そんなもの、熱に浮かされた馬鹿の思い上がりだった。
悲哀もなく、同情の隙間もない。
悲哀とは、喜悦あってのもの。同情とは、不平等がもたらすもの。
この地獄は全てに等しく無為を分け与えた。
悲しいではなく、虚しい。可哀そうではなく、どうしようもない。
「――う、だれ…」
「ッ」
地獄の中で、声が聞こえた。
思わず駆け寄ろうとした瞬間、ぱん、と乾いた音が響く。
「――」
振り返ると、骸骨の一人が銃口を上げていた。
どうして、と。
声にならない声で詰め寄る僕の肩を、他の骸骨が優しく叩く。
「……」
――この日、僕は天使になった。
終わった世界に幕を引く、出来損ないの天使に。
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