第三十一話 脛に傷を持つ
アナとフロレンスは魔法で錠を開けたバルコニーからラングロワ家の主寝室に侵入した。
「ほら、あの机の横の灰色の金庫です」
アナは近寄ってその金庫を見た。特殊で複雑な鍵だが、魔法で守られているわけでもないようである。アナが何度か試してみるとカチカチッと音がした後、その重厚な扉が開いた。
「これなら中身を取り出した後、再び元通りに錠を掛けられます」
「ああ、良かったですわ」
そして二人は中に入っていた書類を取り出した。それは数十枚の紙と、二冊の手帳だった。金庫が開けられたらそこに留まって書類を改めるよりも、一旦フロレンスの部屋に持ち帰ってゆっくり調べようと二人で相談していたのだが、じっくりと見る必要はなかったのである。
というのもフロレンスは一目でそれがアントワーヌとクリストフが見つけた国庫のすり替えられた書類だということが分かったのだ。
「金庫の外からはあまり感じられませんでしたけれど……この書類には何か魔法がかけられていますね」
「そうでしょう、やっぱりだわ。これが私たちが探していた国庫の書類です」
アナは空の金庫を元通りに閉め、二人はフロレンスの部屋に戻った。アナは感嘆して言った。
「フロレンスさまはお詳しいのですね。私は見ただけでは何の書類か分かりませんでした」
「ほら、ここに王国の紋章が入っているでしょう? それに続き番号も。日付は、やっぱりラングロワが国庫に勤めていた時のものね」
フロレンスは虚しい結婚生活の間に読んだ本のお陰で知識は豊富だった。アントワーヌからも色々教えてもらっていたし、それに彼が何を探しているか知っていたからでもある。アントワーヌ達が見つけた偽造書類の続き番号ともぴったり一致する。
「ラングロワは王国の予算をくすねていたに違いないわ。そのお金で私のこのドレスも食事も賄われているかもしれないなんて……」
彼女は吐き捨てるように言った。
「こちらの手帳は、王都銀行の通帳ともう一冊はロワイヤル銀行のものですね。この書類、フロレンスさまの手元に保管しておくのは宜しくないでしょう? これからすぐ私がアントワーヌに届けましょうか?」
「アナさん、いいのですか? お時間大丈夫ですか? 寒い中申し訳ないですわ」
「私の都合はよろしいですけど……実は私婚約してからはアントワーヌとはもう表立って会ったり、お互いの家を行き来したりは止めたのですね。アントワーヌとどこで会えばいいでしょうか?」
「そうね。アントワーヌは私の家族との付き合いがあることを秘密にしているものね。彼に文を書いてみるわ」
そしてフロレンスは鳩笛を取り出して吹き、急いで文をしたためた。フロレンスが文を書き終わるとほぼ同時に薄茶色の鳩が飛んできたのである。
「サブレ、お疲れさま。またアントワーヌに文を書いたの。いつもありがとう、お願いね」
フロレンスはサブレに少し餌をやり、足に文の入った筒を取り付けた。鳩は直ぐに飛び立っていった。
「まあ、フロレンスさま。私もビアンカさまに文を書く時は鳩を使わせてもらっているのです。私のところに来る鳩は灰色の雌で名前はサンドリヨンです」
「元々サブレはアントワーヌとビアンカさんの間の連絡係だったの。彼がこの屋敷へも来られるようにビアンカさんが躾けてくれたのよ」
「そうだったのですか。賢いですよね、ビアンカさまの小さなお友達は」
二人でそんなお喋りをしている間にサブレはアントワーヌの返事を持って帰ってきた。
「アントワーヌは仕事帰りに別宅でアナさんと落ち合うことにしたいそうよ。新しい別宅の場所はご存じないでしょう? 同じプラトー地区だけど少々北の方に移ったのよ」
フロレンスはアナに新しい住所を教えた。
「侯爵家の馬車で行くのはまずいですから……街で辻馬車を拾って行きます。ドレスは少し質素な感じに魔法で変幻させます」
一旦帰宅して着替えてから辻馬車で出直しても良かったが、ひょっとジェレミーが帰宅していて見つかると少々面倒なことになりそうだとアナは考える。
アナは身籠ったことを先日ジェレミーに伝えた。表立っては彼の態度は変わらないが、かなり心配症になったのだ。妊娠中は瞬間移動を絶対使うな、と言われている。ひょっとして胎児を置いて母体だけが移動してしまうのではないか、とジェレミーは信じきっている。それから色々他にも魔法を使うのを根拠もない理由で禁止されている。
アナはジェレミーに心配されるのが純粋に嬉しい。しかし、彼女がアントワーヌの別邸に行く、などと言うとついて来るに違いない。彼を説得して地味な格好に着替えさせないといけないし、とにかくそんな手間を省くためにも直接行った方が良さそうだった。
「アナさん、何から何までありがとう」
帰り際にフロレンスから冷えると良くないから、とショールにひざ掛け、湯たんぽまで持たされる。まだ彼女に妊娠のことは告げてないが、もしかしたら察しているのかもしれない。
アナは辻馬車が拾えるような大通りまで侯爵家の馬車で行き、そこで馬車を乗り換えた。御者にはジェレミーと執事宛ての文を持たせる。
『少し寄るところが出来ました。辻馬車で帰宅いたしますので先に御者だけ帰します。夕食前には帰ります』
アントワーヌの新しい別宅は以前良くニッキーがジェレミーに送ってもらっていた家よりも随分大きい一軒家だった。やや上流階級の住宅街で、両隣とも少し離れており広い庭もあった。これならあまりドレスや外套を質素にみせなくても良かったかもしれないとアナは思った。
アントワーヌはまだ帰宅していない様だったが、家の前で待つわけにもいかず、アナは玄関の扉を魔法で開け勝手に入る。誰も居ないにも関わらず、暖炉に既に火はくべられており、お茶まで用意されていた。アントワーヌに知らされたドウジュが準備していたのだった。
待っている間、アナは暖かい居間の長椅子の上でうとうとしてしまった。今日の興奮と緊張が少々緩んだからに違いない。そしてアントワーヌが到着した物音によりアナは目覚めた。
***ひとこと***
アナが唱えた金庫破りの呪文はあのハー〇イオニーも使っていた「アロ〇モーラ!」でしょうか。
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