第三十話 持つべきものは友

 フロレンスもほとんど入ったことのないラングロワ家の主寝室には金庫があった。コライユもフロレンスもこの金庫は怪しいと常々睨んでいる。


 結婚したばかりの頃、ルクレール家から持ってきた宝石の類をその金庫に保管してもいいだろうか、とラングロワに頼んだところ即断られたからである。大事な書類の為の金庫だ、宝石を保管するのだったら自分用に一つ買えとのことだった。


 フロレンスはそこまで夫に信用されていないのか、と不満に思ったと同時に何がそこまで大切なのだろうと疑問だった。


 大抵の錠は針金のような器具で開けられるコライユも試したがあの金庫は少々錠が複雑で破れなかったらしい。コライユでも無理ならもう諦めかけていたところだった。屋敷の中で鍵を探してリリアンに不審に思われ、ラングロワに知らされるのは非常にまずい。


 そこでフロレンスは思いついた。ジェレミーと結婚したアナは貴族学院に編入し魔術師になるための勉強をしている。彼女はクロードも驚くほどの結構な魔術を持っていると聞いていた。アントワーヌからもアナの秘密は一通り教えてもらっている。彼女は魔法で錠を一瞬で開けることができるらしい。


 アナなら良くこの屋敷に訪問してきているから怪しまれないだろうとフロレンスは考えた。彼女の魔力でも開けられなかったり、彼女に泥棒の真似は出来ないと断られたりした時はクロードに頼むなどの別の手がある。


 フロレンスは早速、学院が休みの日やいつでもいいから都合の良い時に来て下さい、お願いしたいことがあるからとアナに文を書いた。アナからは直ぐに返事が来て、次の休みにお邪魔しますとのことだった。


 アナとは年末に会ったきりだったフロレンスは、その日やって来た彼女の雰囲気が以前と少し違うことに気が付いた。温厚な性格のアナが益々柔らかくなったというか、気持ちにゆとりが出来て幸せに溢れているというか、そんな感じを受ける。


 ナタニエルのことは初めて会った時から大層可愛がってくれていたアナだったが、今日は特に彼の姿を見ていつもに増して目を細めている。


「まあナタン、お元気ですか?」


「ハイ! アナおばさま、こんにちは!」


「ご挨拶もきちんと出来てお利口さんですこと。また大きくなったのね。頼もしいわね」


 そしてギュッと彼を抱き締めて頬や額にキスを降らせている。


「今日はお母さまの大事な用事があるから、貴方と一緒に遊べないのがとても残念だわ。貴方の笑顔だけでも見られて良かったわ。また今度の機会ね、ナタン。」


「ハイ、おばさま」


 侍女と一緒に部屋を出て行く彼をさも愛おしそうに見ているアナだった。フロレンスはそんなアナを見てもしや、と思った。


「フロレンスさま、私にお願いとは何ですか?」


「あることにアナさんの魔力をお借りしたいのです。でも貴女が何らかの理由で出来ないとおっしゃるのならそれでも構いません。断られても私たちの友人として義理姉妹としての関係は変わらないとお約束します」


「フロレンスさま、何かを探っていらっしゃるのですか?」


 アナもジェレミーかアントワーヌから少々の事情は聞いているようだった。


「はい。隣の主寝室にある金庫の中に何かの書類が入っているようなのですね。それを確かめたいのです。錠破りが出来る私の侍女でも無理でした。アナさんなら魔法で開けられるのでは、と思ってこうして来ていただいたのです」


 アナは迷わずニッコリ笑って答えた。


「分かりました。私の力で開けられるか試してみましょう。魔力は悪用してはいけないと学院で教わっていますが、その、ラングロワ侯爵の事は少々聞いております。これは悪事とは呼びませんよね」




 アナはアントワーヌが切ない恋をしていることは以前から知っていたが、夫のジェレミーからその相手がフロレンスだと聞いたのはつい最近だった。


 年も離れているし、職業も違い共通点もなさそうなジェレミーとアントワーヌが何故知り合いなのか、アナはある日ジェレミーに尋ねたのだ。


「旦那さまはアントワーヌと仲が宜しいですよね、どういうお知り合いなのですか?」


「仲良くねえよ。アイツの方が俺を何故か慕ってつきまとってくるだけだ」


 そのジェレミーの言葉が信じられずアナは彼に不審そうな目を向けた。


「オイ、本当に知らないのか? お前アイツとも結構仲いいし、フローの所に婚約中から良く行ってるくせにさ。まあ言ってもいいかな。アイツ、フローの本命なんだぞ」


「……えええっ? そうでございましたか……そう言えばアントワーヌにはどなたか想う方がいるとは聞いていましたが、それがフロレンスさまだとは……ああ、でも納得です」


「学院時代、フローが婚約している時からずっと想い合っているんだよな。でもランジェリーの野郎、フローのこと愛してもないくせに王族とも繋がっている侯爵令嬢だからって婚約破棄を拒んでさ」


「まあ、そんなことがあったのですか……」




 アナはフロレンスの夫、ラングロワ侯爵には自分の結婚式で一度会っただけだった。アナは何度もここラングロワ家に訪れていたのに彼は一度たりとも王都に居たことがなかったのである。フロレンスは表立って夫の悪口は言わないが、アナも彼には不信感が募っていた。


 それはジェレミーからラングロワの行状などを聞くまでもなかった。金庫の中の書類をあらためるなど何でもないことだ。


 アナ自身はジェレミーと結婚して数か月、本当の意味で夫婦になったのはつい最近のことだったが、夫婦間で金庫に隠しておかないといけないような秘密があるというのがまず信じられなかった。




「早速その金庫破りが出来るかどうか試してみましょう」


「ありがとう、アナさん。今、侍女のコライユを呼びます」


 フロレンスはバルコニーに出る扉を少し開けて小さな鈴を鳴らした。そのコライユと呼ばれる侍女は数分でバルコニーから部屋に入ってきた。


「コライユ、昼間に呼び出してごめんなさいね。仕事抜けるの、大丈夫だった?」


「フロレンスさま、ご心配なく」


「アナさん、こちらコライユです」


 そのコライユはアナに深くお辞儀をした。アナは彼女がアントワーヌから遣わされた人物ということも聞いていた。アントワーヌは実に色々なつてがあるものだ、とアナは改めて感心した。


「こちらのアナさんがあの金庫を開けられるか試して下さいます。扉からよりもバルコニーから侵入した方がいいわよね。庭から見える場所に人は居ない?」


「庭師や馬丁達の気を引き付けておきます。バルコニーの窓は私が開けてなくてもよろしいですか?」


「ええ大丈夫です。私が魔法で開けて戻る時にはまた閉めますから」


「アナさん、寒いですから何か羽織って行ってください」


 フロレンスはショールをアナに渡した。そして二人はバルコニー沿いに隣の主寝室へ行くことにした。


「フロレンスさま、こんなことを言っては不謹慎かもしれませんけれど泥棒の真似なんて初めてで私ワクワクします」


「まあ、アナさんったら」



***ひとこと***

今回の副題は『奥様は空巣泥棒』です。

私の中で女泥棒と言ったらキャッ〇・ア〇!

あっ、一人足りないし、レオタードも着ていない!アメリも誘えば良かったかな? 

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