第二十九話 怪我の功名

 アナの結婚式をぶち壊す陰謀に巻き込まれドウジュに捕まったモードはアントワーヌに引き取られ、その後ラングロワ家に送り込まれていた。


 主に厨房で下働きをしているモードは働き出した初日にコライユにこっそり話しかけられ、いざという時のために彼女を呼ぶ笛を渡された。詳しい事情は知らされていないモードだったが、アントワーヌに何でもいいから異変を見聞きしたらすぐコライユに報告するように言われていたのだった。


 モードの今度の職場、ラングロワ家は一介の下働きである彼女の目にも少々奇異に映った。主人のラングロワ侯爵はずっと領地に行ったきり常に留守で、実際に住んでいるのは妻のフロレンスと息子のナタニエルだけである。


 使用人たちの関係も少々変だった。まず、使用人全体をまとめているのが誰かはっきりしていない。ここでは執事よりも侍女頭のリリアンの方が実権を握っているようである。モードの同僚達もリリアンのことを恐れていたが、陰では文句を言いたい放題である。




 ある日庭で遊んでいたナタニエルにおやつと飲み物を持って行くように言われ、モードは盆を持って外に出る。いつもの侍女でなく、リリアンがナタニエルと一緒だった。ナタニエルが庭の池のすぐ側を歩いているのを、その隣のリリアンが何とも恐ろしい表情で見つめていたのである。早速コライユに報告したモードだった。


「あの、滅多なことは申してはいけないと思うのですけれども……リリアンさんは……私が庭のテーブルにお盆を置いた音でハッと我に返ったような感じでした」


「そうですか。報告ありがとう……とりあえず貴女もリリアンと二人きりにならないように気を付けてね」




 アントワーヌにはすぐに知らされた。ドウジュの調べによると、リリアンが十八、ラングロワが十五の時から彼らの関係は始まったらしい。ラングロワが王宮勤めを辞め、領地に行ってしまった頃からリリアンとの仲も冷め始めたようである。たまに彼が王都に戻って来た時に気が向いたらリリアンの相手をするだけになった。


 そんなところへ嫁いできたフロレンスにリリアンがいい感情を持つはずがない。例えフロレンスとラングロワの夫婦関係が上手くいっていないとしても、二人の間に生まれたナタニエルに対してもリリアンの心情としては複雑なものだろう。




 1029年も終わり、新しい年を迎えた。新年早々のある日、アントワーヌは食堂でクリストフに話しかけられた。


「アントワーヌ、僕年明けから次官に昇格したんだよ」


「クリストフさん、おめでとうございます。仕事も益々やり甲斐が出来たのではないですか?」


「うん、少し責任も増えたしね。その分気が引き締まるよ」


「それを聞いて僕も嬉しいです」


「それでさ、以前よりもずっと自由に過去の書類や資料の閲覧が可能になったんだ。今度、君も一緒に例の件調べなおしてみないかい?」


 クリストフは周りに聞かれないように声をひそめて言った。彼は以前ラングロワ所属中の国庫の書類を調べてくれていたが、量も多いし、どこをどう気を付けて見ればいいのかも分からないし、不審な点も特に見つからなかったと言っていたのである。


「よろしいのですか? 僕まで資料保管室に入り込んで」


「大丈夫だよ。終業後だったら、月末の忙しい時期を避ければ誰も居なくなるから。僕一人で見ても前みたいに何をどう探っていいか分からないし、量も多いしね」


「僕はいつでもいいです。クリストフさんのご都合に合わせます」


 本当にクリストフは律義な人間だ。彼みたいな有能な文官と組めば仕事が随分はかどるだろうとアントワーヌは思った。そして二人の文官はある日の夕方国庫の書庫で書類をしらみつぶしに見ていた。


「ラングロワが勤めていた四年間分だけでもこの書棚のここからあそこまでなのだから、何をどう確かめればいいか、お手上げだよ」


 それでもクリストフは地方ごとの領地税の年間合計を自分の手にした紙にペンで写しながらペラペラと書類をめくり始めた。アントワーヌは主にラングロワ領の書類から取り掛かることにした。数字の羅列を目で追うだけでは埒が明かないのは良く分かっていた。


 そこで突然クリストフが声を上げた。


「あっ、しまった! えっ、ああ……ど、どうしよう……」


「クリストフさん? どうかしましたか?」


「アントワーヌ! 書類に墨をこぼしちゃったよ……公文書を汚して……ああ、減俸処分ものだよ……」


 アントワーヌが覗き込むと確かに墨の瓶から雫がたれていた。とりあえず何か拭くものをと彼は辺りを見回した。


「減俸だけで済めばいいけど、悪くしたら……免職?! だめだ、もう何もかも終わりだ……父上、母上、不肖の次男をお許しください……」


 クリストフは動揺して、最悪の事態が思い浮かんだのだろう、真っ青になり目に涙まで溜まっている。こぼれた墨は丸く黒い染みを書類に作り、下の頁にも染み出ているかもしれなかった。


「クリストフさん、落ち着いて。良く見て下さいよ、ほら……」


「……落ち着けるわけないじゃないか! アントワーヌ、僕はもう破滅だよぉー……ううっ……わぁーん!」


「良く見て下さいってば!」


 アントワーヌは染みで汚れた書類をクリストフの目の前に持って行く。


「ううう……そりゃあ、君自身がやったんじゃないから他人ごとだと思ってそう簡単に言えるけどね!」


「ですから、ほら! 墨がここに染みを作っているでしょう……」


「って、えっ? あっ……そう言えば、本当だ! この書類、もしかして偽造?」


「そうですよ。この頁は王国南西部のベダール領のものですね」


「ちょっとちょっと! どのくらいの量あるのだろう、偽造書類。僕達大変なことに首を突っ込んじゃったよ、アントワーヌ!」



***ひとこと***

そりゃもちろん書類を偽造したのはヤツ以外にはありえないでしょう……

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