親の心子知らず(三)

― 王国歴1042年 秋


― 王国西部ペルティエ男爵領




 僕は父の実家ペルティエ領の町で乗合馬車を下り、その後は記憶を頼りに徒歩と魔法で空を飛びながら祖父母の住む小さな一軒家に辿り着いた。この祖父母とは実父の両親、ラングロワ前侯爵夫妻のことだ。


 現在彼らは祖母の旧姓のリゼを名乗っている。僕の実父が捕らえられた後に牢内で亡くなった後、祖父母は居辛くなった王国を捨て外国に移住しようとしていた。そこを父アントワーヌがここペルティエ領内に住むことを提案してくれたのだった。彼らは泣いて父に感謝し、私財をはたいてこの家を購入、今は細々と穏やかに暮らしている。


 僕がいきなり現れた時、二人は家の裏の畑に居た。当然のことながら僕が一人、前触れもなく訪ねたので彼らは驚いた。


「まあナタン、どうしたの?」


「なんだ、一人なのか? とりあえず中に入れ」


 思い余ってここまで来てしまったものの、祖父母に何て言おうか考えがまとまっていなかった。彼らも僕の様子がおかしいのに気付いたのかどうだか、何も聞かずに家の中に招き入れてくれた。


「お昼はまだなのでしょう? 簡単なものでも良ければ作るけど食べますか?」


「……はい、お祖母さま」


 祖父母は今では畑仕事に料理、大工仕事なんでもお手の物だった。もちろん最初は慣れるのに苦労したようだ。彼らはたった一人の孫である僕に時々会えるのが嬉しい、幸せだと会う度に言う。


 僕は祖母が出してくれたパンとスープを夢中で平らげた。昨晩から色々な感情が渦巻いていて空腹を感じる余裕もなかったが、実際食事を目にするとお腹が空いていたことを思い知らされた。


「まあまあ、そう慌てずゆっくり食べろ」


「余程お腹が空いていたのね。おかわりありますよ?」


「はい、いただきます」


 食事が終わって自分から何も言い出さない僕に祖父は口を開いた。


「もしかして御両親に何も言わずに来たのか?」


「はい……」


「まあ、なんてこと。さぞ心配されていることでしょう」


「ペルティエの大旦那様たちには?」


 父アントワーヌの両親のことである。彼らはここからそう遠くないペルティエの屋敷に住んでいる。


「いえ、そちらにも何も言っていません……」


「ナタン、お前も色々思うとことがあるのだろうが、御両親には連絡を入れさせてもらうよ」


「はい……」


「今から馬で町まで行ってくる。王都行きの乗合馬車に文を託せるしな」


 祖父はそうして急いで出て行った。祖母は何も言わず、僕を一部屋だけある客用寝室に通してくれた。


「疲れたでしょう、少し休みなさい。何かあったら私は台所にいますからね」


「……ありがとうございます、お祖母様」




 勢いで引っ込みがつかず、思わずこんな遠くまで家出してきたのはいいが、段々僕は気持ちが落ち着いてくるにしたがって後悔の念にかられるようになっていた。寝台の上に一人で寝転がって色々なことを考えた。赤ん坊の頃やまだよちよち歩きの頃のことまで思い出してしまった。


 胎児の頃、母が不安をたくさん抱えていたことやこっそり父のことを呼んでいたこと。


『アントワーヌ、私は良い母親になるように努力するわ』


 僕が産声を上げて初めて母に抱かれたときのこと。


『私の可愛い赤ちゃん……何があってもお母さまは貴方のことを愛しているわ』


 初めて父に会った時のこと。


『ナタニエル様、初めまして。早く逞しく育ってお母様を守れるような立派な男性になって下さいね』


 その時父は母にきっぱりこう言ってのけたこと。


『貴女がこの世で一番愛しているナタニエル様は、僕にとって貴女の次に大事な存在です』


 僕はその夜、父のこの言葉を母から聞かされていた。当時父は僅か十七歳だったという。今の僕と二歳しか違わない。


 父が母との結婚を僕に報告した時のこと。


『はい、ナタン。お母様と貴方をもっともっと幸せにすると約束します』


 父はその約束を決して違えることはなかった。


 他にも次々に思い出が去来した。僕が初めて父をお父さまと呼んだ時、妹ローズが生まれた時、僕が初等科に入った時、下の妹マルゲリットが生まれた時、その度に僕達家族はいつも父の言った通りもっともっと幸せになっていった……


 気付いたら祖母に聞かれるのも気にせず、僕は大声を上げて小さい子供のように泣きじゃくっていた。随分と長い間わんわんと泣き喚いていた僕がようやく落ち着いた頃に部屋の扉が叩かれた。


「ナタン、そろそろいいか?」


 祖父がもう帰宅していた。


「はい」


 祖父は一人で部屋に入ってきて寝台の上に座っている僕に言った。


「ペルティエの町まで行ったら丁度そこでお前を探しに来られたソンルグレ侯爵にばったり会ってね。今一緒に帰ってきたのだが……」


 目を真っ赤にしている僕に気を遣っているようである。


「……顔を洗ってから……出て行きます」


 そしてそろそろと部屋の扉から顔を覗かせてみた。そこから食卓に座っている父が見えた。上着も脱いでいない。僕が部屋から出てきたのを見るとガバッと立ち上がり僕に駆け寄ってきた。


「ナタン! 心配したよ! ああ、良かった……」


 そしていきなり抱きしめられた。父や母に抱きしめられることなど、最近はまず無かった。初等科の頃以来かもしれない。余程急いで馬を飛ばしてきたものと思われる、父の上着は砂ぼこりにまみれていた。祖父母は気を遣ってか、外の畑にでも出て行ったようだった。


「父上、申し訳ありません」


 素直に謝罪の言葉が出てきたのには自分でも驚いた。


「僕じゃなくて母上やマルゲリットに謝りなさい」


「……はい。ご心配おかけしました」


「それから、ここだけの話……今朝君が飛び出す時に言っていたこと、思わず口から出てきただけだと思うけれど……母上はとても気にしているから、もう決して口にしてはいけないよ」


 父上との子供をもっと作ればいいじゃないかと言ったことだった。それについても僕は薄々分かっていた。母上がいかに父上に男の子を産んで差し上げたかったか、十代の少年の僕にでも簡単に気持ちは理解できる。


「でも、父上。それはそうですが……」


「まあね、これも君と僕の間だけに留めておいて欲しいのだけど、僕ももっと可愛い子供が欲しくなかったと言えば嘘になる。でも君が居てローズとマルゲリットを授かって、僕達夫婦はもう幸せ過ぎるくらいだから」


「はい、分かりました」


「ナタン、爵位のことはソンルグレのお祖父様は僕の好きなようにすればいいとおっしゃっていてね、王国に返上しようかと思っている。僕の血を引く男子が居ようが居まいが、どっちみちソンルグレの血は途絶えてしまっているし」


「僕も侯爵位なんて要りません」


「そう言うと思っていたよ」


 ここへ来て初めて父は微笑んだ。


「お祖父様たちは僕達に遠慮して外に出ていかれたから、呼んでおいで」


「はい」




 それから皆で祖母の手作りの梨の焼き菓子をいただいてお茶を飲んだ。


「ここへ来る度に新鮮で美味しいものをいただけますね」


 祖父母は貴族として生まれたからもちろん据え膳上げ膳の生活だったのが、六十前にしてここに移ってからいきなり自分たちでなにもかもしなくてはいけなくなった。しかし数年で祖母は料理の名人、祖父は野菜作りの名人になった。人間変わろうと思えば変われるのだ。


 せめて慣れるまでは使用人をつけようと父が提案したのを祖父は頑なに断った。余生は私財を切り崩して過ごさないといけないからなるべく出費は避けたいとのことだった。父は使用人の給与は自分が払うから、せめて最初の数か月だけでも、と説得したが頑として譲らなかったのである。


「最初は私達何も自分で出来ないから大変でしたわ。全て手探りで苦労しました」


「でも貴族としてかしずかれていた昔より、今が一番生きているという実感があるよ。これも全てソンルグレ様のお陰ですよ」




 そして父は祖父母と僕を見比べて言った。


「ナタン、君はやっぱりお祖父様似だね。座った時の姿勢とか、ちょっとした仕草、それに何と言っても頑固なところも」


 少し意外だった。いつも母親そっくりだとしか言われたことがなかったからだ。




(四)に続く



***ひとこと***

ナタニエル君、泣きじゃくって少しすっきりしたようです。記述はしていませんが、ナタニエル君を尾行して彼がどこに向かったかをアントワーヌに教えたのはドウジュです。ドウジュは彼が屋敷のすぐ外に瞬間移動したところを見ていたのですね。

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