Re:birth

淡々

現代編(異):そして僕は竜を殺す

「なんかもう、どうでもいいな……」

 もう何年も干していない布団に力なく横たわりながら青年――芦澤恭也は気怠げに呟いた。

 彼がいる部屋は電気はついておらず真っ昼間だというのにカーテンも締め切っているため光は一切差し込んでいない。唯一の明かりと言えば、散乱している机の上にぽつんと置かれているノートパソコンの光だけが虚しく室内を照らしていた。

 恭也は世間一般で呼ばれるニートだった。地元の大学へ進学したものの何だか思うように学校生活を送れず、次第にサボりがちになっていき最終的には二回生へ進学する頃には完全に行かなくなっていた。

 大学へ進学するまでは恭也の人生は好調――とも言えないが、それでも普通の学生としてそれなりに楽しみ、一度だけ恋人ができたりもしていた。

 多分、そういったことも恭也をこうしてしまった原因にもなっているのだろう。なまじ楽しい高校生活を送ってしまっただけに大学での生活にギャップを抑えることができず、高校生活で培ったつまらないプライドが邪魔して今に至る。

 結局の所、恭也自身の未熟っぷりが招いた結果だがそれを認めることができる心の広さも、また持ち合わせていなかった。

「いっそ死ぬか……」

 むくり、と体を起こし室内を見渡す。床のあちこちには漫画やゴミが散乱し歩けるスペースなど僅かしか残っていない。そのスペースさえも消してしまうように、恭也は部屋の中を漁り始めた。

「使えそうなもの何かあったっけかな」

 手当たり次第に物をどかし何かを探し始める。床が全て埋め尽くされたと同時に、恭也はあるものを見つけた。

 視線の先にあるのは普段恭也がゲーム機のコンセントを繋いでいるテーブルタップ。その全てのコンセントを無造作に外すし、手元へ引き寄せると恭也はじっとそれを見つめた。

「長さ的にいけるか? まあ、あんまり長くてもダメそうだしこれでもいいか」

 そう言うとテーブルタップの片方をドアノブに括り付ける。多少手こずりもしたが、ものの数分でその準備は整った。

 恭也がしている準備――それは自殺の準備に他ならなかった。つい先ほど思いついたことだが、そんなことは気にもとめずに黙々と準備を進める恭也。普通の人間ならば言うだけで終わることが、今の恭也の中ではコンビニに行くくらいの感覚でもあった。それほどまでに、彼は自身が持つ命の価値を見いだせずにいたのだ。

「でも首吊りは結構キツイって聞いたことあるな。……いや、この際死ねるなら何でもいいな」

 恭也の手が止まるがそれも一瞬。これから死ぬということを感じさせない手付きで自分の首へテーブルタップを巻き付けていく。

「こんなもんか。ちょっと強く巻きすぎた気もするけど死ぬんだし関係ないな」

 締まり具合を確認すると恭也は小さく息を吐き出す。後はこのまま腰を下ろせばいい具合に首が吊られる。そうすれば多少は苦しむだろうがすぐに楽になれるはずだ。

 今更自分の人生に悔いなどあるはずもなかったが、それでも生物が持つ死への本能的な恐怖のせいか恭也は小さく震えていた。それが幸いしたのか恭也は一旦首へ巻き付けたコードを解く。もっとも、死ぬのが数分程度伸びたくらいだが。

「――いや、どうせ死ぬならあれ試すか」

 散らばる漫画やゴミを気にせず踏みつけながらノートパソコンへと向かっていく。パソコンにまで辿り着くと椅子に座り、恭也はブックマークからあるページを開いた。

 開かれたページは黒く塗りつぶされており、文字はおどろおどろしく血文字のようなフォントで書かれている。もはやインターネット黎明期にしかお目にかかれないような古風なホームページだったが、恭也は気にすることなく読み進めていく。

『異世界へ旅立つ方法』

 そのホームページには大きくそう書かれていた。内容は至って簡単。このホームページを最後まで読み進め、最後にあるコメント記入欄に自身の名前と年齢を入力し送信する。その後、入力完了画面に表示される魔法陣のようなものをプリントアウトし、持ちながらこの世を去る。旅立つ、というよりも転生すると言った方が的確かもしれない。

 恭也が偶然このホームページを見たときには思わず苦笑してしまった。いかにも中学生が作ったかのようなデザイン、その内容の胡散臭さや幼稚さ。それら全てが相まって絶妙なチープさを生み出している。しかし、それでも恭也は何となく無視することはできずブックマークに保存しておいた。まさか、本当に試すことになろうとは予想もしていなかったことだろう。

「……死ぬ前のちょっとしたお遊びみたいなもんだな」

 マウスホイールを軽快に回し内容をろくに読まずに――以前読んだときに曖昧だが覚えていた――スクロールしていくとコメント入力欄が現れた。既に送信されているコメント欄を見て恭也は呆れた笑いをこぼす。

 どうやら恭也以前にもここを訪れて人間は多いらしく、明らかに偽名と分かる名前や馬鹿正直に本名を書いている者など数ページ渡って続いていた。ほとんどの者は名前を入力するまでで、実際に試すのは恭也が初めてかもしれない。自分の命を捨てることが条件なのだ。やろうとする者の方が珍しいだろう。

「どうせならチート能力を持って転生したいよな」

 馬鹿馬鹿しいことを考えながら自分の本名と年齢を打ち込んでいく。これが本当か嘘であれ、どちらにせよ死ぬことは確実なため本名を晒すことに抵抗はなかった。

 送信ボタンを押し、一瞬だけ画面がホワイトアウトしすぐに入力完了画面が表示される。その画面にはまるで悪魔召喚にでも使われそうな本格的な魔法陣が映し出されていた。

 恭也はその画面をプリントアウトし、四つ折りに畳んでポケットにしまう。これで準備は整った。後はこの世を去るだけ。あれが本当かどうかは死んだ後に分かることだ。もし成功したら諸手を挙げて喜ぶし、嘘だとしてもこの世からいなくなれる。どっちに転んでも恭也にとって得になることは間違いないだろう。

 椅子から立ち上がり先ほど自分が準備したテーブルタップの元まで戻る。再び首へ巻きつけると、恭也は軽く天を仰いだ。

「何の感慨も湧かねえな」

 無機質な声。それはこれから死ぬことへの思いは勿論、この世への未練すらも感じさせない声だった。

 ポケットに先ほど用意した魔法陣が入っていることを確認すると、恭也は勢いよく腰を地面へと落とした。首に巻き付けたコードが容赦なく恭也を締め上げる。恭也の顔は苦悶に満ちており、声を出そうとするも叶わず掠れた声が小さく聞こえるだけ。無様に失禁をしながら悶えると、ついに恭也はぐったりと動かなくなった。

 十三日の金曜日。

 ありふれた昼下がり。

 芦澤恭也の自殺は誰にも知られることなく、静かに終わった。



「ぅ、あ…………」

 体を襲う強烈な倦怠感を感じながら恭也はゆっくりと目を開けた。視界はぼやけて自分がどういった状況下にあるのか把握は困難だったが次第に鮮明になり、恭也は改めて周囲を見渡した。

「あ……?」

 自分を囲む周囲の風景に絶句する。黒、黒、黒。それ以外の色が全くないただ無限に広がる漆黒の空間。どこを向いても光が差し込んでいる場所など見当たらず、自分がどこにいるのかさえ曖昧になっている。無限に広がりながらも、しかし迫ってくるかのような漆黒に恭也は閉塞感を感じ、自然と息が荒くなっていった。

 ――落ち着け。落ち着け、落ち着け。

 そう恭也は自分に何度も言い聞かせひとまず呼吸を元に戻す。数回深呼吸を繰り返すと、改めて自分が置かれている環境を整理した。

「何だってんだよ……!」

 忌々しげに呟きながら爪を噛む。思い出せ。どうしてこんな場所にいる。

 ここに至るまでの恭也の記憶に混乱が生じていた。確か自分の部屋で眠っていたはず。これは確かな記憶だ。しかしそこから先がどうにも曖昧になっている。

「わっけ分かんねえ!」

 苛立ちを隠せず乱暴に髪を乱しながら叫ぶが、反響することもなく否が応でも自分が孤立している事実を突きつけられる。それが更に恭也の苛立ちを加速させた。

「…………」

 ふと、ズボンのポケットの中に何かが入っていることに気づく。一切の光がない空間ではあったが、不思議と自分の体だけは見えていた。

 ポケットに入っていたのは一枚の紙切れ。広げるとそこには怪しげな魔法陣が書かれていた。

「あ……」

 それを見て、恭也は全てを思い出す。自分が自殺したこと。死ぬ前に胡散臭い転生術を試したこと。そして、死ぬときに感じた苦しみを――。

「――ッ!?」

 瞬間、恭也の首が猛烈に締め付けあげられる。手で触れても首には何もなく、不思議な力でも働いているかのように紐状の締付け後が浮かび上がっていった。恭也は必死に抵抗しようと首を掻きむしるがいたずらに喉元を傷つけただけで、為す術はなかった。

 永遠に続くかのようにも思えたが一分も経たないうちに恭也は謎の力から解放される。恐怖で強張っていた体が一気に弛み、反動で地面に突っ伏す。未だ震える手足に力を込め四つん這いの体勢になるが体を完全に起こすことはまだ不可能だった。

 乱れる呼吸に任せるままに胃の中のものを全て吐き出す。支えていた手足に力をいれれなくなり、そのまま吐瀉物へ顔をうずめそうになるがすんでのところで食いしばり何とか避けて倒れ込むことに成功する。

 。こんな訳の分からない場所で。

 恭也の瞳から光が消える。このまま恭也自身も漆黒に溶けていくと覚悟した瞬間、どこからともなく女の声が響いた。

「――やれやれ、汚い男だことね。それは自分で処理してちょうだいね」

 明らかに恭也を小馬鹿にした声。相手を睨みつけてやりたい欲求に駆られたが、こんな場所に自分以外の人を見つけた。その安心感の方が今の恭也には大きかった。

 口の中に広がる不快感を噛み殺しながら無様に体を起こし、恭也は声の主を探す。しかし、どこを見ても人の姿はなく先ほどと変わらず黒い空間を見つめるばかりであった。

「意外だね、まさか起き上がれる元気があるとは思ってなかったよ。そのまま寝てれば顔を踏みつけてやったのに」

 再び暗闇の中より女の声が発せられる。しかし今度はさっきと比べて近くなっている。恭也は周りを見渡しながら今の状態で出し得る限りの声で叫んだ。

「どこだ……! 誰かいるなら姿を見せろ!」

「――口の聞き方には気をつけなよ。私は礼儀を弁えている客人には寛容だが、礼儀を知らない人間は客とは認めない」

 先ほどは違い、明確な怒りが込められた声。その声に恭也は口を閉じざるを得なかった。

「そうそう、それでいいんだよ。人には人の態度ってのがあるものさ」

 声の主は機嫌を直したのか最初の声色に戻り、ケラケラと笑った。ここに来たときから感じている理不尽さを恭也は全てぶちまけたい衝動に襲われたが、ここでまた声の主の機嫌を損ねれば二度と姿を見ることができないと直感していた。

「あんたは……誰だ……? ここはどこなんだよ?」

 声を抑え、小さく質問をする恭也。声の主は一瞬の間を置くと、「……まあいいか」と、小さく呟いた。

 恭也が返答を待っていると、どこからともなく一匹の蝶が現れた。その蝶は青白く光っておりこの暗闇においては圧倒的な存在感を放っている。恭也が蝶を目で追っていくうちに一匹、また一匹と無数に増えていく。目視では数えることが難しくなるほど蝶が集まってき、次第に人の形を為していった。

 蝶が集まりきり眩い光を発すると、今まで蝶が集まっていた場所に一人の少女が立っていた。年は恭也よりも幾つか若く、顔立ちは整っている。銀色の長い髪を一つに結びあげ、頭には年季を感じさせる破れた山高帽を被っている。着ている燕尾服も薄汚れており、整った顔からは真逆の不清潔さを感じさせた。

「はじめまして、私はゲーデ。貴方たちの世界の言葉で言うなら死神だね」

 短い自己紹介を終えるとゲーデと名乗った少女は帽子を脱ぎ、軽く会釈をした。顔をあげると再び帽子を被り直し、どこからか出現させた椅子に座った。

「……は?」

 恭也の頭の理解が追いつかず素っ頓狂な声を出す。目を覚ませば一切覚えのない空間に放り出されており、謎の力で首を文字通り死ぬほど締め付けられた上に、急に目の前に現れた自らを死神と名乗る少女。どこから整理していけばいいのか今の恭也には判断が難しかった。

「ここは契約した人間だけが訪れることができる場所。それで、貴方はどこへ行きたいんだい?」

 困惑する恭也をよそ目に足を組みながら尊大ともとれる態度で質問をするゲーデ。未だ恭也は困惑のさなかだったが、どこへ行きたいという言葉で自分が置かれている状況を僅かだが理解することができた。

「アレ、本当だったのか……!?」

 それは恭也自身に向けた呟きのつもりだったが、ゲーデは自分への質問と判断したのか呆れ気味に答えた。

「本当も何も、貴方は異世界への転生を望んだから試したんじゃあないの? それとも嘘か本当かも分からないまま死んだりしたの?」

「いや、まあ……その通りだな」

 恭也の答えにゲーデは目を丸くする。その姿は異質ながらも年齢相応な反応であり、恭也も思わず笑みをこぼした。

「何が可笑しい?」

 すぐに元の冷徹な表情に戻り恭也を鋭く睨みつける。その威圧感に恭也は萎縮してしまい、反射的に顔を背けた。

「……呆れた。まさかこうまで簡単に命を捨てる人間がいるとはね。死神の私が言うのもあれだけど、世も末ってやつかもね」

 ため息混じりにゲーデは恭也へ侮蔑の視線を向ける。恭也にとってその視線は普段部屋に閉じこもっていながらも、どこからか感じていたものでありより一層居心地の悪さを加速させた。

「まあいいわ、私には関係のないことだし。――本題に戻るわよ。貴方はどこへ行きたいの?」

 再び恭也に問われる、どこへ行きたいという願い。乱れていた呼吸もいつの間にか元に戻り、ようやくそのことについて考えを巡らせた。

 そもそも恭也は遊び半分で試しただけであり、本当にできるなどと夢にも思っていなかった。従って具体的な願いなど微塵にも考えておらず、すぐに答えが出るはずもなかった。

 長い沈黙。ゲーデは少し待ちくたびれてきたのか眠そうに欠伸を何度か繰り返している。暇つぶしがてらに蝶を一匹召喚し指の周りを旋回させたりして遊んでいたがすぐに飽きたのか手で握りつぶすと再び恭也へと視線を向けた。

「ねえ、まだ決まらな――」

 ゲーデの言葉を遮るように恭也はようやく口を開いた。

「俺がいた世界はとんもでもなくクソだった。毎日毎日同じことの繰り返し。目が覚めるたびに謎の不安感に押しつぶされそうになる。それがたまらなく嫌だった。だから、だからもし。別の世界へ行けるって言うならそんなものが一切ない世界がいい。あんな場所じゃあなかったら俺は絶対に――」

 そこまで言って恭也は口を閉じる。何をこんな少女に前世の愚痴を語っているのか恥ずかしくなった。どちらかが子供なのか分かったものじゃあない。恭也はバツが悪そうに頬をかきながら、「とにかく元いた世界以外の場所ならどこだっていい」と、答えた。

「散々待った挙げ句出た答えがそれ? 抽象的すぎて世界が絞れない」

「ぐっ……」

 自分が必死で出した答えを容赦なく切られ恭也は小さくうめき声を出す。じゃあどういう答えが望みなんだと恭也は内心毒づくが、それを悟らせればまたゲーデは怒りを顕にするだろう。自分の表情を隠すために考えるふりをしながら恭也は手を額に当てた。

「――面倒くさい。こっちから提案するよ。どうせ貴方もこの世界でいいだろうし」

 ゲーデの思いがけない言葉に思わず恭也は顔をあげる。ゲーデが右手を挙げると手の平の上に青白い炎が灯る。炎は一瞬で消えたが代わりに右手には一枚の古ぼけた羊皮紙が現れていた。

「その前に一応確認。貴方、契約には同意したということでいいんだね?」

 契約という言葉に恭也は眉をひそめる。契約というのは死ぬ前にあのホームページ上で送信した名前と年齢のことだろうか。だとすれば何も問題はない。元の世界とは違う場所へ行きたい恭也にとっては是非もなかった。

「……そう。じゃあ話を続けるわね」

 恭也の同意の頷きを確認すると、ゲーデは羊皮紙を見ながら淡々と話し始めた。

「貴方がこれから行く世界は『エリュシオン』という世界。この世界では日夜人類と魔王軍が戦いを広げているの。でも最近魔王軍の侵攻が激しくなってきて人類は押されがちになってきている。それに加えて人類側の損害も無視できない状況になりつつあるわ。人員補充ってわけでもないけど、貴方にはこの世界に赴いて一人の冒険者として魔王軍との戦いに参加してもらう。早い話が、魔法と剣の世界に行って存分に暴れてきなさい、という感じ」

 最後に、ここまでで質問は、と付け加えるとゲーデは握っていた羊皮紙を恭也のもとへと渡す。ゲーデの持つ力によって不安定に空を舞いながらも羊皮紙は丁度恭也の手元へ落下した。

 渡された羊皮紙をおそるおそる手に取り確認する。知らない言語だったらと不安になったがそれは杞憂であり、恭也にも読めるよう全て日本語で記されていた。

 羊皮紙に書かれていたのはたった今ゲーデが話した内容と『エリュシオン』の世界地図だと思われるものだった。地図上には赤く塗られた場所と青で塗られた場所があり、その半分以上が赤で染められている。話の内容から察するに、おそらく赤い部分が魔王軍の領土となっているところだろう。地図上で確認する戦況は話を聞くよりも絶望的に見えた。

「まさかとは思うけどこのまんまで放り出されるわけじゃあないよな……?」

 もしそうだとするならば状況は最悪に近い。せっかく異世界への転生を果たしたとしても一年にも満たない間で死ぬことになってしまう。当然と言えば当然だが、恭也には魔王軍、ましてや人と戦う力さえない。ゲーム上では最強クラスに近いキャラを何体も生み出してきたがそんなものは所詮虚構の世界での話だ。

「貴方が望むなら元の世界の記憶はそのままに、全く別の肉体を用意してあげることも可能だよ」

 ゲーデが指を鳴らした瞬間、恭也が持っていた羊皮紙の中身が一瞬で書き換えられる。代わりに記されたのは竜のような鎧を纏った一人の人間の姿と、その人物についての略歴や素性ステータスだった。

「その人間は死にたてほやほやでね。で亡くなってしまったけど、今なら魂を貴方のに書き換えることができるわ」

「魂を書き換える……?」

「文面通りの意味よ。エリュシオンでは死者の蘇生というのは魔法の一環で修練さえ積めば誰でもできるの。それに蘇生するのは命ではなく魂そのもの。その魂を私の力で貴方の魂に書き換える。そうすれば貴方は芦澤恭也としての記憶はそのままに、彼の記憶はもちろん使える魔法や剣技その全てが貴方のものになる」

 最高じゃあないか。恭也は喜びのあまり勢いよく立ち上がる。その顔には死ぬ寸前にまで貼り付いてた死相はなく、代わりに生気に満ち溢れた表情をしていた。

「それでどうするの? 今はまだ蘇生中だけど、そう時間もかからない。彼に生まれ変わる転生するっていうなら早くしないと生き返っちゃうわよ」

 羊皮紙に目を向けると書かれてた情報が少しずつ消えかかっている。この人物が完全に蘇生されれば同じようにここに書かれていることも全て消えるのだろう。冗談ではない。恭也にとってこの千載一遇、自らの命を捨てて手に入れたチャンスをみすみすと逃す選択肢はありえなかった。

「――頼む、俺をこいつに転生させてくれ」

 静かに、しかし強い決意を胸に恭也はゲーデを見つめる。そんな恭也を見つめゲーデは小さく微笑むと椅子から立ち上がった。

「その契約、確かに受理した。我ゲーデの名に於いて契約者芦澤恭也の転生を認める。汝これを受諾するものなり。永遠の交差点より、世界の門を叩け」

 ゲーデが呪文を唱えると恭也の足元にあのホームページで見た同じ魔法陣が浮かび上がる。その魔法陣から放たれる光の眩しさに耐えきれず目を手で覆う恭也。ゲーデが呪文を全て唱えきると光はより一層輝きを増し、恭也を完全に包み込んだ。光が極限にまで輝くと一気に収束し、同時に魔法陣も消え去った。

 魔法陣の上に立っていた恭也の姿は消えており、残されたのはゲーデのみとなった。無事に恭也を異世界へと転生させたことを確認すると、大きく息を吐きながらゲーデは椅子に座った。

「さて……後は彼次第。私はもう一仕事しなくちゃね」

 物憂げな表情をしながら頬杖をつくゲーデ。その視線の先には、金の蝶の群れ。蝶は徐々に収束していき、神々しい光を放つと暗闇に消えていった。蝶が消えた後に現れたのは物々しい鎧を纏った一人の人間だった。

 小さく呻きながら鎧の男はゆっくりと体を起こす。兜で表情は見えないが辺りを挙動不審に見渡す様子を見ると彼も恭也と同じように困惑しているのだろう。

 そして、男はゲーデの存在に気づく。ゲーデの姿は先ほどまでの少女姿から打って変わり、老齢の男性へと変えていた。

「まあまあ、落ち着きたまえ」

 穏やかだが芯のある声。もはやそこに少女の姿をしたゲーデの面影はない。

 鎧の男はゲーデの存在に気づき、すぐに腰にある剣へと手を回すがそこにあるはずのないものがないと気づく。得物がないと観念したのか、鎧の男は潔くその場へと腰を据えた。

「なかなかに物分りがいい男だ。話が早くて助かるよ。さてどこから説明しようか。……うん、まずはここがどこだということから、始めるとしよう」


 ゲーデの話に鎧の男は静かに耳を傾けた――。

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