第四十一話 立つ鳥跡を濁さず

 アントワーヌはラングロワ領から馬をとばし王都へ着いたのは深夜になっていた。気持ちが高ぶっていたが、努めて少々の仮眠を取った。


 今朝は夜明けと共に王国の兵がラングロワ領に向かい、王都のラングロワ家には早朝に王都警護団と兵が押し掛けるはずだった。フロレンスは当日の朝、屋敷の使用人に事情を伝え、王命を持った兵に屋敷を明け渡してからルクレール家に戻ると言っている。ナタニエルだけでも先に保護できたのは幸いだった。


 アントワーヌは気が気ではない。仕事を休んでいたら居ても立っても居られなかっただろう。いつものように雑用でも押し付けられて何かしている方がよっぽどましだった。寝不足の上に気が落ち着かず、とりあえず目を覚ますために顔だけは洗ったが、目は充血し髪はボサボサ、無精ひげと身なりを構っている余裕がなかった。


「フロレンスが無事にルクレール家に帰るまでは気が抜けないな」




 その頃、ラングロワ家では朝食の後、使用人全員を集めたフロレンスが彼らに状況を説明していた。


「ガスパー・ラングロワが国庫の予算横領、書類偽造、ケシ栽培などの罪により逮捕されることになりました。彼は爵位を剥奪され、このラングロワ家の土地と屋敷は本日付けで王国に没収されます。もう少ししたら警護団と兵が屋敷を差し押さえにこちらへいらっしゃいます」


 使用人達にとっては寝耳に水である。ざわざわし出したのも無理はない。


「皆さんお静かに。私とナタニエルは王命によりラングロワ家とは絶縁、実家のルクレール家に戻ります」


「奥様、私たちは今日いきなり住む場所も職も失うのですか……」


「皆さまには三か月分の給与と推薦状をお渡しします。すぐに行くあてのない方々はしばらくこの屋敷に留まれるよう、兵を率いる責任者の方にお願いしてみます。コライユ、皆さまにお配りしてください」


 コライユに渡された小切手を確かめた執事が口を挟んだ。


「奥様、これは、奥様個人名義の口座からの支払いではないですか……」


「今まで知らなかったとは言え、横領した王国の予算や違法なケシ栽培の利益で生活していたと思うだけでぞっとします。ラングロワ家の財産は全て没収となりますしね」


「それでも、奥様が私財から私たちの給与をお支払いになる必要はございません」


「よろしいのです。この家に嫁いできて、侯爵夫人として至らなかったことの多い私ですけれど、皆さまには大変お世話になりました。これは私の気持ちです。餞別として受け取って下さい。皆さまもお元気で、これからのご活躍をお祈りいたします」


「ありがとうございます、奥様」


 一同口々にフロレンスに礼を言った。涙を流している者までいる。


「私はもう奥様ではなくなったのですよ」




 その時、外から大勢の足音が聞こえ、扉が叩かれた。


「ああ、皆さまがお着きのようです」


 フロレンスは自ら扉を開けて兵を迎え入れた。責任者はリュック・サヴァン中佐だった。


「ご苦労様です、サヴァン中佐、皆さま」


「本日付で王命によりこのラングロワ家の屋敷は王国によって差し押さえられました」


「謹んでお引き渡し致します」


「とりあえず本日は王命をここで伝え、証拠となりそうな物品、現金、貴重品、家具、絵画等を差し押さえに参りました」


「使用人には危害を与えないでいただけますか? 彼らに罪はありません。すぐに行く場所のない者も大勢おります。しばらくは彼らがこの屋敷に住むことをお許しいただけるでしょうか?」


「それは構いません。十五日間の期間を設けます。なるべく早く出て行くようにして下さい。それから各人連絡先を警護団が把握しておく必要がありますので一人ずつ後程呼びます。後々証人として出頭要請があるかもしれません」


「ご配慮ありがとうございます。どうぞ皆さんお入りください」


「とりあえず使用人の皆さんは各自の部屋で待機していただきます」


「フロレンス・ルクレール様にはルクレール家からの馬車がお迎えのために門の前に待機しております」


 フロレンスは警護団員と兵を屋敷の中に案内した。


「フロレンス様、差し押さえに立ち会う必要はありません。もう御実家にお帰り下さって結構です」


 一団の責任者であるリュックにフロレンスは声を掛けられた。そして彼女の耳元でこっそりとささやかれる。


「というか、貴女がルクレール家に今すぐお戻りにならないと俺が後からルクレールに殺されます」


「まあ、お兄様ったら……では、サヴァン中佐、後のことよろしくお願いいたします」




 彼女はまとめておいた自分とナタニエルの最小限の荷物を持ち、ルクレール家の馬車に乗った。


「結婚して五年ちょっと、あまりいい思い出はないけれどこの屋敷ともついにお別れの時がやってきたわ。ナタンにとっては自分が生まれた家なのよね。さようなら」


 アントワーヌに送り込まれていたコライユとモードはペルティエ家に戻るとフロレンスに告げた。ペルティエ家から給与が支払われるからと二人はどうしても小切手は受け取ろうとしなかったのである。




 王宮に出勤したアントワーヌは雑用で気を紛らわせたい気分だというのに、今日に限って誰も何も言いつけてくれなかった。シャツの上から魔法石を握りしめ、ブツブツ独り言を言っている彼のただならぬ気迫に、誰もが近寄り難い何かを感じて敬遠されていたのだった。


 午前中アントワーヌ達のいる部屋に立ち寄ったソンルグレ副長官は呆れて言った。


「ペルティエ、なんだその無様ななりは……」


「も、申し訳ありません、私は……」


 そこでソンルグレはアントワーヌの耳にそっと囁いた。


「分かってるよ、気が気じゃないんだろ?」


 正午少し前、魔法石が少し暖かくなってフロレンスの声が聞こえてきたような気がしたアントワーヌだった。


『アントワーヌ、私は無事よ……』


 空耳かと思ったが、その時サブレが執務室に窓にとまっているのが見えた。使われていない小会議室で受け取った文を広げる手もブルブルと震えていたアントワーヌは自分自身に声を掛けた。


「落ち着け、落ち着くんだ……」


『アントワーヌ、無事に実家に帰りました。私、やっと自由の身になったのですね。フロレンス・ルクレール』


 疲れた目をこすって再び読み直した。確かにフロレンス・ルクレールと書かれている。アントワーヌは脱力して他に誰も居ない小会議室の床にへたり込んだ。


「良かった……」


 あとはドウジュからの知らせを待つだけだった。昼食も喉を通らず、食堂で同席してきたクリストフにも心配された。


「まずはフロレンス様が無事帰れて良かったね、アントワーヌ。あとは奴が捕らえられれば終わりだ。もう大丈夫だよ」


「いや、最後の最後まで油断は出来ないよ」



 昼過ぎのことである。クレハに戻ったコライユが王宮までやって来たのである。アントワーヌが外をふと見ると窓から彼女が顔だけ出して覗いていた。いい知らせなのか、それとも悪い知らせなのか……小会議室で落ち合った。


「若さま、この魔法石というものは便利ですね。先程少し暖かくなったと思って取り出したらドウジュさまの声が聞こえてきました。ラングロワは捕らえられて王都外れの牢獄に護送中だそうです」


 アントワーヌは頬の筋肉が緩むのを感じた。


「ラングロワが逃亡しないように一応護送馬車の後をつけているそうですが、まず脱走を図れるような状態ではないそうです。睡眠薬が効きすぎていて」


「ありがとう、クレハさん」


「フロレンスさまもルクレール家にお戻りになられましたし、おめでとうございます」


「貴女とモードさんもお疲れさまでした」



***ひとこと***

アントワーヌ君とフロレンスさまの長い長い冬が終わりました。

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