第十七話 愛は屋烏に及ぶ
王妃はアントワーヌの訪問を待っていたようだった。お腹周りがゆったりとしたドレスを着ている。先日第三子懐妊の正式発表があったばかりだった。
「あ、いらっしゃい、アントワーヌ」
アントワーヌは慌ててクロードの背中から降り、膝を折って王妃に挨拶した。
「良く来てくださいました」
「あの、私をお呼びになったのは王妃様でいらっしゃいますか?」
「ええ、私よ。就職おめでとう」
王妃は侍女のレベッカに目配せをし、彼女は退室した。
「ありがとうございます」
そしてレベッカが消えた隣の部屋の扉がすぐに開き、そこから現れた落ち着いた若草色のドレスの女性を見てアントワーヌはハッと息を呑んだ。その人も同じく目を見張っている。
「アントワーヌ……」
「フロレンス……様」
アントワーヌは辛うじて王妃やクロードの前だということを思い出し、フロレンスを様づけで呼ぶことが出来た。二人はそろそろと歩み寄り、恐る恐る手を取り合った。フロレンスの瞳には既に涙が浮かんでいる。
「あの、お元気でしたか?」
「はい……」
「フロレンス様は四年前と変わらず、いえ益々お綺麗になられましたね」
フロレンスの頬を大粒の涙が伝った。彼女の唇は震えていて、もう言葉を紡げそうにない。二人は万感の思いで見つめ合うしか出来なかった。王妃やレベッカまで涙ぐんでしまっている。そこで王妃が二人に声を掛けた。
「二人の感動の再会のために少し時間を取ってあるわ。あちらの間で二人きりで四半時過ごしてもいいわよ。レベッカ、案内して差し上げなさい」
「王妃様、ありがとうございます。あの、テネーブル副総裁も」
「お安い御用だ」
王妃は何も言わずに微笑んだ。フロレンスは感極まって何も言えず涙を拭いている。彼女の手を引いて侍女控え室に向かうアントワーヌの背に王妃は声を掛けた。
「アントワーヌ、口付けとお触りまでは許可するわ。でも本番行為はこの子が未亡人になるまで待ちなさいよ。指とか先っぽをちょっと入れるだけ、っていうのも駄目よ」
振り向いたレベッカの顔が引きつり、『王妃さまっ!』と口パクで叫んでいるのが分かった。
「お、お、お姉さまっ! いつもの調子でアントワーヌの前で何を!」
「ミラ、いくら何でも殺すなよ」
クロードは呆れている。流石にフロレンスの涙も少し引っ込んだようである。アントワーヌはしれっと言ってのけた。
「ご安心を。フロレンス様に不貞を働かせるのは私の本意ではございません。そもそも四半時だけではそこまでする時間が足りませんし」
そして束の間の密会の為に二人は隣の間に消えた。レベッカが扉を閉めてから王妃は口を開く。
「四年もの間会えなかったのね、あの二人。辛いわね」
「俺はビアンカと初めてここで会った時のことを思い出した。切ないな」
そして二人は沈黙してしまった。
隣の間ではフロレンスとアントワーヌが強く抱き合っていた。
「貴女に会えたら直接お伝えしたいこと、お聞きしたいことが沢山あったのに、こうして貴女を抱き締めてお顔が見られるだけで幸せいっぱいです」
「私もよ。ほんの数分でも貴方の腕の中に居られるなんで、まだ夢を見ているようだわ」
アントワーヌは彼女に口付けた。
「ああ、フロレンス……」
「四年の間に私よりも背が高くなったのね。制服がとてもお似合いよ。左足もだいぶ良くなったのね」
「これは内緒ですが、ビアンカさまが魔法で治して下さいました。お陰でまた走れるようになって、体も鍛えて剣術も少々上達しました」
「まあ良かったわ。ダンスも上手くなって舞踏会では引っ張りだこではないの?」
フロレンスはアントワーヌが青の君と呼ばれて女性の間で人気がある、ということを王妃から聞いていた。こうして精悍になった彼に再会してそれを実感した。
「えっと、ダンスはやっぱり苦手なので。少しは上手くなりましたけど」
彼はそこまで遠慮する必要はないのに、と切なくなりながらフロレンスは努めて笑顔で彼に聞いた。
「今度機会があったら私もダンスに誘って下さる?」
「もちろんです。それまで猛練習しておきます」
そんな人目を気にせずに二人で踊れる機会など訪れる日が来るのだろうか、と両者思ったが口にはしなかった。
「貴女の笑顔がこんなに間近で見られるなんて……」
アントワーヌは再び貪るように彼女にキスをし、フロレンスもその激しいキスに応えた。
「ああ……ごめんなさい、フロレンス。僕、歯止めが効かなくて……これ以上貴女と一緒にいるとそれこそ我慢出来そうにないです。時間制限があって良かったかも」
フロレンスは悲しそうに笑った。
「そうね、もうそろそろ時間ね。私これからもまだまだ頑張れるわ。アントワーヌ、お仕事大変でしょう? 体には気を付けてね」
「はい。フロレンス、今日はナタニエル様もいらしているのですか?」
「ええ。あちらの間で王太子殿下たちと遊ばせてもらっているわ」
「僕もナタニエル様にお会いできますか?」
「いいの?」
フロレンスは一人の女として夫との間に出来たナタニエルをアントワーヌに会わせるのには少々のためらいがあるのだ。
「ええ。貴女がこの世で一番愛している彼は、僕にとって貴女の次に大事な存在です」
その言葉にフロレンスは胸をギュッと締め付けられた。感極まって何も言えなかった。ナタニエルは実の父親には愛情をかけられず、ほとんど相手にされていないというのに何という違いだろうか。
そこで扉を遠慮がちに叩く音がした。二人はしっかり手を繋いだまま王妃とクロードの待つ部屋に戻った。
「お姉さま、今日はありがとうございました。クロードも。今ナタンを呼んで来ますわ」
「テネーブル副総裁、今日は私を瞬間移動して下さるためだけにお時間を割いて下さったのですか?」
天下の公爵様が、アントワーヌの訪問のためだけに使われているということに恐縮した。
「別にいいのよ。たまには私の所へ顔を出してよって言っているのに全然来ないのだから。いい機会よね、今日は」
クロードはむすっとしている。その時ナタニエルを抱いたフロレンスが戻ってきた。本当にフロレンスそっくりである。
「ナタニエル様、初めまして。早く逞しく育ってお母様を守れるような立派な男性になって下さいね」
アントワーヌは彼の小さな手を軽く握り、そう彼に声を掛けた。
「ダダー!」
「ナタン、良かったわね。今日はエティエンさま達と遊べて、アントワーヌにも会えて」
母親の顔をしたフロレンスはアントワーヌの目に眩しく映った。
「小さい頃のジェレミーにそっくりだって両親や伯父夫婦は言うわ。性格は似ないことを祈るのみね」
その王妃の言葉に一同苦笑した。
クロードはナタニエルに会うのは今回が初めてではない。赤ん坊の頃から彼が魔力持ちだということはクロードも分かっていた。今日改めて魔術師になれるくらいの結構な魔力がナタニエルに備わっていることに彼は気付く。
本当にナタニエルはルクレール家の血を濃く引き継いでいるようだった。ラングロワ家は代々文官の家系である。
そのうちフロレンスに注意をしておこうとクロードは思った。魔力持ちだということは周りにひけらかさないに越したことはない。
フロレンスとアントワーヌは最後にしっかり抱き合い別れを惜しんだ。
「ナタニエル様共々お体に気を付けてください。また文を書きます」
「ええ。貴方もね。働きすぎは体に毒よ」
次いつ会えるかも分からない、しばしの逢瀬だった。アントワーヌは来た時同様、クロードに同じ会議室に連れ帰ってもらった。
彼はそこから魔術塔なり自宅なりに再び瞬間移動で帰るようだった。アントワーヌは思わずこう呟いていた。
「フロレンス様も瞬間移動が出来たなら……」
「お前がそう考える気持ちも良く分かるがな。フロレンスはあれだけ移動魔法が使えるだけでも大したもんだよ」
王国内で瞬間移動が出来る魔術師はほんの数人だけである。クロードは一人考えていた。
(しかしあのナタニエルには瞬間移動も出来るくらいの魔力が備わっているぞ、将来が楽しみだ)
***ひとこと***
日々頑張るアントワーヌ君に王妃さまから特別ご褒美でした。
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