第九話 ライト!

 本部の非情なアナウンスですっかり干されてしまった俺とウォルフだが、あいつの方が立ち直りはずっと早いんだよ。最低最悪の評価をされた俺よりまだマシだと思ったのか、懲りもせずに女性訓練生にちょっかいを出しては玉砕している。まあ今時、かーのじょー俺とお茶しないかーねえねえー……じゃなあ。それじゃ、茶こしでクロコダイル捕ろうってのと同じだ。ご苦労さん。


 ウォルフ以上に精神出血のでかかった俺だが、新任のリズから耳寄りなアイデアをもらって実行中。それから事態が好転していて、気分がすっかり持ち直した。


「どう? ブラム」


 訓練上がりに食堂で飯を食っていたら、リズに声をかけられた。頭でっかちのインテリは苦手なんだが、リズには才能を鼻にかけた押し付けがましいところがなく、とても気さくで話しやすい。見かけの冷酷そうなイメージとは大違いだ。


「ばっちり効いてる。こういうのは俺には到底思いつかないよ。さすがだね。ありがとう」

「あはは。デオドラントの応用よ。難しくないわ」


 リズの提案はシンプルだった。俺の出してる女性誘引物質が揮発性なら、それを吸着する素材のインナーを常時着用すればいい。顔や指先などの覆えない部分は残るが、誘引物質の揮散量は大幅に減らせるはず。

 リズが着任時に装着していたサーモスーツのメーカーは多機能ウエアのオーダーメイドも請けていて、俺のオーダー通りのものを作ってくれた。そいつを着用するようにしてから、やっと俺の周囲からガスマスク姿の女性がいなくなった。やれやれだ。


 リズと訓練についていろいろ意見交換していたら、ウォルフとキャップが連れ立って近づいてきた。二人に目をやったリズが、さっと離席する。


「じゃあね、ブラム」

「ありがとな」

「いえいえー」


 そそくさ。


 避けられているとすれば、そりゃあウォルフの方だろう。俺の女性誘引力は、俺自身の意思とは全く関係がない。だが、ウォルフのアクションはあいつの意図に基づくものだ。そのアクションが正でも負でも、女性にとってはちっとも嬉しくない。

 凶暴なフリーゼや容貌が特異なリズは、ウォルフの恋愛対象には最初から入らない。それはいいさ。でもあいつはそういうのを態度に出してしまう。性格がガキだからしょうがないで済むならいいが、キャップは苦渋の表情だ。きっと、厄介なことになっているんだろう。


「よう、ブラム。調子はどうだ?」

「悪くないですね。リズがとても有用な助言をくれたんで、一気に難問解決です」

「はっはっは! やっぱり博士さまは違うだろ?」

「というより、彼女のキャラのなせるわざでしょう」

「ああ、そういう風に考えてくれるのはうれしいな」


 俺の隣の椅子にどすんと腰を下ろしたキャップは、向かいに着席したウォルフにいきなり説教を始めた。


「なあ、ウォルフ。おまえさんも、少しばかり考えてくれ」

「何をすか?」


 ああ、そういうことか。危険度マックスの俺からその危険がなくなれば、たとえ危険度一でもウォルフは目立つ。悪い意味でな。たぶん、女性訓練生の誰かがキャップに苦情をねじ込んだと見た。あいつを……ウォルフをなんとかしてくれってね。


 うーん。でも、訓練所内の男女交際には特に制限がない。自由恋愛おっけーで、その先も当事者間の合意がある限りゴーだ。避妊だけは義務付けられているけどね。当然、男女間にいろいろなアクションが生じることは本部でも想定しているはず。だがウォルフは、その想定を踏み越えてしまっているんだろう。

 やつのアプローチは女性訓練生からひどく嫌がられているが、本人には迷惑行為をしているという自覚が全くない。これだけ女の子がいっぱい来たんだから、がんばらなくちゃ。それだけだ。やつと女性たちとの意識格差がでかすぎるんだよ。


 俺は、頭ごなしに命令しないキャップがウォルフをどう制御するのか、興味津津だった。


「おまえさん、母星でもこっちでもガールハントに成功したことがないだろ?」


 うわあ! キャップってばちょくに突っ込んだよ!

 えげつない指摘は、ウォルフのハートにぐっさりずっぷり突き刺さったんだろう。真っ青になったウォルフは、そのあと怒りで真っ赤になって……すぐに獣化が始まった。


「ぐ……うおおおっ」


 いつもは落ち着けとなだめるキャップが、なぜかその変化を冷ややかに見つめている。


「ウォルフ。俺の指摘は、おまえさんをバカにするのが目的じゃない。今からそんなことじゃ、入植後に困るからだよ」

「う……」


 ほとんどウエアウルフ人狼と化していたウォルフは、その一言で急激に縮んで。元の人型に戻った。


「いいか? おまえさんのアプローチは直截的過ぎるんだ。男の理屈は女には通用しない」

「どういうことすか?」

「女性の言葉や態度にはいろんなフィルターがかかってる。その奥の中身を読み取ろうとしない限り、永遠に口説き落とせんぞ」


 キャップが、クラシックな鰐革わにがわのウォレットを俺らの前に掲げた。


「キャッシュなんざ使わない今でも、こういうのはまだ嗜好品として需要がある。衣服やバッグ、アクセサリー、コスメ。そういうものにこだわる女性は多いし、俺らはそれを無視できん」

「それくらい、俺にも分かりますよ!」


 ウォルフがむきになって吠える。


「じゃあ、もしおまえさんが女だったら、こいつを彼氏にどうねだる?」

「え?」


 くっくっくっ。さすが、キャップ。そういうことか。だが、ウォルフの回答は結局自分が出所でどころだった。


「そりゃあ、このウォレットが欲しいって言うだけっすけど」


 がっくり。だーめだこりゃ。頭を抱えた俺がテーブルに突っ伏したのを見て、ウォルフがきょとんとしてる。


「違うん?」

「そらあ論外もいいとこだぜ」


 むきになって俺に噛みつこうとしたウォルフを制して、キャップが説明を加えた。


「ウォルフ。それは男のアプローチだ。多くの女性は、自分の欲求を直に表現するのを浅ましいと感じるんだよ」

「え? え?」


 目を白黒させているウォルフを尻目に、キャップが同じネタを俺に振った。


「ブラムなら、どうねだる?」

「そうですね。ねえねえ、このウォレットって、あなたには負けるけどすごくチャーミングなのよね」

「はっはっは! やっぱりうまいなあ」


 左手で顔の毛をもさっとしごいたキャップが、目を細めた。


「こんな言い方もできるぞ。わたし、このワニになりたいわ。中身は全部あなたにあげるから、残った革をわたしにくれない?」


 うわ……なんかエロいぞ。本当にこの人は底が見えん。

 まだきょとんとしているウォルフに向かって、キャップが苦言を足す。


「まず俺が、じゃなく。女性が言葉や態度の後ろに何を匂わせているか、何を隠しているか、何を訴えているか。それを読まないとだめさ。視点を女性心理に置かない限り、どんなアプローチもうまく行かんよ」

「あの! キャップ!」

「なんだ?」


 なぜ突っ込まれているのか理解できていないウォルフは、ひどく不愉快だったんだろう。キャップに詰め寄った。


「なんで、いきなり俺にそんな話を?」

「今のうちに話しておかないとならないからだよ。カップリングは入植の成否を決める重大要素なんだ。もししくじったら、おまえさんの居場所は母星だけでなく入植地にもなくなるぞ?」

「うっ」


 キャップの容赦ない警告を浴びたウォルフが、かちんこちんに固まる。


「入植は、カップリングされたペア数組での小さなコロニーが基本単位だ。訓練でペアにしているのは、単なる安全確保のためだけじゃない。入植後の行動がペア単位になるからさ。全ての訓練は、先を見越したシミュレーションなんだよ」


 うーむ、そういうことだったのか……。


 ずっとかざしていた革のウォレットをウエストポーチにしまったキャップが、食堂内をぐるりと見回した。


「訓練所の環境は、砂漠みたいなものさ。どこも暗黒という名の砂ばかりで味気ない。未来のビジョンは砂丘のようにすぐに崩れ、何もかもが蜃気楼のように揺らめいて定かにならない。開拓者としての使命感なんざ、ここでは暑苦しいだけの無駄な熱に過ぎない。だがな」


 最後のセリフは、どうしようもなく重かった。


「後のない俺たちは、入植地まで砂漠にするわけには行かないんだよ」


◇ ◇ ◇


 キャップは、何かをことりとテーブルの上に置いて一度席を立った。


「ウォルフ。女性ってのはそいつみたいなもんだ。俺が示唆していることを、よく考えてくれ」


 ふうん、チェスの駒……ナイトか。

 がっくりと肩を落としてしょげていたウォルフが、駒を手にしてじっと見つめる。


「わけがわからん」


 ウォルフが、忌々しげにそう吐き捨てた。あーあ。キャップのアドバイスは、まるっきり無駄になっちまうかもな。


 俺はがっかりする。ウォルフは裏表がなくて、タフで陽気。切り替えが早いから、こけてもすぐに再始動する。本当にいいやつなんだよ。でも『いいやつ』だけで何もかもやり過ごすのは、もう限界なんだ。それを、こいつにどう分からせたもんか。うーん……。


 少しして戻ってきたキャップが、ウォルフに確かめる。


「わかったか?」

「ちっとも」


 予想はしていたが、やっぱり予想通りにしかならない返答だ。俺もキャップも苦笑するしかない。


「チェスの駒の動きは、縦横斜めの直線移動が基本さ。イレギュラーな動きをするのはナイトだけなんだよ」

「あっ!」

「そういうのをちゃんと考えろってことさ」


 キャップの説明が全部終わらないうちに、ウォルフがどこかにすっ飛んで行った。


「早速変化球の実践ですかね」

「さあな。これも訓練だ。いろいろな経験が要るだろ」


 駒を手にしたキャップが、しみじみと述懐する。


「ナイト……騎士ってのは、馬の上に人が乗ってる。だが見ての通りで、駒には騎士の姿がない」


 お、確かにライト


「どうしてでしょう」

「ナイトとポーン歩兵。人としての能力にそんなに差はない。馬が使えるかどうかの違いだけさ」

「へえー」

「馬は、自由気ままにほっつき歩こうとする騎士にスピードと俊敏さを提供しているが、それは騎士の能力ではなく馬の能力なんだよ。だから駒が馬だけなのさ。だが騎士は、しばしばそれを自分自身の能力だと錯覚する」


 キャップが、小さくうおおと唸った。


「ウォルフみたいにな」

「ああ、それでですか」

「そう。自己顕示はいいよ。自発意思は全ての基本だからね。でもカップリングを目指すなら、それだけでは全然足らない」

「馬をこき使おうとする騎士は、感付かれた馬に逃げられるってことですね」

その通りライト!」


 うーん、それにしても。


「ねえ、キャップ。入植後、俺らは母星から放置されますよね?」

「おそらくな」

「それなら、母星の基本である一夫一婦制を適用しなくてもいいと思うんですが」

その通りライト。だが、俺たちが人間である以上、どうしても逃れられん業がある。それによる自滅を回避するには、最低でも夫婦の概念は維持しないとならない」


 カルマ……か。考え込んだ俺に、キャップが言い足した。


「ヒトってのは、群れを作ることで生き残ってきたのさ。国家、社会、コミュニティ、血族……どんなにこぎれいな言葉で言い換えたところで、それは群れだ」

「ええ」

「倫理や愛情といった七面倒臭いものを全部差し引いても、結局群れは残る。そして、群れには必ず主流派マジョリティ少数派マイノリティが生じる」


 あっ!


「だろ?」

そうですねライト

「すでにどうしようもなく少数派である俺らが、さらにヘビーな階層構造を作ってしまうなんざ愚の骨頂だ。二者が対等な夫婦制度を維持することで階層化の弊害を軽減できるが、今ウォルフが探しているのはパートナーじゃなくて召使いさ。そんなんじゃ、かえって弊害をひどくしてしまう」

「あいつが、女性を一方的に評価してるって……ことですね」

「ああ。拒まれるのなんか当たり前だよ」


 リズがウォルフをひどく忌避しているのは、そのためか。


「まあ、個々人に嗜好があるから、一切差別するなとは言えない。ただ、態度には露骨に出してほしくないんだ」

「あいつにそれが分かりますかね」


 キャップは、もうお手上げという表情だ。


「俺のした喩え話の一部でいいから、理解してくれればな」

「直接言わないんですか?」

「それじゃ命令になっちまう。俺にそんな権限はないよ。さっきの警告がぎりぎりさ」


 大きな溜息を一つ残してのっそりと立ち上がったキャップが、無人の空間をウォルフに見立てて指弾した。


「なあ、ウォルフ。馬込みの騎士になれる前に、本部にチェックメイト退場と言われんようにしてくれよ」



【第九話 了】



 お題:鰐、砂漠、騎士(チャレンジ縛り:比喩三種盛り)


 BGMはSimply Red の The Right Thingでお楽しみください。

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