04 宅配

 人の名前を呼ぶのが苦手だ。

 ミヤのことをなんて呼んでるの、と尋ねられたことがある。《ミヤ》というのはキリノミヤで、ぼくのいとこで、ぼくと同じ苗字だ。だから当然ぼくは《ミヤ》のことをミヤと呼んではいないとその人は考えた。でもそれはおかしい。だってぼくは《ミヤ》のことを呼ばないからだ。あるいは、その人が《ミヤ》のことをそう呼ぶならぼくだってそう呼ぶ。話すのに名前はいらない。

 だから本当は、人の名前を呼ばないのが得意だ、と言ったほうがいい。


 部屋で眠っていたら、階段を駆け上がる音が聞こえた。

「シュー」扉が開いた。

「キャベツ」

「なに?」

「なんでもない」

「明日から学校なのわかってる?」

「わかってない」

 何も考えないで返事をしてしまう。宿題が終わっていないのは彼女の方で、その意味ではぼくの方が夏休みが終わることを理解している。そう反論できることに気づき、それに満足し、特に何も言わない。

「シューさあ、ミナの家行ってきてくれない」

「やだ」

「要件ぐらい聞いて、あのね」勝手に喋る。「ミナの家に大根持って行ってって、お母さんが」

 もってってって。

「なんでぼくなの」

「宿題が終わっていないからです」

「やーい」

「あとでチョコレートをあげよう」

「なにっ……」

 結局引き受けてしまった。


   * * *


 外に出たらもう夕方だった。朝起きたと思ったらそれは昼で、もう一度眠ったら確かに夕方だ。面白いな。声を聴いたのは久しぶりだったかな、《ミナ》のことをミナと呼ぶのは一人だけで、少し低くてよく通る。ぼくと同じくらい出不精だったはずなのに、最近はよく外に出て行っている気がする。そういえば新しく人が増えたんだっけな。女の子って言ってたっけ。それなら納得できるかも、この年になって友達がぼくと《ミナ》だけでは寂しいもんね。

 ぶつぶつと考えながら歩いていたら太陽が沈んで、街灯がついて、目的地に着いた。ポーン。変なチャイム。

「はい」しっかりした声だ。

「ぼく」

「珍しいな、今出る」プツン。糸電話の通話を切る時ってやっぱり紐を切ったりするんだろうか。

 扉が開く。

「どうした、何かあった?」物事を深刻に捉えすぎるきらいがあるといつも思う。

「ん」袋に入れた大根を掲げる。重かった。

「あー、野菜ね」

「だいこん」

 母の実家は田舎で、野菜を育てていて、そして面倒見がいい。過剰に大根を送りつけてくるぐらいには。

「大根ね」

「うけとるがいい」

「毎度の配給に感謝いたします」大根を受け取る。

「うむ」うむって偉そうだなと、偉そうな演技をしておいて思う。

「じゃ、かえる」

「おーう」呻いているみたいだ。「……気をつけてな」

「そういうのは3歳児とかにいーなよ」

「まあ」黙る。「まあいいや、じゃ」

 扉が閉まる。静かになる。


   * * *


 そういえば、と帰りながら《ミナ》の顔を思い出す。何かが違った。

「あ」

 眼鏡、変えてたな、と気づく。明日言おうかな、多分言わないかな。言った方が喜ぶだろうか。ほんとはさっきも気づかれるかどうか期待してたりしたのかも。「似合ってるよ」かな、いや彼女っぽいな。「縁が黒いね」とかかな、ばかっぽいかな。「眼鏡、変えたでしょ」、いや「眼鏡、変えたっしょ」にしよう。

 そうやって家に着いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る