第八話 オーマイ!
「タイムマシンがあればいいのにと思うことは?」
「ない。何度戻っても結果は同じだよ」
俺がにべもなく否定したことで、ウォルフが膨れ面になった。おまえの想起していることは分かるが、それは未来永劫実現しないよ。絵空事に逃げ込んだところで、何も解決せんからな。とはいえ、ウォルフが素っ頓狂なことを口走りたくなる気持ちは、俺にもよーく分かる。
女性の訓練生がどんどん増えて、急に華やかさの増した食堂。その隅っこで隠れるようにして飯を食っていた俺とウォルフは、心底うんざりしていたんだ。
◇ ◇ ◇
自室で訓練の支度をしながら、ウォルフが口にしたタイムマシンの話を思い返す。タイムマシンがあれば、本部が女性を大量に送り込む前の
ウォルフもなあ。楽天的なのはいいが、おバカで懲りないってところがどうにもならん。しかも、事態が難しくなると脳みそがすぐオーバーヒートし、獣化し始める。おっかなくてしょうがない。
「はあ……」
部屋を出る前に、ベッドに腰を下ろして頭を抱える。
これまで訓練生は男だけに偏っていたが、志願の理由はともかく大量の女性が母星から送り込まれてきた。訓練生の男女数差が急激に縮まっている。まあ、訓練の最終目的が入植である以上、どこかでそうする必要があったんだろう。それはいい。問題はそこじゃない。
訓練生は、ここに来る前に母星の事業本部であらかたの説明を受けることになっているんだが、俺とウォルフが女性にとっての要注意人物として実名入りでばっちり晒されてるんだ。
ちょっと待て! 俺が何をしたって言うんだ! 鬼神のフリーゼ、幼女のエミ、老婆のビージー。俺は連中を女性として意識したことはないし、色っぽいアプローチを仕掛けたこともないぞ! 俺の血液で発情したってのは、俺の意思とは何の関係もないじゃないか! どこからどう見ても飢えた狼のウォルフと一緒にしないでくれ!
だが本部での危険度示唆では、ウォルフのが一とすれば、俺は百。俺は、とんでもなくヤバいという扱いらしい。それはあまりにひどくないか?
ウォルフの女性へのアプローチは、ワンパターンで芸がない。そいつはただひたすら拒絶すればいい。だが、俺は何もアプローチをしないのに、女性の方から近寄って来ちまうんだよ。言っちゃなんだが、まるで昆虫のフェロモントラップだ。その誘引力を遮断するために、俺へのアクセスが必要な場合はガスマスク着用必須ということになったらしい。こんなにまともな俺が毒ガス扱いされるなんて、腹立たしいを通り越して情けなくなる。
馬鹿野郎やってられるかと、退所するのが一番妥当なんだろう。だがキャップの言う通りで、俺は母星ではどこにも居場所がなかった。ゴズが被っていたような外見での差別は、本人が我慢すればいいだけの話だ。だが、俺の場合は血の影響なのかやたらに女が寄り集まってしまう。俺はひっそり隠れ住んでいたいのに、どこに行っても必ず女絡みの騒動に巻き込まれてしまうんだ。訓練所の野郎ばかりの環境は、むさ苦しいが快適だった。それが、もう木っ端微塵だよ。ちぇっ。
フリーゼじゃないが、俺も常時ご機嫌斜めになりそうだ。ぶつくさ文句を垂れ流しながら部屋を出たら、キャップが待ち構えていた。
「ああ、ブラム。訓練前に済まんな。講師のバイパー博士が着任したので、紹介しておこうと思ってな」
「博士……ですか? ドク以外に?」
「ああ、リズの肩書きは医師ではなく、理学博士。ピーエイチディーだよ」
「えええっ!?」
リズ……ってことは女性だろ? 女性でかつ超インテリが、こんなろくでなしの吹き溜まりに、しかも専任講師として着任? なんじゃそりゃ?
びっくり仰天したままあんぐり大口を開けていたら、恐ろしく個性的な風貌の人物が俺の前にすっと立った。
「エリザベス・バイパーです。よろしく」
慌てて自己紹介を返す。
「私はブラム・ストーカー・ジュニアです。よろしく」
「お噂はかねがね」
リズは、にっと笑った……はずだが、それが笑顔に見えない。そりゃそうさ。顔にごく薄いマスケラを装着していて、表情がひどく分かりにくい。
背丈は俺より高いが、病的に細い。肌に密着する特殊なスーツで全身を覆っていて、髪と肌の露出がほとんどない。生身の部分で露出しているのは口もとと目だけだ。見えている口は、唇が極端に薄い。目はまん丸で大きいんだが、全く瞬きしない。
握手のために差し出されたリズの手を握り返して、俺は確信を抱いた。そうか。そういうことか……。
「バイパー博士。そのウエアは護身用ですか?」
不躾かとは思ったが、一応聞いてみる。俺の質問を黙殺する風だったリズは、しばらくして渋々答えた。
「ええ。それもあります」
やっぱりな。
「それなら、ここで隠す必要はないですよ。誰もが似たり寄ったりですから」
「そうなの?」
「古参のメンバーは、もうご覧になったでしょう?」
「……ええ」
「大なり小なりそんなもんです」
「あなたも?」
「もちろんです。くそったれなことではあるんですが」
◇ ◇ ◇
なぜ本部が専任講師を出すと言ったのか、理由が分かった。リズが俺らと同類だからだ。それなら短期派遣ではなく、彼女も俺たちと同じで入植地への永住……片道切符になるんだろう。
ただ。彼女のようなインテリが、言っちゃ悪いがアホばかりの俺らの中で本当にやっていけるんだろうか。他人事ながら心配になる。
訓練が終わって部屋に戻った俺は、キャップから呼び出された。
「ああ、ブラム。ガイドの引き継ぎのことがあるんで所長室に来てくれ」
「フリーゼは?」
「彼女は、今訓練中でな」
「ああ、そうか」
新人ガイド役から外された時点でペアが解除になった。俺の今のペアは、同性のデーモンになっている。訓練のタイムシフトが変わったから、同席は無理か。
「分かりました。すぐ行きます」
所長室に駆け込むと、ファーストコンタクトの時には特殊スーツ姿だったリズが軽装になっていた。もちろんその姿は予想してたよ。でも、いざ実物を目の前にすると、やっぱり絶句してしまう。急に口が重くなった俺を横目で見た所長が、着席を促した。
「座ってくれ」
「はい」
「訓練のシステムについては、もうすでに伝達済みだ。さすが秀才だね。飲み込みが早い」
まあ……阿呆の俺でもできるからな。博士さまなら楽勝だろう。
「じゃあ、私から何を教えればいいんですか?」
「ここの特殊性だよ。訓練生の中では君の適応性が一番優れてるからね」
ううう、キャップ。俺は何でも屋じゃないんだよ。勘弁してくれ。
「いいですけど、リズはそれで大丈夫ですか?」
「どういう意味ですか?」
セリフはまともだが、それがまともでない外見の女性から出て来ると裏を勘ぐりたくなくなってしまう。
「いや、ここは決して知的レベルの高いところじゃないので……」
「ああ、ご心配なく」
リズは、手にしていた小さな布切れで目をぬぐった。涙を拭いたわけではなく、埃を落としたんだろう。
「わたしがこれまで学際的なことに携わっていたのは、生存戦略なんです。この外見のわたしが迫害を避けるには、病気や障害というハンデを学問で打ち破るというポーズを取る必要があったから。学問は、わたしにとってのシェルターに過ぎません」
「はあ。シェルターですか」
「そうです。そこに閉じこもらないで済むなら、学問にこだわる必要はなくなります」
少しだけ口角を上げたリズは、開いた口の隙間から舌を何度か出し入れした。先が二叉している舌をぺろぺろと。
「ここはいいですね。わたしは体温調整能力が極端に低いので、母星では常にサーモスーツを着ている必要があったんです。でも、ここは温湿度がほぼ一定。すごく快適です。それに訓練でも、補助器具を使わず自前のヤコブソン器官で対応できる。わたしに向いてますね」
「あの……」
「はい?」
「本部で私に対する注意喚起があったと思うんですが、大丈夫ですか?」
「あはは」
リズが小声で笑った。
「大丈夫です。わたしはあなたの誘引対象には入りませんよ。わたしの特性は、ほぼ
◇ ◇ ◇
リズが退出したあと、キャップと二人ででかい溜息を代わりばんこにぶっ放していた。
「キャップ。彼女、魚鱗症でごまかせるレベルじゃなかったんですね」
「そう。ゴズもそうだったが、遅老症と見てくれのハンデがダブルになるのは本当にきついよ。特に女性だとね。だから一般訓練生ではなく、一段上の講師に据えたんだろう。どこかにアドバンスがないと、ここでも耐え切れんからな」
「ダブルハンデは、キャップもじゃないですか」
「いや。俺は対処法があったからまだマシさ」
「えー?」
「母星にいる時は、ずっとエステで脱毛してたんだ。稼ぎがそれで全部消えたけどな」
「
キャップが、ぎしりと椅子を鳴らして俺に向き直った。
「俺たちは、なんでまたこんな血を引き継いじまったんだろうな」
もちろん、その問いに俺が答えられるはずもない。苦笑を返すしかない。
ああ、そうだ。ウォルフのしょうもない発想。キャップならどう答えるだろう。答えは最初から分かってるよ。でも、一応聞いてみよう。
「ねえ、キャップ」
「うん?」
物憂げに伏せられていたキャップの視線が、ゆっくりと上がった。
「もし個体発生の起点まで遡れるならば」
「……」
「タイムマシンがあればいいのにと思うことは?」
「ない。何度戻っても結果は同じだよ」
【第八話 了】
お題:タイムマシン、シェルター、博士(チャレンジ縛り:最初と最後が同じ文)
BGMはThe ChurchのReptileでお楽しみください。
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