第十九話 情けは人の為ならず

 ドウジュの言った通り、襲撃犯セルジュ・オージェ元伯爵はそれからすぐに捕まった。アントワーヌは是非とも警護団の捜査情報を手に入れたかった。ラングロワと生前関わりがあったかもしれない襲撃犯の息子グスタヴについて調べる為である。


 そんなある日、いつもの様に職場の先輩から雑用を押し付けられたアントワーヌだった。その先輩は医療塔に入院中の侍女に補償関係の書類を先日持って行ったのだが、彼女が今度はその書類を提出するのでそれを取りに行くだけの用事だった。なんとその侍女とは王太子を庇った、あのアメリ・デジャルダン嬢である。


(医療塔まで歩いて行くのさえも面倒なのかこの人は……)


 アントワーヌは呆れて薄ら笑いを浮かべてその先輩の顔を見た。


「何だよ、気味悪いな、お前」


 彼は少々アントワーヌに対して後ろめたい思いもあるらしい。


「いえ、何でもありません。行ってきまぁーす」




 棚から牡丹餅とは正にこのことである。アントワーヌは個人的に勇敢なアメリと会って話してみたいという気持ちもあったし、運が良ければ彼女の恋人で捜査班のリュック・サヴァン中佐も紹介してもらえるのではないか、という打算もあった。


 医療塔の特別室の寝台に白い寝巻を着て座っているアメリは何とも痛々しかった。長く美しかったであろう髪は燃えてしまったのか、短く耳の下で切りそろえられており、背中に怪我を負ったせいか枕にもたれかかって座っているのでさえ辛そうだった。本人は気丈に振る舞っているからなおさらである。


「わざわざここ医療塔までお越しいただいてありがとうございます。アメリ・デジャルダンです。以前は王太子さま付きの侍女でした」


「はい、存じております。怪我の具合はいかがですか? 財務院所属の文官、アントワーヌ・ペルティエと申します」


「まあ、ペルティエさまはその若さで高級文官として就職されたのですか? とても優秀でいらっしゃるのですね」


 アメリは素直に感嘆しただけだろうが、アントワーヌは少し驚いた。実年齢の若さに加え、優し気な容貌の彼はたいてい馬鹿にされて甘く見られるのだった。


 アメリに何故だかまじまじと見つめられ、アントワーヌは少々気恥ずかしくなった。アメリもそれに気付いたのだか、何となく取って付けたように会話を繋げた。


「てっきり先日この書類を持ってきてくださった方がいらっしゃると思っておりました」


「彼は別件で手が離せず、私が代わりに参りました」


「ペルティエさまもお忙しいところ申し訳ありません。この書類、恥ずかしいことに少々意味が分からない箇所があるのです。ちゃんと内容を理解してから署名したいと思いましたから。それに中々移動もままならなくて」


 アントワーヌは書類にざっと目を通した。


「この、後遺障害認定後の異議申し立ての部分と、復帰支援支給金の給付の部分がちょっと」


「こちらの項はですね、例えばデジャルダン様が職場復帰不可能な障害が残ってなおかつ……」


 そこで彼女に分かり易いように噛み砕いて説明した。この類の書類は専門用語で簡単な内容を無駄に難しく書いてあるものなのだ。


「わあ、ありがとうございます。頭脳明晰な方に限って一般人には何が分からないかが理解できない人が多いのに、貴方の説明はとても分かりやすかったです。ただ敬語はやめて下さい。私は一介の侍女、でもなかったわ、今無職ですし」


「いえ、男爵家出身の私が子爵令嬢にそのような口をきくことはできません」


「え……? 私先ほどただのアメリ・デジャルダンと名乗っただけで我が家の爵位は申しておりませんよね」


「ええ。でも子爵家のご令嬢であることは存じておりました。私は王都近辺の貴族の方々のお顔とお名前くらいは覚えているだけですよ。一般的な常識として。それにデジャルダン様は先日の事件で少々有名になられましたから」


 アントワーヌは穏やかな笑みを浮かべてアメリに答えた。彼がアメリの家の爵位まで知っていることに少々驚いているようだった。


「そうですか。それでもアメリと呼び捨てください。事情により侍臣学院を出て侍女として働いていたため、余りその、貴族としてかしずかれたり敬われたりには慣れておりませんので」


「はい。ではアメリさん、私のこともアントワーヌとお呼びください」


「あの、アントワーヌ、あと五分ほど時間が取れるならもう一つ個人的な事柄で聞きたいことがあるのです」


「私でよければ何なりと」


 アントワーヌにしてみれば、リュック・サヴァン中佐を紹介してもらえるきっかけをつかむ為だけでなく、純粋にこの痛々しいアメリの手助けをしたかった。


「こちらなのですけど。他者には口外しないでもらえますか?」


 アメリからサヴァン家の小切手を見せられた彼は表情にこそ出さなかったが、事情を悟り気分が悪くなった。


「発行は王都銀行ですね」


「実は私、こんな大金の小切手を手にするのは初めてなのです。折角ですから有効に利用したいと思っているのですけど、どうしたらいいか分からなくて」


 サヴァン伯爵家は半分平民の血が入ったアメリを長男の嫁として認めないつもりなのだ。その小切手はいわゆる手切れ金だろう。アメリはその金貨五十枚全額を昔世話になった孤児院に匿名で寄付したいと言った。


「我が家でも王都ではこの銀行と取引きしておりますので、うちの担当者にアメリさんのご希望の指示をしたためた紹介状を書きましょう」


「それは大変助かります。ありがとうございます」


 アントワーヌには彼女の気持ちが痛いほど良く分かった。アメリはリュックのことを深く愛しているからこそ、彼のために身を引くことにしたのだろう。だからこの手切れ金を受け取ったのだ。


「移動がお辛いかもしれませんが、アメリさんご本人が銀行に出向いてください。小切手に期限はありません。もう少し怪我が良くなってからでも大丈夫です。良かったら私か、我が家の執事が同行いたしますが」


「いいえ、私一人で大丈夫です。でも、どうしてここまでして下さるの?」


「アメリさんと親しいテネーブル公爵夫妻には、公私に渡り大変お世話になっているのです」


 アントワーヌはフロレンスやルクレール家に近い人々との繋がりは周りに隠しているのだが、このくらいなら言ってもいいだろうと思った。


 しかしこの傷心のアメリにリュック・サヴァンに話が聞きたい、会わせてくれとはとても頼めなかった。運が良ければ彼を紹介してもらえるかも、なんて考えていた自分が恥ずかしかった。アントワーヌは続けた。


「それに因果応報と言いますよね、善行にも同じことが言えるのです。人に親切にすると、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくると」


「アントワーヌ、貴方その歳で結構渋い事言うのね」


 アメリの言葉に思わずクスっと微笑んだアントワーヌだった。



***ひとこと***

アメリとの出会いです。第二作「貴方の隣」の「第二十四話 善因善果」にあたります。第二作の方では青の君アントワーヌの噂をしていた先輩侍女たちの品のない会話をアメリが回想しています。今作には書いていませんが、アメリはアントワーヌのことをまじまじと見つめている間にその回想をしているのですねー。

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