第一章 紅い髪の少年
俺には親がいない。
いや、より正確に言うなら、『本当の』親がいない。
今から十二年前にこの大陸で起こった、『倒王戦争』。その戦争で戦いに巻き込まれて、俺の両親は死んだらしい。
らしいという曖昧な表現になってしまうのは、俺が当時の事をあまりよく覚えていないからだ。だから両親の顔も名前も、一切覚えていない。自分が名前を付けられていたのかどうかすら、覚えていない。俺に名前を付けてくれたのは、両親とは違う別の人だ。
俺には『本当の』親がいない。だけど、育ての親ならいる。戦争孤児だった俺を拾い、育ててくれた人がいた。
ミレーナ・イアルフス。
それが彼女の名前だ。彼女は俺の育ての親であり、とある技術の師匠であり、同時に偉大な人物である。
彼女は俺に、その偉大な姓を授け、名を与えてくれた。
ディーン・イアルフス。
それが今の俺の名前だ。
俺はミレーナの事を尊敬し、敬愛し、誇りに思っている。
だからどこの誰だろうと、俺の親を少しでもバカにした奴は容赦しない。それがこいつみたいな強盗野郎なら、尚更だ。
「さて、と。すいません。悪いんだけど、誰か縛れるような物持ってねぇかな? 何でもいいんだ」
気絶している男から視線を外し、俺は他の乗客達に呼び掛ける。皆驚いた顔をして固まっているが、不意にその中の一人、年配の男性が立ち上がってこっちに近付いてきた。
「あの……、これでいいですかね?」
年配の男性はそう言って、布切れを何枚か差し出す。布切れと言っても、これなら猿ぐつわに使えるし、強盗の身体を工夫して縛れば、動く事もできないだろう。
俺は「どうも」と礼を言って布切れを預かり、強盗の傍らにしゃがみ込んで、それで強盗の身体をしっかりと縛っていく。
「ねぇ、ちょっといい?」
その作業の途中で、不意に声を掛けられた。顔を上げると、そこにいたのはさっきの年配の男性とは違う、若い女性だった。歳は二十代前半、と言った所だろうか。
俺は相手の顔を確かめた後、再び作業を開始するため、視線を元に戻した。その上で、女性に言葉を返す。
「見ての通り作業中なんで、手短にしてくれ」
「えっと……、これからどうするつもりなの? 一人捕まえたって言っても、まだ他に仲間がいるはずでしょ?」
「そいつらも全員倒すんだよ。心配しなくても、全部俺が片付けるさ」
これでよしと思いつつ、俺は強盗を縛る作業を終えた。と同時に、強盗からナイフと拳銃を取り上げ、すぐさま立ち上がる。
すると、俺の眼の前に立っている若い女性が、随分と驚いた顔をしていた。
「倒すって……キミ一人で? そんなの危険よ! あなたまだどう見たって十代じゃない! 子供にそんな危ない真似させられないわ!」
若い女性は俺を制止するみたいに、真剣な表情で言ってきた。その隣では、年配の男性が「そうだ、止めた方がいい」と、女性に賛同するような言葉を口にしている。
正直、自分の今までの経験からすれば、こんな状況危険の内に入らないのだが、それをこの人達に説明するのが面倒臭い。それに恐らく、そんな事をしている時間は無いだろう。他の仲間がこの車両の様子を見に来るかも知れないし、それで混乱が起きて人質を取られでもしたら、それこそやりにくい事になる。
俺はその二人を突き放すつもりで、あえて冷たい言葉を選ぶ事にした。
「悪いけど、邪魔しないでくれ。協力して貰えたのは有り難いけど、荒事にまであんた達を付き合わせるつもりはない。他の仲間も倒さなきゃいけない以上、足手纏いを増やしたくねぇんだ」
俺がそう言うと、若い女性も年配の男性も再び驚いた顔になった。子供にこんな事を言われるなんて、思ってもみなかったんだろう。まぁ当然と言えば当然だ。
二人が何か言い出す前にと思って、俺は前方車両に繋がるスライド式のドアに向かって歩き出す。
すると、その時だった。
「おい。何か騒がしかったみてぇだが、大丈夫なのか?」
突然、スライド式のドアが開いて、銃を持った男が二人、車両の中に入ってきた。
どう考えても、さっきの強盗の仲間だろう。男達は車両内の状況を見回すと、その表情を徐々に険しい物にしていく。
俺は思わず頭を抱えそうになった。何でこのタイミングで入ってくるんだよ?
「こりゃ一体どうなってやがる! おいクソガキ! あれはてめぇの仕業か!?」
片方の男が語気を強めながら銃を構え、顎で後ろの状況を差した。たったそれだけで、再び車両内に緊迫した空気が流れ始める。
それにしても、どいつもこいつもクソガキ呼ばわりしやがって。俺にはディーンっていう立派な名前があるんだよ。
「だったらどうする?」
俺は挑発するために、底意地の悪い笑みを浮かべてそう言った。
それが癪に障ったのだろう。男は床を踏み抜かんばかりの足取りで進み出ると、俺の眉間に右手の拳銃を突き付けてきた。
「ブッ殺すに決まってんだろ!」
そう言って、男が銃の引き金に指を掛ける瞬間、俺はその右手の手首辺りを左手で掴んで、強引に上に持ち上げた。
その直後、乾いた発砲音と共に、天井の一部が抉れて破片が飛び散る。それに続く形で、乗客の何人かが悲鳴を上げた。
俺はそれを無視して、がら空きになった男の腹に右拳を叩き込む。
「げふっ!」
悶える男を他所に、俺は右手を素早く引き戻し、今度は男の左頬を殴り飛ばした。
「ぐはっ!」
我ながら鮮やかに決まった一撃が、相手の意識を奪う事に成功したらしい。男は座席の間に倒れ込むと、ピクリとも動かなくなる。
俺は瞬時に、呆然と突っ立っていたもう一人の男の懐に飛び込み、腹の中心に左右二発の拳を交互に叩き込んだ。
「がっ!」
腹を抱えて崩れようとする男の前で、俺は軽く跳躍して右回転すると、その勢いに乗せて男の右頬を蹴り飛ばした。
「ぐわっ!」
最初の男と逆方向になる形で、相手は床に倒れ込む。だが、こいつはまだ意識を失っていない。
俺は男の上に馬乗りになると、胸倉を掴んで強引に顔を引き寄せた。
「質問に答えろ。お前の仲間はあと何人いる? さっさと答えないと、身体中の関節が曲がるはずのない方向に曲がる事になるぞ」
脅し文句と並行して、男の右脚、膝関節の辺りを鷲掴みにすると、男は「ヒッ!」という情けない声を上げた。どうやら、答えを間違えたら本気でやられると、あっさり信じてくれたらしい。
全く、この程度でビビるような奴が、強盗なんかしてんじゃねぇよ。
「じゅ、十人だ……」
「配置は?」
「こ、この車両以外は、各車両に二人ずつ待機してる……」
「リーダーは?」
「部下二人を連れて先頭車両、機関室にいるはずだ……」
「目的は何だ?」
「お、俺は下っ端だから聞かされてねぇ。ホ、ホントだ!」
矢継ぎ早に問い質すと、男は降参とばかりに両手を挙げながらそう締め括った。
しかし、予想通り結構な数だ。まともに相手していたら、こっちが不利になる。のんびりしている時間はない。
「立て」
俺は男の胸倉を掴んだまま無理矢理立たせると、反対側に倒れている強盗の前まで連れて行き、先ほど乗客から貰った布切れを男に放り渡した。
「それでそいつの口と手足を縛れ。動けないようにしっかりとな」
そう言って俺は、男の作業を促すため、先ほど強盗から奪った拳銃の銃口を男の背中に押し当てた。
「わ、わかった」
男はしゃがみ込むと、俺の指示通りに仲間を拘束していく。拳銃で脅しているからだろう。男はテキパキとした動作で作業をしている。
……これじゃあ、どっちが強盗犯かわかんねぇな。
内心で溜め息をついていると、作業を終えた男がゆっくりと立ち上がる。
「こ、これでいいか?」
「ああ、ご苦労さん。そんじゃ、あんたにはもう少し付き合ってもらうぜ」
「なっ、何だよ? これ以上何させようってんだ……?」
「ちょっと派手に暴れ過ぎたからな。さっきの銃声を聞いて、あんたの仲間が様子を見に来るかも知れねぇ。だから、あんたを使って油断させるんだよ」
俺は乱暴に男の襟首を掴み、微かに震えている背中に再度拳銃を突き付け、緩く微笑んでみせた。
「さぁ、行こうか?」
俺が発した威圧的な覇気に、男は従う術しか見出せなかったのだろう。無言で頷くと、前方車両に向かい始めた。
◆ ◆ ◆
あんたの紅い髪は、まるで炎みたいね。
かつてミレーナは、俺の髪を眺めつつ、そんな台詞を口にした事があった。
正直俺は、自分の髪の色が好きじゃない。ミレーナの言葉を借りるなら、炎のような俺の髪は、途轍もなく目立つ。そしてその髪のせいか、俺は行く先々で幾度となくトラブルに巻き込まれる。
例えば、まさに今とか。
まぁ今回の場合、先に手を出したのは俺の方なんだから、被害者面ができる立場でもない訳だが……。俺はミレーナの事を侮辱されると、どうしても黙っていられない。
彼女は俺に居場所を与えてくれた、大切な存在だ。だから俺はどんな事があっても、彼女の存在を大切にしたいと思っている。
……だけどもしかしたら、向こうは俺の事を、それほど気に掛けていないのかも知れない。
ミレーナは一年前、突然何も言わずに俺の前から姿を消した。
理由は、いくら考えてもわからなかった。最初は捨てられたのかとも思ったが、俺の知っているミレーナは、そんな事をする人間じゃない。わかったような口を利くつもりはないが、それでも彼女は戦争孤児だった俺を拾い、十数年も育ててくれた人だ。そんな人間が何の理由もなく、俺を捨てたりするはずがない。きっと何か理由があるはずだ。
だから俺は、旅に出る事にした。
彼女を捜し出すために。俺を置いて行った理由を、彼女の口から聞き出すために。
そうして手掛かりが見つからないまま、気付けば一年という月日が過ぎていた――
案の定、さっきの銃声を聞いて強盗の仲間が数人、俺の行く手に現れた。その度に俺は、連行している男に次のような演技をさせた。
「後部車両でこのガキが暴れてやがったから、取り押さえたんだ。こいつをどうするか、一応ボスに指示を仰ごうかと思ってよ……」
そんな台詞を男に言わせ、仲間が油断した隙を狙って次々と気絶させる。冗談みたいに、俺の作戦は上手くいった。
車両を一つ制覇する度に、周りの乗客に力を借り、強盗達を縛りあげて沈黙させる。そんな事を繰り返している内に、とうとう最後の客車の前に辿り着いた。
ここを制圧すれば、後は機関室のみ。
最後の客車へと繋がるスライド式のドアの前で、俺は男を前に立たせた状態で立ち止まる。
客車同士を繋ぐ連結部分の上で、ふと高速で流れていく景色を一瞥すると、濁りのない青空と寂寥とした荒野が、どこまでも広がっていた。
「な、なぁ」
不意に、前を歩かせていた男が、おずおずといった様子で声を掛けてきた。
「お前、一体何者なんだよ? ガキのくせに、何だってそこまで戦い慣れてやがるんだ?」
やれやれ、本当に今更な質問だな。
ここまでの経緯を目にしていれば、大抵の奴は気付くだろうし、武芸に秀でた奴なら、一番最初の戦闘を眼にした時点で察するはずだ。俺が同年代の子供と違い、戦闘技術に長けた人間だと。
もちろん全ては、育ての親兼師匠であるミレーナのおかげだ。
彼女は俺に、ありとあらゆる技術を叩き込んでくれた。体術だけに限らず、剣術や銃の扱い方、そして……。
だけど別に、こいつにそれを教える義理は無い。さっさと残る客車と機関室を制圧して、このくだらない事件を終わらせてしまおう。
「あんたには関係ないだろ。ほら、さっさと次に行くぜ」
俺が催促すると、男は渋々といった様子で扉の取っ手に手を掛け、ゆっくりと右にスライドさせる。
すると同時に、
「いい加減にしてって言ってるでしょ!?」
という、女性のものと思しき怒鳴り声が響いてきた。
男の肩越しに前方を見ると、客車の中ほど辺りで、二人いる強盗の一味らしき男の片方と、乗客らしき少女が激しく言い争っている。
同年代に見えるその少女の様子を、俺は遠巻きに見つめてみた。
黒く艶めいた、首の付け根辺りまでの長さの髪。服装は白い半袖のシャツに、革の短パン。両手には黒い革製のグローブと、何だかとても男勝りな格好をしている。だが露出の多いその肌は白く、
一通り観察し終えた俺は、ふと少女の腰に巻かれている茶色い革製のベルトに、視線を吸い寄せられた。
恐らくは、拳銃を仕舞うための物であるホルスターが取り付けられているのだが、なぜかそこには何も収められていない。推測するに、あの強盗達が奪い取ってしまったのだろう。
それにしても、一体何を言い争ってるんだ? 相手は列車強盗なんだぞ?
「もうこんな無意味な事は止めて! どうせすぐに鉄道警備隊に捕まっちゃうんだから!」
「だから黙ってろって言ってんだろ! これ以上騒ぐと容赦しねぇぞ!?」
……どういう経緯であんな状況に陥っているのかわからないが、もしかしてあの少女は、強盗を説得しようとしているのか? だとしたら、なんてお気楽な考えを持った奴なんだ。
見た目から考えて、あの少女は明らかに俺と同年代だろう。それに対して、相手は武装集団だ。子供の説得に応じるような生易しい連中なら、最初から強盗なんてする訳がない。その行為は確かに勇敢なのかも知れないが、この状況ではさすがに無謀だ。
と、そんな風に思っていた時だった。ようやく強盗一味が俺達の存在に気付き、不審そうな眼差しを向けてきた。
少女との言い争いが、明らかに尾を引いているんだろう。かなり苛立った様子で口を開く。
「あん? おいお前、何しに来やがった? ……その後ろの奴は?」
「あ、あの、実は――」
男がそこまで言い掛けた所で、俺はすぐさま頭を切り替えた。
ここまで来れば、もう演技を続ける必要もないだろう。俺は即座に判断を下し、背後から男の首筋に右手刀を叩き込んだ。
「ぐっ!?」
不意討ち同然で放った一撃によって、男は糸の切れた操り人形の如く、力無くその場に倒れ込んだ。
その光景を目の当たりにし、少女の傍にいた男二人の顔付きが、さらに険しくなる。
「てめぇ……! 一体何のつもりだ!?」
「いい加減、演技するのも飽き飽きしてた所だったんだ。残念ながら、後部車両は全部制圧させてもらったぜ?」
憤慨する男達を挑発するため、俺は両手を組んで指の骨を軽く鳴らした。それだけで周りの乗客達は、争いが始まろうとしている事を察知したのだろう。皆一斉に、座席の影に身を隠すように屈んだ。
ただ一人、さっきの少女を除いて。
「ガキが……! 粋がってんじゃねぇぞ!」
そう言って片方の男が、傍らの少女を捕えようと動き出す。
だが俺はそれよりも速く、すでに動き出していた。
疾走の勢いを跳躍の力に変え、少女を捕えようとする男の顔面に、強烈な右膝蹴りを叩き込んだ。
「おぶっ!」
衝撃と痛みで握っていた拳銃を零し、後ろに仰け反る男を無視して、俺はすぐ傍で棒立ちになっていたもう片方の男に突貫する。
「! ちぃっ!」
男は俺の接近に対応する為、狙いを少女から俺に切り替えた。その右手が、腰の辺りにあったナイフの柄を掴む。
だが、もう遅い。
そのナイフが振られるより速く、俺の右拳が男の顔面を捉えた。顔の中心を思いっ切り殴り飛ばし、客車の窓に衝突させて沈黙させる。
「痛って……」
あまりにも綺麗に命中してしまったせいか、右手が鈍い痛みを発している。一応骨は折れていないようだが、地味な痛みによって思考が阻害されてしまう。
それが、完全に命取りだった。
「クソガキィィィ!」
「!」
油断はいついかなる時も、自身を追い込む仇となる。
かつてミレーナに、幾度となくそう説かれていたにも拘らず、俺は完全に油断し切っていた。振り向くと、先ほど顔面を蹴り飛ばしてやったはずの男が、いつの間にか短剣を手に取り、切り掛らんとしていた。
しまった……! と、そう思った時だった。
突如として銃声が鳴り響き、俺を狙っていた男の右肩が裂け、鮮血が飛び散ったのだ。
「ぐああっ!」
撃たれた男は受け身も取れずに床へと倒れ込み、傷の痛みから苦悶の表情を浮かべている。
俺は今度こそ男を無力化しようと、尚も起き上がろうとする男の顔に、容赦なく左手で掌底を喰らわせた。
容赦なく命中させた一撃によって、男は意識を失い、床に倒れ込んで動かなくなった。
客車内に、ようやく静寂が訪れる。
「……ったく。さっきの一撃で気絶してりゃあいいものを……」
男の手から短剣を剥ぎ取りながら、俺は愚痴っぽく呟いた。そしてやっと、銃声が響いてきた方を見やった。
するとそこには、銃を構えた状態で静止している黒髪の少女の姿があった。発砲の証として、黒光りする銃口からは白煙が上り、周囲には微かに火薬の臭いが立ち込めている。
銃による援護を素直に感謝しようとした俺は、しかしふとある事が気になった。
心なしか、銃を構えている少女の顔が、少し青ざめているように見える。それはまるで、何かに怯えているようにも感じられた。
「大丈夫? 怪我しなかった?」
妙な感覚に囚われていた間に、少女は銃を下ろして、心配そうな表情を俺に向けていた。その様子からは、特に動揺している感じは見受けられない。
……やはり、気のせいだったんだろうか? まぁ俺も、強盗に隙を突かれたばかりで、少々焦っていたのは事実だからな。ただ単に、変な捉え方をしてしまっただけかも知れない。
「ああ、何ともない。悪いな、助かった」
「どういたしまして」
素直に労う俺に対し、少女は屈託のない笑顔を見せてから、握っていた拳銃をベルトのホルダーに仕舞う。どうやらあれが、強盗に奪われていた彼女の持ち物のようだ。
……それにしても、この状況でよく笑ってられるな、こいつ。意外と神経図太いのか?
「それはそうと、さっき言ってた事ってホントなの? 後部車両を全部制圧した、って話」
言いながら少女は、窓際に倒れている強盗の傍へと歩み寄り、男のズボンのベルトを手早く奪うと、それで男を後ろ手に拘束し始めた。
俺も少女に倣い、もう一人の男のズボンからベルトを奪い取りながら、口を開く。
「ああ、本当だ。あとは機関室を占拠してる連中だけだから、さっさと乗り込んで始末する」
十秒ほどで拘束作業を終わらせ、俺は再度立ち上がり、未だに屈んで身を隠している乗客達に呼び掛ける。
「とりあえず、あんた達は後方車両に移動してくれ。多分その方が、ここにいるよりは安全だからさ」
俺がそう言うと、乗客達は異論も唱えず従ってくれた。どうやら先ほどまでの攻防を傍観した結果、強盗達の処理は俺に任せようと判断してくれたらしい。
正直、人任せにし過ぎじゃないかと思わなくもないが、別段彼らを責めようとも思わない。むしろ最初の乗客達のように、変に食い下がられないだけ有難い。
そう思うからこそ、面倒なことになる前にと、俺は作業を終えた少女にも後退を促す。
「あんたも後部車両に引っ込んどけよ。後片付けは俺がするから」
「ダメだよそんなの。あたしにも手伝わせて」
「……」
まぁ、そう言うだろうな、流れ的に。
まさに予想通り、懸念していた通りの返答で、思わず頭を抱えそうになる。俺が言うまでもなく、強盗の身体を率先して拘束し始めた辺りから、こうなる気がしてたんだよなぁ……
「いや、気持ちは有り難いけど、あんたじゃ足手纏いにしか――」
「さて問題です。最後に刺されそうになってたあなたを助けたのは、一体どこの誰でしょう?」
「……」
喧嘩売ってんのかこの女。俺の言葉を遮った上に、わざとらしく聞いてきやがって。
さっきと同じく、屈託のない笑みを浮かべてみせる黒髪の少女。どこか楽しげに俺の返答を待っているその様子は、少々どころかかなり緊張感が欠けているように思う。
とはいえ、油断していたのは事実だし、助けられたのも事実だ。ここは素直に折れるしかなさそうだ。
「……わかった。協力してくれ」
「そうこなくっちゃ!」
強盗団の手から順調に列車を解放しつつあるとはいえ、少女の喜びようは些か能天気過ぎている。強盗と言い争いをしていた事もそうだが、こいつ本当に、状況の深刻さを理解してるのか?
不満も懸念も一切消えないが、とにかく先へ進もうと、俺は少女を連れ立って、機関室と客車を繋いでいる連結部分へと差し掛かった。
すぐ目の前には、最後の扉が待ち構えている。
「あっ、そういえば……」
普通こういう場合、更に緊張感が増す場面のはずなのだが、少女はふと何かを思い出したように、こっちを覗き込んできた。
黒真珠を思わせる少女の大きな瞳が、真っ直ぐ俺を捉えている。
「あたしの名前は、リネ・レディア。あなたの名前は?」
問われ、数秒黙した俺は、素っ気なく自分の名前を口にする。
「……ディーンだ」
「……………………えっ、それだけ?」
俺の受け答えが気に入らなかったらしく、リネと名乗った黒髪の少女は、不満げな視線を向けてくる。
敵の本拠を眼の前にして、あまり集中力を削ぎたくないのだが、隣の少女が食い下がってくるので、俺はやむを得ず口を開く。
「何だよ。何が気に喰わないんだ?」
「ディーンって言うのはファーストネームでしょ? あたしはあなたのフルネームを聞いてるんだけど」
「いいだろ別に。あんたには関係ない」
「むっ、何その言い方。何か名乗りたくない理由でもある訳?」
「……」
むくれるリネを尻目に、俺は肯定の証として無言を貫いた。
彼女の指摘通り、俺には自らの名前を名乗りたくない、もとい名乗らないようにしている理由がある。
俺の育ての親であり、師匠でもあるミレーナ・イアルフスは、実はこの大陸に於いて知らない者はいないほどの、かなりの有名人なのだ。彼女のフルネーム、或いはセカンドネームを聞いただけで、殆どの人間は眼を丸くして驚く。
だからこそ、その偉大なセカンドネームを受け継いだ俺としては、あまり人前でその名を名乗らないようにしている。
理由は単純。『あの』ミレーナの弟子なのか! ……と騒がれるのが嫌だからだ。
もちろん、それほどまでに有名な彼女の事を誇りに思うし、尊敬もしている。だが、それとこれとは話が別だ。
まだまだこの話題を引っ張りそうなリネを無視して、俺はスライド式の扉の取っ手に手を掛ける。
「お喋りは終わりだ。行くぜ」
俺は瞬時に頭を切り替えて、一気に扉をスライドさせた。
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