火のない所に煙は立たぬ(三)

 問題の下着の持ち主が王妃だと分かったアナの顔には笑顔が戻ってきている。


「とりあえずジェレミーの浮気疑惑は晴れたわけね!」


(新たな疑惑は、疑問は湧かないのですか、そこ!)


「はい。私ジェレミーさまに尋ねることもできず、一人で悶々として無駄な時間を過ごしてしまいました。やっと枕を高くして眠れますわ!」


「まあね、私のパンツが何でポケットに入っていたのか、という謎は残るけれどもね。どうせあの子のことですもの、浮気なんてそんな甲斐性ないなーい!」


「そうですね、私一瞬でもジェレミーさまの愛を疑ってしまいました」


 アナはすっかり晴れ晴れとした顔になっている。


「あんなのを夫に持つ貴方も大変ねぇ」


「あっ、どうしましょう! 私そう言えば……」


「なあに?」


「私、この下着を発見して頭に血が上ってしまって……思わずジェレミーさまの服のポケットというポケットに、代わりに自分の下着を入れてそのままですわ!」


「ぶはっ! いいのじゃない、そのままで」


(良くないわい!)


「そうですね、ああ、思いきって王妃さまにお話して良かったです!」


 アナは来た時とは打って変わって軽い足取りで去って行ったのだった。




 残された王妃は扉の閉まる音がするや否や大爆笑を始める。


「ちょっと何なのあの夫婦! いくつになっても周りを楽しませてくれるわね! ははは、ちょっともう笑いが……」


「とりあえずアナさまの前で大笑いしなかっただけご立派です、王妃さま」


「レベッカも思わない? 変態でも浮気に走る夫よりはよっぽどましよね」


「……発言控えます」


「さて、今度はジェレミーを呼びつけるわよ!」


「はい、紙と筆でございます」


「さすがレベッカ、私の行動読んでいるわね」




 そうして何の事情も知らないジェレミーは次の日昼食に呼ばれた。今度は王妃の居室ではなく王宮本宮で国王夫妻との食事だった。


「姉上、昨日はアナ、今日は俺を食事に呼ぶなんて何かまた企んでいるのではないでしょうね?」


「いえ、全然。ただね、ちょっとアンタに確認することがあるのよ」


「はあ……」


「アンタね、ルクレールの屋敷で昔の私の部屋に入り込んで本やら何やらを出してくるのは構わないのだけど、洋服箪笥まで漁ることないじゃないのよ」


「俺そんなことしていませんよ。確かに書物は良く引っ張り出していますが」


「本当に心当たりないの?」


「ないです……あ、いや……その……」


「あるんじゃないのよ!」


 国王は既に笑いを噛み殺している。


「あのねえ、アナがアンタのズボンのポケットから私のパンティーを発見したのよ。アンタが何の目的でそんなものを持っていたのか知らないけれど、アナは夫の不貞を疑ってしばらく夜もろくに眠れなかったのだからね!」


「え? どうして俺のポケットに?」


「理由を聞きたいのはこっちよ!」


 少し前に下着を山ほどアントワーヌのところに持って行ったが、なぜその一枚がポケットから出てきたのかジェレミーは解せなかった。数日前の記憶を頭の中で再生してみる。そう言えば……




『一枚残っていますよ、わざとですか? 義兄上』


『おっ、すまねぇな。これなんかさ、どう見ても姉上の好みだよなぁ……』


『広げてまじまじ見ないで下さいよ!』


 ジェレミーはアントワーヌから突き返されたその黒レースの下着を袋に戻さず、確かズボンのポケットにねじ込んでそのまますっかり忘れてしまっていたのだった。




「ヤ、ヤベェ!」


 ジェレミーは背中を冷や汗がタラーリと垂れるのを感じた。額にも汗が噴き出してきた。思わずポケットを探りハンカチを取り出してその汗を拭う。


「へ、陛下、姉上……私今すぐにでも失礼して妻に弁明しに行かないと……」


 国王は下を向いて爆笑したいのをこらえている。肩がフルフルと震えていた。


「アナならあの黒いパンティーが私のものだって昨日知って安心していたわよ。ちょっと落ち着きなさいな。ところでアンタ、その汗を拭いている布ってハンカチにしては……」


「はぁ……ゲッ! これ……」


 それはアナがそっと忍び込ませていた彼女自身の淡いピンクの下着だったのである。


「ハーハッハハ! ルクレール、アナさんにしてやられたな!」


 妻のパンツで額の汗を拭いている近衛大佐の姿に、国王は遂に我慢できず笑い出してしまった。


「アンタねぇ……アナにしっかり謝りなさいよ。彼女が出て行かなくて良かったわよね。全く我が弟ながら情けないったらありゃしない……」


 ミラはジェレミーをさとし始めた。


「……いや、それはその、姉上……」


「アナの様子がここ数日おかしかったのに気付いていなかったの?」


「いや、何か元気ないなくらいには……」


 そう言えばこのところ、アナは頭痛や体調不良を理由に彼女の寝室で一人寝ていたのである。


「はぁー、全く情けないったら」


「あのさあ、ルクレール、俺は何故お前がミラの下着を漁っていたのか知る権利があるよねぇ?」


「陛下……いや実は……フ、フローに頼まれて昔の衣服を仕分けしていたので……」


「それで下着が一枚ポケットに入り込んだ、と?」


「はい、大変お騒がせして申し訳ありませんでした」


「ジェレミー、言い訳がすっごく苦しいわよ、誰がそんなの信じるっていうの! どうして侯爵殿が自ら衣服の仕分けをしているのかしら? 侍女に言いつければ済むことじゃないの。何をまだ隠しているのよ」


「そ、それは……実は俺あの極悪補佐官にある弱みを握られていてですね、奴にフローの昔のドレスや下着を贈賄しようと思い立ったので……」


「ブハッ! その方が余程説得力あるねぇ」


「あの純粋で素直なアントワーヌのどこが極悪なのよ、アンタの方がよっぽどダーティーよ!」




 そしてジェレミーが退席した途端に国王は再び笑い出す。


「ハハハハ……お、お腹痛い……」


「あの子しばらくアナに頭が上がらないわね」


「あ、あのさ、ミラこんな感じかな?

『ジェレたん! 何ですか、このぱんてぃーは?』

『ア、アナたん!? それは誤解で……』

『もーヤダ、不潔っ! 実家に帰らせていただきます! 子供たち、お母さまと一緒にいらっしゃい!』

『アナたぁーん、待ってぇ、行かないで! それは姉上のパンツで!』

『父上、最低です!』

『カッコわりぃぞ父上!』

『お父さま、ウザッ!』

『お、奥様、お待ちください! このセバスチャンに免じて、情けない甲斐性なしの旦那様をどうか見捨てないで下さいませ!』」


「もう、ゲイブったらまたまたー! でも今回のこの騒動ってホント、一歩間違えばシャレにならなかったかもね」




― 火のない所に煙は立たぬ 完 ―




***ひとこと***

第三作「奥様」の番外編では時々演じられていた『アナたんジェレたん劇場』、この第四作では初上演でした! 登場人物が増えていますねぇ。


そして、アントワーヌ君のあだ名がまたまた増えました。

極悪補佐官

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る