恨みに報ゆるに徳を以てす(一)

― 王国歴1042年 秋


― サンレオナール王宮




 国王夫妻との昼食後、ジェレミーは急遽魔術塔を訪れ、アナに土下座して謝っていた。


「アナ=ニコル様、ルクレール侯爵夫人様様、大変申し訳ございません! 許してくれ! 俺が軽率だったがあの黒パンには深ぁーい訳が……」


「まあ、旦那さまったら、どうぞお立ち下さい。もういいのですよ。私もうじうじ一人で悩まずに旦那さまにきちんとお尋ねしていれば良かったのです」


 アナは自分の前で平身低頭している夫に手を差し伸べて立たせる。魔術塔の研究室だからいつ誰が入ってくるやもしれない。


「実はさ、策謀家の義弟に昔お前を守ってくれた報酬としてフローのドレスと下着をやろうとして、それで洋服箪笥を漁っていたんだ」


「報酬でございますか?」


「ドレスはすぐに分かって見つかったんだよ。下着は姉上にフローにお前のにしかも母上のまで混ざっていたかもしれなくてさ、色々持って行ってヤツに選ばせようと思ってな。そしたら全部突き返されて一枚落ちたのをポケットに突っ込んだってわけだ」


「まあ、そんなことだろうと思っておりましたわ。旦那さまのことですから。王妃さまのお部屋には良くいらっしゃっていますものね」


「それにしてもよ、今度からは俺のことを疑う前にすぐ聞けよな!」


「アナに隠し事していませんかとお聞きしましたよね。そうしたら旦那さまは慌てて不自然に『そ、そんなわけねぇ!』と否定されました。目が泳いでいました。ですから私の悪い予想が当たってしまったのかと……」


「そ、そう言えば……」


「旦那さま、何をまだ隠しておいでなのですか?」


「い、いや、それは……その……」


「アナにはおっしゃれない事なのですか?」


「そんなわけねぇだろ! 見せてやるよ、俺の執務室にあるから帰りに寄れ!」


「職場に隠しておかないといけないようなものなのですか……」


「だからもう隠してねぇだろが!」




 そしてアナはその日仕事の後に王宮東宮の騎士団を訪ねた。ほぼ男ばかりの職場なのであまり来ることはなかったアナは騎士の一人にジェレミーの執務室まで案内してもらう。


 扉を叩いたところすぐにジェレミーの返事が返ってきて彼本人が迎え入れてくれた。アナが部屋に入り、ジェレミーは扉を閉める。


「旦那さま、お仕事お疲れさまです」


「あ、ああ」


「えっと、それで旦那さまの秘密とはなんですか?」


「後ろの壁、振り返って見てみろ……」


 扉のある壁を背にしているアナにジェレミーはなんとなく気まずそうに答えた。


「後ろですか? まあこれは……」


 振り返ったアナの目はその問題の物品をすぐにとらえる。それはピアノの前に座っているニッキー少年がこちらを向いて微笑んでいる一枚の絵だった。言い訳がましくジェレミーは話し出す。


「俺達家族全員と夫婦二人の肖像画を以前描かせたろ。あの絵師にさ、ついでにこのニッキーの絵も描くように頼んだんだよ」


「まあ、そう言えば画風があの絵師のものですわね。でも彼はニッキーに会ったことはありませんけれど」


「だからお前と同じ顔で、目の色や髪型とか供述してやって今のお前より少し若返らせるようにと命じた」


「絵師は旦那さまのご注文をさぞかし変に思ったことでしょうね!」


「いや、お前には長いこと外国暮らしの弟が居るって言った」


「嘘も方便ですわね、旦那さま! でもどうして私に隠れてこんな絵を描かせたのですか?」


「いや、だってお前また嫉妬するだろーが! 俺がこの絵を職場に飾って、ただの絵とは言えニッキーに毎日会っていやされたりしていたらさ!」


「嫉妬なんて致しません!」


「いや、絶対する!」


「部下や同僚の方々はどう思われるでしょうね、旦那さまが絵の中の少年にニタニタデレデレ話しかけていたら!」


「そ、そんな不審なこと人がいる時にするわけねぇだろ!」


「お一人の時はニマニマしながら話しかけているのですね?」


「時々しかしてないし! それにオカズになんて……」


「していないのですよね?」


「……してないこともない!」


「な、何そんな胸張っておっしゃっているのですか! もう、ヤダぁ……」


「とにかく、ここは俺の執務室だ、俺一人の時に何をしようが俺の勝手だ!」


 お前仮にも大佐だろ、真面目に仕事しろよ、と誰かにツッコんで欲しいところであるが、アナの気も高ぶっておりそこまで気が回らない。




 実は当時ピアノ弾きニッキーを知る騎士の同僚は数多くいた。ジェレミーがやたらニッキーに執心だったのを覚えている人間もちらほらおり、その絵を見て何かに気付いた人間も居ただろう。しかし誰一人ジェレミーの前で話題にすることはなかったのだった。ジェレミーに恐れをなしているのだかどうなのか、禁句を口にする者は皆無だった。


 ただ、アナの従兄で騎士のフランシスだけはニッキーの正体を知っているので、先日この執務室でこの絵を目にして少々驚いていたのである。


「大佐、これはもしかしてあのピアノ弾きのニッキーですよね?」


「ああ、お前良く覚えているな」


「私の従妹ですし」


(この人ずっと何故かニッキーに執着していたんだよね……まあアナと同一人物だからいいか……)


 フランシスはそう一人心の中でつぶやいたのだった。




 ジェレミーには何を言っても無駄だと思ったのか、アナは大きくため息をついた。そしてその絵に近付いて改めてまじまじと見つめる。


「それにしてもあの絵師は旦那さまのお言葉だけからここまでニッキーを再現したのですか……素晴らしいですね」


 そして今はもうニコニコしながら絵を愛でていた。


「いつかナタンにもこの絵を見せたいですね」


「ああ、そうだな」


 そこでジェレミーは後ろから優しくアナを抱きしめて、彼女の髪の毛や首筋にキスを落とし始めたのだった。


「あの旦那さま、執務室ですし……」


 そして彼の腕から逃れようとしたが、まず無駄な抵抗だった。


「いやなんかさ、こうして絵とはいえニッキーに見られながらアナとイチャイチャするのもなんかこう、背徳的で興奮するっていうか」


「はい? ええっ?」


 アナのお尻の辺りに既に固い何かが当たっている。


「絵のニッキーに見られるよりも、どなたか来られたらどうなさるのですか!」


 アナは再びジェレミーの腕から脱出しようと試みたが無理だった。


「いや、俺もう勤務も終わったし、何しようが勝手だ」


「そういう問題では……あっ、ああん……」




(二)に続く




***ひとこと***

ジェレミーが土下座なんてしましたよ!? さて、彼のことですから隠し事の真相はやっぱりニッキー絡みでした。


再びアントワーヌ君のあだ名が増えました。

策謀家の義弟

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