親の心子知らず(一)

― 王国歴1037年-1039年


― サンレオナール王都



 僕ナタニエル・ソンルグレには父がいる。父とは血が繋がっていない。母の再婚相手で世に言う継父だ。僕は父を尊敬してやまない。僕がどう頑張って努力を重ねようが逆立ちしようが、人格的にも能力的にも絶対に超えられそうにない人なのだ。






 僕も初等科の高学年くらいになると、小さい頃は耳に入ってこなかった周囲の雑音が聞こえてくるようになった。子供とは正直で時には残酷なことを言う生き物だ。罪人の子、泥棒、薬物中毒だとか、実の父親のことを言われるのは腹が立ったが本当のことだった。かっとなって言い返す前に手を出してしまったこともある。


 その後は酷く後悔した。昔母に暴力を振るっていた、あの実父の血を濃く受け継いでいる自分が怖かった。あんな人間のようになるのだけは嫌だった。母と、特に父に見捨てられるのでは、と恐怖にさいなまれた。両親にも誰にも相談できずに日々一人で悶々としていた。


 実の父親が罪人である上に家庭内暴力を振るっていたなんて誰にでも言えるわけがなかった。本当はそういう時こそ父でも母でも悩みを打ち明ければ良かったのだ、と今ならそう言える。


 そしてある時ビアンカ様が僕の不安に気付いたのである。彼女は特殊な魔力があり、親しい人間の強い想いや感情が分かるようなのだ。ビアンカ様は僕が両親にも言えないでいることまで悟って、とりあえず夫であるクロード様に僕のことを話した。


 クロード様は家族や親戚が集まっている時に、僕を連れて庭に出た。貴族学院の魔術科にもうすぐ進む僕の魔術がどのくらいあるか見てやろうとか家族の前では適当な口実をつけてくれた。


「少年、何か悩みがあるのだろう? お前の魔力にはブレがあるぞ」


 それはクロード様のはったりだった。本当はビアンカ様が僕の心を読んだのを聞いただけだったのだ。


「えっ……伯父様には分かりますか……」


「誰にも打ち明けられずに悩んでいるなら聞いてやるぞ、俺で良ければな」


「でも……」


「他言は決してしない。男同士の約束だ。誰かに聞いてもらうだけで楽になることもあるだろう?」


 僕はもうその言葉だけで泣きそうだった。母の従兄にあたるクロード様は職場では非常に厳しい方ということだが、僕は優しくて頼りになる人という印象しかない。


「僕、この間いじめっ子達に対してカッとなって思わず奴らに殴りかかってしまったのです……」


 一度言葉にしてみると、次から次へと自分の不安が口から零れてくる。暴力的な実の父親の血を半分引いている自分が自分で怖いこと、両親や家族にも恐れられたくないこと、思いのたけを全てクロード様に語った。


「まあ暴力を振るうのは良くないが、お前の気持ちも分かる。それ以降誰かを殴ったり蹴ったりしたか? 自分が抑えられなくなることはあるか?」


「僕は実の父親の血を引いていますが、彼のようには絶対なりません。その気持ちだけで怒りに駆られてもぐっと我慢しています。でも、いつかは押さえられなくなるのではないかと心配で……」


「ナタン、お前はもう自分で善悪の区別が出来ているから大丈夫だ。良く頑張っているな」


「ううっ……」


 僕はそこで我慢が出来なくなり、声を出して泣き始めた。クロード様は僕の背中をポンポンと軽く叩きながら続けた。


「お前の実父が犯罪者なのはお前のせいじゃない。本人にはどうしようもないこと、努力しても変えられないことを挙げて揶揄からかったり悪口を言ったりするのは最低の行為だよな」


「はい……」


「俺だって好きで公爵家に生まれてきて、大魔術を覚醒したかったわけではないし、ビアンカだって捨て子だったのは彼女にはどうしようもなかった。お前の父アントワーヌもそうだ。男爵家の次男でフロレンスより五歳も年下なのはどう足掻いても変えられない」


「それでも、伯父様はビアンカ様と出会えて結婚できたし、僕の父も数ある障害を乗り越えられました」


 僕の気持ちは少し落ち着いてきた。


「そう。努力次第で少しは変えられることもある。魔術があるお前に健全に怒りを発散させる方法を教えてやろう。今度カッとなって誰かに殴りかかりたくなったら黒雲でも出して雷を落としてやれ。ああ、クソガキどもは狙うなよ。少々脅して離れたところに落とすんだ。俺も昔は良くやっていた」


「それって本当に健全な方法と言えるのですか?」


「実は魔術塔裏の森に雷を落としていたらビアンカに木々や小動物が可愛そうだ、と怒られる。彼女は動植物と話が出来るからな」


「やっぱり……」


「お前の伯母のアナさんは余剰な魔力が溜まったら夜中にこっそり外で水の攻撃魔法を使っているらしいぞ。こっちの方が庭の水やりも出来て一石二鳥だな」


「アナ伯母様らしいですね」


 僕はもう泣き止んで、微笑んでいた。


「少しは気が晴れたようで良かった。お前は両親にもっと甘えて色々相談してもいいと俺は思うけどな。アントワーヌに遠慮することなんかないぞ。お前に頼られると彼も嬉しいのじゃないか? ビアンカも育ての両親に大恩を感じているが、それと血縁がないから遠慮しすぎるのは違うぞ」


「そう、ですね……伯父様。とにかく今日はありがとうございました」


「まあなんだ、何かあったらいつでも聞いてやる。貴族学院に上がったら時々は顔を合わせることもあるだろうしな」




 それ以降は僕も少し怒りを制御できるようになり、悪口を面と向かって言われても手を出す代わりに魔術で黒雲や風を起こして脅すだけに留められるようになった。


 貴族学院に上がり魔術科に入った頃にはもっと口さがない嫌味や悪口を言われるようになった。罪人の実父だけでなく、継父に母、ソンルグレの祖父母のことまで、今になって思えばそんな悪口なんて真面目に相手をする方が馬鹿げていると鼻で笑えるが、当時の僕はそうではなかった。


 不倫の子、成り上がりの継父、侯爵に取り入る男爵家の次男などと、僕達家族の事情も知らずに好き勝手なことを言う奴らに対していちいちキレかかっていたが、実際に手を出すことはもう決してなかった。


 それに学院内も敵だけではなかった。十代半ばになると僕のことを理解してくれる友人達も出来たし、自分で言うのもなんだが女の子にも良くもてた。それもいじめっ子達は気に入らなかったようだった。女子には人気があったが、あからさまに将来のために有利な縁談を狙っているような女どもには避けられてもいた。


『ナタニエル君は侯爵家出身だけどお父さまは養子だし、爵位を継ぐかどうか分からないわよ、やめておきなさいよ』


 そんなことを言っていた女子もいた、というのは噂で聞いた。呆れたが、でもそう考える方がまあ普通かなと僕は冷めた見方をしていた。それにそんな女なんてこっちから願い下げだ。


 相変わらず僕がいじめっ子達と問題を起こすため、両親はしょっちゅう学院に呼ばれていた。僕は別に教師に言いつけたりしなかったのに、向こうが証拠もないのにやれ僕が魔術で攻撃を仕掛けてきたとか、暴力を振るっただとか言いがかりをつけてくるのだ。


 両親は僕の気持ちも汲んでくれ、理由も聞かずに頭ごなしに叱るということはなかったが、呼び出される度に悲しそうな顔をしていた。父も高級文官として多忙な身でありながら出来るだけ学院からの呼び出しには母と共に顔を出してくれていた。


 母も下の妹マルゲリットが初等科に入った頃から事業を始めていて、決して暇を持て余した有閑夫人の身ではなかったから、時には父が一人で来てくれることまであったのだ。


 初等科の頃は僕もまだ素直に謝っていたが、難しい年頃になると僕は両親にも反発するようになっていた。


『わざわざ連れ子の俺なんかのために来なくてもいい』


『どうせ俺なんて居ない方がいいって思っているんだろ』


 僕は怒りを何処へ持って行っていいのか分からず両親にぶつけていたのだった。



(二)に続く



***ひとこと***

悩める青少年のナタニエル君です。反抗期に入ると本人も周りも大変です。それを書く作者も大変でした……

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