最終話 王都の夢、領地の夢、里の夢
― 王国歴1043年 秋
― サンレオナール王都 ソンルグレ侯爵家
今年十六になったナタニエルはその日、妹のローズとマルゲリットと学院の授業が終わった後に帰宅した。両親も既に居るようだった。父親のアントワーヌがこんなに早く帰宅しているのは珍しい。
「ただ今帰りました」
居間に居た母親のフロレンスに三人が挨拶をすると、彼女は優しく微笑んで人差し指を口の前にあてた。アントワーヌは揺り椅子の上でうたた寝をしているようだ。
三人の父親、アントワーヌ・ソンルグレ侯爵は文官として着々と出世し、今は宰相室勤務でもうすぐ副宰相の椅子に手が届こうとしている。王国史上最年少で副宰相、そしてゆくゆくは宰相に着任するのではと周囲から期待されているのだ。
しかし彼がもっと上の地位を目指す目的は女性の権利と地位向上の為の法改正だと常々家族に言っている。フロレンスが最初の不幸な結婚で、現行の法では妻側から離縁出来なかったことが大きな理由である。
フロレンスはアントワーヌと結婚してから、家庭内暴力などで行き場を失った被害者が駆け込める保護施設の設立を実現させていた。非営利団体の『フロレンスの家』が誕生したのである。彼女は『フロレンスの家』の設立理由を人から聞かれても、友人から町にある教会兼孤児院の話を聞いたのがきっかけで、少しでも人助けをしたかったと答えるだけだった。決して昔自分が受けていた家庭内暴力などを口にすることはなかった。
アントワーヌはソンルグレ家に養子に入った後も、昔のペルティエ家の屋敷にそのまま家族で住み続けている。ペルティエの実父から屋敷は買い取ったが、ペルティエの家族が王都に来る時は変わらずそこに滞在していたので、以前と住人も使用人も特に変化はなかった。
ソンルグレの養父母もまだまだ若く、侯爵位をアントワーヌに譲った後も王都の同じ屋敷に住み二人共働いている。時々アントワーヌ一家が彼らを訪ね、賑やかに過ごすのだった。
このようにナタニエルの一家は他人から見ると少々複雑な家庭だった。
彼はナタニエル・ラングロワとしてガスパー、フロレンス・ラングロワ侯爵夫妻の元に生まれた。彼が三歳の時に実の父親のガスパーはケシ栽培、公文書偽造、横領などの罪で捕らえられた。そしてナタニエルは母親フロレンスの実家ルクレール家に戻り、ルクレール姓を名乗るようになった。ほんの数か月の間だけである。そしてフロレンスはアントワーヌ・ペルティエと再婚、今度はペルティエ姓となった。その後、継父のアントワーヌがソンルグレ侯爵家へ養子に入ったため、家族皆姓が変わり、ソンルグレになった。彼の短い人生、既にソンルグレ姓を名乗る期間が一番長くなっている。
このためナタニエルには祖父母が四人ずつ居て、全員健在だった。
父方の祖父母、ラングロワ夫妻は息子のガスパーが大罪人として捕らえられた時に何度も面会を願い出たが本人に拒まれていた。麻薬の影響で正気を失い、健康にも害をきたしていたガスパー・ラングロワは、アントワーヌとフロレンスの結婚後しばらくして牢獄内で
罪人の息子が亡くなったため、夫妻は国外に出て余生を過ごそうと旅立つ準備をほぼ整えていた。しかしアントワーヌの計らいで夫人の旧姓リゼに名前を変えた後、ペルティエ領の町外れに小さな屋敷を購入し、今はそこで細々と暮らしている。彼らはラングロワに嫁いでいたフロレンスとの関係も良好だったし、ナタニエルにとっては大事な祖父母である。たった一人の孫ナタニエルにも時々会えると夫妻は涙を流してアントワーヌに感謝した。
他には母方の祖父母ルクレール前侯爵夫妻、継父アントワーヌの両親ペルティエ前男爵夫妻とアントワーヌの養父母ソンルグレ前侯爵夫妻である。血の繋がりの有無に関係なく、それぞれの祖父母からナタニエルは可愛がられている。
ナタニエルと二人の妹達は静かに二階へ上がりそれぞれの部屋にひきとった。自室で宿題をし始めたナタニエルはふと窓の外に目をやり、何か気配を感じたのでバルコニーに出てみた。
「やっぱりね」
そして移動魔法で宙に浮いて飛び、居間の窓の外に居るその人物の隣にそっと着陸した。
「また覗き見しているのですか、貴方? 趣味悪いですね」
「あっ、これはお坊ちゃま」
「母の着替えや入浴なんか覗いていたら、父に拷問にかけられた上なぶり殺しですよね」
「分かっております。お父上のことは誰よりも良く存じ上げておりますから。それに、私の妻にも殺されます」
「貴方の奥さんって、ラングロワ家の侍女だったコライユでしょう?」
「えっ!? ご存知でしたか?」
「ラングロワ家の屋根の上や裏庭の奥で二人が時々逢引していたのを見たことがあります。ジェレミー伯父は『乳繰り合っている』と言うでしょう。まだ幼児だった僕には実際貴方達が何をしていたか良く分かっていなかったけれど、教育上非常に不適切でしたよね」
ナタニエルはニヤニヤと笑った。
「そ、そうでしたか……お坊ちゃまには敵いません。降参です」
ナタニエルは名前を知らないその人、ドウジュは鼻の頭を掻いた。
居間ではフロレンスが優しくアントワーヌの髪を撫でていた。
「アントワーヌ、起きて。そろそろお夕食よ。それに子供たちも帰ってきているわ」
フロレンスはそっと囁き、アントワーヌはゆっくりと目を開けた。目の前に居るフロレンスに微笑み、自分の周りを見回した彼は言った。
「ああ、フロレンス、僕一瞬昔に戻ったかと……学院の秘密基地での夢を見ていました。あの頃も貴女に優しく起こしてもらい、こうして目を開けると貴女の笑顔があって……」
少し身を起こした彼はフロレンスにそっとキスをした。
「まあ、アントワーヌ、あれから二十年も経っているから私はもう娘時代のフロレンスではないのに」
「貴女は今でもあの頃と変わらずお綺麗ですよ。いえ、年々さらに美しくおなりです。僕の愛しい大輪の花よ」
「そうだとしたら全て貴方のお陰よ。貴方に愛され慈しまれたゆえに私は咲けたのだから」
「男冥利に尽きます」
アントワーヌはフロレンスを自分の膝の上に座らせ、抱き締めて熱い口付けをし始めた。
「いつまで見ているつもりですか? 本当に趣味悪いですね」
「お坊ちゃまの方こそ。お父上は私たちが覗き見しているのを御存知の上でわざと見せつけておられるのですよ」
「なるほどね。ところで僕、子供の頃貴方が今度一緒にかくれんぼしようって言ってくれたからずっと待っていたのですよ。でも貴方はあれ以降来てくれなかったじゃないですか」
「じゃあこれからでも良ければ遊びましょうか? まあ私はお坊ちゃまから隠れきることは出来ないと思いますが」
「今僕が何歳だと思っているのですか? かくれんぼして遊ぶ年なんてとっくに過ぎましたよ」
「それは申し訳ありませんでした」
そう言いながらもドウジュは全然申し訳なさそうではなく、ニヤニヤしている。ナタニエルは彼には呆れながらも、居間にいる仲の良い両親を見つめて微笑んだ。
「いいのです。皆幸せになったからもう『大かくれんぼ大会』をする必要はないですしね」
――― 完 ―――
*** 本編完結記念おまけ ***
本編中でジェレミーは毎回アントワーヌを違う呼び名で呼んでいました。面白いのでまとめてみました。
間男少年、童貞君、ショタ君、ペナルティー、年下野郎、青の君、石橋ワタル君(彼にはライバル薄氷フミオ君も居ます)、したたか君、腹黒少年、本命君、策略家、頭でっかち、ソンブレロ、発情期野郎、
第四十二話でアントワーヌ・ペルティエ殿と本名フルネームで一度だけ呼びました。その時はアントワーヌに幻聴だと思われていましたね。
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