過ちては改むるに憚ること勿れ(一)

ナタニエルがペルティエ領まで長距離家出をした番外編『親の心子知らず』のすぐ後の話になります。ナタニエル君、伯父のジェレミーに爆弾を落とします!



***




― 王国歴1042年 秋


― サンレオナール王都




 その日ナタニエルは夕方まで学院の図書館で勉強していた。そろそろ帰ろうと書物を片付けていたところに声を掛けられる。


「ナタン、こんな時間までお勉強していたの?」


「あ、伯母様。こんにちは」


 彼の伯母で魔術科の非常勤講師であるアナだった。


「精が出るわね」


「はい、来週提出の課題があるのです」


「もうすぐ伯父さまが馬車で迎えに来てくれるのだけど、貴方も送って行きましょうか?」


「よろしいのですか?」


 アナの長子ギヨームも12歳になり、この秋から貴族学院に入学していたが、彼はもう授業の後すぐに帰宅したらしい。そして帰りの馬車ではナタニエルはアナとジェレミーと三人だった。彼は伯父夫婦の向かいに座った。


「伯父様、伯母様、いい機会ですのでちょっとお聞きしたいことがあるのですが」


「何だ?」


「父が以前言ったのです。恋に落ちるのに、社会的な障害など関係ないと。伯父様と伯母様もそうだったのですか?」


「ナタニエル君は真面目な顔をして何を言い出すかと思ったらよぉ。そうかそうか、お前もついに色気づいたか、悩める青少年!」


「いえ、そうではありません。僕のことではなくて、伯父様ご自身についてです。身分の違う方を好きになったことがあるとか、伯母様との間に何か大きな障害があったとか?」


「まあ、ナタン……」


 アナは目を見開き、ジェレミーは一瞬身を固くした。


「……今なんつった?」


「あ、いえ、伯父様がお話しになりたくなければ別にいいのです」


「オイ、俺はどうしてお前がそんなことを聞くのかって言ってんだ」


「えっと僕、以前両親に馴れ初めを聞いたのです。出会った時、身分や歳の差は気にならなかったのですか、と。そうしたら父も母も自然に無意識にお互い惹かれ合っていたと言いました」


「あいつらのノロケ話から何で俺にとばっちりが来んだよ?」


「父によると、社会的に自分と釣り合う相手だと分かってからその人を好きになる、なんてことは出来ないそうです。伯父様と伯母様にも聞いてみたら、もう時効だからいいのじゃないか、とその時父が言ったのです」


 ナタニエルがその言葉を言い終える前にハッと息を呑んだアナはジェレミーの手をしっかり握った。


「どういう意味だ、何でアイツが俺達の秘密を……タヌキ文官め! ぶっ殺してやる!」


「旦那さま、ナタンの前で何てことを! これには深い理由わけが……」


 アナはジェレミーにしがみついて今にも立ち上がってナタニエルに掴みかからんとする彼を制している。


「アナ、放せ! てか、お前まで!」


「お、伯父様……」


「ナタン、今日のところは……ごめんなさいね……」


 アナがナタニエルに目配せをしたので、彼は瞬間移動で去ることにした。


「し、失礼します、伯父様、伯母様」


「ナタン、逃げる気か?」


 ジェレミーがそう叫ぶ前にナタニエルは消えていた。


「クソッ、都合が悪くなったらとんずらしやがって! アナ=ニコルさんよぉ、帰ったらしっかり説明してもらうぞ!」


 ジェレミーはそう言うなりブスッと押し黙ってしまった。


「……承知しました、旦那さま」




 夫婦が帰宅すると、末っ子のミレイユが出てきてジェレミーに抱きついた。


「お父さま、お母さまお帰りなさい! 聞いて下さい、またアンリお兄さまがいたずらばっかりしてくるのです!」


「まあアンリったらもう……ミレイユ、貴女のお話は夕食の時に聞かせてくれるかしら? 私とお父さまは少し大事な用がありますから」


「はい、分かりました」


「悪いな、ミレイユ」




 そしてジェレミーの部屋に入った二人は着替えもせず、向かい合って座った。


「どこからお話ししましょうか、あれは私たちが婚約を世間に公表した頃でしたわ」


「……」


 ジェレミーは二人の婚約から結婚後、本当の夫婦として心を通わせ合う以前のことに触れるのはあまり好きではないのだった。


「ある日、ビアンカさまに旦那さまを慕う方々から嫌がらせをされることはないか、と聞かれました。何か予感があったのでしょうね。十分気をつけて、と言われました」


 ジェレミーは先程とは打って変わって少々気まずそうな顔になる。


「私、気をつけろと言われても何をどうすればいいのか分かりませんでした。でも、旦那さまを追いかけていた女性たちから良く思われていないのはひしひしと感じておりました」


「それでもお前は俺に相談しようとは思わなかったわけだな……」


「えっと……私、旦那さまをそんなことでわずらわせたくなかったのです。特にその頃の旦那さまはお義父さまと爵位の引継ぎのことでお忙しくもされていましたし……」


 ジェレミーは長椅子のアナの隣に座り彼女の手を握った。


「それでお前は一人で対処しようとしていた……」


「いいえ。敵の目的は私の名誉を傷つけて婚約者の座から引きずり下ろすだけだったのでしょうけれど、旦那さまやルクレール家の評判までけがされるわけにはいかないと思いました。ですから、念のためにアントワーヌに相談したのです」


「やっぱりそうだったのか……」


 ジェレミーは少し話が読めてきたのか、今度は悲しそうな顔になっている。


「アントワーヌはどんなことに注意したらいいのか、色々と助言をしてくれました。それに彼は私に護衛を付けてくれるとまで言ってくれたのです」


「アイツらしいな。さぞ俺のこと頼りない情けない婚約者だと思っていたろうな……」


「そんなことありませんし、あの頃はしょうがなかったのです」


「それでもよ……」


「私、アントワーヌに注意されたので一人で街中を歩き回るのは止めました。そして誰にも知られていないニッキーの姿で出歩くことが多くなりました。ですから彼がつけてくれた護衛の方にニッキーの正体が分かってしまったのだと思います。それに旦那さまがニッキーを送って下さっていた、あのリヴァール通りの白壁の家はアントワーヌの別邸だったのです」


「俺、アイツにニッキーの調査を頼んだんだ。ニッキーが消えてしまったから。あの家もその時は売家になっていたし、手掛かりは何もなくてさ……」


「ええ、アントワーヌはあの家を売って新しい家を近くに購入しましたから」


「あの隠密少年、何もかも知っていたのに俺にはニッキーのこと全然教えてくれなかったんだぞ!」


「私、アントワーヌとニッキーのことについて話したことはありません。彼がニッキーと私の関係を知っていることは薄々分かっていましたけれど。ニッキーのこと、きっと彼の口から旦那さまに伝えるのは筋違いだと思っていたのではないでしょうか? でもアントワーヌが護衛の方をつけてくれたお陰で、私に嫌がらせをしてきた人々は捕まって懲らしめられたのです」


「すまんアナ……俺が愚かだったばかりに……お前を守るべきなのは俺だったのに……」


「もう昔の、終わったことですわ……」


 ジェレミーはアナに頭を下げてしょげている。



(二)に続く




***ひとこと***

超レアモード、殊勝なジェレミーが現れました。きっとすぐに消えると思いますが……


再びアントワーヌ君のあだ名が増えました。

タヌキ文官、隠密少年

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