秘密
第二十一話 渇しても盗泉の水を飲まず
明後日、約束の時間にアントワーヌは警護団のリュックを訪ねた。文官の制服もまずいだろうと思い、平民の着る質素な身なりに着替えた。これなら何か相談事か訴えでもある庶民にしか見えないだろう。
「お前、気が利くな。ここはまず貴族のお坊ちゃまが来るような所じゃないからな」
そう言うリュックも伯爵家のお坊ちゃまである。
「サヴァン中佐はいきなり警護団に押しかけるようにして捜査に加わったと聞きましたが……」
「最初は苦労したよ、俺も。でも慣れた。ここの仕事はやり甲斐があるしね。俺も若いうちは近衛より向いているかもね」
アントワーヌは取調室のような小部屋に通された。
「オージェの息子の件はな、実は捜査はあまり行われなかったんだよ。何でもタレこみがあったらしい。それも警護団やオージェ領を管轄する辺境騎士団ではなくて直接貴族院に。それで即刻兵が動いたらしいよ。王宮騎士団に記録があった」
「密告……誰がそんな情報を流したのでしょうね」
「匿名だったらしい。けどな、その記録は騎士団にはないんだよ。貴族院からの命で兵が動くくらいだからな、かなりの大物か、動かない証拠でもあったに違いないと俺は見るね」
「そしてグスタヴ・オージェは逮捕、投獄されて牢内自殺。それを逆恨みした父親が王太子殿下を襲って、アメリさんがあんな大怪我を。何だかやりきれませんね」
「お前、アメリのこと知ってんの?」
「はい。仕事で彼女の休職中の給与などについてお話する機会がありましたので、医療塔で一度お会いしました」
「あいつ、とりあえず医療塔は出たんだよな。そのくらい回復はしたらしい。でもそのまま行方をくらましたんだよ」
アントワーヌも彼女が医療塔を出たことは知っていた。アメリからは王都銀行で寄付の手続きが出来た、と丁寧な礼状が来たからだ。その文は王宮の外から投函されたものだった。
「ご実家のデジャルダン子爵家に戻られたのではないのですか?」
「それがな、テネーブル公爵家に数日匿われていた後、ビアンカさんの実家のある遥か南部まで行ってしまったんだよ」
それは流石のアントワーヌも知らなかった。アメリはそこまで思い詰めていたのだ。
「実は年明けに休みを取ったのは、南部まで行くからなんだ。うちの両親も結婚を許してくれたしさ、全くもう世話の焼ける……」
リュックは機嫌がいいようだった。事情を知らない筈のアントワーヌにさえこんな話をするのだから。
「おめでとうございます」
「すまん、こんな話をお前にまでベラベラと」
「いいえ。私もアメリさんと中佐がお幸せになれるのは嬉しいです」
そして1029年の年明け早々リュックは南部へ行ったが、結局一人で王都に戻ってきた。怪我がまだ完全に治っていないアメリは寒い冬の旅を避け、雪解けまで待ってから帰ってくることになったのである。
王都銀行の担当者も言っていたし、アメリの礼状にも書かれていたのだが、アントワーヌはアメリからある令嬢に会って話を聞いてくれないかと頼まれていた。
アメリが王都銀行を訪れた際に親切にしてもらったアナ=ニコル・ボルデュックという名の侯爵令嬢らしい。ボルデュック侯爵家は確か領地が不作続きで、経済的に困っていると聞いていた。
「若は何でもかんでもお一人で抱え込んで、少しはご自分のこともお考えになって下さい」
ドウジュにはそこまで言われた。確かに本職の文官の仕事以外にも色々と多忙を極めているアントワーヌだった。ドウジュが意見するのも珍しいが、彼の気持ちも分かるし、正直なところあまり気が進まなかった。
しかし、このボルデュック嬢を放っておくなとアントワーヌの勘は告げていた。結局アントワーヌから連絡して一度会ってみることにした。
ペルティエ家の屋敷にやって来たアナは侯爵令嬢とはかけ離れたみすぼらしい身なりだった。
「アナ=ニコル・ボルデュックでございます。見ず知らずの私のためにお時間を取って下さってありがとうございます」
「アントワーヌ・ペルティエです。アントワーヌとお呼び下さい」
「では私のこともアナと名前でお呼びになって下さい」
アナは領地の惨状を説明するために、自分で作った書類をアントワーヌに見せた。
「一応、領地の広さ、小麦畑に果樹園の面積、ここ数年の収穫量等の具体的な数字も持って参りました」
彼女に見せられたボルデュック領の状況はかなり厳しかった。融資をしてくれる銀行を探しているとのことだったが、まず無理だろう。それでも一応銀行の担当者に聞いてみることにした。
「銀行も商売ですから利益が見込めないと融資はしてもらえません」
「はい、それは理解しております」
「でも、この資料はお借りしてもよろしいですか? 銀行の担当者と少し相談してみます」
「ありがとうございます」
「でもあまり期待しないでください。やはり状況からすると、かなり難しそうです」
「年末は王宮でのお仕事もお忙しいのでしょう? アントワーヌさんには何の得にもならないのに、申し訳ないです」
「いえ、何と申しましょうか、アメリさんとも些細なことで知り合ったのです。これも何かの縁だと思いますよ」
結局アントワーヌはアナに融資は難しいと告げなければならなかった。彼も王都に新しく一軒家を買うことにしていなければ個人的に少々の融資も出来ただろうが、今は生憎ボルデュック家にまわせる金もない。ドウジュの仮住まい兼密会用の隠れ家も、もう少し大きい所に移りたいと思っていて、春になったら新しい物件を探し始める予定だったのだ。
アントワーヌはアナに玉の輿を狙え、誰か気前よく援助してくれる夫を見つけろ、などと余りに無責任な突き放した助言をしてしまった。
『ボルデュック家だけに都合のいい縁談なんて……銀行を説得するより難しそうですわ』
アナは謙遜していたが、アントワーヌはどうして彼女がそこまで自分を卑下するのか理解できなかった。アナは十分可愛らしいし、気立てもいい。いくら貴族と思えない質素な身なりだろうが、彼女の育ちの良さや内面の美しさは隠しようがない。
アントワーヌが今まで経済的に苦労したことが無かったのはペルティエ領が広く豊かな肥えた土地だったからだ。自分は恵まれているとつくづく思った。
ここ数年の日照りや自然災害はボルデュック領だけが影響を受けたのではない。彼女の領地は領主が頼りないのに加え、数々の不運が重なって火の車になってしまった。根本的に経営を見直す必要があった。
それにしても同じ侯爵家でもボルデュック家は真っ当な方法で立て直しを図ろうとしているのに対し、ラングロワ家は違法な物に手を出して楽に私腹を肥やしている。アントワーヌは絶対に許せないと思った。
アントワーヌが少々責任を感じていたのをよそに、春も近付いたある日アナから婚約したことを告げられた。そしてその婚約者が十分な援助をしてくれたから、誰か領地の管理と運営に詳しい人間を雇いたいと相談される。
アントワーヌはステファンが適任だから頼んでみることにした。彼なら自分の事業や商売は人に任せてボルデュック領に滞在することも可能だろう。
それにしてもアナは到底結婚が決まった若い女性には見えなかった。まるで銀行家に掛け合って融資をとりつけ、淡々と事業計画の一端を説明しているようだった。かと言って婚約中のフロレンスのような悲愴感が漂っているわけでもない。不審に思わずにいられなかったアントワーヌは彼女に尋ねる。
「アナさん、お幸せですか?」
アナは一瞬何のことだか質問の意図を汲んでなかったようだったが慌ててすぐに取り繕った。
「え? あ、ええ、もちろんです」
アントワーヌはますます疑問を持たずにいられなかった。それから一か月少し後にアントワーヌはアナと再会し、彼女のその意外な婚約者兼出資者にも会うことになったのだ。
***ひとこと***
お待たせしました!アナの登場です。
次回、アントワーヌ君はアナの婚約者が誰か知ってびっくりします。
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