発覚
第二十八話 栴檀は双葉より芳し
ラングロワ侯爵家の一人息子、ナタニエルは母親の愛を一身に受けてすくすくと育っている。彼は二歳になった頃から言葉を話し出し、時々フロレンスを驚かすようなことも言った。
ある日、母子が庭に居た時のことである。いつものように前触れもなく久しぶりにラングロワ侯爵が王都の屋敷に帰ってきた。彼はほとんど領地で過ごし、大事な用事、例えば彼が胡麻をすりたい人間の晩餐会、王宮での行事がある時は帰ってくる。
結婚記念日やナタニエルの誕生日などは大事でもなんでもないらしい。ラングロワは両親である前侯爵夫妻も、母親の実家の領地にある別邸に追いやってほとんど訪ねていない。むしろフロレンスの方が義両親のラングロワ前侯爵夫妻とはナタニエルの顔を見せに行ったり屋敷に来てもらったりと親しくしているくらいである。
今日も何故帰ってきたのか、自分の貴族社会での付き合いの為に違いない。フロレンスは機会がある度に口を酸っぱくして、せめて父親らしくナタニエルと一緒にいる時間を作って下さいと頼むのだが、いつも挨拶して少し顔を見せる程度なのだ。父親の愛をろくに知らない息子を不憫に思っていた。
「ナタン、お父さまがお帰りですよ。ご挨拶に行きましょう」
「……ハイ、お母さま。お父さまこわいです、たたきます」
「ナタン? 今何て?」
フロレンスは青ざめ、侍女や使用人が近くに居ないか咄嗟に見回した。
「お父さま、お母さまをたたきます。ぼくがおなかにいるとき」
フロレンスはさらに青ざめ、言葉を失った。
「ナタン……貴方……」
ナタニエルがこんなに喋るようになったのはつい最近のことである。前回夫が帰って来た時は確かまだ片言しか言えなかったが……しかし……
「ぼくがあかちゃんのときも、お父さまはたたきます。大きいこえだします」
フロレンスは確かにナタニエルが生まれた後、ラングロワにせめて息子の前では暴力は止めてくれと泣きながら頼んでいた。しかし彼は赤ん坊に何が分かる?と聞き入れてはくれなかった。ナタニエルが一歳くらいからは流石に彼も息子の前では大人しくしてくれていたが。
「ナタン、貴方はずっと前から記憶があるのね……かわいそうな子……」
彼を抱き締めてフロレンスは続けた。
「お父さまも悪い事だと思って、もう暴力を振るったりしないって誓っているかもしれないでしょう。叩いたり殴ったり、大きい声を出したりしないって。だからこのことは誰にも言ってはいけませんよ」
フロレンスは彼が反省するなんて絶対ないと思っていたが、息子の前で父親のことを悪く言うのだけは避けた。
結局、今回のラングロワの王都滞在も数日だけで、彼がナタニエルの顔を見たのは一度だけだった。寝室へは侍女頭のリリアンが呼ばれていたのだろう、彼女の得意気な顔ですぐに分かった。コライユは彼女の傲慢さに腹を立てていたが、別にフロレンスは毎回気にも留めてなかった。
今回は特にナタニエルの発言をどう捉えていいか戸惑っていたので、ラングロワが何をしていようが気を揉んでいる余裕もなかった。フロレンスはアントワーヌにすぐ文を書いた。それからクロードにも知らせた。
『ナタニエルには相当の魔力が備わっているようだぞ、フロレンス。間違った使い方をしたり、人前で使ったりしないように気を付けてやれ』
クロードからはナタニエルが一歳を過ぎた頃に忠告されていた。
今回のことも彼によると胎児の頃からの記憶があるだけで、流石に人の心の中を読んではいないらしい。ナタニエルの魔力はビアンカのそれとは性質が違うと断言してくれた。
『それにしてもあのロクデナシの言動を逐一観察して覚えているわけだな、可愛そうに』
アントワーヌもナタニエルのことを大層心配していた。
『彼の人格形成に悪影響を与えなければいいのですが。幼い心には大きな傷でしょうね……』
フロレンスは怒りを覚えずにはいられなかった。ラングロワが妻のことを愛せないのはもうしょうがないが、父親として息子にはもっと愛情を注いでやって欲しかった。
それからしばらくしたある日、ドウジュはラングロワ家に忍び込み、主寝室のバルコニーに居た。そこで人の気配も何もなかったのに後ろから急に声を掛けられたのである。間者として生きてきて大抵のことには慣れていたがヒィッと声を上げそうになった。
「お父さまのへやのまえでなにしてますか?」
ナタニエルがいきなり現れていた。
「こ、これはこれはお坊ちゃま……」
「どろぼうさん? それともかくれんぼ?」
「どちらかと言えば、かくれんぼです。でも私がここに隠れていることは誰にも内緒にしてもらえますか?」
「はい。かくれんぼすきですか? あなた、まえやねの上にもいました」
「お坊ちゃまには敵いませんね。瞬間移動がお出来になるのですね」
「しゅんかんいどう?」
「行きたいところへあっという間に行ける魔法のことですよ。今、急に私の後ろに現れたように」
「でもぼく、そんなにとおくへは行けません」
「そうなのですか?」
「はい。しっているところへは行けます。おじさまのおうちやおばさまのおへやとか」
「お坊ちゃまはすごいですね」
そこでドウジュはふと思いついたことがあったが口には出さなかった。アントワーヌに相談してみようと考えた。
「ねえ、これからいっしょにかくれんぼしますか?」
「そうしたいのですが、今仕事中なので申し訳ありません。隠れるだけではなくて色々調べるのも私の仕事なのですよ」
「こんど、しごとがないときにかくれんぼしましょう?」
「はい、分かりました。お坊ちゃまも戻らないとお母様が心配されますよ」
「そうでした。あなたのまえでまほうをつかいました。本当はいけないのです」
「分かっておりますよ、お坊ちゃま。誰にも言いません。私たち、お互いの秘密を握っていますね」
ドウジュは唇に右人差し指を当て、ニッコリ笑った。
「はい、ひみつです。では、かくれんぼのすきなおにいさん、さようなら」
そしてナタニエルはパッとドウジュの目の前から消えた。
その翌日、ナタニエルはコライユから新しい遊びのことを聞かされていた。
「なあに? その大かくれんぼ大会って?」
「普通のかくれんぼとは違って特別な時にしか遊ばないのが大かくれんぼ大会です。今まで一緒にかくれんぼしたことのない人から誘われたらそれは特別です。ですからうんと遠くへ隠れましょうね」
彼はそれを聞いてワクワクしてきたのか、パッと笑顔になった。
「うんととおく?」
「でも、お坊ちゃまがよく知っている場所でないといけません。お母様にだけはすぐに見つけてもらえるところでないと。心配させてはいけませんからね」
「うん、わかった、コライユ!」
「良く覚えていて下さいね」
コライユはニッコリ笑ってナタニエルにウィンクした。
***ひとこと***
ナタニエル君、最近かくれんぼにハマってよく遊んでいます。父親のことは反面教師にして、良い子に育って欲しいです。
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