第32話
事務所に入ると、浅倉が机に向かい、勤怠表の管理をしていた。
真柴に気づくとあわてて立ち上がり、ハーフリムの眼鏡のブリッジを
人差し指で押し上げた。
「オーナー、大丈夫ですか?」
心配そうな顔をする。
「山崎様は、お酒が進むと少々くどくなりますから…」
真柴は、革張りのソファーに身を投げ出すように座ると
「あぁ、助かったよ」
と言って、髪をかき上げた。
「浅倉、タバコ1本もらえるか」
「はっ?あの、マルボロでいいですか?」
「何でもいいよ」
浅倉はシュガレットケースから1本抜くと、差し出した。
真柴が受け取ると、素早くポケットからライターを取り出し、
自分の手元で一度つけた火を両手で差し出す。
その無駄の無いスマートな動きは、ホスト生活の中で自然と
身に付いたものだった。
真柴は、ゆっくりと煙を吐き出す。
「あの…」
「ん?」
「オーナーは、煙草吸われるんですか?」
浅倉は、テーブルの上にガラスの灰皿を置きながら尋ねた。
『紫音』に入店してから2年経つが、真柴が煙草を吸っている姿を
見るのはこれが初めてだ。
真柴は、指先から立ち上る紫煙を目で追いながら、気怠そうに
口を開く。
「二十歳の時に禁煙を始めたんだが…」
自嘲気味に笑いながら
「駄目だな、時々無性に吸いたくなる」
「はぁ…」
普通、二十歳から喫煙するものなのでは?
そういう浅倉自身も、煙草を覚えたのは高校生の時なので
あまり偉そうな事は言えないのだが…
浅倉は、真柴の正面のソファーに腰を下ろした。
「オーナー、葵の事でちょっと…」
「葵?
あぁ、随分荒れてたな」
真柴は、喉の奥でククッと笑った。
「他の卓で潰れてたみたいだけど」
浅倉が頷く。
「はい。今、控え室で休ませてますが…」
「横から太客(太っ腹な客の略)かっさらわれて
よっぽど癪にさわったんだろ」
「はい。…あの…葵の奴、山崎様にオーナーの事を
話すんじゃないでしょうか?」
真柴は、ふーっと煙を吐き出した。
「気にすんな」
「しかし…」
「どうせ、店辞めるだろうから」
「ええ!」
思わず、大声を出してしまった。
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