第二十七話 知らぬは亭主ばかりなり
その年の秋も深まりかけたある日、アントワーヌは珍しい人物からの文を受け取った。
『頼みたいことがある。繁華街にあるイザベルの飲み屋で会えないか? お前の都合のいい日時を指定しろ』
ジェレミーからだった。
「向こうから頼み事があるにしては偉そうな物言いですね。相変わらずだなあ、あの人は」
早速返事を書いた。
『場所も指定してよろしいでしょうか? 王宮本宮の四階小広間脇の廊下を入って三番目の臙脂色の扉の小会合室、明後日夕方六時に』
アントワーヌはジェレミーと二人王宮内で話していることを誰にも知られたくなかったので、約束の小会合室へは隣の部屋から壁伝いに行き、開いている窓から入った。足が良くなったお陰もあるし、ドウジュに支えられて彼も少しは間者のような真似も出来たのだ。
「何だよ、アイツがここに六時って言ったのに遅刻とはいい度胸だな」
椅子に腰をかけてブツブツ言っているジェレミーの背に声を掛けた。
「まだ六時の鐘は鳴っておりませんけど」
「ギャッ! お前何処から? もしかしてその窓からかよ、ここ四階だぞ。騎士の俺の後ろをとるとはな……」
「まあいいではないですか。結局王宮内で会うのが一番安全だと思ったからです」
アントワーヌがそう言うと同時に六時の鐘が鳴った。
「イザベルさんの飲み屋なんて貴族がわんさか押し掛けるところで、貴方と一緒のところを目撃されたくないですからね。かと言って、平民ばかりが行くような店では貴方はいくら庶民の格好をしても目立つでしょうし、お兄様?」
「オニイサマ言うな、この野郎」
「で、この私にお願いとは何でございましょうか?」
「お願いじゃねえよ、頼み事だ。実はある人物のことを調べて欲しい。名前はニッキー。苗字はルヴェンだったかな? 年は十七、八くらい。イザベルの飲み屋で去年の夏ごろから時々ピアノを弾いていた。けどある日突然消えたんだよ」
アントワーヌはそれを聞き、片眉を上げて辛うじて笑いをこらえた。
(消えた後は貴方の奥方に収まっていますけどね)
「茶色の短い髪で、眼も茶色。肌は明るい小麦色だ。少年の格好をしてるが多分女だ……と思う。以前はプラトー地区のリヴァール通りの家に住んでたみたいだが今そこは空き家になっている」
アントワーヌは真面目な顔を保つのに苦労している。油断すると両肩がブルブル震えだしそうだった。
「多くの貴重な手がかりありがとうございます。
「お前いちいち嫌味な奴だな。情報はそれだけしかないし、誰に聞いても知らぬ存ぜぬだからお前を頼ってんじゃねぇか!」
「およそ人に頼み事をする態度には程遠くないですか? 家出人や失踪人なら王都警護団に捜索願を出しますよね、普通。警護団には知らせていないのですよね、わざわざ私を呼び出すくらいですから。やましい理由でもおありですか、お兄様?」
「だからオニイサマ言うなっつってんだろ! 理由は言えないって分かっているんならいちいち説明してくれる必要ねえだろ! それに、もちろんただで調べろとは言ってないぞ」
「へぇ、何か頂けるのですか?」
「お前がオカズにできるものだ」
「は、はい?」
「調べてくれたら愛しの彼女の姿絵をやる。更に成功報酬は彼女が昔身に付けていたドレスだ、下着もつけてやる」
アントワーヌはそこで頬を少し赤く染めた。
「……」
「俄然やる気が湧いて来ただろ? おい、変態を見るような目付きすんじゃねぇよ!」
アントワーヌは呆れて溜息をついた。
(だって実際変態中のヘンタイでしょ、貴方は。そんなものが取引の材料になると考えることからして……近衛騎士で一、二の人気を誇るルクレール中佐が嫁いだ妹の箪笥の中を漁っている……も、もうダメだ僕、想像したら吹き出しちゃう……)
「調査を始める前に姿絵の実物を見せて頂かないと。それからちゃんと約束を文書にしたためましょう。あと……その、成功報酬の方は口約束で結構です」
「したたか君だな、お前」
「何とでも。明日の同じ時刻、今度は一つ上の階の第四会議室でどうでしょうか?」
「了解。じゃあまた明日な」
ジェレミーが扉に手をかけようとしたときにアントワーヌは言った。
「出来ればどなたにも見られないように出て行ってください」
「お前用心深すぎじゃねぇの? まあ俺もお前と王宮で逢い引きしてたなんて、おぞましい噂はされたくねぇし」
反論しかけたジェレミーだったが、アントワーヌに言われた通り扉をそっと開け、廊下に人が居ないのを確認してから部屋を出た。一人残ったアントワーヌはジェレミーの出て行ったのを確認すると机に突っ伏して吹き出した。そしてまだ笑いながら誰ともなく話しかけた。
「ねえ、ドウジュ、まだそこに居ますか?」
「はい」
ドウジュは音もなく部屋にサッと現れた。
「どう思う?」
「侯爵閣下には失礼ですが……彼はよっぽどの馬鹿で鈍チンですね」
「ははは。僕もそう思うよ。先程は笑いを堪えるのに苦労したよ」
「私は窓の外で思いっきり笑わせて頂いておりました」
「姿絵だけは頂いて、成功報酬は諦めよう。しょうがないけど、彼女に対してやましいことは出来ないしね。それにニッキーが自分の意志で消えて正体を明かしたくないのだったら尊重しないと」
「非常に残念ですね、若」
「もうドウジュったら。僕は姿絵で十分満足だよ」
「ねえ、血眼になって探しているニッキー・ルヴェンさんが実は……って分かった時のあの人の顔は一見の価値があるだろうね」
「私もその瞬間は是非見てみたいものです」
アントワーヌはそれから一か月くらいの間、それらしい目撃情報を仕入れたなどと小出しにちょくちょくジェレミーに報告し続けた。しかし結局ニッキー・ルヴェンなる人物はどうしても見つけられない、最後にはお手上げだと言い、例の姿絵だけ報酬として譲り受けたのだった。
その後年末頃アメリからアントワーヌに文が来た。
『アナとジェレミーさまが今ではすっかりバカップルになっちゃったのよ。人前でイチャイチャするとかそういうのじゃないのだけど。よく観察していると分かるのよね。どっちかと言うとジェレミーさまの方がアナにベッタリなの! 今まではぎこちなくて二人とも、全然新婚らしくなかったのにね』
「へぇ、バカップルですか。お兄様、ニッキーの正体やっと見破ったりってところかな。でも気付くの遅すぎだよね!」
「私は発言控えます、若」
そして二人は大爆笑した。
***ひとこと***
アントワーヌとドウジュに好きなように言われているジェレミーさまでした。
アナとジェレミーが無事バカップルになりこの件がひと段落したところで、前作「奥様」のダイジェスト版的なお話は終わり、次回からはいよいよ本作の話が進展します。
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