第二章 師よりの授かり物

 瞬間、俺の頭に浮かんだのは、純粋な疑問だった。

 四角く区切られた機関室には、黒い鉄製の装置類が所狭しと並んでいて、列車の走行音とは別に、無機質な駆動音が車両内を満たしている。車両の両側と運転席に備え付けられた窓の向こうでは、荒れた大地が次々と後方へ流れていく。その様は、まるで自分が翼を得て、大空を飛行しているかのようだ。

 決して広くはない機関室を見回し、俺はただただ首を傾げてしまう。

 さっきの下っ端が言うには、この機関室には強盗一味のリーダー格と、部下一人がいるのではなかったか?

 だが意を決して突入した機関室には、誰もいない。

 そう、誰もいないのだ。

「何で運転手や整備士までいねぇんだよ……!?」

 異常な光景を前に、焦りを覚えずにはいられない。その理由は、この列車の動力に関係している。

『ジラータル大陸』に存在する乗り物の多くは、『導力石』という特殊な鉱石によって動いている。特殊な波動を放つこの鉱石は、大陸の一部の地域で採掘され、かつて巻き起こった戦争では、兵器として利用されていた。それが今では、こういった列車などの、移動手段となる乗り物の動力として使われている。

 この『導力石』を使用する列車を動かす場合、機関室には二人の人間がいなければならない。

 一人は、列車の速度調整などの操作を行う運転手。そしてもう一人は、動力となる石の波動調整を行う整備士と呼ばれる者だ。

 俺自身、整備士が一体どのような作業を行うのかを、細部まで知っている訳ではない。だが、整備士がいなければ、列車が暴走事故を起こすとまで言われているほど、その役職が重要なものである事は知っている。

 にも拘らず、眼の前にあるのは、無人の運転席と、虚しい駆動音を響かせ続ける装置類のみ。つまり今この列車は、運転手も整備士もなしで、ただ線路に沿って進んでいるだけの状態という事だ。

 このままではいずれ脱線するか、最悪最寄り駅に突っ込んで、甚大な被害を出してしまいかねない。

「おいおい、冗談じゃねぇぞ……! このままじゃ――」

「任せて!」

 思わず頭を抱えそうになった俺の横を足早に通って、リネは無人の運転席に腰を下ろした。

 彼女はその白く細い両腕で、眼前にある円形の金属でできた操縦桿を握る。

「あんた、運転できるのか?」

「運転だけならね。昔知り合いに、一通りの操作方法を習った事があるから」

 少女の意外な発言に胸を撫で下ろし掛けたが、しかしすぐに思い直す。

「ちょっと待て。運転だけって事は、もしかして『導力石』に関する知識は持ってないのか?」

「う、うん……。だから、もし『導力石』が暴走しちゃったら、あたしには対処のしようがないし、それに――」

「列車を止めようにも、運転席での操作だけじゃ完全に停車させる事はできない。……そうだよな?」

 ある程度予想しつつ尋ねると、リネは不安げな表情で頷き、操縦席の横にある装置類を一瞥した。

 今の所、手がつけられないほどの異常が発生している様子はない。だがそれも、整備士がいなければ時間の問題だ。一刻も早く消えてしまった整備士、そして運転手を見つけ出さければならない。

「わかった。そういう事なら任せとけ」

 不安げなリネにそう言いながら、俺は手早く準備運動を済ませた。明確な目的ができれば、行動を起こすのは容易い。

「あんたは運転に集中してていいぜ。『導力石』が暴走を起こす前に、俺が整備士を連れて来てやるよ」

「連れて来るって、どこに行ったかわかるの?」

「車両内は全部見てきたんだ。だったら行き場所は一つしかねぇだろ」

 怪訝そうな顔付きのリネに背を向け、俺は機関室の隅に設置してある、鉄製の梯子へと向かった。この梯子は、列車の上部へと繋がっている。

 俺には機関室に入る前から、疑問に思っていた事があった。

 ついさっき、俺が隣の車両で暴れていた時、なぜこの機関室から、様子を見に来る人間が一人もいなかったのか。

 答えは単純明快。奴らは既に列車の上部、屋根の上へ出ていたからだったんだ。

 俺は梯子を上り、鉄板でできた重い蓋を押し開け、屋根の上へと這い出た。するとその途端、進行方向から強い風が流れてくる。それを背に受ける形で後部車両の屋根を見ると、屈んでいる数人の人影が見えた。

「やっぱりな……」

 強風に煽られて落下しないように、細心の注意を払いながら、俺は屋根の上を歩いていく。

 列車の連結部分を飛び越え、屋根の上を歩き、また飛び越え、また歩きを繰り返して、徐々に人影との距離を縮める。

 やがて相手の人相を確認できる位置まで辿り着いた俺は、思わず嘆息してしまった。

 五メートルほど離れた位置には、強盗の一味と思われる男三人と、青い作業服に身を包んだ男二人の、計五人が身を屈めていた。

 ミレーナの行方を捜して旅をしている以上、俺は移動手段として列車をよく利用する。だからこそ、何度か目にして知っていた。

 列車の運転手と整備士が、青い作業服を着ている事を。

「何だぁ? ガキがこんな所で何してやがる」

 ようやく俺の存在に気付いた五人の内の一人が、吸っていた煙草の煙を吐き出しながら言い、立ち上がった。

 ……って言うか、何してやがるはこっちの台詞だ。特に運転手と整備士の男。何で強盗と仲良く煙草なんか吸ってんだよ?

「下っ端連中は全員制圧させてもらったぜ、強盗団さん。……いや、テロリストって呼んだ方がいいのかな?」

 そう告げた途端、五人の顔が一気に険しくなった。どうやら、見事に当たりを突いたらしい。

 最初は俺も、単なる強盗犯だと決め付けていた。だが運転手と整備士が、初めから襲撃犯の一味だったとなると、話は変わってくる。

 俺の予想に感心した様子で、五人の内の一人、リーダー各らしき男が口を開く。

「その通り。ガキにしては中々鋭いじゃねぇか」

「……そりゃどうも」

「だが、少し調子に乗り過ぎたなぁ。俺達の邪魔をしようってんなら、死んでもらうしかねぇ」

 その言葉を皮切りに、男達は次々と立ち上がった。ニヤニヤと不快な笑みを浮かべる連中がその手に握るのは、黒光りする拳銃や切れ味の良さそうな短剣だ。

 警戒する様子もなく、徐々に歩み寄ってくる四人の男達。

 だが俺は全く動じず、一人佇んだままのリーダー格の男に向けて、淡々と問い掛けた。

「あんたらは一体何が目的なんだ? 殺されるにしても、それぐらいは聞かせてもらいたいね」

 自分達の勝利を確信しているからなのか、或いは単なる暇潰しか。俺の質問に対して、リーダー格の男は意外にもあっさりと口を開いた。

「この列車の終着駅がどこだか知ってるか? クソガキ」

 吸っていた煙草を屋根の上に捨て、靴底で乱暴に踏み締めながら、男は不敵な笑みを浮かべてみせる。

 クソガキ呼ばわりが癇に障るが、とりあえず今は情報を聞き出すのが先だと、俺は自身を律しながら答えた。

「『首都・テルノアリス』だろ。それが何だってんだ?」

「決まってんだろ! この列車を乗客諸共、停車駅に突っ込ませるのさ! 俺達の意志を世間に知らしめる為になぁ!」

「……は?」

 相手の思想がまるで理解できず、思わず俺は真顔で聞き返してしまった。

 だが熱の籠もり始めたテロリストには、こっちの声が聞こえていないらしい。進行方向から流れてくる強風を物ともせず、邪悪な熱意を燃え上がらせていく。

「今のテルノアリス王は堕落してやがる! 生温いったらありゃしねぇ! 何が『倒王戦争』だ! 何が『倒王歴とうおうれき』だ! 平穏とやらに毒された、バカな貴族共に統治されるなんて堪ったもんじゃねぇ! だから俺達の手で、連中の目を覚まさせてやるんだよ! かつて『魔王』と呼ばれた、前テルノアリス王の方が正しかったって事をなぁ!」

「……なるほど。あんた、『倒王戦争』の生き残りか」

 かつてこの『ジラータル大陸』は、『首都』に座する一人の王の手によって、独裁的に支配されていた。

 虐殺と内戦。血で血を洗う争いが、日常茶飯事となっていた時代。従わない者は全て殺し、障害となり得る者も全て殺し、多くの血の上に無理矢理成り立たされた独裁国家。

 その王として『首都』に君臨していたのが、残虐非道な振る舞いから『魔王』と揶揄されていた、前テルノアリス王だ。

 だが今から十二年前、『首都』でクーデターが引き起こされた。

 前テルノアリス王の所業に、不満を抱えていた一部の貴族達が、秘密裏に『反旗軍』と呼ばれる勢力を立ち上げ、神をも恐れぬ『魔王軍』に戦いを挑んだのだ。

 その際貴族達は、『反旗軍』の中核メンバーとして、『とある技術』に秀でた、五人の人間を集結させるに至った。

 その『とある技術』とは、『魔術』。

 自然現象では有り得ない力を、現実に引き起こす技術。数百年前から存在したとされるそれを操る者を、人々は総じてこう呼んでいる。


 魔術師、と。


 伝承によれば、かつてはこの大陸にも、魔術師と呼ばれる者が数え切れないほど存在していたらしい。だが、大陸内で起きた様々な戦争によって多くが犠牲となり、近代に進むにつれて、その数は徐々に希少なものとなっていったそうだ。

 そんな希少な存在たる五人の魔術師達は、『反旗軍』の中核メンバーとして『魔王軍』を席巻し、長き戦いの末、『魔王』を討伐するに至ったのだ。

 後にその戦いが『倒王戦争』。王を倒したその年の暦が、『倒王歴』と呼ばれるようになった。

 しかし、十二年が経った今でも、前テルノアリス王の軍勢だった者達の生き残りが、大陸各地で騒ぎを起こし、現政権を脅かす悩みの種となっている。

 今目の前にいる、この男達のように。

「犠牲が出れば民衆の反発は大きくなる! それをさらに煽るために、俺達がテロ行為を繰り返す! その先には一体、何が待ってると思う!? そうさ! 『倒王戦争』の再来だ!! あの戦争の時と同じように、今度は俺達が王から玉座を奪い取ってやるんだよ!」

 リーダー格の男はそう締め括ると、愉悦に塗れた高笑いを上げた。

 ……一体何がそんなに面白いってんだ? いい加減、こいつらに対する哀れみと怒りで、頭がどうにかなりそうだ。

「くっだらねぇ野望だな」

「! ……何だと?」

 侮辱された事に憤るような表情で、リーダー格の男は俺を睨み付けてくる。

 だが俺にとって、そんな圧力は意味を成さない。動じる事も、揺らぐ事もなく、感じた事をそのままぶつけてやる。

「俺達の意志を知らしめる? 『倒王戦争』の再来? バカな事抜かしてんじゃねぇよ。何をどう言おうと、結局あんたらは自分達の事しか見えてねぇんだ。あんたらのくだらない行いのせいで、一体どれだけの人間が不幸になってるか考えた事あんのか?」

「うるせぇんだよ! 何も知らねぇガキが、好き放題抜かしてんじゃねぇ!!」

「知ってるさ。俺も一応、戦争経験者だからな」

「もういい! こんなガキさっさと殺しちまえ!」

 リーダー格の男が怒鳴ると、俺に近いテロリストの一人が銃口を向け、その引き金を迷う事なく引き絞った。

 乾いた銃声と共に、俺の鮮血が辺りに飛び散る――事はなかった。

 俺の身体を貫通するために飛来するはずだった銃弾は、その中途で跡形もなく消え去ってしまう。なぜなら、俺の周囲で巻き起こったとある現象が、銃弾の行く手を阻んだからだ。

「なっ!?」

 取り囲もうとしていたテロリストの一味、そしてリーダー格の男が、息を呑む。

 突如として巻き起こったその現象は、肌身を焦がすほどの莫大な熱量を持ち、同時に俺が嫌いな、俺自身の髪と同じ色をしていた。


 すなわち、炎。


 列車の屋根に、正円を描く形で発生した灼熱の炎の渦は、自然現象などではない。

 かつて『反旗軍』の中核メンバーとして活躍した、五人の魔術師の内の一人。紅き炎を司る、『深紅魔法』の使い手。

 その者の名は、ミレーナ・イアルフス。

『魔王』を倒した『英雄』の一人として、彼女の名は大陸の歴史に刻まれている。

 そんなミレーナから、俺は息子として姓と名を授かり、同時に弟子として魔術を教授された。

 ディーン・イアルフス。

 俺自身もまた、魔術師と呼ばれる存在だ。




 ◆  ◆  ◆




「『魔術師』になりたい? また突然、何言い出してんのよ、あんたは」

 ミレーナは軽く頭を抱えると、とても呆れた表情で溜め息をつく。

 でも俺は本気だった。本気で『魔術師』になりたいと思ったんだ。ミレーナみたいな、立派な『魔術師』に。

 だけど彼女は、簡単に首を縦には振ってくれなかった。

 どうしてそんなに反対するのか?

 ある時俺がそう尋ねると、ミレーナは真剣な表情で俺に言った。

「あんた……、人殺しになりたいの?」

 嘆き悲しむような表情で告げられ、俺は驚いて口を噤んだ。人殺し? 『魔術師』が?

 あの頃の俺はとても無知で、ただミレーナへの憧れだけで『魔術師』になりたいと思っていた。でもそれは、とんでもなく幼稚な考えだったんだ。

「いい? 『魔術』って言うのは、ただ相手を殺す事だけに特化した技術なの。あんたは知らないだろうけど、私はその『魔術』で何人も人を殺した。『倒王歴』を創った英雄なんて言われてるけど、私はただの人殺しよ。決して称賛されるような立派な人間なんかじゃないわ……」

 ミレーナの言葉はどこまでも真摯で、どこまでも深い悲しみを孕んでいた。彼女は魔術師である自分自身を嫌い、自らが持つ魔術という力を嫌悪していた。

 その時初めて、俺はミレーナが抱えている苦悩や後悔に、ほんの少しだけ触れられた気がした。全てを悟ることはできないまでも、彼女には彼女の業が存在するのだと、理解する事ができた。

 だからこそ俺は、ミレーナに対してとある誓いを立てたんだ。

「だったら俺が『魔術師』になって証明してやる! 『魔術師』は『ただの』人殺しじゃないって! 誰かを守る事ができる存在なんだって!」

 子供の幼稚な発言だと、切り捨てる事はいくらでもできただろう。

 だがミレーナは、一瞬たりともそんな素振りを見せなかった。少々驚いた様子で目を瞠った後、愛おしげな笑みを浮かべて、俺の頭を軽く小突いた。

 そのすぐ後だった。

 ミレーナが、魔術の師匠となる事を承諾してくれたのは。




 ◆  ◆  ◆




 俺が発生させた炎に撒かれ、テロリスト達は顔をしかめた。恐らく奴らの肌には、炎の熱によって焼け付くような痛みが走っている事だろう。

 煌々と燃え盛る炎に気圧されたのか、リーダー格の男が憤慨したかのように言い放つ。

「バカな、有り得ねぇだろ……! てめぇみてぇなガキが、魔術師だと!?」

 響き渡る男の怒声を無視して、俺は即座に行動に移った。

 掌を上にする形で、両腕を水平に構える。すると、周囲を舞っていた炎の渦が、俺の両掌に吸い込まれるように集束し、松明の炎を思わせる二つの紅い塊が造り上げられた。

 直後、俺は二つの炎の塊を勢い良く投擲する。狙ったのは、短剣を構えていた二人の男だ。

「ぐああああっ!!」

「ぎゃああああっ!!」

 激しい炎にその身を焼かれ、二人の男は悲鳴を上げながらその場に倒れ伏した。

 あまりにも一瞬の出来事に恐れを感じたのか、残った青い作業服を着た男達の顔が引き攣っている。服装が全く同じせいで、どっちが運転手、或いは整備士なのか見分けがつかない。

 けどまぁ、両方連れて帰れば問題ないか。

 適当に考えながら、男達に近付こうと一歩踏み出した、その瞬間。

「う、うあああぁぁっ!」

 呆然から一変。自分も炎に焼かれるかも知れないという恐怖が追い打ちを掛けたのか、青い作業服の男達は後先考えずに銃を乱射してきた。

 が、もちろんその銃弾の雨は、炎の渦に遮られ、一発たりとも俺の身体に届かなかった。

 やがて弾切れを起こして二人の男が硬直した瞬間、俺は炎の渦を突き破る形で一気に距離を詰め、鳩尾に両拳を叩き込んだ。

 急所を突く一撃によって、二人の男はほぼ同時に意識を失い、屋根の上に乱雑に倒れ込む。

 これで残すは、あと一人。

「こっ、の野郎……!」

 目の前で仲間を次々と撃破され、不満と怒りが抑え切れなくなったらしい。リーダー格の男は、腰に携えていた鞘から乱暴にロングソードを引き抜き、切っ先を差し向けてきた。

「てめぇみたいなガキに、俺達の計画を邪魔されてたまるか! ブッ殺してやる!!」

 これだけ力量の差を見せつけたというのに、男の戦意は萎えていない。むしろ激昂している分、より増しているようだ。

 ならば望み通り迎え撃ってやろうと、腰をやや低くしようとした俺は、しかしふとある事が気になった。

 そういえばこいつら、一体どうやってこの列車から脱出するつもりだったんだ?

 さっきあれだけ、自分達の意志について熱弁してやがったんだし、まさかこの列車と心中しようなんて考えてはいないだろう。そもそも最初から死ぬつもりなら、ここまで頑なに抵抗しないはずだ。

 ならば、考えられる脱出方法とは何か。

 色々考えてみたものの、どれもしっくりくるものじゃない。俺達の計画と豪語した割には、脱出の為の手段が蔑ろにされている。

 これって、まさか……。

「なぁ。ちょっと聞きてぇんだけど、この計画を考えて指示したのはあんたなのか?」

「ああ? そんな事てめぇには関係ねぇだろ!」

「あーまぁそりゃそうなんだけど……。もしこの計画があんたの発案じゃないんだとしたら、ちょっとヤバイ事になってんじゃねぇかと思ってさ」

「……何だと?」

 怪訝そうな顔付きになる男に対して、俺は警戒を怠らないように注意しながら、改めて口を開く。

「この列車からの脱出方法だよ。いくら何でも、列車と心中するつもりなんてないんだろ? だったらあんたら、どうやってここから逃げるつもりなんだ?」

「ハッ! 何を言うかと思えば……。生憎だったなクソガキ。俺達には便利な物があるんだよ」

 自慢げに告げるリーダー格の男は、懐から青い水晶のような物を取り出した。そして見せびらかすように握ったそれを、こちらに差し向けながら言う。

「こいつは特殊な力が込められてる『転移石』っていう代物でな。こいつがあれば、俺達はすぐにでもこの列車から脱出でき――」

「そんなモン、存在しねぇよ」

 男の言葉を遮り、俺が冷たく言い放った瞬間。俺達の間で、数秒の沈黙が生まれた。

「………………は?」

 男がやっと捻り出してきたのは、言葉というより動作だった。訝しそうに眉根を寄せ、僅かに首を傾げている。

 言葉が通じていないはずはねぇんだけど、仕方がない。少し惨い気もするが、さっさと真実を告げて楽にしてやろう。

「だからー、存在しねぇんだよ『転移石』なんて。石どころか、『転移』なんて便利な魔法は存在しない。一体誰が用意したのか知らねぇけど、今手に持ってるそれ、多分ただのガラクタだぜ?」

「ふっ、ふざけんな! そんなハッタリ――」

「じゃあどうやって発動させるんだよ? まさかとは思うけど、目を瞑ってただ祈ればいい、とか言うんじゃねぇだろうな?」

「なっ!? 何でそれを……」

 やれやれ、やっぱりそういう事か。

 要するにこいつらは、最初から利用されていたんだ。この襲撃計画や、あの水晶ガラクタを用意した、第三者に。

 いくら『倒王戦争』の生き残りとはいえ、『魔術』に疎い奴は大勢いる。何の知識もない人間なら、『転移石』なんてありもしない代物に引っ掛かり、騙されてしまうのも無理はない。

 だがそうなると、気になるのは、その第三者が何者なのかという点だ。

『魔術』に関する事で誰かを騙すためには、騙す相手よりも『魔術』に詳しくなければならない。つまり必然的に、その黒幕はテロリスト達よりも多く、『魔術』に関する知識を持ち合わせている事になる。

 もしかして、俺と同じ『魔術師』か……?

「ふざけやがってぇぇぇっ!!」

「!」

 思考に囚われていた俺は、何かが砕けるような音で我に返った。

 どうやら憤慨したリーダー格の男が、さっきの青い水晶を屋根に叩き付けたらしい。奴は怒りが収まらないのか、砕けて無数の破片になった水晶を、更に足で踏み付けている。屋根を踏み抜かんばかりの強さで、何度も何度も。

 やがて男は、息を荒げながら顔を上げ、明らかに激怒した表情を浮かべて、こっちを睨み付けてきた。

「殺してやる……! てめぇも、この列車の乗客も、一人残らずブッ殺してやる! 列車を衝突させるまでもねぇ……。俺がこの手で皆殺しにしてやる!!」

「おいおい……」

 意味のわかんねぇキレ方してんじゃねぇよ! 単なる八つ当たりじゃねぇか!

 確かに不憫に思わなくもないが、結局他人を巻き込むのなら、やってる事は同じだ。説得が通じない以上、最早戦って止めるしかない。

 激昂する男の行く手を阻むため、俺は即座に身構える。

「どけ、忌々しいクソガキがぁ……ッ! 高が人殺しが、『英雄』呼ばわりされてるどこぞのクソ魔術師共の真似事でもしてるつもりか!?」

「……何だって?」

 聞き捨てならい台詞を耳にして、俺はやや硬直した。

 恐れをなしたから、ではない。怒りを覚えたからだ。

 目の前の男の、戯れ言に。

「……今、何て言った?」

「馬鹿馬鹿しいって言ったんだよ! 何が『英雄』だ、くだらねぇ……! 俺に言わせりゃあんな連中、どいつもこいつもただの偽善者だ! あんなバカみてぇな連中に入れ込むなんて気が知れねぇぜ!」

「――!」

 それが、決定的な引き金だった。

 胸の内から湧き上がる憤怒の感情は、紅く煌めく現象へと具現化される。周囲に発生した炎の渦は、俺の激しい怒りを形にするかのように、圧倒的な熱量を振り撒きながら、その勢いを増していく。

 例え名指しではないとはいえ、こいつは侮辱しやがった。

 俺の親であり、師匠でもある大切な存在を……!

 俺が誰よりも尊敬している、ミレーナ・イアルフスを!


「もう容赦しねぇぞ三下……。てめぇは消し炭にしてやる!!」


 激しく火の粉を振り撒いていた炎の渦が、俺の意思に呼応して、右掌に集束していく。やがて全てが集まる頃には、炎は一つの形を成していた。

 刀身も、鍔も、柄も、全てが紅く染め上げられた片手直剣。『深紅魔法』の基本能力である、『紅蓮の爆炎剣フレイム・ロングソード』だ。

 一振りしてから構えると、その動作に合わせて、刀身から火の粉が舞い散った。

「どうした? 掛かって来いよ」

 怒りに任せて睨み付け、挑発してみるが、男は剣を構えようともしない。俺の放つ覇気に圧倒されているのか、ジリジリと後退りさえしている。

「う、くぅっ……!」

「来ねぇなら……、こっちから行くぜ!!」

 俺は力強く屋根を蹴り付けて、男の許まで疾走する。その時になってようやく、無防備だった男は剣を構えようとした。

 だが当然、一連の動作は俺の方が速かった。

 右手に握った炎の剣を水平に振り抜く形で、俺は男と交差する。

 斬撃音は響かない。肉を抉った感触も無い。

 だが次の瞬間――

「ぐぎゃああああぁぁぁっ!!」

 耳の奥にまで響きそうな大絶叫が、俺の背後から聞こえてくる。肩越しに一瞥すると、男の身体は、激しい勢いで燃え盛る紅い炎に撒かれていた。

 男は膝を折ると、そのまま屋根の上に倒れ込む。やがて炎が、徐々に勢いを弱め、その姿を消し去る頃には、男の身体は炭のように黒くなっていた。

「うっ……、あっ……」

 炎剣を握ったまま、俺は静かに男の許へと歩み寄る。そうすると、男は弱々しいながらも、微かに息をしているのが確認できた。

「安心しろ。火加減はしておいたからな」

 男の耳に届いているのかはわからなかったが、とりあえず俺はそう告げた。

 別に俺は、こいつらを殺してもいいと思っていた。『魔術』の力があれば、それも簡単にできる事だろう。

 だが、そうはしなかった。なぜなら俺には、ミレーナとの大切な約束があったからだ。

 それにきっと、彼女なら今の俺と同じ事をしただろう。

 俺に大切な事を教えてくれた、彼女なら――

「――って、うおっ!? 何だこの尋常じゃねぇ量の煙は!?」

 やや感傷に浸っていた俺は、異様な光景によって現実に引き戻された。

 進行方向から流れてくる、大量の黒煙。その発生源、及び理由については、深く考えるまでもない。

「やっべぇ! のんびりしてる場合じゃなかった!」

 握っていた炎剣を消滅させ、気絶しているテロリスト達を拘束した後、俺は青い作業服の男二人を、ほとんど引き摺るような格好で運び始めた。

 目指す機関室は遥か先。

『導力石』が暴走を起こす前に整備士を連れて帰る、という約束の方は、どうやら破る羽目になってしまったらしい。




 ◆  ◆  ◆




 斯くして、前テルノアリス王派のテロリストによる列車衝突事件は、未遂という形で幕を閉じた。

 列車は終着駅の一つ手前、『ディケット』という街にどうにか停車させられたものの、そこに至るまでの経緯は、中々に骨の折れる作業の連続だった。

 俺が機関室に戻ると、案の定、半泣き状態で慌てふためいている(当然と言えば当然だが)、リネ・レディアの姿があった。

 遅れた事への詫びもそこそこに、俺は青い作業服の男達を無理矢理覚醒させ、例の如く暴力で脅してから一旦拘束を解き、一人奮闘していたリネと列車の運転を交代させた。

 その甲斐あって、列車は何事もなかったかのように、最寄り駅だった『ディケット』の街にゆっくりと停車したのである。

 駅に着くなり、乗客達は一斉に車両から降り、口々に「『ギルド』に報告しろ」だの「鉄道警備隊を呼べ」だのと、大いに騒ぎ始めた。

 その騒ぎに乗じて、俺は自分の荷物を取りに戻ると(無論、運転手と整備士は再度拘束済みである)、さっさと列車を降り、上手く人混みに紛れて駅から離れた。

『ギルド』の人間や鉄道警備隊に捕まってしまえば、事情聴取やら何やらで、長い足止めを喰らうに決まっている。別に先を急がなければならない訳でもないが、面倒な事は極力避けておきたい。

 俺は街に入ると、一度軽く伸びをして通りを眺めた。列車テロが起きたという事が騒ぎになって、野次馬連中が俺と逆方向へ駆けていく。

 暖かな陽差しの下、駅から真っ直ぐ伸びる通りのあちこちには、少々疎らではあるものの、大小様々な商店や露店が並んでいる。『首都』近郊ということもあってか、行き交う人の多さが目立つ賑わいのある街だ。

 とりあえず宿でも探そうと思い、俺が歩き始めようとした時だった。

「あっ! やっと見つけたー!」

 背後から響いてきたそんな台詞が、俺の足を地面に縫い付ける。

 何か聞き覚えのある、明るく弾んだ声。もう嫌な予感しかしないが、俺はゆっくりと声のした方を振り向いた。

 視線の先に佇んでいるのは、さっきまで濃密な時間を共にしていた黒髪の少女、リネ・レディアだった。目が合うなり、小走りでこっちへ近付いてくる。

「もう、何で勝手にどっか行っちゃう訳? 話したい事色々あったのに」

「勝手にって……、あんたと一緒に旅してた覚えは一切ねぇよ」

 俺が冷たく言うと、リネはその白い頬をぷくっと膨らませて、不満そうな表情を作った。

「あー、酷い。何でそんな言い方するの? 一緒にテロリストを退治した仲じゃない!」

「どんな仲だよ」

「お互いに頼れるパートナー!」

「一人で言ってろ」

 相手にする必要もないだろうと思い、俺は溜め息混じりに歩き出した。

 するとどういう訳か、リネは歩調を合わせるかのように、一定の距離を保って俺の後を付いて来る。

 こっちが止まれば向こうも止まり、また歩き出せば向こうも歩き出す、という構図。一体何がしてぇんだてめぇは。

「付いて来んな。鬱陶しいんだよ」

 肩越しに背後を見つつ、突き放すつもりでそう言ってみた。が、リネは特に気にした様子もなく、明るい声で話し掛けてくる。

「さっき言ったでしょ? あなたと色々話したい事がある、って」

「俺にはない」

「でもあたしにはあるの」

「……」

 話が平行線を辿りそうだったので、仕方なく俺は沈黙を守る事にした。

 黒髪の少女リネは、ずっと俺の後を付いて来る。

 こいつ一体、何が目的なんだ?

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