恨みに報ゆるに徳を以てす(二)
ジェレミーに後ろから抱きしめられているアナは夫を
「旦那さま、お願いします。私恥ずかしいです……」
が、まるで逆効果のようである。
「そんなアナ=ニコルさんに俺、余計
「そ、それって私のせいなのですか? あ、そこ、イヤ、だめぇ……」
「鍵はちゃんと掛けたしさ、でも声は出すなよ。流石に夫婦二人っきりで何やってんだって疑われるからな……」
「だ、旦那さまのイジワルッ! あ、うぅ、あふっ……」
************
その後やたらスッキリした顔で執務室を後にするジェレミーと、恥ずかしくて顔も上げられないアナが居た。二人に騎士の青年が声を掛ける。
「ルクレール大佐、奥様、御帰宅ですか? お疲れ様でしたっ!」
「ああ、ほどほどに疲れたなぁー! じゃあな」
(つ、疲れた!? もう恥ずかしい……)
アナは益々顔が赤くなった。そしてその帰りの馬車の中でアナはむくれてジェレミーを睨みつけている。
「アナ=ニコルさんよぉ、いい加減に機嫌直せよな。何だかんだ言ってお前だって燃えて感じまくってたろーが!」
「わわわ、私は……」
「なんかさ、普段と違うシチュでヤるのもたまにはいいよな。これって『職場プレイ』って言うんだぜ。今度はお前の職場の魔術塔や学院の講師控室でもヤッてみようぜ」
「イ、イヤです! 旦那さまのイジワルッ!」
ジェレミー浮気疑惑はただの誤解だったということで丸く収まったある日、アントワーヌの執務室にまた来客があった。
「ソンルグレ補佐官にお客様です、あの、奥様がお見えです」
「え? フロレンスが?」
アントワーヌは彼女を迎え入れるために立ち上がり扉の所まで向かう。執務室の外を覗くと彼女は他の部下と立ち話をしていた。
「フロレンス、珍しいですね。どうなさいましたか? まあお入りください」
「アントワーヌ、お仕事もそろそろ終わると思ったから……でも急に押し掛けて来てごめんなさいね」
そうはにかんで言ったフロレンスはアントワーヌの執務室に入り、彼は扉を閉めた。
「いえ、貴女が来て下さるなんて嬉しいですよ。僕の仕事も直ぐにきりの良いところですから」
そしてアントワーヌは扉の前に立つ妻の唇に軽くキスをした。と同時に、彼の耳にカチャリという音が入ってくる。
(え? フロレンスもしかして今、後ろ手で扉に鍵かけた?)
アントワーヌは自分の机の向かいの椅子を彼女に勧め、自分は机に戻ってそこに山のように積まれている書類にさっと目を通した。
「こちらの書類に署名をして、そうしたら今日はもう終わりですから」
アントワーヌは筆を手に取り、さらさらと書き始める。
「あのね、私がずっと取り組んでいた『フロレンスの家』の増築の件がひと段落ついたのです。だから貴方に真っ先に報告したかったのよ。それに……貴方の顔が見たくなって」
それは良かった僕も嬉しいです、もうこれで終わりましたから、と言おうとして顔を上げた彼だった。フロレンスは机の向こう側から回って来ており、彼の肩の上に手を置いて悪戯っぽく微笑みながら耳に囁く。
「……ねえ、アントワーヌ、窓の外にドウジュは居ないわよね?」
その言葉に思わず筆を手から取り落してしまったアントワーヌだった。
「フ、フロレンス?」
彼はゴクリと唾を飲み込むとニッコリと妻に笑い返した。そして立ち上がって右腕で彼女を抱きしめ左手でカーテンを閉める。
「ええ、もう居ませんよ」
その頃執務室の外ではまたまたアントワーヌの部下たちが大真面目な顔で話していた。
「今度は補佐官の奥様で王妃様の妹君ですよ!」
「ますます王家絡みの件に違いないな、これは」
「次回の王族のパレードの件か、来年の両陛下御成婚祝いについてだろう」
「いや、年末の舞踏会の招待客や晩餐会の席順かもしれないぞ」
扉一枚挟んだ向こうで実際何が行われているか露とも知らない彼らだった。
************
アントワーヌの椅子でフロレンスは彼の膝の上に座り、アントワーヌの髪の毛を優しく撫でている。
「あの、アントワーヌ、私……はしたなくてごめんなさい……やだ、今になって恥ずかしくなってきたわ」
「いいえ、僕の愛しいフロレンス。嬉しい驚きでしたよ」
彼は妻の首筋にキスをした。
「これって『職場プレイ』って巷で言われているのですって。貴方は『着衣プレイ』がお好きだって分かったから、その、こんなのもきっと燃えると思ったし……私も一度試してみたかったのです……」
「いえ、ただの着衣じゃなくて思い出のドレスなのですけれど……でもこれはこれでその、悪くなかったと言うか……ねぇフロレンス、今度は僕が貴女の執務室に行ってもいいですか?」
そう彼女を見上げて言うアントワーヌにフロレンスはクスっと笑った。
「そうね、今度アメリさんが手伝いに入っていない日をお教えするわね」
「貴女のそういうところが好きですよ」
「うふふ」
アントワーヌの執務室の窓のカーテンが閉められるのを見たドウジュは家路についていた。
「お邪魔虫は退散しますよ。これで大団円だぜ……全くお騒がせだったな今回は」
それからしばらくしたある朝のこと、いつものように出勤し自分の執務室に入ったジェレミーは何かが違うのに気付いた。そして扉の方を振り向く。
「ギャッ!」
そこにジェレミーが見たものは、例のニッキーの絵の隣に掛けられている一枚の絵だった。ニッキーのそれよりも一回り大きい額縁の中には碧い目の黒猫を膝に乗せたアナの姿があった。
「アナのヤツ、やりやがったな!」
ジェレミーに内緒で同じ絵師にその絵を描かせたアナが、彼の居ない間に瞬間移動でこっそりと運び込んでいたのである。
「まあ、それでも二人と一匹に見られながらってのもイイかもな……」
全く懲りていないジェレミーであった。
「あ、今度はアナ自身の絵まで」
「アイツが勝手にここに掛けていったんだよ」
その絵を見たアナの従兄フランシスに照れくさそうにジェレミーは言い、思わず噴き出したフランシスだった。それを聞いた他の同僚達はいつも威張散らしているジェレミーも、やっぱり恐妻家なのだとしきりに噂したのだった。
― 恨みに報ゆるに徳を以てす 完 ―
***ひとこと***
ドウジュの言う通りやっと一連の騒動が落ち着きました。全くもう人騒がせな……
どうしてアナの絵には黒猫まで描かれているのか、は第三作「奥様は変幻自在」をお読みになれば分かります。まだの方はそちらもよろしかったらどうぞ。
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