犬は三日の恩を三年忘れず(一)

― 王国歴1042年 秋


― サンレオナール王都




 その日の朝ジェレミーは大きな布袋を持って出勤した。妻のアナには中に稽古着が入っていると言った彼だったが、実際のところは違っていた。


 仕事帰りのアナが公園でナタニエルに昔話をしていた丁度その頃、ジェレミーはその布袋を担いで王宮本宮の宰相室に向かっていた。宰相室とは、宰相を筆頭に十数人の文官が働いている部署である。


 宰相室に着いたジェレミーは文官の一人に尋ねる。


「ソンルグレ補佐官にお会いしたい。約束はしていないのだが。執務室におられるかな?」


「ただ今補佐官は副宰相と打ち合わせ中ですが、あと四半時もしないうちに終わる予定です」


「ここで待っていてもいいか? いきなり訪れたのは私だからな」


「はい、構いません」


「じゃあ外の廊下に居るから呼んでくれ」


 打ち合わせ後、会議室から出てきたアントワーヌに部下の文官が告げる。


「あの、補佐官、お客様がお見えです。ルクレール大佐なのですが、先程からお待ちです」


「えっ、義兄上が? 通してもらえるかな?」


(あの人がどうしてわざわざ僕の執務室に来るのだろう……何か急用か、フロレンスやアナさんには聞かれたくない用件なのか、何か嫌な予感……)


 そしてアントワーヌの部下が布袋を担いだジェレミーを案内してくる。


「よぉ、義弟おとうとよ」


「義兄上、こんにちは。珍しいですね、こちらに見えるなんて」


 ジェレミーはお茶を持ってこようかという文官の申し出を断り、彼が出て行き扉を閉めるなり何とアントワーヌに深く頭を下げたのであった。


「アントワーヌ・ソンルグレ殿、不甲斐なかった私の代わりに婚約中のアナを守ってくれてお礼のしようもない。今更だがどうしても礼を言わないと気が済まない」


「義兄上……」


「昨晩全てアナから聞いた」


「嫌ですよ、そんな調子の狂うことしないで下さい。と言うか私の名前、まだ覚えておいでだったのですか? 私がソンルグレ姓になってから本名で呼ばれたのは初めてですよ」


「相変わらず口の減らない奴だな、お前!」


「まあとりあえずそちらにお座りください」


 アントワーヌは自分の執務机の向かいの椅子を勧め、ジェレミーは腰を掛けた。


「さてはナタンが何か言いましたか?」


「ああ、お前には何でもお見通しだな……」


「良かった、気になっていたのです。いつまでも義兄上の秘密を自分が知っていることを隠しておくのは心苦しかったと申しますか……もう昔のことですし」


「そうだったのか……」


「それに生まれながら侯爵家の跡取りだったナタニエルにも私や義兄上のことを話しておきたかったのです。私は子供達にも色んな経験を積み、自由な恋愛もして欲しいですから」


「フローも全て知ってんのか?」


「あ、はい。私達二人の間には隠し事はありませんよ。特に結婚してからは」




 それは本当だった。結婚前のアントワーヌの唯一の秘密、ドウジュとクレハも彼ら自らフロレンスに正体を明かしたのである。


『私達が一生使える若の奥様になられる方ですから、もう身元を隠す必要はありません』


 ドウジュはきっぱりとそう言ったのである。そしてフロレンスはクレハに再会でき、大層喜んでいた。侍女コライユとして辛い日々を支えてくれた彼女に感謝していた。もちろん元夫の犯した罪を暴くために奔走したドウジュに対してもである。






「そんなもんか?」


「義兄上はアナさんに隠し事ばかりしているのですか?」


「い、いや……それでもよ! 言えないことがあるだろ!」


「僕はありませんよ」


 そうはっきり言い切るアントワーヌにジェレミーは珍しいものでも見るような眼を向けた。


「まあ、とにかくだな……俺はまた改めて激しく自己嫌悪に陥っているところだ。婚約中、ニッキーを追い掛け回すだけでアナのことは放ったらかしだったからな……」


「あの頃はそれでしょうがなかったのですよ。気になさらないで下さい。もう昔のことです」


「アナにもそう言われた。でも俺は気が済まない。それでだ、お前に礼の品を持ってきた」


「お礼なんて必要ありませんよ」


「まあそう言うな。以前ニッキーの行方を探ってくれって頼んだろ? お前はニッキーの正体を知っていたのになあ。俺の前ではアナに遠慮してだか知らないふりしてさ、俺から成功報酬をせしめられなかったじゃねぇか」


「ああ、そんなこともありましたね」


「十年以上遅れたがあの時の報酬を持って来てやった、喜べ」


 ジェレミーはくだんの布の袋を机の上にドサッと置いた。


「もしかして……」


「ああ、フローの嫁入り前の貴重なグッズだ。もうあまり残っていなかったがあるだけかき集めてきた。まあセーラー服やブルマー、スク水なんかは流石にねえな」


(すくみず? 僕、一応まだ仕事中なのですけど……)


 アントワーヌが良く分からない言葉を羅列しながら袋の口を開けたジェレミーだった。そして袋の中から女性の下着を続けて何枚か取り出している。


(この場面を誰かに見られたらこの人だけじゃなくて僕まで変態の烙印が……今まで僕が血のにじむ努力をして築いてきたものが……)


 そして数枚の下着の後から出てきたのは淡い青色のドレスだった。袖の形などからデザインが一昔前のものだと分かる。


「このドレスは……」


「以前のフローの部屋はな、アナが婚約中に少し使っていたしな、アナのも、それに姉上の衣服も混ざっているんだよな。でも俺もこれはフローのだってすぐに分かった」


「これ、僕達が初めて会った時にフロレンスが着ていたものです……」


「お前、そんな細かい事、良く覚えてんなぁ」


 アントワーヌは目を細めてそのドレスを手に取った。部下達に変質者扱いされるという危機感も、レアアイテムのフロレンス娘時代のドレスを目の前にし、吹っ飛んでしまったようである。


「義兄上はアナさんに初めて会った時、彼女がどんなものを着ていたか記憶していないのですか?」


 アントワーヌはドレスの生地の手触りを愛でながら顔を上げずにジェレミーに聞いた。


「出会い自体が強烈だったからな、そんな細部なんてもう思い出せねぇ。まあ冬だったし、裸じゃあなかったな。だいたいアイツな、いきなり初対面で俺に求婚してきたんだぜ」


「はい? それはまた、アナさんって実は行動力の人ですよね」


「まあな、昔のことだ。それよりお前、下着もまだまだあるぞ、見ろ」


 ジェレミーは袋をひっくり返し、数々の色とりどりのそれらをアントワーヌの執務机の上に山のように積んだ。




(二)に続く




***ひとこと***

本編、第二十七話『知らぬは亭主ばかりなり』でジェレミーはアントワーヌ君にニッキーのことを調べてくれたら成功報酬としてフロレンスの昔のドレスと下着をやる、と約束していました。その時のことを蒸し返しているわけですね。


ということで執務室で女性の下着の山を挟んで向かい合う二人の図でした。笑えます。

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