犬は三日の恩を三年忘れず(二)
アントワーヌは結構な数の下着の山を目にし、焦った。
「ちょ、ちょっと義兄上!」
誰かが今入ってきたら、と彼は気が気でない。
「時間もあまりなかったからな、適当にそれらしきものをゴッソリ持ってきた。好きなのどれでも選べ。全部でもいいぞ」
「あの、お言葉ですが、ルクレール大佐……これらが本当にフロレンスのものであって、王妃様のでもアナさんのでもないという証拠は?」
「うっ、鋭いとこつくな、鬼の次期副宰相。証拠なんてねぇよ。おい、これなんかフローのシュミじゃないのか?」
「そんな持ち主不明のものなど要りませんし!」
「ちょっと待て、匂いを嗅げばアナのものかどうかくらいは分かるから……」
そしてジェレミーは下着の一枚を鼻の前に持って行こうとする。
「や、やめて下さいよっ!」
「おい、変態を見るような目つきすんじゃねぇ!」
(やっぱり変態中のヘンタイでしょ、貴方。未だにいるこの人の熱烈な女性ファンの方々、実は彼がこんな変態だなんて夢にも思っていないんだろうなぁ……世間に作り上げられた偶像って恐ろしい……)
その頃執務室の外ではアントワーヌの部下たちが大真面目な顔で話していた。
「今補佐官のところに近衛のルクレール大佐が入って行かれましたよね。補佐官の義理の兄上で王妃様の弟君ですよ」
「何のお話をされているのでしょうか?」
「今度の王族のパレードの警備の段取りとか?」
「いや、年末の舞踏会についてだよ、きっと」
扉一枚挟んだ向こうで何が行われているか露とも知らない彼らだった。
「だいたいですね、下着の匂いを嗅いだりして、もしそれが王妃様のものだったら実の弟君でも不敬罪にあたりますよ!」
「そうだな、お前やっぱり頭のキレが違うな。そうだよ、姉上に聞けばいいんだ、んでもって消去法でフローの下着が分かるぞ」
「あの、義母上のものも混ざっているのではないのですか?」
「……そうか……その可能性も無きにしも非ずだった……」
「ドレスはいただきます。その持ち主が誰か分からない下着の山はお引き取り下さい」
「やるって言ってんだろ。自宅に持って帰らずにここに置いておけばフローにはバレないし、いいじゃねえか。だからわざわざ勤務時間中に執務室まで来てやったんだ」
(いえ、だから来てくださいと僕が頼んだわけじゃないですよね……)
「バレなくても執務室にこんなもの要りませんよ! だいたいここは僕の職場です、仕事をする場です! それにこの紺色の、男性用の下着じゃないですか!」
「要らない、とか興味ないフリして実はしっかり見てんじゃねぇか! どれどれ? あ、それ俺のパンツ、もしかしたら父上のかも、いやサイズ的に俺のだな。欲しいんだったらそれもやる」
「はぁー……」
(女性ファンにはさぞかし高く売れることでしょうね!
アントワーヌはガックリと肩を落とした。
「どうして僕は、この忙しい時期に自分の執務室で貴方の下着まで押し付けられそうになっているのですか!? とにかく、この空色のドレスだけはありがたく頂きます。他の物は全てお持ち帰り下さい」
ジェレミーは渋々と机の上に広げた下着を袋に戻し始める。
「しょうがねえなぁ。まあ俺もそのドレス何に使うんだ、とか詮索しねぇよ。まあ存分に楽しめ、隠れムッツリ君!」
(早く去れよ、この万年ムッツリ!)
袋を担いで部屋を出ようとするジェレミーをアントワーヌは呼び止めた。
「一枚残っていますよ、わざとですか? 義兄上」
彼はまだ机の上にあったその黒いレースの布切れをつまんでジェレミーに渡す。
「おっ、すまねぇな。これなんかさ、どう見ても姉上の好みだよなぁ……」
「広げてまじまじ見ないで下さいよ!」
ジェレミーはそれをズボンのポケットにねじ込みやっと退室した。
一人になったアントワーヌは机の上に突っ伏した。
「ドウジュ……一部始終見聞きしていたよね?」
音もなく窓が開き、部屋に入って来たドウジュは苦笑している。
「いやあ、相変わらずですね。ルクレール大佐には存分に楽しませて頂きました。でも若、十三年も経った今、あの時逃した報酬が手に入りましたね」
「うん。この思い出のドレスがまだ残っていたなんて……あれだけ義兄上に振り回されたけど、これは純粋に嬉しいよ」
その日アントワーヌはウキウキしながらその空色のドレスを持って帰宅した。
「フロレンス、このドレス覚えていますか?」
「まあ、私の娘時代のものだわ。どうして貴方が?」
「実はナタンが義兄上とアナさんに昔のことを聞いてかくかくしかじかで……彼が今日執務室を訪ねて来られて実は大変だったのです」
「もう、お兄さまったら……」
「ねえ、後でこのドレス着てみせてくれますか?」
「やだ、アントワーヌ。腰回りが絶対入らないわよ……それに恥ずかしいわ、こんな十代の娘用のドレスなんて……」
「お願いです、フロレンス」
フロレンスは年下の夫のお願いに非常に弱いのだった。
「分かったわ。ドレスを破らないか心配ですけれど。そうね、セーラー服やスクール水着を着せられるよりはましね」
「???」
そしてその夜、フロレンスは娘時代のドレスに袖を通す。アントワーヌは大層満足げである。目を細めて存分に妻のドレス姿を愛でた後、優しく彼女を腕に抱いた。
「ああ、フロレンス。僕の大輪の花はあの頃と寸分変わらずとてもお美しいですよ。僕、昔このドレスを着た憧れの貴女をこうして自分の腕に抱きしめたくてしょうがありませんでした」
「貴方がドレス一枚でこんなに喜んで下さるなんて。でもアントワーヌ、学生時代の貴方は私を抱きしめたかっただけなの?」
フロレンスは夫にそんな意地悪な質問を投げかけてみる。
「いえ、こうして何度も熱いキスもして、それから……でも、僕たった十二、三の子供でしたからさすがにそれ以上のキワドイ妄想は……」
「うふふ……ねえ、窓の外にドウジュは居ないわよね?」
「ええ、もう居ませんよ」
そのフロレンスの言葉を合図にアントワーヌは彼女を寝台に導き、優しくそこに押し倒した。
************
アントワーヌは寝台の上に向かい合って横になっているフロレンスの乱れた髪をなでている。
「貴方がその、いわゆる『着衣プレイ』がお好きだったなんて……」
「ただの着衣ではありませんよ。『思い出のドレスプレイ』です」
「ええ、そうね。でも貴方にそのうち体操着にブルマーやスク水を着ろっておっしゃられても……私もそういうのはちょっと……お兄さまに変な影響を受けないで下さいね」
「???」
この件はアントワーヌの甘く切ない学院時代の思い出を呼び起こし、彼を満足させてとりあえず片が付いたのだった。
― 犬は三日の恩を三年忘れず 完 ―
***ひとこと***
第四話「高嶺の花」で二人が初めて会った時、アントワーヌ君はフロレンスが着ていたドレスをその後何年経っても覚えていました。貴重な当時のドレスが手に入って良かったですね、アントワーヌ君。
さて話はこれだけでは終わらないのです。引っ張って申し訳ないですが大事件が勃発するのはこれからです。続きもお楽しみに!
またアントワーヌ君のあだ名が増えました。
鬼の次期副宰相、隠れムッツリ君
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