生みの親より育ての親
― 王国歴1026年-1044年
― サンレオナール王都
僕ナタニエル・ソンルグレには二人の父親がいる。実の父親と継父だ。実の父親は僕が三歳の時に国家予算横領などの罪で捕らわれた。彼は牢獄に入れられてしばらくした後亡くなってしまった。実の父親と離縁が成立した後に母は再婚し、僕には継父ができたのだ。
僕には魔力が備わっていて、そのお陰で胎児の時からの記憶がある。もう既にその頃から実の父親ガスパー・ラングロワには良い印象は無かった。それに僕は生まれてから彼が捕らえられて投獄されるまで、彼に会って一緒に過ごしたのはそれこそ数えるほどしかなかった。
母は妊娠中、一人の時にアントワーヌという人の名前を良く呼んでいた。
『アントワーヌ、私は良い母親になるように努力するわ』
『アントワーヌ、今日は赤ちゃんが元気に動いているのよ』
アントワーヌさんとは文を頻繁にやり取りしていた母だったが、会ってはいなかったので彼は遠くに住んでいる仲の良い友人だろうと僕は思っていた。
父親はあまり屋敷に居ることはなかったが、たまに帰ってくると使用人の居ないところで母を怒鳴ったり、時には殴ったりもしていた。それは僕が生まれてからも変わらなかった。
「せめてナタンの前ではお止め下さい!」
「赤ん坊に何が分かる?」
父親は母の泣きながらの訴えを聞き入れてくれなかった。しかし赤ちゃんの僕はまだ喋れないだけで、胎児の頃から周りで何が起こっているか分かっていたのだ。
父親に言葉や暴力で被害に遭っていた母に対して何もしてあげられない無力な自分が恨めしかった。赤ん坊だからとにかく大声で泣くくらいしかできない。僕が激しく泣くと流石に彼も後ろめたい気になるのか、さっさとその場から居なくなることが多かった。
僕が大きくなるにつれて暴言も暴力もとりあえず僕の前ではなくなった。父親が母と二人きりの時はどうだったかは分からない。
僕が一歳くらいだったある日、伯母にあたる王妃さまの部屋にいつものように僕と母は招かれていた。母も王妃さまの居室に行く時はいつも楽しそうだった。そこで僕は遂にあのアントワーヌさんに会うことができたのだ。
薄茶色の瞳に髪も茶色の、優しそうな人だった。僕が思っていたよりもずっと若くて、大きいお兄さんという感じだ。彼は魔術師や騎士の制服とは違う、紺の上着を着ていた。
「ナタニエル様、初めまして。早く逞しく育ってお母様を守れるような立派な男性になって下さいね」
そして彼は手を差し伸べて僕の小さな手を握ってくれた。僕は何せまだ一歳で言葉も覚えていない幼児で、早く大きくなりたいです、と言いたかったが口から出てきたのは赤ちゃん語だった。
「ダダー!」
その夜、母が僕を寝かしつけながら髪を優しくなでてくれていた。
「アントワーヌがね、貴方のことは私の次に大事な存在だって言ってくれたのよ……お母さまは胸が一杯になって何も答えられなかったわ……」
母は少し涙ぐんでいた。アントワーヌさんと母はとても仲の良い友達なのだな、などと考えながら僕は眠りに落ちていった。
父親について母はいつも言葉を濁し、僕の前では決して彼のことを悪く言うことはなかった。
「お父さまは忙しい方だから……」
でも母が時々悲しそうな顔をしているのを僕は見逃さなかった。
僕の伯父にあたるガブリエル国王はきっと侯爵なんかよりもっと忙しい方だろうに、時々しか王妃さまを訪ねて行かない僕でさえ何回かお目にかかることがあった。
そしてそんな時は必ずエティエン王太子やマデレーヌ姫に僕も一緒に遊んで下さるのだった。トーマ第二王子が生まれてからは彼を抱っこしながら僕達の相手もして下さっていたのを良く覚えている。
ジェレミー伯父さまとアナ伯母さまにも僕は可愛がってもらっていた。だから幼児の頃は、父親とよりも優しい伯父たちと過ごした時間の方が記憶に残っている。
僕はまだ幼すぎて大人の事情は良く分からないし、他の家族のこともあまり知らなかった。けれど、自分の家族は他とは違うということだけは確かだった。
それに変化が訪れたのは僕が三歳になろうとしていたある春のことだった。僕はジェレミー伯父さまにその日からラングロワ家でなく、彼の屋敷ルクレール家に住むのだと言われた。それから伯父の屋敷には毎日のように後に継父となるアントワーヌさんが訪れてくるようになった。
母からは父親のラングロワは悪いことをして牢屋に入れられたと教えられた。父親とはもう僕も母も家族ではなく、僕の名前はナタニエル・ルクレールになるのだとも言われた。
愚かな実の父親には特に何の感情も湧かなかった。そんな感情を持つほど親子としての交流が無かったからだ。彼を最後に見たのは彼が捕まる二日ほど前だった。ほんの一瞬ちらりと見ただけでその時言葉を交わすこともなかった。
ルクレール家に引っ越し、伯父伯母、ルクレールの祖父母にアントワーヌさんと賑やかに過ごしていたから、もうラングロワ家に帰りたくないと思っていたらそれが本当になった。
相変わらず僕はアントワーヌさんのことを母のとても仲の良い友達だと思っていた。それからすぐに母とアントワーヌさんは結婚すると言い、彼は母と僕をもっと幸せにすると誓ってくれた。
僕もアントワーヌさんなら母を殴ることもないという確信があった。というのもルクレール家に来てから母は良く笑うようになり、もう悲しそうな顔をしたり涙ぐんだりもなくなっていたからだ。
そして母とアントワーヌさんの結婚式が行われ、僕達はアントワーヌさんのペルティエ家に引っ越した。僕の名前はナタニエル・ペルティエになり、母に言われる。
「ナタン、アントワーヌのことは今日からお父さまとお呼びしなさいね。別に無理にとは言わないけれど。でも分かるでしょう、彼は貴方のこと実のお父さまのように、いえそれ以上に愛しているのよ」
「でもぼく、なんだかお父さまとよぶの、少しはずかしいです」
「そうね。慣れるまで時間がかかるかもしれないわね。けど、アントワーヌったらナタンからお父さまと呼ばれるのをそれは楽しみにしているのよ」
それからアントワーヌさんは毎日ちゃんと屋敷に帰ってきて、一緒に夕食を食べ、僕と遊んでくれて、これが家族なのだと僕は段々分かってきた。
「お父さま、お帰りなさい!」
その言葉は僕の口からある日自然に出てきた。そしてアントワーヌさん、いや父は目を大きく見開いていた。
「ナタン……」
「あの、これからずっとお父さまと呼んでもいいですか?」
「うん、もちろんですよ」
「お父さま」
父は満面の笑顔になって僕をギュッと抱き締めてくれた。
「ちょ、ちょっとくるしいです、お父さま……」
「ごめんナタン、つい嬉しくてね」
「まあアントワーヌ、うふふ」
父は僕を抱き上げ、彼に寄り添う母にキスをした。
「愛しています、フロレンス。僕、絶対にナタンの良い父親になります」
そして父は僕の額や頬にもキスをしてくれた。
「もちろんナタンのことも愛していますよ」
その夜、母は僕と二人の時に教えてくれた。
「お父さまは貴方の父親になれたことがそれは誇らしくて嬉しいみたいですよ、ナタン。良かったわ……本当に……」
もっと大きくなって知ったことだが、母はやはり再婚で連れ子の僕の面倒を父に見てもらうのを少なからず遠慮していたらしい。もちろん父にしてみればそんなことは全然なく、その後父と母の間には妹が二人生まれても、父は兄妹三人とも同じように接してくれた。優しく、時には厳しく無償の愛を注いで育ててくれたのだ。
二人目の妹が生まれる頃にはもう実の父親の顔はうろ覚えになってきていた。それくらい僕にとって継父アントワーヌの存在は大きいものなのだ。
僕は初等科を出るくらいから、十代半ばまでの難しい年頃に学院で頻繁に問題を起こし両親を悩ませていた。あまり手のかからなかった妹二人に比べると、僕が一番父を手こずらせていた。
母は僕を例えばルクレール領など、罪人ラングロワと僕の関係があまり知られていない場所に送って多感な時期を過ごさせようと提案したようなのだ。それには父の方が大反対だったという。家族が離れ離れになり余計僕が孤立するからという理由だった。彼は反抗期の生意気で手に負えない僕のことを見放したりせず、いつも根気よく接してくれたのだ。
僕はもうすぐ貴族学院も卒業し、父が母と結婚していきなり三歳の息子が出来た歳になる。何だか親になるとか、結婚でさえまだまだ僕自身は考えられない。父にそう言うと彼は穏やかに微笑んだ。
「君にそのうち本当に愛する人が出来たら分かると思うよ」
***ひとこと***
この話の構想を練り始めた時から書きたかった、アントワーヌとナタニエルの絆の強さでした。
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