第四十二話 後生畏るべし

 その後、アントワーヌは落ち着かない気分で仕事を終え定時に王宮を出た。全てが終わって、フロレンスとナタニエルの無事をこの目で確かめたかった。迷わずルクレール家に向かう。


 フロレンスのことが無ければ一生くぐることなどなかっただろう、侯爵家の門の前に着いた。門前払いされるのは覚悟で呼び鈴を鳴らした。一応文官の制服は着ているものの、ソンルグレ副長官にも言われた通り、目は血走り酷い顔をしているのは分かっていた。


 アントワーヌの不安をよそに、門番らしき男性は彼に深くお辞儀をし、すぐに通してもらえた。


「どうぞお入りください。馬丁ばていがすぐに馬を預かりに参ります」


(誰でも通すのか、この屋敷は? そんなわけないよね……)


 玄関の扉を恐る恐る叩くと出てきたのは年配の執事だった。彼のこともフロレンスがだいぶ昔に教えてくれていた。


『執事のセバスチャンはね、とても怖くて私の姉も兄も頭が上がらないのよ』


 そんなに厳格な人間には見えないが、アントワーヌなど虫けらのようにつまみ出されるのではないか、とビクビクしながら名を名乗った。


「アントワーヌ・ペルティエと申します。突然押し掛けて申し訳ありません。あの、フロレンス様とナタニエル様のご無事だけを確認したくて、それだけお聞きしたくて……参りました」


「どうぞお入りください。こちらの居間へどうぞ」


 フロレンスが超怖いと形容する執事は柔らかく微笑み、案内してくれようとする。


「い、いえ、私はお二人の安全が分かれば、それだけでよいのです。すぐにおいとまさせて頂きますので」


 遠慮したアントワーヌに、セバスチャンは有無を言わさず彼を屋敷内に招き入れ、扉を閉めてしまった。


「ペルティエ様を追い返すなんて出来るはずがございません。私が主人に叱られます」


 フロレンスやアナはともかく、ジェレミーに叱られる? アントワーヌは目をぱちくりさせた。そして居間に通されたアントワーヌは所在なく、長椅子に座る気にもなれず、突っ立っていたところにジェレミーが入ってきた。


「よう、策略家! 今日出勤したのか? 仕事にならなかったろ。それにしてもひでぇ顔だな。俺は休んだぞ、出戻りのフローを迎えるために」


「昨晩ラングロワ領に行って、高飛びしようとしていた奴を捕らえ、朝まで眠らせて逃げないようにしてきました。深夜に戻ってそのまま出勤したのです」


「お前領地まで行ったのか? それにしても良くアイツを生かしておけたな。俺もラングロワ領への一団に加わることを命じられたがな、奴をなぶり殺しにしそうだったから辞退した。陛下もその方がいいとおっしゃったし」


 それは本当だった。アントワーヌも昨晩よくラングロワをあやめなかったものだと自分でも思う。


「ルクレール侯爵、フロレンス様から文は頂きましたが、居ても立ってもいられずお邪魔して申し訳ありません」


 そこでジェレミーは真面目な顔になり、何とアントワーヌに頭を下げた。


「フロレンスとナタニエルが無事に帰ってこられたのは全て貴方のお陰だ。アントワーヌ・ペルティエ殿、ルクレール家を代表して心から礼を言う」


 アントワーヌは目を丸くした。傲慢で傍若無人なジェレミーが頭を下げ、今まで見たこともないような畏まった態度で彼に礼を言ったのだ。悪い夢でも見ているのではないかと一瞬疑った。


「侯爵、今私を名前でお呼びになって、というか私の名前ご存じだったのですか? それに頭をお下げになられましたか? 寝不足のせいで幻覚に幻聴まで……」


「お前な、いちいち口の減らない奴だな!」


 ジェレミーはアントワーヌの両肩をガシッと掴み、ゆさゆさと揺さぶった。


「な、何だか信じ難くて……」


「アントワーヌ!」


 そこへフロレンスが居間に駆け込んできた。


「フロレンス様!」


 二人は駆け寄り、手を取り合った。


「ご、ご無事で何よりです。良かった……やっとこの日が訪れた……長かった……本当に長かった」


 アントワーヌは感極まって涙が溢れるのを止められなかった。


「アントワーヌ、泣いているの? いつも私ばっかりだったのにね、泣くのは」


 フロレンスはアントワーヌをぎゅっと抱き締め、彼は彼女の温もりをひしひしと感じた。


「だって、フロレンス。貴女がやっと自由になって、僕の目の前で微笑んで……」


 夢でも何でもない、この暖かさは本物だった。再びアントワーヌの頬に涙が伝い、言葉も続かなかった。彼もそろそろと彼女の背に両腕を回してみた。フロレンスの実体がしっかりと両手に感じられる。この温もりにずっと溺れていたかった。


 しかし、アントワーヌはそこでふとジェレミーも居ることを思い出し大いに照れくさくなってしまった。涙はまだ止まらず流れ続けている。アントワーヌは体を僅かに離してフロレンスに聞く。


「あの、ナタニエル様は?」


「少し前に昼寝から目覚めて、おやつを食べていたのよ。今は庭で遊んでいるわ」


「僕もお会いできますか?」


「ええ、もちろん」


 アントワーヌはちらりとジェレミーの方を見ると何と彼まで涙ぐんでいる。やはり夢か、幻覚を見ているのだろうか、今日のジェレミーにはどうも調子を狂わされる。ジェレミーの涙には触れないことにしたアントワーヌだった。


 そしてフロレンスに手を引かれて一緒に庭に出た。居間に面した庭の芝生の上で遊んでいるナタニエルに彼女は声を掛けた。


「ナタン、お客さまを紹介するわ。アントワーヌ・ペルティエさまよ。ご挨拶なさい」


「こんにちは!」


「初めまして、ナタニエル様」


「はじめましてじゃありません。ぼくあなたに会ったことがあります。それにまだあかちゃんのころ、お母さまはよくあなたのなまえをよんでいました」


 ナタニエルはフロレンスのお腹に居た頃からの記憶がしっかりとあることをアントワーヌは思い出した。


「え? ああ、そうです。初めてお会いしたのは王妃様やエティエン様の所でした」


「そのとき、あなたはぼくに、はやく大きくなってお母さまをまもるように、といいました」


「そのとおりでございます。ナタニエル様は一度会ったことがあるだけの私を覚えていらっしゃるなんて、ご利発ですね。それにあの頃よりも随分と大きくなられました。すぐにお母さまをお守りできる立派な紳士におなりでしょう」


「はい、お母さまはぼくがまもります。あ、アントワーヌさまもまほう石をもっているのですね」


 フロレンスとアントワーヌは少し驚いた。彼はシャツの中、首に掛けていたその石を取り出して見せた。フロレンスの瞳と同じ青緑色の魔法石である。


「こちらのことですね」


「はい、お母さまの石はうすい茶色です」


「ナタニエル様には何でもお見通しですね。お互いの瞳の色の石を交換して持っているのですよ」


「アントワーヌさまはお母さまのたいじなお友だちなのですね。ぼくのことはナタンとよんでください」


「はい、ありがとうございます。ではナタン、今度一緒に遊んでくださいね」


「うん、やくそくです」




 そこへ今帰宅したのだろう、アナがジェレミーとやってきた。


「アントワーヌ! フロレンスさま! お疲れさまでした。良かったですね」


 アナはお腹が少し大きくなっている。


「アナさん、お久しぶりです。アナさんにも色々お世話になりました。体調はいかがですか?」


「私は順調よ。お二人は感動の再会を遂に果たされたのね」


「おい、お前は夕食前に風呂に入ってそのひどい状態をなんとかしてこい。両親も来るからな」


「い、いえ。それなら尚更のこと、家族水入らずのお時間を邪魔するわけにはいきません。私は失礼致します」


「何言ってんだ、ここでお前をとっとと追い返したら俺がフローに一生恨まれる」


「お兄さま!」


「よろしいのですか? それではお言葉に甘えて。ありがとうございます」


「フロー、南の客用寝室だ、案内してやれ」


「ナタンはアナ伯母さまと一緒に夕食まで遊びましょうね」


「ハイ!」



***ひとこと***

怒りのアントワーヌ君よりも超レアな、殊勝で礼儀正しいジェレミーさまでした。案の定一瞬にして消えました。

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