親の心子知らず(二)
― 王国歴1039年-1042年
― サンレオナール王都
僕が貴族学院に上がった頃にはアナ伯母様が魔術科の非常勤講師として勤めており、伯母様も僕のことをひどく心配してくれた。
「周りに人が居なくてナタンに不利だなと思ったらすぐに瞬間移動でも浮遊魔法でも避難しなさいね。秘密基地なら誰も来ないでしょう、誰かに話したかったらクロード伯父さまの教授室や医務室、私の居る時なら職員室でもいいですよ」
秘密基地は父の卒業後に学院に編入したアナ伯母が使っていた。僕も貴族学院に上がってから、その存在を教えてもらい引き継いでいる。伯母の後は何年間も使われていなかった秘密基地だが、主にクロード様が定期的に手入れをしていたらしい。
「敵前逃亡は絶対嫌です、伯母様」
「けれど、振るってもいない暴力や魔力の言いがかりをつけられて院長や副院長に呼び出されるよりはいいのではないかしら?」
そして僕は良く医務室に入り浸るようになった。養護教師のエリザベット・ラジュネス先生は僕が医務室に逃げ込んで来る度にぼやいていた。
「ルクレール一族に
僕が思いつく限りルクレール家の人間は四人居るが、ラジュネス先生に面倒をかけていたのは王妃様とジェレミー伯父様の二人だけに違いない。母とアナ伯母様は問題児ではなかったはずだ。とにかく先生は僕の気の済むまで医務室に居させてくれた。
今の学院長達は父に対して何とも尊大な態度で接するのでそれも耐え難かった。母だけの時、両親二人の時には彼らはへつらっている。一度だけジェレミー伯父様が両親の代わりに来てくれた時奴らは伯父の靴を舐めそうなくらい頭が低かった。余りにあからさますぎて反吐が出そうになった。僕は憮然として父に聞いた。
「どうしてあの院長達は父上に対して威張り散らしているのですか?」
「多分、彼らの息子や甥たちが文官としてうだつが上がらないから、僕は妬まれているのだと思うよ。就職した時既に高級文官だったし、男爵家の次男にしてはかなり出世した方だしね」
「父上はそれでいいのですか? どうして何か言ってやらないのですか?」
爵位もない最下位の貴族の家出身なのに侯爵位を運よく手に入れ、国王一家とも繋がりがあってとんとん拍子に出世している父のことを良く思わない人間も多いという。父はただ運が良かっただけ、取り入るのが上手かっただけと言われることもあるがそれは間違っている。
父は学院生時代から人一倍努力を積み重ねてきて今の地位を築いたのだ。そんなこと、父の近くにいる人なら誰でも知っている。
僕が面倒を起こさなかったら父も学院に呼び出されることなく、院長や副院長の態度に嫌な思いもしなくて済んだのだ。父が院長達の無礼を
「まあ事情を聞いたらナタンの気持ちも良く分かるし、ナタンはいじめられても絶対相手を傷つけることはないと分かっているしね」
連れ子だからって遠慮せず、頭ごなしにとにかく怒鳴ってくれれば僕だって思いっきり言い返せるのにと思わずにいられなかった。しかし父はいつも冷静に僕の話を聞こうとしてくれた。何だかむしゃくしゃしてしょうがなかった。
ある日、学院に呼び出された後父と帰宅すると妹二人が首を長くして父の帰りを待っていた。
「お父さま、お兄さま、お帰りなさいませ!」
二人とも駆け寄って父に抱きついた。普段着ではなく、よそ行きのドレスを着ている。
「お父さま、今晩は劇場に連れて行って下さる約束ですよ!」
「もちろん覚えていますよ。お母さまはもうお帰りなのかな?」
「はい、いま支度中です」
「じゃあ僕も急いで着替えてくるよ」
僕は益々面白くなかった。そう言えば妹達は今晩、何とかというオペラだか舞踊だかを観に行くのだと思い出した。僕は内容が女子向けすぎるので行かないことにしていたのだ。僕はそのことを忘れていたとはいえ、こんな日に問題を起こして父を学院に呼び出す始末だ。
だというのに父は一言も僕を責めない。むしゃくしゃの度合が僕の中で急上昇しているのを感じていた。しかし、ここで癇癪を起こすほど僕はもう子供でもない。無邪気な妹二人に罪はないし、彼女達がずっと楽しみにしていた家族のお出かけに水を差そうとも思わない。
僕の顔は今醜く歪んでいることだろう。何でもお見通しな父にそれを悟られたくなくて、さっさと部屋に引き取ることにした。
「じゃあ、僕は宿題がありますから」
「ナタンもやっぱり一緒に来ないか?」
「いえ、僕はいいです!」
父の問いかけに振り返りもせず、僕は駆け足で階段を上っていた。親子四人を乗せた馬車が屋敷を出て行った後、気分は最悪の僕は宿題なんて手につくはずもなかった。瞬間移動で屋根の上に行き、そこで暗くなるまで膝を抱えてぼーっとしていた。
夕食は食べる気にもならないが、僕のために用意されたものを無駄にするのも申し訳ないので階下に下りていく。この辺りが僕の中途半端で完全なワルにはなりきれないところだった。
夕食後はすぐに部屋に戻った。帰宅した妹達のはしゃぐ姿を見たくなかったし、彼女達の相手ができる精神状態でもなかった。こんな時はふて寝に限る。が、すぐに寝つけるはずがない。案の定、家族が帰宅した時も僕はまだ寝台の上に横になってはいるものの目はぱっちりと冴えていた。同行するのを断ったのは僕の方なのに、一人 除け者になった気がしてきた。
休みの日の翌朝、僕の気分は昨晩から全然浮上出来ていなかった。妹達が、特に下のマルゲリットがキャイキャイと浮かれているのがやたら気に障る。彼女は全然悪くないというのは十分承知している。
「昨日はお兄さまもいらっしゃれば良かったのに! 次の公演もお父さまが連れて行ってくれるって約束してくれました。今度は家族皆で行きましょうね!」
「……行かない」
「どうしてですか、お兄さま?」
「行かないって言ってんだよ!」
「ナタン!」
僕はこのままではいけないと自分でも良く分かっていた。でも一度堰を切って流れ出した醜い負の感情は止まるところを知らなかった。僕はこれでもか、というくらい大事な家族を傷つける言葉を投げつけてしまう。
「どうせ皆俺が居ない方が楽しいんだろ! 完全に血の繋がった家族四人で仲良くしていればいいじゃないか!」
「そんな、お兄さまだって家族だもの!」
幼いマルゲリットの方が正論を言っているのは分かっている。こういう言い争いには上の妹ローズは呆れ顔で参戦しないのが常だ。
「母上がもっと父上の子供を産めば良かったのに! お前だっていつも弟が欲しいて言ってたろ、こんな犯罪者の血を引く兄じゃなくてな!」
「ナタン、言い過ぎです!」
「ナタン、待ちなさい!」
僕はそれだけまくし立てると父と母が止めるのも聞かず階段を駆け上がり、肩掛け鞄に上着と帽子を掴み屋敷の塀のすぐ外に瞬間移動し、そのまま当てもなく駆けだした。あれだけ暴言を吐き引っ込みがつかなくなっていた。
今までも家を飛び出したことは何度もあった。ルクレール家にソンルグレ家、友人の家などに転がりこんではすぐに連れ戻されていた。
一度は母の経営する被害者保護施設『フロレンスの家』に身分を偽って潜り込んだこともあった。その時は流石に優しい母にも厳しくたしなめられた。
『ナタンがここに居ることで、本当に保護が必要な人が入所できなくなるのです! 分かりますか?』
後から聞いたが、僕が家を飛び出す度にクロード様かアナ伯母様が僕の魔力を感じる場所を探していたから常に家出直後に発見されていたのだった。そんなことはまだ知らない僕だったが、とりあえず王都内にいると絶対に一日もしないうちに見つけられるので今回は少々遠くへ行くことにした。
財布の中には金貨と銀貨が数枚ずつあったので、王国西部方面行きの乗合馬車に乗り込んだ。上着は少しみすぼらしいもので、羽織るだけで庶民に見えないこともないのだ。しかし、旅装もしていない荷物も小さな鞄一つだけの僕はよく馬車に乗せてもらえたものだ。
(三)に続く
***ひとこと***
ナタニエル君が荒れる気持ちもまあ分かります。さて、家出をした彼は王都を離れる馬車に乗り込んでしまいました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます