第十三章 新たなる出発

 眼を覚ますと、そこは見覚えのない部屋だった。

 身体を優しく支えている柔らかいベッドの上で、リネはゆっくりと上半身を起こす。

(……? ここ、どこだろ?)

 周りを見回し、リネは少々首を捻る。

 石造りの四角い部屋の中には、四角い金属製のテーブルと一人用のソファーが四つ、さらに壁際には金属製の棚が二つ置かれている。そのどれもが、金や銀で細かい装飾が施された、値の張りそうな品だ。

 まるで貴族のお屋敷に招かれたかのような豪華さに、リネはふと思い付く。

「もしかしてここ、『テルノアリス城』……?」

 なぜ自分はこんな所にいるのだろう? と考えた所で、ようやく脳が働き始めたらしい。今まで体験したあらゆる出来事が、記憶の奔流となって、頭の中を駆け巡った。

 囚われの身となっていた自分の許に、颯爽と駆け付けてくれたディーン。リネを化物と呼んで揶揄するアーベントを、彼は力強い口調で否定し、最後まで勇敢に立ち向かってくれた。

(そういえばあたし、みっともないぐらいに泣いちゃったんだっけ)

 今思い返してみても、恥ずかしさで身体中が熱くなってくる。だがそれと同時に、ディーンが自分を助けに来てくれたという事実が、嬉しさとなってリネの頬を緩ませる。

(直接会ってお礼が言いたいけど……、勝手に動き回ったりしても大丈夫なのかな?)

 そもそもここに運ばれた経緯さえ、記憶が曖昧なリネにはよくわからない。アーベントから受けた傷の痛みが、彼女の意識を昏倒させた原因なのだろうが、腕を確かめてみると、すでに治療は施されている。体調的には何の問題もないが、黙っていなくなるのはさすがに不味いのでは?

 ……と、そんな風に考えていた時だった。部屋の扉が外側から数回ノックされ、そのすぐ後、扉が開いて見覚えのある人物が入ってきた。

 銀髪碧眼の少年、ジン・ハートラーだ。

「リネ! もう起きて大丈夫なのか?」

「うん、問題ないみたい。起きたらこんな豪華な部屋だったから、ちょっと驚いちゃった」

 そんな風に笑って言うと、ジンは安心したように、優しく微笑み返してきた。

「何か久しぶりだね、こうしてジンと話すの」

「そうか? 顔を合わせていないのは、たった一日くらいのはずなんだが」

 苦笑するジンの表情は、以前よりも少しだけ晴れやかな感じがした。その理由は恐らく、今回の事件が収束に向かっているからだろう。

 その顔を見ていて、リネはふと思う。ジンなら多分、『彼』の居場所を知っているのではないか、と。

「あのさ、ジン。ディーンが今、どこにいるか知ってる……?」

「ん? ああ、あいつなら――」

 と、どこか可笑しそうに話しながら、ジンは扉のノブを持ったまま、部屋の外に視線を向ける。

 するとそれに答えるかのように、

「さっきからここにいるっつーの」

 という、面倒臭そうな声が響いてきた。

 驚いて眼をみはるリネを他所に、声の主はやや乱暴な足取りで、部屋の中に入ってきた。

 やれやれと言いたげなジンの後ろを通って現れた、炎のように紅い髪。特徴的な容姿の少年は、顔を合わせるなりこう言い放ってきた。

「いつまで寝てる気だったんだ? 呑気でいいよなぁ、お前は」

「……フフ。相変わらず酷い言い方だね、ディーン」

 意地の悪い言葉を掛けられているというのに、リネは不思議と、笑みを溢してしまっていた。

 そんな彼女の反応が意外だったのだろう。ディーンは数回瞬きした後、酷くバツが悪そうに顔を逸らした。




 ◆  ◆  ◆




「そっか。じゃあ、あのアーベントって人は……」

「ああ……。俺の眼の前で自爆した。最後まで勝手な奴だったぜ……」

 リネを見舞うために訪れた城の一室で、俺は見舞いに同行していたジンも交えて、状況の整理を行っていた。

 尤もそのほとんどは、意識を失っていたリネに対して行っているようなものだった。と言うのも、俺はすでに、ジンから粗方の状況を伝え聞いていたからだ。

 つまりは、今回の事件の顛末。

 ジンの話だと、俺が『紅の詩篇フレイム・リーディング』を成功させたあの瞬間から、『術式魔法陣』の安定を行っていた『魔術師』達は、大半が戦意を喪失し、逃げる者と大人しく投降する者の二組に分かれたらしい。

 後は残っていた『ゴーレム』を何とか退け、ジンや他のギルドメンバー、そしてハルクに選抜された正規軍兵士達は、一旦街の中に戻ったそうだ。

 すると、『術式魔法陣』の犠牲にはならなかった仮面の人物達にも、投降する意思を示す者が多くいたそうだが、一部抵抗を続ける者もいたため、事態が沈静化するのはだいぶ時間が掛かったらしい。

 まぁ、無理もないよな。指導者として崇めていたアーベントが、実は最初から自分達を捨て駒にしようとしてたなんて。裏切られたと思うのも当然だ。

「そんで、気を失ったお前を担いで『首都』に戻ってた所で、ジンと合流したって訳だ」

「そうだったんだ。ごめんね、迷惑掛けちゃって……」

 少し落ち込んだ様子で、リネは伏し目がちに呟いた。

 ……別に、迷惑を掛けられたなんて思ってない。むしろ彼女の存在があったからこそ、俺は戦う意志を固める事ができた部分もある。そういう意味では、感謝の念を述べるべきなのは、むしろ――

 ……いや、やっぱり悔しい。素直に認めるのが何か悔しい。

 アーベントと対峙していた時は、思った事をガンガン口にしていた気がするのに、改めて本人を前にすると、なぜか感情表現が上手くいかなくなる。俺、いつからこんな面倒臭い奴になったんだ?

「――あたしが四歳くらいの時だったんだ」

「え?」

 何の前触れもなく、リネが切り出したその言葉に、思わず俺は疑問の声を上げた。傍らにいるジンも、彼女の突然の発言に、戸惑いを隠せないでいるようだ。

「何の話をしているんだ?」

 神妙な面持ちで尋ねるジンに、リネはいつか見せた切ない笑みを混ぜて、答える。

「二人にまだ話してなかったでしょ? あたしの過去。『妖魔』一族の事」

「!」

 彼女の口から出た『妖魔』という言葉に、俺はジンと僅かに顔を見合わせた。

 今まで語ろうとしなかった生い立ちを、今この瞬間になって、彼女はようやく口にしようとしている。それは一体、どういう心境の変化なんだろう?

「辛いなら、話さなくていいんだぞ?」

 止めるならここしかないと言わんばかりに、ジンが素早く先手を打つ。

 だがリネは、首を横に振ってそれを拒んだ。どうやら俺達が思っている以上に、彼女の決意は固いようだ。

 リネはゆっくりと、その口で言葉を紡いでいく。

「あたしの生まれ育った村はね。ここから西の方角にある、『ブラウズナー渓谷』っていう谷の、少し入り組んだ場所にあったんだ」

 ……ああ、その谷の名なら、以前俺も耳にした事がある。確か、渓谷に連なる山岳地帯が険し過ぎるせいで、依然として未開拓の土地が残ってるって言われてる場所だったはずだ。

 そういえばリネは、俺に付きまとっていた時、「西の方から来た」と口にした事があった。

 あの時は、漠然とした方角しか言わないリネに呆れて、全く相手にしなかったが、一応彼女なりの真面目な答えだったようだ。恐らく詳しい地名を言えば、自分の正体が知られる可能性があると考えて、わざと口にしなかったんだろう。

 本当に今更たが、俺は少し反省せざるを得ない。いつぞやにジンが言っていた通り、もう少しリネの事を気に掛けてやっていれば、もっと早い段階で、その柵を分かち合えたかも知れないのだから。

「そこは人里から離れてるのと、周りの山岳地帯が険しいってこともあって、滅多に人なんか寄り付かない場所だったんだ。だけど――」

 十二年前のあの日、それは起きてしまった。

 かつて『魔王』と呼ばれていた前テルノアリス王の命によって、危険分子と見なされた『妖魔』一族の、大量虐殺が。

「ある日突然、軍の大部隊が攻め込んで来て……みんな殺された。お父さんも、お母さんも、友達も、隣の家のおじさんやおばさんも、みんなみんな……」

 リネは微かに震えながら俯いて、それでも話す事を止めようとはしなかった。

 俺はいつの間にか、そんな彼女から眼が離せなくなっていた。

 普段とまるで別人じゃないか。

 悲しみと苦しみに満ちたそんな表情を、俺は知らない。

 僅かに肩を震わせるそんな弱々しい姿を、俺は知らない。

 本当に辛そうに、リネは表情を曇らせ続けていく。

「あたしは隠れる事しかできなくて……。それで軍が去った後……、あたしは自分の力を使って、必死にみんなを治そうとしてた。血塗れになって……、眼を見開いたまま動かないみんなを……、何度も何度も揺さぶりながら――」

「もういい、リネ。充分だ」

 気付くと俺は、立ち上がってリネの言葉を遮っていた。その足が自然と、ベッドに座っている彼女の許へと進んでいく。

「もう……、話さなくていいから。思い出さなくていいから。……俺もジンも、これ以上お前に傷付いてほしくなんかねぇんだ」

 微かに震えている小さな肩に、そっと右手を置く。

 痛々しいその表情を見つめながら思う。そうだ、もう充分だ。これ以上、彼女を傷付けて何になる。

 捨てる事も消し去る事もできないのが過去だというのなら、せめて今だけは、その苦痛から逃れてもいいのではないか。

 俺を助けてくれた恩人には、それぐらいの見返りがあってもいいのではないか。

「ずっと黙っててごめんなさい……。隠しててごめんなさい……。二人に知られるのが怖かったの。あたしが……っ、人とは違う存在だって、『化物』なんだって……!」

 知られれば、みんな離れていってしまう。独りになってしまう。それが、彼女が怯えているものの正体だったのか。

 普段は明るく振舞いながら、その裏でリネは、ずっと孤独になるのを恐れていたんだ。

 顔を両手で覆い、嗚咽を漏らすその姿が、胸を締め付ける。

 以前、ジンが言った通りだった。

 何かを抱えて生きているのは、決して俺だけじゃない。

「大丈夫だ。もう泣かなくていい。謝らなくていいんだ」

「でも……っ!」

「あの時も言っただろ」

 制止する俺を見上げ、リネはその大きな黒い瞳から、大粒の涙を流している。

 だから俺は、ゆっくりと告げる。不器用だと自覚しながらも、それでもできるだけ、優しい雰囲気を出せるように。

「お前は『化物』じゃなくて、『リネ・レディア』だ、ってな」

 そう言って俺は、快活な笑顔をこれでもかとリネに見せつけてやる。

 それが、最後の一押しになったらしい。

 少し驚いた顔をしていたリネは、やがて堪え切れなくなった様子で、幼い子供のように泣き始めた。

 涙で顔をクシャクシャにして、それでもどこか嬉しそうに、何度も何度も頷いていた。




「――少し気分を変えられる話をしようか」

 どれくらい経った頃だろう。気を遣ったのか、不意にジンがそんな言葉を切り出した。

 窓辺から外の景色を見ていた俺は、ベッドで鼻をすすっていたリネと、ほぼ同時にジンの方を向いた。

「何だよ? 妙に含みのある言い方だな」

「そう勘繰らなくていい。ただの朗報だ。お前にとってのな」

「俺に?」

 首を傾げて応じると、ジンは勿体ぶったように苦笑する。彼には珍しく、こっちの様子を窺って楽しんでいるようだ。

「何なの、朗報って?」

 同じくジンの口振りが気になったのか、リネが俺より先に問い掛ける。するとジンは、観念したようにようやく口を開く。

「『ギルド』の調査で進展があってな。お前の師匠、ミレーナ・イアルフスの居所が掴めそうだ」

「!! ホントか!?」

 俺は思わず窓辺から離れ、ジンの傍へと歩み寄る。

 それが本当なら、朗報どころの騒ぎじゃない。柄にもなく大はしゃぎしてしまいそうだ。

「以前、とある街で、テロリストと接触しているミレーナの姿が目撃された、と言っただろ? 実はその証言をした人間が、アーベント一味だったんだ」

「何だって?」

 聞いて驚きはしたものの、しかしよくよく考えてみると辻褄が合う。

 死の間際、アーベントは確かに言っていた。例の噂は、ミレーナを誘き出すために自分達が流した、偽の情報だと。

 あの時の言葉が、ジンのもたらした情報によって、証明された形になった訳だ。

 一人納得する俺を他所に、ジンは続ける。

「その目撃者により詳しく事情聴取を行なった所、流した噂は偽物だが、ミレーナ本人に会ったのは間違いないそうなんだ。しかもその者の証言によると、その際彼女は、『紺碧の泉アジュール・ファウンテン』へ向かう途中だと言っていたらしい」

「お、おい……、嘘だろ?」

 ジンの口からその名を聞いた瞬間、俺は自分の耳を疑った。

 なぜならその街の名は、昨夜とある占い師が提示した占いの結果と、全く同じ場所だったからだ。

 エリーゼ、やっぱあんたは只者じゃねぇよ……。これから先、あんたの占いなら信じてみてもいいかも知れないな。

 内心で舌を巻いていると、ジンはどこか嬉しそうな表情を浮かべて言う。

「どうだ? 朗報だっただろう?」

「ああ、もちろん! 知らせてくれてありがとな、ジン。恩に着るよ!」

「良かったね、ディーン。ミレーナさんの手掛かりが見つかって」

「えっ? ああ……、まぁな」

 嬉しそうな表情のリネが、何気なく発した言葉。それに俺は、僅かな違和感を覚えた。

 以前の彼女ならこういう時、

「じゃあ、これから頑張って捜さないとね!」

 なんて口にしそうなものだったが、今の台詞からは、付いてくる気が全くないように感じ取れたのだ。……俺の考え過ぎなんだろうか?

「――さて、情報の共有は済んだ事だし、俺はこの辺で失礼するよ」

 まるで仕切り直しだとでも言うように、ジンは静かに立ち上がって、そんな事を言った。

 また随分と急に言い始めたなと思う俺同様、リネも不思議そうに首を傾げる。

「えっ、どうして? ジンとももう少し話したいのに……」

「すまない。まだ色々と厄介な事後処理が残っているんだ。……ああ、丁度いい。せっかくだから、お前にも手伝ってもらおう。この後予定がないなら手を貸してほしいんだが、頼めるか?」

「えっ? ……ああ、別にいいけど」

 思い出したように俺を指名したジンは、急かすように背中を押しながら、部屋を出て行こうとする。

 何だかその様子は、普段から冷静な彼にしては、少し異質な行動だった。

「後でまた様子を見に来るから、それまでキミはゆっくり休んでてくれ」

「うん、わかった。じゃあね、二人共」

 泣き腫らした顔ではあったが、リネは微笑むと、小さく手を振ってきた。

 ジンに背中を押されるままだった俺は、しかしそこでようやく思い至った。

 どうやら良くない話が、この先に待ち受けているようだ、と。




 ◆  ◆  ◆




「何か俺に用があるんだろ?」

 リネの休んでいる部屋から、少し距離が開くのを待って、俺は隣にいるジンに尋ねた。

 すると彼は、城の長い廊下を歩き続けながら、少し神妙な面持ちで言葉を切り出す。

「実は……、リネの今後についてなんだが……」

「!」

 ある程度予想はしていたが、やはり来たかという感じだった。

 少し抵抗したい気持ちを、俺は敢えて顔には出さず、ジンが言わんとする結論を口に出す。

「……軍が身柄を預かる、って言うんだろ?」

 俺が淡々と告げると、ジンは少々驚いた顔をした。気付いているとは思わなかった、と言いたげな表情だ。

 友人の心中を察しながら、俺は苦笑して言葉を掛ける。

「あいつが『妖魔』の生き残りだって、元老院にもバレちまったんだろ? なら、そういう話になるのは当然だ。『妖魔』の『血』に、『魔術』の力を飛躍的に高める効力がある以上、野放しにしておけば、今回のアーベントみたいに、利用しようとする奴が出てくるかも知れない。ならいっそ、軍で身柄を保護して管理下に置いておけば、自由に歩き回らせるよりは安全だ。リネにとっても、元老院にとってもな」

 台詞を奪い取るつもりで、予想していた事を全て打ち明けると、ジンは少し唖然とした後、浅く溜め息をついた。

「……お前はそれでいいのか? 一度軍の管理下に入れば、そう簡単に会う事はできなくなるんだぞ?」

 躊躇いがちに紡がれた言葉が、ジンの優しさとその胸中を物語っている。

 それを有り難いと思いつつも、俺は努めて平静を装った。

「いいも何も、俺には元老院に意見する資格なんてない。何をどう喚いて叫ぼうが、貴族の連中は、俺なんかの願いなんて聞き入れたりしねぇよ」

「いや、しかし――」

「確かにあいつには感謝してる。だけどこればっかりはどうにもならねぇさ。それに俺は、元々一人で旅をしてた身だ。放浪癖の付いてる『魔術師』一人と、『首都』を守護する正規軍。どっちがあいつを守った方が得策かなんて、比べるまでもねぇ事だろ?」

「それは……」

 言い淀むという事は、ジンも内心では理解しているのだろう。ただ、彼も結構お節介な人間らしい。理解はできても納得はいかない。そう言いたそうな顔をしている。

 リネの事を諦めようとしている俺を、ジンはまるで責めるかのような表情で見つめ、黙り込む。

 そんな友人の態度に、俺はわざとらしく苦笑する。

「心配すんなよ。リネには別れの挨拶ぐらい、ちゃんとしに行くからさ」

 歩調を速め、ジンから少し距離を取る。勘の鋭い彼なら、恐らく今のやり取りで気付いたはずだ。

 俺がリネに、別れを告げに行く気がない事を。




 ◆  ◆  ◆




 それから三日後。事後処理や街の復旧を手伝っていた俺は、旅の準備を同時進行で済ませ、ようやく出発の日を迎えるに至った。

 その間俺は、エリーゼにも礼を言っておこうと思い、何度か『ライム』を尋ねてみたのだが、結局一度もエリーゼに会う事はできなかった。

 まさか今回の事件で……なんて縁起でもない事を考えていた俺に、ジンは涼しげな顔で

「俺は二回ほど会ったぞ?」

 と言ってきた。これじゃあ、何だか俺がエリーゼに避けられてるみたいだ……。まぁ、今度『首都』に立ち寄る機会があれば、その時にでも会いに行ってみるとしよう。

 そんな風に思いながら、俺は『テルノアリス』を出るため、街の北門へ向かって大通りを歩いていく。

 周囲は未だに、復旧作業に追われる人達で慌ただしい。

 作業そのものは順調なようだが、さすがに三日では、鉄道の修理は完了していない。それ故、ミレーナが向かったとされる『紺碧の泉アジュール・ファウンテン』までは、徒歩で行く事になる。馬を使うという手段もあるにはあるが、旅の資金を節約するためにも、ここは我慢しておくべきだろう。

 が、ここから北東に位置する『湖上都市』までは、歩くとなるとかなりの距離だ。果たして俺がその街に辿り着く頃に、ミレーナはまだその街にいるんだろうか?

 と、ぼんやり考えている間に、気付けば北門の検問所付近まで辿り着いていた。

 これでこの街ともお別れだと思うと、ゆっくりする暇がなかったせいか、旅立つのが少し名残惜しい気もする。

 検問所に近付きつつ、そんな事を思っていた時だった。

「随分辛気臭い顔してるわね、お兄さん」

 どこかで聞いたような台詞に顔を上げると、検問所の傍に、見覚えのある人間が立っていた。

 顔を銀色のベールで隠した、翡翠色の瞳が印象的な女性。迷っていた俺の背中を押してくれた、ある意味恩人のような存在。

 俺は柄にもなく声を弾ませ、その女性の許に駆け寄った。

「エリーゼ! 無事だったんだな! 戦いが終わった後も見掛けなかったから、心配してたんだ」

 安堵しながら告げると、エリーゼはベールの下で優しげに微笑む。

「ごめんなさいね。ジンには何度か会って、あなたの事を聞いてたんだけど。でも、あなたも無事で良かったわ。これから『紺碧の泉アジュール・ファウンテン』に発つんでしょ?」

「ああ、そうだけど、何で知ってるんだ? ……まさか占いで?」

「違う違う、ジンに聞いたのよ。だから見送りだけでもしようと思ってね。――あ、ジンなら検問所の外で待ってるわよ。私も見送りするから、一緒に行きましょ」

「え? あ、ああ」

 返事をしつつも、俺は少々首を捻る。ジンも待っていたのなら、なぜエリーゼと一緒に街の中にいないんだろう?

 疑問に思いながらも、俺は先導するエリーゼに続いて、検問所へと入った。体格の良い兵士二人に色々と調べられ、数分の時間を掛けて外壁の外に出ると、エリーゼはなぜか可笑しそうに笑いつつ、手招きして俺を誘う。

 彼女に従い、外壁の袂に辿り着いた所で、俺はようやく全てを理解した。

「あー、なるほど。こういう状況だったって訳ね……」

 エリーゼにしてやられたと、俺は軽く頭を抱えた。もう少し早く、彼女の意図に気付くべきだった。

 視線の先、高々と聳える外壁の袂には、確かにジンが待っていた。だが一人でじゃあない。彼の隣には、よく見知った人物が佇んでいる。

 黒髪の少女、リネ・レディアが。

「やっほ~、ディーン。久しぶり! 元気だった?」

 この呑気ちゃんめ……。何がやっほ~だ。どうしてお前がここにいるんだよ?

 俺は無言のまま、抗議の眼でジンを見つめた。説明しろよ、この状況を。

 すると、さすがに俺の意思を悟ったのか、ジンは若干目を泳がせつつ、苦笑しながら答える。

「ま、まぁそんな顔をするな。実は元老院から許しが出たんだ。彼女の身柄は軍に預けず、ディーン・イアルフスの旅の同行者を一任する、とな」

「一任なんてしなくていいっつーの! って言うか、体の良い押し付けじゃねぇか! 大体元老院の許しって、誰がそんな勝手な事言い出したんだよ!?」

「ハルク様だ。軍の見知らぬ人間に任せるより、リネと親しい仲にあるお前の方が、護衛として適任なんじゃないかと仰ってな。もちろん反対する方々もいたそうだが、最終的にこういう結論に達したらしい」

 随分勝手だなあの野郎……! 貴族じゃなかったらブン殴ってやるのに!

 脳裏にハルクの顔を思い浮かべながら、あからさまに右拳を震わせていると、見兼ねた様子のジンが、苦笑混じりにこう告げてきた。

「それにな、ディーン。何よりもお前の旅に同行したいと言ったのは、彼女なんだぞ?」

「! えっ……?」

 俺は拳を解いて、思わずリネの方を見た。

 彼女は少し恥ずかしそうに、右手の人差し指で、頬を軽く掻いている。

「えっとね……。あたし、今回の事でディーンに凄く感謝してるんだ。ディーンはあたしに居場所をくれた。あたしを『化物』じゃないって言ってくれた。それが凄く嬉しかったの。だからあなたの旅に同行して、その恩返しがしたいんだ」

「……」

「それに前にも言ったでしょ? あたしもミレーナさんを捜すの手伝う、って」

「……」

「……ダメ、かなぁ?」

 ……って言うか、ジンくんとエリーゼさん。何ですかその、悪者を見るような眼付きは? まだ俺、何も言ってないんですけど?

 二人から痛い視線を浴びつつ、俺は軽く溜め息をついた。

 ここで断ったりしたら、いつぞやと同じように付きまとわれそうな予感が大いにする。それに外野から、どんな言葉を浴びせられるかわかったものじゃない。そんな展開になるのは、さすがに御免だ。

 若干の脅迫観念に駆られつつ、それでも俺は、どこか嬉しさのようなものを感じていた。

 無意識に、自然な笑みが零れるほどに。

「……よっぽど暇人なんだな、お前」

 冗談っぽく呟いてから、俺は明るくリネに言う。

「そんなに暇なら、一緒に行こうぜ」

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