密会

第十六話 出る杭は打たれる

 アントワーヌは学院卒業後、数日ペルティエ領に帰っただけですぐに王宮で文官として勤め始めた。アントワーヌは成績も首席で、身分に関係なく高級文官として採用になり財政院の所属となった。


 今生陛下の世になり、採用制度や王宮職の階級制度が大幅に改革されていたからなのだ。とは言え、今まで現場で貴族階級がそのまま職場の階級に反映されていた時代にぬるま湯につかり、ろくに仕事もせず年功序列で出世してきた層は新制度に大いに不満を持っている。


 アントワーヌよりも少し上の、新制度が導入されてから就職した、身分の割に成績がパッとしない層も同じだった。そんな中、田舎男爵の次男で一年飛び級の上、首席で学院を出たアントワーヌの配属は彼の意志に関係なく周りに良く思われる筈はなかった。


 その上、噂好きな王宮の侍女や貴族令嬢の間で、久しく空席だった青の君がついに現れた、などと騒がれるものだから彼の就職は鳴り物入りだった。


 確かに優しそうな風貌で人当たりのいいアントワーヌは学院時代から女子にもてていた。王宮に勤め出してからも、例えば同僚と、もしくは一人で食事をしている時などに女性に話しかけられる。


 しかし身分の低さのせいか、ジェレミーのように娘を嫁がせたいという貴族から縁談を持ちかけられることがあまりないのが幸いだった。


 アントワーヌは主に年上の侍女などから声を掛けられた。アントワーヌだって健康な若い男性だから興味がないと言ったら嘘になる。しかしフロレンス以外の女性と友人以上の関係を築きたいとも思わなかったし、実際面倒だったし、そんな時間もあまりなかった。


 フロレンスは自分に遠慮せずアントワーヌは好きにしていいのに、と言っているとはコライユから聞いていた。彼女にしてみれば、自分の存在がアントワーヌの足かせになるのは不本意だったが、アントワーヌはそう思ったことはなかった。


 舞踏会やパーティなども時々出かけるのは人脈を広げたいためで、別に女性とだけ話したいという気持ちもなかった。むしろ声を掛けてくる女性をやんわりと断るのが大変だった。


「あーあ、やってられらないよ……ドウジュ。こんなこと言っていたら贅沢だって言われるんだろうけど……でも女嫌いのルクレール中佐みたいに『気持ち悪い、寄るな、触るな!』なんて無礼な断り方をするわけにもいかないしね」


「若も苦労しますね」




 長年培われてきた風習はすぐに変わらない、という兄の言葉は正しかったと就職初日からアントワーヌは思い知らされた。いくら制度が変わっても、中で働く人間がそのままならあまり意味がないようだった。


 文官は女性も多いが、やはり男社会で男性が八割を占める。男の嫉妬や僻みはたまに女性のそれよりも質が悪かった。


 しかしアントワーヌはそんな周りの雑音を気にしているほどの余裕は無かった。文官として身を立て出世することよりも、今は如何にフロレンスを救うかの方が大事だった。隠れ家の賃貸をやめて買い取ったその支払いもあり、私財をさらに増やすことにも余念がなかった。


 文官になろう、と進路をはっきりさせたのはラングロワが数年間国庫院で文官をしていたことも大きかった。ラングロワ領の不自然な栄え方からして、金の流れが不明瞭だった。ケシ栽培だけで栄えているのか、どうしても突き止めたかったのだ。


 職場では先輩たちに不当に押し付けられた雑用を文句も言わず黙々とこなしながら、どうやって国庫院に潜り込むか、今度はドウジュに何を調べさせるか、なとど頭の中は大忙しだったのである。




 そんなアントワーヌの仕事ぶりを逐一観察している人間が居た。財政院の副長官でアントワーヌの上司、ギレン・ソンルグレ侯爵だった。ある日、アントワーヌは彼に話しかけられた。周りに人の居ない時である。


「君は仮にも高級文官として採用されたんだろ? どうして雑用を押し付けられて断らない?」


「雑用をこなすのも勉強のうちかな、と思います。でも本音としてはこれ以上この職場に居づらくなるのも嫌ですし」


「まあ君の気持ちも分かるけどね。今の制度は急激に変わりすぎたとも俺は思う。あまりに雑用で首が回らなくなったらこっそり内緒で俺に言えよ」


「ありがとうございます」


 アントワーヌは少し驚いた。副長官はいつも忙しそうで部屋の人間一人一人をそこまで見ているとは思っていなかった。年代もアントワーヌの父親くらいで身分は侯爵だから、アントワーヌのことも他の同僚のようにあまり良く思っていないのだろうと勝手に決めつけていた。


 彼は今の制度には基本的には賛成のようである。それ以来、アントワーヌはソンルグレ副長官に尊敬の念を抱くようになった。彼は部下思いで身分に関わらずそれぞれの長所を引き出し、職場の効率化を図り公明正大な仕事ができる上司だと認識した。




 アントワーヌは下級貴族の身で、特に王都に出て来てからは階級の差は時々嫌という程感じることもあった。しかしアントワーヌが男爵家出身だからどうこうと言う人間ばかりではなかった。


 フロレンスはもちろん、クロードや王妃、あのジェレミーにしたってそうである。貴族の全員が下の者を見下しているわけではないのだった。彼らは自分たちの生活が誰によって支えられているのかが良く分かっているのだ。




 ビアンカは言った通り、鳩のサブレにラングロワ家にも行くように教え込んでくれた。アントワーヌが『この文はフロレンスに届けてくれるかな?』と頼むだけで良く、コライユの手が空いてない時は重宝した。


 しかもサブレはアントワーヌが就職してからは王宮へも来てくれるようになった。ただし、アントワーヌの執務室には何人もの文官が働いているので、彼はサブレの姿を見たら使われていない会議室まで行き、そこの窓から文を受け取り、返事を書いた。その上、サブレはアントワーヌが隠れ家に居る時はそこへ来るようにもなっていた。


「サブレは賢いね。鳩にしておくにはもったいないよ。ドウジュのいいライバルだね」


「鳩ごときと比べられるとは……」


「冗談だよ」




 ある朝、アントワーヌは自宅でサブレが持って来てくれたクロードの文を受け取った。


『明日の夕方五時に本宮の第四小会議室まで来られるか? その後お前を連れて行くところがある』


 何故ビアンカではなくクロードが彼に文を寄こしたのだろうか。重要な用件に違いないと思い、大丈夫ですと即返答した。


 そして翌日、指定の場所に行ったアントワーヌは一体どこへ連れて行かれるのだろうと疑問に思っていた。クロードと王宮内を二人で歩くのなら、周りに怪しまれないように前回のように自分は従者の格好をした方がいいのではないか、と考えた。


 クロードに尋ねてから必要なら着替えることもできる。アントワーヌは何があるか分からないので一通り着替えは常備していた。クロードは何とその会議室にいきなり瞬間移動で現れた。


「さあ、行くぞ。背中に乗れ」


 クロードは挨拶もそこそこにくるりとアントワーヌに背を向けた。


「はい? 背中、ですか?」


「お前も俺に横抱きにされるのは嫌だろ? ビアンカによるとお姫様抱っこと言うらしい。俺もごめんだ。だからおぶって行ってやる」


「もしかして瞬間移動ですか?」


「そうだ。手を繋ぐだけ、腕を組むだけでも多分連れて行けると思うが、ひょっとお前の片腕だけもぎ取って本体を残して行きたくないからな」


 クロードは恐ろしいことを言う。


「では失礼して、背中にお乗りいたします。でもどちらへ?」


「ミラの部屋だ」


 クロードがそう言い終わるよりも前に二人は王妃の居室に居た。



***ひとこと***

クロードのアントワーヌ君お姫様抱っこしての瞬間移動、中々実現しないですね(いやするわけないか……)


前回の移動では馬車を使い、今回は瞬間移動でしたが背負って!

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