第2話 目覚め



 痛い。体中が痛い。

 熱い。喉が焼けるように熱い。

 でも、と気付く。

 ああ、僕は。この期に及んで、まだ生きている。




         ■




「ごほっ」

自分の咳で目が覚めた。目覚めとしては、間違いなく最悪な部類。悪夢で起きる方がまだ救いがある。だって、悪夢なら目が覚めれば後に引くのはちょっとした嫌な気持ちだけだ。

「かはっ、が、う、おえ」

 戻す。これでもかってくらいえづいて、それでも出てきたのは昼に食べたサンドイッチだった何かだけ。少食で良かった、なんてぼんやり考えた。

 一通り胃液を吐き出すと、ぱちりぱちり、と僕を囲む音が聞こえる。

「う……あ?」

 赤い。真っ赤な壁が僕を包んでいた。その手前には瓦礫が連なっていて、さしずめ僕は猛暑の盆地に住まう人。盆地って言うくらいだから、すごく暑い。暑くて暑くて、ああメンソールが吸いたいな、なんてまたぼんやり昼を思い出した。

「なんか今日、寝てばっかりだ」

 半分上の空で呟く。その直後、自分の言葉ではっとした。

「あ――? 今日って、あ、ひ、熱っ!」

 ほんとう、いい加減自分の間抜けさに頭がくる。呆けている場合なんかじゃない。いや、呆けていられたらまだマシだったかも知れない。火の手はドーム上に広がって、僕を囃し立てていた。ただでさえ虫の息の命を、じわじわと焼き焦がしていく。

「あ、うあ、もぅ嫌だ……誰か助けて……」

 情けなくて、また涙がこみ上げてきた。男らしく生きてきたつもりもないけれど、最低限のプライドは持ち合わせていたつもりだ。だけど今の自分ときたら、まだウジ虫の方がずっとマシ。

「う、うぐ……うえ……」

 酸素が足りていない。せめて思う存分泣けたらまだ諦めもつくのに、それさえ出来ないからどうしようもない。再び吐き気が喉をせっついて、頭の奥ががんがんと痛む。回らない頭なりに、これが酸素欠乏によるものだと理解した。

「う……」

 全身に痛みが走る。けれど、今はそれが命綱になった。煩雑とした思考の中、痛みを頼りに自分の身体を知覚する。熱さで曖昧になった自分の境界線を理解する。こういうのを、不幸中の幸いと言うのだろうか。

「ぐ、う……あ」

 身体を起こそうとして、右腕が無いことに気が付いた。更に痛みと吐き気が増したけれど、死んでしまうよりはずっといい。死ぬのはいやだ。理由だとか根拠だとか、ぐるぐるした頭では分からない。でもだからこそ、余計に死にたくない一心で身体に力を込めた。

「あ、はぁ」

 起き上がる最中、お腹からてらてらと光る縄がこぼれた。それがなんなのか考えるとまた心が折れそうだったから、気にしないことにした。

 必死に力を込めて、どうにか膝で立つ。

 空を仰ぐと、相変わらずの曇り空だった。



 そして、それで終わり。ここが、これまで自堕落に過ごしてきた僕の限界だった。

 いや、違う。自堕落なんて言うほど情けなくはなかったはずだ。勉強だって人並みにやっていたし、体育の授業だって真面目に取り組んでいた。部活に精を出したりはしなかったけれど、そんなのは有り触れた公約数。

 だからこれは、ただ単純に人間という性能の限界だ。

 死に瀕した独りぼっちの、当たり前の行き止まり。

 酩酊が肺を痺れさせていく。諦念が心の澱を薄めていく。こんなにも死にたくないはずなのに、心と身体が死ぬ準備を始めている。


 ふいに、声が聞こえた。

 あと一歩。ほら、倒れてしまえ。何が出来たとか、何が出来なかったとか、そんなことを気にしてもしょうがない。お前は何も悪くない。謂れなく災難に巻き込まれた、ただの哀れな何処かの誰かだ。

 だからなあ、ほら。目を閉じて、力を抜いてしまえ。あとはただ、ほんの少し苦しむだけだ。抱えた悔いは薪にして焚べてしまえばいい。恨みもつらみも無為にして、ただ安らかに朧げに。


 ――殺してあげる。

 今度は、違う声が聞こえた。けれどこれは錯覚だ。だって、辺り一面は炎の海。誰かがこんな場所で僕に声を掛けるなんて有り得ない。

 ――殺してあげる。

 だから、やめておけ。今更そんな思いを抱いてもしょうがない。

 ――殺してあげる。

 どうしてちゃんと殺してくれなかったのかだなんて、それこそ今更な話。


 ああ、ほんと、心底最悪の目覚めだった。







 がらり、と乾いた音が僕の背後を踏んだ。赤の群衆は相も変わらず、僕の終わりを手ぐすね引いて待っている。

「は」

 振り返ろうとして、身体が倒れる。

 下手くそなドミノみたいに、ぐらりと身体が落ちて行く。

 けれどそれは。

「あ――?」

 下手くそなドミノみたいに、壁に突っかかってせき止められた。







 声が聞こえた。


「……死にたくないか?」

 どうだっただろう。もうあまり、憶えていない。

「答えろ」

 だから、分からない。だって誰も助けてくれなかった。なら、あとはもう死ぬしかないじゃないか。

「では、死にたいのか」

 ……うるさいよ、お前。やっと諦めたのに、今更しゃしゃり出てくるなよ。弱者は弱者なりの覚悟を決めて、どうにかこうにか折り合いをつけたっていうのに。

「……聞き方を変えよう。やり残したことは、もう無いのか」

 ――。

「悔いはないか」

 ――あるとも。あるに決まってる。

「それは何だ」

 考えるまでもない。僕を――オレをこんな目に合わせた奴らを、滅茶苦茶にしてやりたい。こんなゴミみたいな末路を押し付けた奴らに、そっくりそのまま突き返してやりたい。過程が荒唐無稽につきるものなら、結末だって理不尽に過ぎる。引きちぎって、踏みにじって、悉くを蹂躙してやりたい。もしもそれが叶うのなら、悪魔に魂を売ったって構わないぐらいに。


「……いいだろう。なら、次はお前の番だ」

 おまえは、悪魔なのか。

「それはお前次第だ。だが、これだけは忘れるな。」

 何を。

「……赤の“ヘイズ”から、目を離すな」


 ぽつり、という感触が頬に融けた。




□□□




「報告します。大尉のバイオモニターが信号を受信、活動を再開しました」

 青白い光が照らす機内で、女の声が響いた。

「さすが、往生際の悪さは一級品だな。とはいえ、こんな安い戦場で壊れていい素体でもない。おかげで上の老害共に小言を言われないで済む」

 女の声に応じたのもまた女の声。吹き荒れる風に流されて、軍輸送機がみじろいだ。ぐらぐらと伝わる振動に、白衣のシルエットは微塵も揺るがない。

「……主任、今の発言は人権侵害かと思われますが」

「おいおい、馬鹿を言うな。人権がどうのと言うのななら、そもそもこんな部隊にいる時点でとっくの昔に人でなしだ。それに、彼らに至ってはもはやヒトですら無い」

「……」

「いちいち目くじらをたててはいけないよ、九條。適度に力を抜くのが仕事の秘訣だ」

「続けて報告。大尉が“ヘイズ”を再展開。色調はペイルで安定しています」

「……そうか。まぁ、そういうこともあるだろう」







 空を疾駆する。

 空力が乱舞して、身体を覆う紅いドレスがばたばたとはためいた。

〈報告します。大尉の信号が回復しました。以後、作戦行動を継続されたし〉

「っ」

 耳に届いたその知らせに、思わず息を飲む。

〈マキナ、私だ。聞いての通り、大尉殿は無事だから安心するといい〉

「……作戦行動中です。私語は謹んでください」

〈たまには可愛げの一つも見せなさい。でないと私も、亡き君の両親に会わせる顔がない〉

 耳障りな言葉を黙らせるように、ビルの屋上へと強引に着地する。力任せで行われた一連の動きで、コンクリートが粉塵を上げて炸裂した。

「……」

 そうだ、今は作戦行動中。余計な考えを回している余裕は無い。一刻も早く、この地獄を終わらせなければ。

 一度殺した勢いを再び体に乗せて、わたしは屋上から飛び出した。







「――」

 声が出ない。出せないのか、それとも出し方を忘れてしまったのか。でもどうせ話し相手もいないのだから、そもそも出す必要が無い。

「――」

 体に力が満ち溢れている。さっきまでの情けない気持ちは全て吹き飛んで、すごく気分がいい。今なら空だって飛べてしまうかも知れない。それなら、声が出ないのも仕方がない。何かを失って何かを得る、なんてのは進化の基本だ。

「h――」

 視界を覆う炎が鬱陶しくて、思わず跳び出した。飛べるわけではないみたいだ。多分、そういう性能はない。それでも、かつての僕では有り得ないぐらいの膂力が、躰を中空へと打ち出した。

 思わずバランスを崩す。おかげで綺麗に着地出来なくて、ばたばたと地面に落っこちる。振り返ると、寮の薄汚れた壁は巨大な火柱に置き換わっていた。

「u――」

 次いで、その光景に気が付いた。同時に、声が出ないわけじゃないらしい事も理解する。まあ、そんなのはほんの些細な感慨だ。


 名前も分からない麻雀友達。体格が良かった彼は、どうやら負けに負けて土下座でもしているらしい。とはいえ、そんなに身体を曲げる必要もないと思う。人間の胴体は二回も三回も曲がるようには出来ていないはずだ。

 寮でこっそり人気だった女の子。僕もちょっと憧れていたりしたのだけれど、実は夜な夜な色んな男の部屋で喘ぎ声を上げていた事を知って複雑な気持ちになったっけ。何処かの誰かの親切心からなのか、はたまた嫉妬からなのか。崩れて地面に落ちた物干し竿に、ぺしゃんこになって絡まっていた。


 できの悪いスプラッタコメディみたいな光景が、崩落した日常のそこかしこに残っていた。彼らの結末を見るに、僕はよっぽどマシだったのだろう。だって、少なくとも僕はまだ人らしい死に方が出来たはずだ。

 吐き気はない。頭痛も消えている。彼らの有り様に思う所がないわけじゃないけど、まあそういう最期もあるんだろうな、なんてぼんやり感じた。悲哀は感じても、同情はしない。さっきまでの僕もまた、誰も救ってはくれなかった。なら、お互い様だ。

 弱者に手を差し伸べられるのは、そういう遊びのある強者だけ。僕たちは揃いも揃って、どうにもならない何かに巻き込まれた被害者だった。

 だから、同情はしない。

 けれど。

 君達――いや、僕たちがされた事を、そっくりそのままやり返してやるから。

 死者を弔うなんて烏滸がましい気持ちじゃない。ただ、無念と怒りの総体が今の僕を生かしている。だから、どうか待っていてくれ。

 ここが地獄だというのなら。

 心ばかりの煉獄をもって、僕達に報いよう。


〈大尉、こちらCPです。一時的に生体反応をロストしましたが、異常はありませんか?〉

「――」

 唐突に聞こえたのは女の人の声。聞いたことのない声が、直接頭の中に響いている。優しい声色で、少しだけ心が和んだ。返事を返すべきだろうかと悩んで、禄に喋れない事を少し後悔した。すると、今度は別の声が聞こえた。

〈いいよ、九條。私が代わろう。状況が分からないから、大尉と二人きりで話したい。秘匿回線で繋いでくれ〉

 今度は、少し厳しそうな女性の声だ。けど、同時に人間らしさも感じる。厳しいくせに優しいなんてのは、弱いヒトが抱えるいかにもな矛盾の代表だろう。

〈……回線を切り替えた。今この会話を聞いているのは私たちだけだ。安心したまえ〉

 何が問題か分からないから、何に安心していいのかも分からない。

〈……ああ、成る程。君は話せないな? いや、気にする必要はない。“アドミーム”を使うにあたっての典型的な初期症状だ。不器用ではあるが、無作法ではない。そして合点もいったよ〉

 一人で話して、一人で納得されている。出来ればツッコミを入れたいけれど、声が出ないから大人しく彼女の話を聞くことにした。

〈どうやら、大尉はまた死んだらしい。いや、またというのも失礼な話か。精々君で三人目だ〉

 誰かが死んだ。こんな状況で、今更誰が死のうが特別なことじゃないのだろう。でも彼女の言葉はなにか、大事な事なのかも知れない、なんて思った。。

僕が灼かれていく中、ぼんやりとした意識の中で聞いた誰かの声を思い出す。

〈あれは私の古くからの友人でね。君の知るところではないだろうが、記憶には留めておいてやってくれ。そういう者もいたのだな、と〉

 そうか。僕は、助けられたのか。考えてみれば当たり前の話だけど。

〈とはいえ、恩に感じる必要もない。見ず知らずの人間に自分を預けるくらいだ。あいつも長くは無かったのだろう。自分より君の方が生き永らえる可能性があった、それだけのことさ〉

 やっぱり根は優しい人なんだろうな、とまたぼんやり思った。

〈……さて、簡単に状況を説明しよう。君は今、ちょっとしたテロに巻き込まれていると考えてくれていい。我々はそれを終わらせるため、現在進行系で戦闘を続けている。君はそれに加担してもいいし、しなくてもいい。一刻も早く逃げたい、というのならポイントを指定しよう。すぐに迎えに行く〉

 逃げる? どうして。そんなことは許されない。仮に誰かが許しても、きっとオレ達が許さない。

〈ふむ。気概を感じる点に関しては、あいつも見る目があったらしいね。では、いくつかアドバイスだけしておこう。まず一つ、君と似た容姿の奴らは仲間だから、手を出さないように。二つ、終わったらこちらから連絡をするから大人しく従うこと。三つ、間違っても羽根の生えた連中――“天使”には近づかないこと〉

 天使だなんて、馬鹿馬鹿しい。こんな地獄にいるとすれば、それは天使じゃなくて悪魔のたぐいだろうに。

〈あとは……ああ、そうだ。下手に遠出をすると自衛隊の連中に蜂の巣にされるから、すぐに引き返したまえ。その際にはアラートが鳴るから、嫌でも分かるはずだ〉

 この国における軍事力は昔から自衛隊だけだと思っていた。口ぶりから察するに、この人達は違うのだろうか。

〈差し当たってはこんなところか。念の為に付け加えるなら、何があっても死ぬなとだけ言っておこう。状況が開始されてから、既に一時間が過ぎている。有能な部下達のおかげで幕引きもそう遠くは無いだろう。だから――〉

 それは、まずい。

 何がまずいって、僕はまだ何もしていない。こんな状況を生み出した連中がいるのなら、その幸いを一つでも多く潰してやらなければ。

〈以上の事を守れば、あとは好きにしていい。生まれ変わった自分の性能を、思う存分愉しみたまえ。では、事が終わったらまた会おう〉

 ああ。

 言われないまでも、そうさせてもらおう。なんせ、ちょうどいい所に知った顔を見つけたところだ。







 炎の群体と化したかつての住処から、もぞもぞとそれが出てきた。


 言葉で言い表すのなら、五肢がそのまま五指に置き換わったような滑稽さ。むき出しになった手足に、ぶるぶると震える肌色の突起が頭の代わりに生えている。胴体の形から察するに、一応女性らしい。焼け残った緑のエプロンには見覚えがあった。たしかあれは、寮母さんがいつも着けていたものだ。

「――」

 多少年配ではあったけど、嫌味のない人だった。

 けれど、どうでもいい。あいつはものの見事にサバ折りにされた誰かを、洗濯物みたいに抱えている。つまりは、そういうことだろう。だから、オレのすることもシンプルだ。

「h――」

 声は出ないけど、吐息は漏れた。

 口角が跳ね上がる感覚。それを感じるより先に、足に力を込めた。

 ぐん、と世界が縮むような錯覚。勢いはそのまま、いつの間にか生えている鎧じみた黒い右腕で殴りつけた。化物の頭部へと突き刺さった僕の膂力は、化物を地面へと押し倒し、反作用によって宙へと浮かし上げる。

 跳ね上がった化物の身体。その胴体と頭部をわしづかみにして、力任せに引きちぎった。出来るかどうか、なんて考える必要はない。生まれ直した本能は理性を凌駕し、光速を越えた伝達で筋肉を動作している。

 汚い袈裟斬りに分かたれた頭部を、そのまま左手で握りつぶす。吹き出した血の赤さは、まるで人間のそれだ。

 右手に掴んだ化物の胴体がその身をよじって、残る左腕でオレの頭を掴んだ。みしり、と軋む音が頭蓋に響く。いいさ、それならしっかり掴まっていろ。性能比べなら望む所だ。

 右腕を更に引く。二匹の人外が発揮する腕力。けれど一方はそれに耐えきれず、ぶちり、と音をたてて千切れた。バカ正直なやつだ。頭が無いから仕方ないけど、もう少し脳を回せばいいのに。

「ハ」

 また一つ、口から音が漏れた。今度は吐息と言うより、哄笑に近い。

 残った胴体を地面に叩きつける。オレの頭を掴んだままの腕を引き剥がして、火柱の中に放り投げた。

 びくんびくん、と化物に残された足がもんどり打っている。


――もういいよ、オマエ。


 黒い右脚で化物の胴体を、勢いよく踏み潰す。

ごしゃり、と小さなクレーターが出来上がるほどの破砕音を伴って、赤い雨が降り注いだ。







「ふむ」


 ぎしり、と深く腰掛けた椅子が軋む音。

「大尉の状態は如何でしたか、遊佐さん。それと、機内は禁煙です」

「まだ仕事中だ。せめて主任をつけなさい、九條」

 九條が顔をしかめる。その視線は私の手元で青く明滅する電子タバコに注がれていた。

 まっすぐな部下ではあるが、しばしば気の抜けた所があるのが九條の欠点だ。しかし考えようによってはこれも、可愛げの一つではあるのかも知れない。ともすれば、私もマキナの事を言えないらしい。

「……まあ、相変わらずだ。元気なのはバイオモニターを見ての通り。少しばかり感応で錯乱しているようだから、無茶をしなければいいが」

 青白いモニターに送られてくる生体反応は、心拍数・脈拍ともに正常。強いて言えば、強度の高い運動時特有の動作を示していた。

「大尉が取り乱すなんて、珍しいですね。あと、機内は禁煙です」

 九條は肩に流した茶色い三つ編みを撫で付けた。言葉とは裏腹に、その目線はもう私の手元から離れている。

「彼とて元は人間だからね。そういうこともあるだろうさ」

「……こういうとき、遠くでデータを見ていることしか出来ない自分がもどかしいです」

「それは時と場合による、と言っておこう。他の連中はともかく、マキナに至っては未だ一七の小娘だ。自分が怪物の真似事をしている姿を見られるのは、楽しいものでもないだろうさ」

「だからです。なんだか、とてもやりきれない気持ちになります」

「……」

 それは、恐らくあまり褒められた感情ではない。しかし、無くしてはならないものだとも思う。少なくとも、人間らしくはあるのだろう。私の足りない部分を補ってくれる、という点で考えるのならいい部下を持ったのかも知れない。

「そう思うのなら、せめて我々は自分の仕事でそれに報いるべきだ。生きている者同士、やるべきことは山程ある。先刻から発生しているモニター干渉はどうなった?」

「……はい。ジャミング、という程ではないですが、依然不定期にノイズが入ります。おかげで大尉のモニター復旧も時間が掛かってしまいましたし……」

「連中の勢力圏である以上“天使”、あるいは“羽付き”のどちらかの仕業とみて間違いないだろうな。自分の白血球を攻めるほど、この国の連中も愚かではあるまい」

「複雑な心境ですね。前者であって欲しいとは思いますが、それならそれで厄介です」

「この手のはキヌライに任せたいんだが……いかんせん素直に言うことを聞くタマでもない。かといって、フヨウは相性が悪そうだ。であれば」

 私の言葉を引き継いで、九條が思い至ったようにこちらを見た。

「――大尉ですか」

「……原因が“天使”でないことを祈るしかないな。もしそうなら進化傾向がなんであれ、不安定な彼には荷が重い」

「マキナさんでは駄目なんですか?」

「あいつの特性は些か範囲が広すぎる。現場の様相を聞くに、認識にまで介入するタイプの可能性が高い。万が一の場合、いらん損害を増やしかねん」

 ただでさえ人的被害の多い状況だ。可能な限り、建造物などへの被害は少ないほうが良い。

「まったく、勤め人の辛いところだな」

「本当、身勝手な話だとは思います」

 だが、おかげで私達もその日の食事にありつけている。その事は、さすがに言葉にはしなかったが。

「あ――芙蓉中尉から通信です」

「つなげ」

〈こちら芙蓉だ。“天使”と思われる個体を発見した〉

 もしもこれがキヌライだったら、一々連絡など入れないだろう。これはこれで癖のある男だが、最低限の筋を通す分部下としてはマシな部類である。

「ふむ。距離は」

〈もう目と鼻の先だ。何か問題が?〉

 それだけの距離で問題がない、とすれば件のジャミングは《羽付き》が発信源の可能性が高い。

「いや、気にするな。やれそうか」

〈どうだろうな。やってみなければ分からないが、一見して物珍しさは感じない〉

「ともすれば大尉が競り負けた相手だ。必要であれば、援護にマキナを向かわせるが」

〈必要があればな。まずは一人でやらせてくれ〉

「好きにしたまえ。ただし、死ぬ三歩手前あたりで連絡するように」

〈……ハ、分かった〉


 “天使”については、直にカタがつくだろう。シンプルな特性持ちではあるが、あれも間違いなく最高峰の怪物の一人だ。

 となれば、残された問題は――


「何処の誰だかは知らないがね。引き継いだ以上、最低限の仕事はしてもらおう。それがせめてもの、生き残った者の責務だ」


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