第十二章 護る者と壊す者

 あの紅い光、『術式魔法陣』の光を見た時から、俺には確信に近い予感のようなものがあった。

『術式魔法陣』の属性は炎。

 今まさに『首都』を消滅させようとしている力の正体は、俺が操る『魔術』と同じ力。

 それはつまり、俺が『紅の詩篇フレイム・リーディング』を使いこなす事さえできれば、『首都』を消滅の危機から救い出せる事を意味している。

 だけど、今の俺にはその力がない。

『首都』を守れるだけの力が、ない。




 アーベントの耳障りな高笑いが響く中、俺は『紅蓮の爆炎剣フレイム・ロングソード』を携え、暴れ回る『ゴーレム』に挑み掛かる。

 巨大な鋼鉄の腕を振り回し、圧殺せんと拳を振り下ろす巨体の右脇腹の辺りに、俺は炎剣の一撃を浴びせた。

 瞬間、爆炎によって強固な装甲が、破砕音と共に弾け飛ぶ。

 ほんの一瞬、その巨体が揺らぐ。そこへ続け様にと、俺は虚空に十字の炎を出現させた。

「『烈火の十字爆撃バーニング・クロス』」

 殴り付けた十字の炎が、『ゴーレム』の巨大な背中に命中し、紅い爆発を起こした。

 前のめりに倒れる『ゴーレム』から眼を離し、俺は『首都』の方角を一瞥する。

『首都』を囲むように配置された四つの紅い光は、何分か前に見た時よりも、確実にその光の強さを増している。わかり切っている事だが、恐らく発動までもう時間がない。

 今更のように焦りを覚え、俺は右手に持ったままだった『紅蓮の爆炎剣フレイム・ロングソード』を消滅させた。そして再び発生させた灼熱の炎を、自分の頭上に集束させる。

 炎を凝縮させ、力が充分に蓄えられた所で、俺は目標物に右手を差し向ける。

「行け!」

 叫ぶのを合図に炎の塊は弾け飛び、無数の火球となって、起き上がろうとしていた『ゴーレム』の身体に飛来した。

 直後、火球群は次々と連鎖的に爆発を起こし、鉄巨人の装甲を、砂糖菓子のようにボロボロと削り取っていく。

 と、その時だった。

「なるほど。『紅の詩篇フレイム・リーディング』が使えない未熟者とはいえ、やはり『深紅魔法』の使い手。曲がりなりにも、『ゴーレム』を倒せるだけの力は持っているという事か」

 俺の戦いをのんびり観戦していたアーベントが、感心したような声を漏らした。

 が、俺はそれをほとんど無視して、再び虚空に十字の炎を出現させる。そして、ほとんど骨組みだけとなった『ゴーレム』へ向けて、炎を放った。

 紅い光を伴う爆発は、いとも簡単に骨組みを破壊し、辺りに鉄の破片を撒き散らした。鋼鉄の巨人は文字通り瓦礫と化し、轟音を響かせながら地面に伏す。

 それを見ながら、俺は乱れていた息を整えた。

 ここまでの戦闘で、かなり体力を消耗している。限界が近いというのが正直な所だ。

 それを見透かされたんだろう。離れた位置に悠然と佇んでいるアーベントは、愉快そうな様子で言う。

「どうした、息が上がっているぞ。『首都』消滅の危機が迫っているというのに、そんな状態で『紅の詩篇フレイム・リーディング』を使う事ができるのか?」

 嫌味にしか聞こえない台詞を、平然と口にするアーベント。

 俺は悪態の代わりとばかりに、正面から奴を睨み返した。

「前にあんた言ってたよな。何かを変える事が目的じゃない、戦う事に意味がある、って。それはつまり、あんたにも守ろうとしてるものがあるって事だよな?」

「守る……? クク、相変わらずだなぁ未熟者。俺は『守る』ために戦っているんじゃない。『壊す』ために戦っているんだ。――言っただろ? 『倒王戦争』の生き残りである俺は、所詮戦う事でしか自身の『存在意義』を見出せないと。人を殺す事しかできない、歪み切った存在である『魔術師』と同じようにな」

 クク、と低く笑ってみせるアーベントに、俺は心底嫌気が差した。ここまで考え方が違う人間に会ったのは、恐らく初めての事だ。

「あんたみたいな人間と一緒にするんじゃねぇよ。『魔術師』は、そんな存在なんかじゃねぇ」

「ならば聞くが、貴様はなぜ『魔術師』になった? 人を殺したかったからではないのか? 何かを破壊したいと思ったからではないのか? 力を求めるが故に、『魔術』に縋ろうとしたのではないのか?」

 ……何勝手に決め付けてやがるんだ。あんたが一体、俺の何を知ってるって言うんだよ?

 忌々しい事この上ない。こいつが俺を否定するように、俺もこいつを否定せずにはいられない。

「だから一緒にすんなって言ってんだろ。俺が『魔術師』になったのは、『魔術師』が誰かを守れる存在なんだと証明するためだ。ミレーナと交わしたその約束を、俺自身が果たそうと思ったからだ」

「ククク……、クハハハハハハ! 約束だと? 詭弁だなぁ、イアルフスの弟子! そんな戯言を吐ける『魔術師』が存在するとは信じられん! 何とも滑稽な話だ!」

  ……そういえば、さっき街中で戦った『魔術師』にも、滑稽だと嘲笑された事があった。

 どうしてこいつらは、『魔術師』という存在を枠に嵌めて、決め付けたように話すんだろう? なぜ否定的で、猜疑的な言葉しか並べられないのだろう?

 こうして対峙すればするほど、そんな疑問が生まれていく。

 殺戮に特化した技術を持つ者は、人を助けてはいけないのか。誰かを守ろうとしてはならないのか。

 ……いや、そんなはずはない。

 確かに『魔術師』は、他人を容易く傷付けられる。奪えるし、刈り取れるし、消し去る事ができる。

 だが、それが何だって言うんだ。

 力を持つからと言って、全ての『魔術師』がそれを行わなければならない道理なんて、ないはずだ。

「ギャーギャーうるせぇんだよ。俺はあんた達とは違う。俺には守りたいものがあるから……守ろうと思えるものがあるから、だから戦えるんだ」

「フン……。本当に愚かだなぁ、貴様は」

 やれやれと言いたげな様子で、アーベントは肩を竦める。そして右手に持つロングソードの切っ先を、背後にいるリネに突き付けた。

 殺傷できる鋭い凶器を向けられたせいだろう。十字架に拘束され、身動きの取れないリネの表情が、一瞬で強張った。

「そんな下らぬ理想のために、命を賭けると言うのか? こんな『化物』一人を助けるために、わざわざ貴様は俺の前に現れたと抜かすつもりか!? 笑わせるな! 所詮貴様は――」

 限界だった。『その言葉』を口にするアーベントの台詞を聞き続けるのは、もう我慢の限界だった。

 気付けば俺は、右手に生み出した炎を、何の躊躇もなくアーベントの顔面に向けて投げ付けていた。

 不意討ちと呼ぶべき一撃だったが、しかしアーベントもさすがだった。焦る素振りも見せる事なく、飛来する炎を最小限の動きで回避してみせたのだ。

 乾いた地面に着弾し、炎が紅い爆発を起こす。

 忌々しそうに顔をしかめるアーベントを睨み、俺はゆっくりと告げる。

「いちいちうるせぇんだよてめぇは……。何遍も同じ事言わせんな」

 徐々に、しかし確実に、怒りは頂点を迎えようとしていた。

『その言葉』だけは許す訳にはいかない。

『その言葉』だけは、否定しなければならない。

 なぜなら彼女は――

「言っただろ。そいつは『化物』じゃねぇ……! 『リネ・レディア』だ!」

 辺りに響き渡るほどの怒号を、抗いの証としてぶつけた、その時だった。

 遥か後方にある、『テルノアリス』の街並みを囲む四つの紅い光が、これまで以上に輝きを増し、巨大な紅い円と、『魔術』的な意味合いを持つ不可思議な形の巨大な文字列が、大地に出現した。

 それらが意味するものは、つまり――


『術式魔法陣』の発動だ。


「クハハハハハハ! どうやら時間切れのようだなぁ、未熟者!」

 自らの勝利を確信したのか、アーベントは高らかな笑い声を上げ、蔑むかのような目付きで俺を見据えた。

「下らない問答をしているからこうなるんだ! 貴様に『首都』は救えない! 所詮『魔術師』には、誰かを守る事などできはしないのさ!」

 紅い光に包まれていく『首都』の街並み。その絶望的な光景を背に、それでも俺は正面を見据え続けた。立ちはだかる悪しき敵を、睨み続けた。

 今の俺には力がない。

『首都』を守れるだけの力が、ない。

 しかし、それでも俺は誓ったんだ。


 もう二度と、迷う事も、立ち止まる事もしない、と。


「紅き炎は我が剣。猛き炎は我が誇り。剣は誇りに直結し、誇りは剣に帰結する」

 アーベントを睨み続けていた俺は、意識的に表情を緩め、視界の端にいるリネに視線を送った。

 眼が合うと、悲痛な表情を浮かべるリネ。

 そんな彼女に対し、俺は優しく笑い掛けた。『首都』が消滅に向かおうとしている、この状況で。

「荒ぶる炎の使徒達よ。紅き詩篇の名の下に、我が理の従者となれ」

 無論、それを見たリネは、酷く驚いたような表情を浮かべる。一体なぜ、この状況で笑っていられるのか。そう言いたげな表情だった。

 リネから視線を外し、俺は再び表情を引き締めると、アーベントを見据えた。

「よく見てろ、アーベント。これがあんたに見せる、最後の魔術だ!」

 両手を胸の前にかざし、静かに『あの魔法名』を口にする。

「『紅の詩篇フレイム・リーディング』」




 ◆  ◆  ◆



 

「意気込みは認めるけど、あんたが進もうとしてる道は険しいものだよ?」

 それは、師匠となってくれたミレーナが、修行の最中に口にした言葉だった。

 突然過ぎて何の事だかわからなかった俺に、ミレーナは呆れたような表情で諭す。

「あんたが自分で言ったんでしょ? 『魔術師』が誰かを守れる存在だって証明するって。全く……、こんな調子で大丈夫なのかねぇ、うちのバカ弟子は」

 深々と溜め息をつくミレーナを見て、俺は慌てて姿勢を正した。

 この状態のまま放っとくと、彼女は「教えるの止~めた」とか言い出すから始末が悪い。まぁ、冗談だってわかってるからいいんだけど。

「いいかい? 『魔術師』っていう存在は、平気で人を殺せる人間だと思われてる事が常なんだ。私の事を『英雄』と呼ぶ人間もいれば、ただの人殺しだと切り捨てる人間もいる。……まぁ私自身、そっちの方が正しいと思ってるけどね」

 ミレーナは少し悲しそうに笑い、自虐的な事を口にする。

 俺は、そんな師匠の姿を見るのが辛かった。彼女は本当に、『魔術師』である自分自身を嫌っていた。できる事なら、『魔術』自体を捨ててしまいたいとも思っていたようだ。

 しかし、それでも彼女は捨てなかった。自身の存在を否定するほど嫌っていた『魔術』を、決して捨てようとはしなかった。

 そんなに嫌いなら、なぜその力を捨ててしまわないのか?

 ある時、興味本意でそう尋ねると、ミレーナは俺の頭を軽く小突いて、真剣な表情でこう言った。

「バカな質問をするんじゃないよ。私はね、『魔術師』で居続けなければならないという業を背負ってるんだ。私は『魔術』を使って、人を殺した。大勢の人の命を、この手で奪ったんだ。私がこの罪から逃れる事は、多分永遠にできないだろう。そんな私が、自分の意志で『魔術師』である事をやめたら……。それはただ、自分が背負ったものを無責任に捨てるっていう、愚かな行為でしかないんだよ」

 真剣な表情で語っていたミレーナは、俺の頭を優しく撫でると、少し切なさの混じった笑みを浮かべて続けた。

「だからディーン。誰かを守れる存在になりたいと言うなら、あんたもその業を捨てちゃいけないよ。世の中に定着した、『魔術師』は人殺しという概念を塗り変えたいなら、死ぬまで『魔術師』であり続ける事だ。あり続けて、誰かを守り続けろ。そうすればきっと、それがあんたの『存在意義』になる」

 そう言って最後は、俺の髪を乱暴に掻き乱して、快活そうに笑ってくれた。

 あの頃の俺にとっては、彼女が浮かべるその笑顔こそが、守りたいと思うものの象徴だった。




 ◆  ◆  ◆




 自分自身の力が未熟なのは、誰に言われるまでもなくわかっている。

 ミレーナが容易く扱っていた、『紅の詩篇フレイム・リーディング』という『魔法』が、いかに高度で難しいものかという事も、充分知っている。

 精神論でどうにかなる問題ではない事も、嫌というほど理解できている。

 だけど俺は、そんなに諦めがよくねぇんだ……!

 例えバカだと、未熟者だと、愚かだと言われようと、立ち止まる訳にはいかない。


 誰かを護る『魔術師』であり続ける事。それがミレーナとの約束だから!


 両手を胸の前にかざし、俺は力を集め続ける。それ以外、俺にできる事はなかった。

 そんな俺を嘲笑うかのように、アーベントは高らかに叫ぶ。

「貴様如きが何をしようと無駄だ! 所詮貴様は未熟者! ミレーナ・イアルフスのようには――」

 と、そこまで言い掛けて、アーベントは突然言葉を止め、硬直したようにある一点に視線を向けた。するとその顔が、まるで信じられない物でも見ているかのように、徐々に強張っていく。

「バ……、バカな……ッ!」

 俺はアーベントの言葉の意味する所が何なのか、咄嗟にはわからなかった。

 だが次の瞬間。自分の背後に、強大な力の気配を感じ取った。

 肩越しに振り向くと、そこには俺自身も眼を疑うような光景が、確かに存在していた。

 遥か後方で『術式魔法陣』の炎に呑まれていく、『テルノアリス』の街並み。だがどういう訳か、いつまで経っても、『首都』はその姿を消そうとはしない。それどころか、陣を形成していた四つの炎の柱が、何かに引き寄せられるかのように、次々と俺の遥か頭上に向かって集まってくる。

 炎はやがて奔流となり、波涛となって、舞い踊るかのように一点に集束し、巨大な炎の塊を形成していく。

 まさか、と思った。自分自身で行なった事なのに、すぐには信じられなかった。成功するはずがないと、心のどこかで思っていたからだ。

 炎の奔流が、波涛が、巨大な紅き塊が意味するもの。

 その答えは――

「『紅の詩篇フレイム・リーディング』が、成功した……?」

 城の『修練場』で訓練していた時は、全くと言っていいほど成功の兆しは見えなかった。

 にも拘らず、大量の炎は集束し、凝縮されていく。その光景はまるで、俺の想いの強さを形にしているかのようだ。

「バカな! 一番遠い炎の発生源は、二キロ以上は離れているんだぞ!? その炎すら従属したと言うのか!?」

 自らの勝利を確信していたであろうアーベントは、忌々しそうに顔を表情を歪め、荒々しく叫んだ。

 確かに奴の言う通りだ。『首都』の外壁の長さを考えると、最も遠い炎の柱までは、かなりの距離がある事になる。いくら『紅の詩篇フレイム・リーディング』が強力な術だと言っても、あれほど離れた位置にある炎を従属するのは、さすがに無理があるはずだ。

 だが現に今、俺はそれを実行している。

 不可能なはずの従属を。

 発動できなかったはずの、『魔術』を。

「! 炎が……!」

 頭上を見上げていた俺は、集束の終わりを見逃さなかった。

 遥か頭上には、直径二百メートルはあろうかという炎の塊があり、肩越しに振り返ると、『首都』は全く被害を受けていなかった。

 見間違いなんかじゃない。『術式魔法陣』は、失敗に終わったんだ!

「ふ……ざ、けるな……ッ!」

 ふと前方に視線を戻すと、アーベントは酷く威圧的な表情を浮かべて俺を睨んでいた。

 今や形勢は、完全にこちらに傾いている。相手の様子から感じ取れる焦りが、俺にそう確信させる。

「さぁ、どうするアーベント。大人しく投降するか、未熟者が扱う『紅の詩篇フレイム・リーディング』の炎に焼かれて戦闘不能になるか。好きな方を選ばせてやるよ」

「くっ……、貴様ァ……ッ!」

「まぁでも、あんたは俺と違って、愚か者でも未熟者でもないはずだからな。どっちが正解かなんて、考えなくてもわかるだろ?」

「黙れ! 調子に乗るなよ、未熟者風情がぁっ!!」

 俺の挑発に激昂した様子で、アーベントは握っていたロングソードを手に、拘束されたリネの傍に足早に歩み寄った。

「せっかくだから貴様にも見せてやろう。この大陸の悍ましい史実の一端を! 人間がどれだけ醜悪な存在なのかという事をなぁ!」

 まさか、あの野郎――!

 奴の目論見を察し、炎を使ってを制止しようとしたが、それは叶わなかった。

 アーベントが振るった凶刃が、無慈悲にもリネの右の二の腕辺りを、深く斬り付けてしまった。

「あああぁぁッ!」

 斬り付けられたリネは苦痛にその表情を歪め、痛々しい叫び声を上げた。

 それを意に介した様子もなく、アーベントは剣に付いた血、そしてリネの腕から流れ出る血を、まるで水でも飲んでいるかのような軽々しさで、容易くすすり取ってしまう。

 傷口を舐め取られたリネは、痛みと嫌悪感からか、苦悶の表情をより一層深めている。

「クハハハハハハ! これこそが史実だ未熟者! この『化物』の血があれば、『魔術』の力はいくらでも増大させられる! 貴様が『紅の詩篇フレイム・リーディング』を扱えようと関係ない! 俺がこの手で消し去ってくれるわ!」

 そう言って、唇の端から生々しい紅い液体を垂らしつつ、アーベントは再び高らかに笑う。

 ついに、感情の波が決壊した。

 この男はあろう事か、抵抗できないリネを斬り付けたばかりか、あれほど口にするなと忠告したはずの言葉で、また彼女の存在を侮辱しやがった。

 許さねぇ……! 『その言葉』だけは、絶対に!

「アァァベントォォォォッ!!」

 腹の底から怒号を上げ、遥か上空に静止していた炎の塊に向けて、俺は勢い良く右掌を突き出した。

 するとその瞬間。その動作に合わせるかのように、巨大な炎の塊は炎の帯となって、俺の右手に向かって飛来してくる。

 まるで蛇のようにうごめく炎は、右掌に集束すると同時に、新たな炎として形を成していく。

「な……ッ!?」

 驚愕しているアーベントを尻目に、俺は右手に形成された新たな炎を、強く握り締めた。

 それは、俺の身の丈の二倍はあろうかという、巨大な片刃の炎の剣。

 柄も、鍔も、刀身も、全てが紅い炎で形成された大剣。

紅の詩篇フレイム・リーディング』によって造り出されたこの大剣は、言わば『紅蓮の爆炎剣フレイム・ロングソード』の強化版だ。

 軽く剣を振るうと、周囲に火の粉が撒き散った。

「『大紅蓮の炎帝剣ブレイズ・アスカロン』」

 威圧するように巨大な炎剣の名を告げ、俺はアーベントを鋭く睨み付けた。

「それ以上リネに近付いてみろ。容赦なく消し炭にするぞ」

 ギリッと、炎剣の柄を力強く握り締めながら告げると、奴は不快な笑みを浮かべてみせる。

「これはまた随分と物騒な物言いだな。俺を殺したくて仕方がないといった様子だが、いいのか? その手で俺を焼き殺した瞬間、貴様はあの女との約束とやらを破る事になるはずだろう?」

「そうだな。だから俺の自制心が働いてる内に離れた方が、あんたの身のためだぜ」

 炎剣を握る右手は、怒りを必死に抑えている事で微かに震えている。

 こんな野郎に言われるまでもない。『魔術』で誰かを殺めれば、その瞬間俺は、ミレーナとの約束を破った事になる。

 無論、そんな馬鹿げた展開を許容する訳にはいかない。

 例え眼の前に、殺意を抱いてしまうほどの存在がいたとしても。

「ククク。全く、どこまで甘ければ気が済む。だから貴様は未熟者だと言うんだ!」

 鋭く叫ぶと共に、アーベントは俺に向けて、勢い良く左腕を突き出した。

 瞬間、奴の左腕から発生した大量の火球が、上下左右に分かれて、俺の許へ飛来してきた。

 俺は『大紅蓮の炎帝剣ブレイズ・アスカロン』を両手で握り、そのまま上段に高々と掲げる。

「はああああぁぁっ!」

 激しい風切り音と共に、炎剣を勢い良く振り下ろすと、刀身部分から炎の波涛が生み出された。それはアーベントの放った火球と衝突し、空中で次々と連鎖爆発を起こす。

 爆煙が辺りに吹き荒ぶ中、俺はアーベントの動きを見逃さなかった。奴はすでにリネの傍らから離れ、爆煙に紛れて奇襲を掛けようとしている。次の攻撃は、右から来るはずだ!

 俺は炎剣を構え直し、右前方に向けて横一文字に振り抜いた。

 だが――

「!?」

 炎剣の衝撃波が爆煙を吹き飛ばし、視界が開けた先にアーベントの姿はなかった。

 しまった、と思う暇もなく、俺は背中に悪寒が走るのを感じた。

「隙だらけだ未熟者!」

 振り返ろうとした俺の背中に、狂気に塗れた言葉と巨大な火球が飛来した。

 まともにその一撃を喰らい、前のめりに数メートルもの距離を吹き飛ばされてしまう。

「がっ!」

 地面を擦って身体が止まった所で、俺は背中に痛みを感じた。さすがに自分の眼で確かめる事はできないが、恐らく軽い火傷を起こしているのだろう。

 いくら炎の攻撃に耐性があるとはいえ、それは決して、絶対的な防御となり得るものじゃない。炎の威力が強ければ強いほど、それに応じてダメージは増えていく訳だ。

「あの野郎……! リネの血を吸った事で、『魔術』の威力が増してるって言うのか?」

 アーベントの言う史実の事は、昨夜『修練場』に籠る少し前、ジンと共に城の資料室を借りて調べてあった。

 だが実際の所、俺はその史実を半信半疑に捉えていた。血を飲むだけで『魔術』の力が増すなんて、いくらなんでも都合が良過ぎる。

 だが今のアーベントの一撃は、『テルノアリス』で戦った時よりも、何倍も強くなっている感覚があった。つまりこれは、史実が正しいものだと証明されると同時に、もう一つ許し難い事実を示している事になる。

 以前戦った時よりも、何倍も強力になっているアーベントの『魔術』。

『妖魔』の血を飲む度に、力が増していくと言うのなら。


 奴の力が増した分だけ、リネはあの男に傷付けられたという事なんじゃないのか?


「ふざけ……、やがって……ッ!」

「考え事とは余裕だな!」

「!」

 湧き上がる怒りを糧に、再び立ち上がろうとした瞬間だった。周囲に五つの巨大な火球が出現し、それらが一斉に衝突してきたのだ。

「ぐああああぁぁっ!」

 全方位からの激しい攻撃に堪え切れず、自然と片膝をついてしまう。

 さっきからアーベントは、惜し気もなく炎を乱発してきている。……どうやら間違いない。やはりあの男は、『紅の詩篇フレイム・リーディング』の弱点を知っているんだ。

 炎を操る相手に対しては無敵。

 何らかの形で『紅の詩篇フレイム・リーディング』の能力を知った人間は、大抵そう口を揃えるが、何も弱点がないという訳じゃあない。

 強大な能力には、その強さに応じて制約や弱点が付くのが当たり前というものだ。況してそれが、人間が創り出した技術なら尚更である。

紅の詩篇フレイム・リーディング』の弱点。それは、『一度従属する炎を指定すると、その炎を解くかエネルギーを消費し切るまで、別の炎を従属する事はできない』という点だ。

 今も俺が、アーベントの炎を従属できずにいるのは、『紅の詩篇フレイム・リーディング』で造り出した『大紅蓮の炎帝剣ブレイズ・アスカロン』を使用し続けているからだ。奴の炎を従属しようとするなら、『大紅蓮の炎帝剣ブレイズ・アスカロン』を消滅させる他に道はない。

 だが俺の頭には、その選択肢は最初から存在しなかった。

紅の詩篇フレイム・リーディング』が成功したあの瞬間から、俺はこの力でアーベントを倒すと決めたからだ。

 バカだと言われようと、愚かだと言われようと、この思いだけは譲れない。


 俺はこの力で『首都』を、そして、リネを『護る』と決めたんだから!


 全身に力を込め、地面に付いていた膝を、もう一度立ち上がらせる。

 疲労は確実に蓄積され、立っているのも億劫なほど、身体的な消耗は激しくなっている。

 だが、ここで倒れる訳にはいかない。負ける訳にもいかない。

 師匠との誓いを、果たすためにも。

「未熟な理性で感情を押し殺し、未熟な力で炎を操る。それが愚行だとわからん貴様のような人間に、『魔術師』でいる資格などない」

 明確な敵意を孕んだ言葉が、真正面から響き渡ってきた。見るといつの間にか、十メートルほど前方に、不敵に笑うアーベントが屹立している。

 どうやら、次の一撃で俺を仕留めると決めたようだ。口角を最大限に引き上げると同時に、獣の如き突進を開始する。

「終わりだ! 消えて失くなれ、未熟者がぁッ!!」

 アーベントは突貫しながら、左腕の鎧から発生させた炎を、俺と同じように掌に集束させ、炎のロングソードを造り出した。

 その炎の激しさは、また更に勢いを増している。間違いなく、リネの『妖魔』の血が、『魔術』の力を底上げしているんだ。

 だが、俺は全く動じない。アーベントを強く睨み付けたまま、巨大な炎剣を水平に構え、振り抜く体勢へと持っていく。

「何度も言ってんだろ。あんたに言われる筋合いはねぇってな」

 すでにアーベントとの距離は、五メートルにまで縮まっている。しかし、俺は自分から動かず、突貫してくる奴を引き付ける方を選んだ。

 勝負は一瞬。お互いの身体が交差する瞬間。

 上段に構えたロングソードと、中段に構えた炎剣。アーベントの持つ、二つの異なる刃が迫る。

 そこまでようやく、俺は身体を前進させた。

 一秒にも満たない刹那。俺達の身体は、音もなく交差していた。

「――ッ!」

 左肩の辺りに、鋭い痛みを感じる。確認するまでもなく、斬撃を受けて切り裂かれた部分から、鮮血が流れ出ている証拠だろう。

 それを察した、瞬間だった。

「ぐわああああああぁぁぁぁっ!!」

 巨大な炎剣を振り抜いた俺の背後で、全身に激しい炎をまとったかのように燃える、アーベントの姿があった。

 炎に包まれたままのアーベントは、力無く膝を折り、荒野にその身体を沈める。

 俺は『大紅蓮の炎帝剣ブレイズ・アスカロン』の威力を抑えなかった。手にしていた炎の威力をそのままに、アーベントの身体を斬り払ったのだ。

 地面に倒れ、未だに身体を燃やされ続けている男に向かって、俺は静かに言い放つ。

「あんたには一生わからねぇよ。俺が『魔術師』で居続ける意味も、『魔術師』で居続けるっていう業を背負った、ミレーナの覚悟もな」




 ◆  ◆  ◆




「大丈夫か? リネ」

 拘束されているリネの枷を外し、二の腕の傷の応急処置をした俺は、具合の悪そうな彼女に向けて言った。大丈夫じゃない事は百も承知だが、こういう時、他にどう言えばいいのか俺にはわからなかった。

 するとリネは、額に汗を浮かべながらも、弱々しく微笑む。

「うん……、傷が少し痛むけど大丈夫。ディーンこそ……、身体中怪我してるんじゃないの?」

 リネは俺の胸元辺りに視線を向け、心配そうな声を出した。

 全く……自分の怪我を差し置いて相手の心配をするなんて、お人好しにもほどがある。

 その優しさに感謝する反面、少々呆れながら、俺は持っていた布切れでリネの額の汗を拭う。

「お前に心配されるような怪我じゃねぇよ。少し休んだら、一緒に『首都』に戻るぞ」

 わざと面倒臭そうに言うと、リネは不満を表す事もなく、また弱々しく微笑んで、黙ったまま頷いた。

 と、リネは急に視線を外し、何かを見つめながらゆっくりと呟く。

「……死んでるの?」

 リネが見つめているのは、荒野に倒れたまま動かないアーベントだった。

 俺は同じように視線を向け、複雑な思いのまま口を開く。

「いや、気絶してるだけだ。あいつが着てる鎧は、多分『導力石』で造った特注品だろう。『魔術』に対する耐性を持ってるから、俺の攻撃にもある程度は耐えられたはずだ。……まぁもちろん、無傷って訳にはいかないだろうけどな」

 そう、全ては予測の上での行動だ。俺はアーベントが守りを固めている事を見越して、敢えて全力で『大紅蓮の炎帝剣ブレイズ・アスカロン』を撃った。怒りに後押しされていた、というのも多少はあるが、それでもあれくらいの威力じゅないと、奴を戦闘不能に追い込むのは難しかっただろう。

 俺は僅かに視線を落とし、妙な疲労感から浅く溜め息をつく。

 と、その時だった。

「クハハハハハハ! クッハッハッハッハッハッ!」

「!」

 何の前触れもなく響き渡った、盛大な笑い声。その主は信じられない事に、行動不能に陥っているはずのアーベントだった。

 正直、そのしぶとさには舌を巻かずにはいられない。最大火力の一撃を受けた後で、一体どこにあんな高笑いをする体力が残ってたんだ?

「何がそんなに可笑しいんだ、あんたは」

 歩み寄り、静かに声を掛けると、アーベントは仰向けに倒れたまま、首だけを動かしてこちらを見た。

 やはり身体へのダメージが大きいのか、多少動きがぎこちないように見える。

「クク……。いや、何。結局俺はまた、イアルフスに邪魔をされたのかと思うと、腹立たしくて逆に笑えてくるのさ。あの女め……、全く忌々しい事この上ない」

 口では恨み節のように語っているアーベントだが、その表情は、どこか清々しいように感じられる。

「感慨深げになってるとこ悪ぃけど、そろそろ答えてもらうぜ。今回の一件、ミレーナがテロリストと通じてるっていうあの噂は、嘘なんだろ?」

 死闘を演じ、相手を切り伏せた勝者として詰め寄ると、アーベントはようやく観念したのか、短く息を吐いてから俺を見上げた。

「ああ、その通りだ。あの女を戦場へ誘き寄せるために、俺が部下達に命じて広めさせた。……まぁ、結果的にその目論見の方は外れてしまった訳だが。なぁ? イアルフスの弟子」

 そう言ってアーベントは、実に嫌味の籠った笑みを浮かべてみせる。

 その言動に少々苛立ちを覚えはするものの、これでやっと安心する事ができる。依然としてその行方は掴めないが、やはりミレーナはテロリストに与してなどいなかったんだ。あとは正規軍や『ギルド』の人間がより詳しく調査していけば、遠からず彼女への疑いは完全に晴れる事だろう。

 ……だが同時に、腑に落ちない事もある。

 それはこの男に初めて会った時から抱いていた、純粋な疑問だった。

「前から思ってたんだけどさ。あんた、やけにミレーナに拘るよな。そんな噂まで流して、誘き出そうとするなんて」

「……」

「さっきの『術式魔法陣』にしたってそうだ。わざわざミレーナと同じ力で『首都』を狙うなんて、『紅の詩篇フレイム・リーディング』を使えって言ってるようなもんじゃねぇか。もしも本当にミレーナが現れてたら、どうするつもりだったんだよ?」

 仮にこいつの目論見通り、ミレーナが現れていたとしたら。恐らくもっと早い段階で、今回の計画は頓挫していたに違いない。『魔術師』として俺よりも優れている彼女なら、『術式魔法陣』の存在を見破る事も、その力を『紅の詩篇フレイム・リーディング』で阻害する事も、より容易く行っていたはずだ。

 なのにこいつは計画を、考えを改めず、『首都』襲撃を決行した。それがどうしても、俺には解せなかった。

「どうもこうもない。無論、戦っていたさ。あの女を倒すためにな」

 虚空を見つめるアーベントの瞳には、尚も強い敵意が覗いているように見える。

 ミレーナに対する、苛烈なまでの執着心。その理由が、未だ俺には掴み切れない。

 と、その時だった。

「――貴様は、『倒王戦争』の頃の奴の話を聞いた事があるか?」

 どこか気怠そうに浅く息を吐いたアーベントは、急にそんな事を問い掛けてきた。

 突然の質問に少々驚いた俺は、躊躇いを覚えながらも口を開く。

「……詳しくは知らない。過去に関する事は、本人があまり語りたがらなかったから、俺も深くは聞かないようにしてた」

「なるほど。それならば、貴様が俺の行動理念を疑問に思うのも無理はない」

「? どういう意味だ?」

「俺が奴に拘る理由さ。貴様が知らないだけで、俺と奴には因縁がある」

「因縁……?」

 眉根を寄せる俺に対し、アーベントは静かに空を仰ぎながら語り始める。その姿からは、戦闘の際に発揮していた威圧感が、随分と薄れているように思えた。

「貴様も知っている通り、俺は元貴族だ。戦争当時は城に住んでいる身だった。その頃あの女は、後にクーデターを起こす王族の連中に会うため、よく城を訪れていたんだよ。だから俺は、興味本位で一度だけ、奴に決闘を申し込んだ事がある」

「! あんたが、ミレーナに?」

「ああ。その頃からあの女は、腕利きの『魔術師』として知られていたからな」

 師匠の意外な過去を知り、俺は眼をみはった。

 ミレーナから、戦争当時の話を全く聞かなかった訳ではない。知りたいと思った事があれば尋ねていたし、『魔術師』として必要な知識は、きちんと与えられていた。

 だがそれでも、ミレーナの口はどちらかと言えば重い方だった。彼女の過去に関する質問を、はぐらかされた事だって少なくない。

 故に、ミレーナとアーベントに、そんな経緯があった事など知る由もなかった。十数年一緒に暮らしていたとはいえ、まだまだ俺には、彼女の知らない一面が多くあるらしい。

「……結果はどうだったんだ?」

 躊躇いがちに尋ねると、アーベントはフンと鼻を鳴らして顔を逸らした。

「完敗だったよ。奴に傷一つ付ける事はできなかったし、手加減されていたという事もわかった。その経緯があったからこそ、俺は力を磨き上げ、そして戦場で再び奴と戦った。借りを返すために戦い続けた。だが――」

 アーベントはそこで、憤慨するかのように顔をしかめて言葉を切った。

 こいつの言わんとした事が何なのか、大体の察しはつく。

 恐らくは……いや、間違いなく、ミレーナとの決着が付く前に、『倒王戦争』そのものが終決してしまったんだ。

 前テルノアリス王軍の、敗北という形で。

 つまりこいつは、ミレーナとの決着がつけられなかった事を不満に思っていたという事だ。

『首都』を崩壊させ、現在の王族達から政権を奪い取る。それがアーベントの表の望みとするなら、裏の望みは、ミレーナとの決着をつける事だったんだろう。

 こいつはきっと過去の栄光に、ミレーナという存在に、執着し、固執していたに違いない。だからこそ、『首都』襲撃という行動を起こしたんだ。

 その満たされない思いを消し去るために、何人もの人間を犠牲にして……。

「しかしまぁ、貴様のような未熟者に敗北するとはな。所詮俺も、この程度の存在だったという事か」

 自分を嘲笑するかのような言葉を吐いて、アーベントは徐に、左腕の鎧の隙間から何かを取り出した。

「? 何を――」

 する気なんだと問おうとして、俺は奴が右手に握っている物の正体に気付いた。

 奴が握っているのは、一枚の白い長方形型の札。その札には、中心に配置された正円から波線が四方に伸びた、独特な模様の記号が刻まれている。

 それが意味するものは、『爆発』。

「そんな物出してどうする気だ。まだ歯向かうつもりなのかよ……!」

 歩み寄り、札を取り上げようとした瞬間だった。突然左腕から炎を発し、俺を牽制したアーベントは、嘲笑うかのように立ち上がる。

 まだこんな余力を残してやがったのか。こいつ一体どこまで……っ!

「ああ、歯向かうとも。最後の最後までな」

 言って、アーベントは札を掴んでいる右手を、ぎこちない動作で前方へとかざす。

 その身体が深手を負っているのは間違いない。だが、何を仕掛けてくるつもりかわからない以上、油断する訳にはいかない。

 警戒心を強め、右手に炎を生み出そうとした、その時だった。


 アーベントが何の躊躇いもなく、右手の札を握り潰したのだ。


「なっ!?」

 信じられない光景に、俺は思わず息を呑む。

『印術』によって『魔術』の力が備わっている札を、あんな乱暴に握り潰してしまえばどうなるか。

 決まってる。本来正常に発動するはずだった力が暴走し、逆流し、術者の身体に襲い掛かってしまう。

「何考えてんだ! そんな事したら――」

「おっと! 迂闊に近付かない方が懸命だぞ。巻き添えを喰らいたくなければな」

 再び炎で俺を牽制すると、アーベントは一歩、また一歩と後退し、徐々に距離を取り始める。

「てめぇ……、一体何の真似だ!」

「見ての通り、後始末をしようとしているだけだ。……何か不都合でも?」

「後始末、だと?」

 言葉に含まれる意図を察して、俺は眉間に皺を寄せた。

 それはつまり、命を絶とうとしているという事だ。

 自らの手で。

 自らの意思で。

「……何だその顔は。言ったはずだぞ。俺は『壊す』事しかできない人間だと。このまま軍に捕えられ、牢獄で何もできずに生涯を閉じるぐらいなら、自らの手で己の存在を『破壊』するまでだ」

 勘違いなどではない。破壊をもたらすための力が、アーベントの周囲に集束し始めている。

 最早一刻の猶予もない。しかし、だからといって止める手段もない。

 それが、ただただ腹立たしくて、許せなかった。

「ふざけんな! そんなのただの自己満足だろ! それは罪を償おうとしてるんじゃねぇ! 背負ったものを捨てようとしてるだけだ!」

「クハハハ、勘違いも甚だしいな。俺が罪の意識を感じているとでも思っているのか?」

 憤慨する俺の言葉を聞いても、アーベントは意に介さない。まるで聞き流すかのように不敵な笑みを浮かべ、告げる。

「生憎だったな。俺が死を選ぶのはあくまでも、『破壊』こそが俺の『存在意義』だからだ!」

 アーベントが高らかに叫んだ、その瞬間だった。

 集束し、膨れ上がった破壊の力が可視化され、紅い光となってアーベントの身体を包み込んだ。

「よく見ておけ、イアルフスの弟子! これがアーベント・ディベルグという男だ! クッハッハッハッハッハッハッ!」

「――ッ!!」

 もう遅いとわかっていて、それでも俺は手を伸ばそうと試みた。

 だが当然、その手が届く事はない。

 臨界点を超えた『魔術』の力は、爆発となって弾け飛び、男の身体を肉片へと変貌させる。

 そこにはもう、アーベントの姿はなかった。

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