第四十五話 一念天に通ず

 数日後、アントワーヌはルクレール家を訪れていた。正式にフロレンスの両親アルノーとテレーズ夫妻とジェレミーに結婚の許しを請うためである。屋敷の居間でアントワーヌは自分の前に居る二組の夫婦に頭を下げていた。


「ルクレール前侯爵夫妻並びにルクレール侯爵夫妻、どうかこの私にフロレンス・ルクレール様に求婚する許可をお与えください。必ず、彼女とナタニエル様を幸せにします」


 アントワーヌはそこで手にしていた書類を見せようとする。しかし先にアルノーが近寄り、彼の空いている手を両手でしっかり握り、口を開いた。


「アントワーヌ君、そこまで畏まって大袈裟にしなくても、私の気持ちはもう決まっていたよ。君がフロレンスを救い出してくれたと聞いた時から」


 彼は既に涙ぐんでいる。


「娘を、フロレンスをよろしくお願いします。う、うっ……私が至らないばかりに、あの子に不幸な結婚を強要してしまって……ううっ……」


 そして涙を流しだした前侯爵に頭まで下げられてアントワーヌは恐縮してしまった。テレーズも同じように頭を下げた。


「アントワーヌさん、私からもよろしくお願いいたします。本当に良かったわ。ジェレミーもアナも異論はないわよね」


「ありません」


 アントワーヌは少々驚いて目を見開いてジェレミーの方を向いた。異論はなくても何か一言あるだろうとばかり思っていたのである。


「アントワーヌが晴れて私の義理の弟になる日が来るなんて、嬉しいですわ」


「やっとアナさんのことを義姉上とお呼びできますね。なんとなくアナさんとは初めてお会いした時から長い付き合いになるのではないか、と思っていたのです」


「おい、頭でっかち! 離縁の王命が下ってから今まで何をモタモタしてたんだよ、全く。書類が何とかって、婚姻許可の書類は求婚してから提出するもんだろ!」


 やはり一言も二言もあった。


「あの、求婚の許可を頂くためにこちらを準備しておりました。本日もお願いする前にお見せしようと思っておりましたのに少々順序が逆になってしまって……」


 アントワーヌはまずアルノーにその書類を見せた。


「これは……もしかして、アントワーヌ君……」


「私がソンルグレ侯爵家の養子に入るための養子縁組申請書です。認可されると完全に決まったわけではございませんが、これで堂々と彼女に求婚できると思いました」


 アルノーはその申請書を自分の妻と息子夫婦にも見せた。


「ソンルグレ君か、私も良く知っているよ。信頼できる男だ。そう言えば今回の告発、彼と連名にしたのだったね。残念ながら彼と奥方には子供がいないし、親戚にも後を継ぐ適任者がいないらしいからなあ。ソンルグレ侯爵家は彼の代で終わるのではと言われていたのに、彼も頼もしい後継者を見つけたものだ」


「お前、侯爵になんのか?」


「はい、フロレンス様とはその後結婚したいと思っております」


「君はそこまで……」


「何を悠長なことぬかしてんだよ!」


 ジェレミーはアントワーヌの頭をぺしっと叩いた。彼の隣に座っているアナは呆れ顔である。


「養子縁組が成立して、お前がそれから侯爵位を継ぐまでに何年かかると思ってんだ?」


「ジェレミー、アントワーヌさんに失礼よ」


「あ、申し訳ありません」


「これは私の男としての意地なのです。侯爵令嬢としてお生まれになって、最初の結婚では侯爵夫人となられたフロレンス様に、爵位も何もない私に嫁いで頂くわけには参りません。再婚だから格下の男に嫁ぐ羽目になったと世間に彼女が後ろ指を差されるのは耐えられません。最初の結婚以上とはいかずとも、同様の地位を保証して差し上げたかったのです」


「じゃあお前はソンブレロから養子縁組の話がなかったら、フローに求婚するのも諦めていたのか?」


「あの、ソンルグレなのですけれども……その場合はとりあえず宰相室所属になるくらいまで出世してから、と」


「アントワーヌさん、フロレンスはもう24よ。いくら再婚と言ってもね、さっさともらって下さる? それに私の足腰が立つうちに式を挙げてね。婚姻の準備も楽しいけれど大変なのよ。ああ、また忙しくなりそうだわ!」


「君はまだまだ若いからいいけどね。ナタンも弟か妹が欲しいだろうし。こういうことは早い方がいいに決まっているよ。フロレンスがおばさんになる前にね」


「おばさんだろうがお婆さんだろうが、私のフロレンス様を愛する気持ちは変わりません」


「だから、爵位なしのペナルティーだろうがソンブレロ侯爵だろうが関係ない。フローはもうお前以外の男に嫁ぐ気はないって分かっているだろ?」


 そこでジェレミーはセバスチャンにフロレンスを呼ぶように言いつけた。そしてフロレンスがやや緊張した面持ちで応接室に入ってくる。ジェレミーがアントワーヌを肘でつついてせっついた。


「フローがババアになる前に早くしろ!」


 アントワーヌはフロレンスの前にうやうやしくひざまずく。


「フロレンス・ルクレール様、祭壇の前で貴女のお手を取る栄誉をどうかこの私にお与えください。私の全身全霊をかけて貴女とナタニエル様を幸せにして差し上げると誓います」


「はい。アントワーヌ・ペルティエさま。私もう待てません。貴方の奥さんにして下さい」


 アントワーヌは立ち上がり、涙ぐみながら微笑むフロレンスの頬に軽くキスをして彼女を抱き締めた。


「ありがとう、フロレンス。もう決して貴女に嬉し涙以外の涙は流させません」


「ええ、アントワーヌ。私たち幸せになりましょうね」


「ナタニエル様にも報告していいですか?」


「もちろんよ。ナタンも喜ぶと思うわ」


 ナタニエルはラングロワ家からルクレール家に移ったことを疑問には思っていてもすぐに馴染んで毎日楽しそうに過ごしていた。毎日のように訪ねてくるアントワーヌには既に懐いていた。彼の別宅にもフロレンスと一緒に一度来ている。


 父親が居なくなったことを特に寂しがっている様子もなかった。それにどのみちラングロワは息子が生まれた時から、数か月に一度王都の屋敷に来る時に顔を見せていただけだ。それもフロレンスに息子と過ごす時間を作れ、たまには父親らしいこともしろとせっつかれて渋々といった感じだったのだ。


 ナタニエルは分かっているのかいないのか両親がもう夫婦ではなく、母親がアントワーヌと結婚することをすんなりと受け入れてくれた。


「はい、アントワーヌさまならいっしょにあそんでくれます。お母さまもなぐりません」


「ナタン……」


「はい、ナタン。お母様と貴方をもっともっと幸せにすると約束します」


 アントワーヌは大罪人を父親に持つナタニエルが不憫だった。彼の将来にそれが影を落とさないことを祈るのみだった。



***ひとこと***

ルクレール家のご両親にも結婚を認めてもらえました。


領地再建の為に藁にもすがる思いだったアナを、多忙を理由に見放さず親身になって手助けしようとした甲斐がありましたね、アントワーヌ君。当時は将来義理の家族になるとは思ってもみなかったことでしょう。

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