第十三話 怒髪冠を衝く

 フロレンスを含むルクレール家の三人とクロードはとても仲が良いことからも、思い切って彼に相談してみることにした。ビアンカはようやく重い口を開く。


「クロードさま、先日王妃さまのお部屋でフロレンスさまに紹介されたと申しましたよね。その時私、彼女の強い想いに触れてしまったのです。ナタニエルさまに恵まれましたけど、その、言い難いのですが彼女の結婚生活は破綻しているようなのです」


 クロードはしばらく無言だったが彼も認めた。


「それは私も何となく気付いていた。ミラやジェレミーも心配している」


「あの、怒らないで聞いてください。私、たった今図書館で会ったアントワーヌさんの切ない気持ちも読めてしまって。フロレンスさまと彼はお互い想い合っているのです」


「アイツが何だって!!」


「怒らないで、と申しました! 落ち着いてください!」


「すまない……」


「何か深い事情があります」




 そこでクロードはビアンカを抱きかかえて図書館まで瞬間移動し、そこで本を読んでいたアントワーヌに声を掛けたのである。


「お前、ちょっといいか? 聞きたいことがある」


 アントワーヌは少し驚いた顔をしたが、クロードとビアンカの顔を交互に見てすぐに何か観念した。


「それは授業や学問のことではなく、個人的な事でしょうか?」


「そうだ。察しがいいな」


「分かりました。丁度私も教授にお話ししなければならないことがあります。この本の貸し出し手続きを済ましてからでもよろしいですか?」


「もちろんだ。俺の教授室分かるな? そこで待っている」




 それから数分後、アントワーヌはクロードの教授室を訪れた。中に招き入れてくれたのはビアンカだった。クロードは不機嫌そうな顔をして、執務机の椅子に座っている。


「アントワーヌさん、こちらにお座り下さい。」


 ビアンカはクロードと机を挟んで向かいの椅子に座るようアントワーヌにすすめた。自らはクロードの隣に椅子を引いてきて腰を掛けた。


「これからアントワーヌさんにお聞きすることはとても個人的なことですけど、私たちには聞く権利があると思うのですね」


「はい。あの、ボション様は白魔術で私の心の中をお読みになったのですか?」


「どうぞビアンカとお呼び下さい。私が意識して読んだのではなく、貴方たちの思いが強すぎて溢れ出て来ていたのに私が触れてしまった、というのが正しいかしら。私は自分の意志で人の心や未来を見ることは出来ないのです」


「貴方たち、ということは、あの……」


「はい。先日王妃さまのお部屋でフロレンスさまにお会いしました」


「彼女はお元気でしたか?」


「ええ。私は初対面でしたけど、王妃さまによると最近はナタニエルさまと良くルクレール家へも王妃さまの所へもいらっしゃるようになったそうですわ」




 それからアントワーヌはビアンカに促されてフロレンスとの出会いなどをかいつまんで、しかし何事も隠さず話した。


「実は、フロレンス様が嫁がれる少し前から我が家の侍女をラングロワ家に送り込んでおります。彼女経由でフロレンス様とは文のやり取りをしております」


「お前、そこまでしているのか」


「その侍女の方に間者のようなことをさせてよろしいのですか?」


 間者の真似ではなく、実際彼女は間者である。


「はい。彼女は武術の心得もございます。以前、雇用主の権限を振りかざしたラングロワに手籠めにされそうになったことがありました。その時は余程あばらの一本や二本折ってやりたかったようです。しかし、解雇されるとまずいので吸入麻酔薬を嗅がせて難を逃れたとか」


 ビアンカは顔をしかめた。


「最低な野郎だな」


「はい。しかも王都の屋敷の侍女頭は奴の愛人で、フロレンス様の存在を良く思ってはいないのです。奴が年のほとんどを過ごす領地には他に何人愛人が居ることやら。全く反吐が出ます」


 クロードもビアンカも言葉を失った。


「以前婚約中のフロレンス様を殴って『どこに証拠がある。よっぽどのことがない限りルクレール家から一方的に婚姻を破棄することは出来ない』と言い放ったそうです。確かに現行の法では夫側の不貞や暴力を理由に妻から離縁は出来ません」


「今怒りを爆発させないように必死だぞ、俺は」


 ビアンカがクロードの手をしっかりと握っている。


「つい最近、我が家の者がラングロワ領から有力な情報を仕入れて参りました。それを王妃様とルクレール中佐にもご報告したいのですが、お目通り叶うでしょうか?」


 クロードとビアンカは目配せして頷き合った。


「分かった。ミラとジェレミーには俺が聞いてみる」




 その後教授室を去ろうとしたアントワーヌを見たビアンカは聞いた。


「アントワーヌさん、失礼ですけど左足は古い傷ですか?」


「はい。子供の時に山で迷って崖から落ちて負いました」


「貴方がよろしければ治すことが出来ますけれど」


「え、でもこの足は……もう慣れておりますし」


 アントワーヌは一生足を引きずって歩くことはドウジュに対する償いだと捉えていた。


「でもね、貴方はもう十分痛い思いをなさったでしょう? それに、いざと言う時には大切な人を守るために走らないといけないこともあると思いますわ」


「……そうですね。ではお願いしてもよろしいですか?」


「しばらくそのまま動かないで下さいね」


「えっ、今すぐここで、ですか?」


 そしてビアンカはアントワーヌの左腿辺りに両手を差し出し、そこからひんやりと気持ち良い感覚が流れ込んできた。そしてたった数秒後にはアントワーヌは意識せずとも真っ直ぐに立ち、普通に歩けるようになっていた。


「魔術書で読んではいましたが、これが治癒魔法ですか。ビアンカさま、ありがとうございます」


「このくらいの古い軽傷なら簡単よ。でも、自然に治ったということにして、あまり他言はしないで下さいね」


「まあこれから騎士になるのは無理だろうが、少し鍛えたら愛しい人を抱きかかえて走るくらいは可能だろうな」


 クロードがにやにやしながらそんなことを言うのも、アントワーヌには意外だった。


「えっと、いいところを見せられるように頑張って鍛錬します」


「では、王妃さまとの面会については、私から使いをやってご連絡致しますね」




 アントワーヌが次にドウジュに会った時、彼は一目で怪我が治っていることが分かったようで大層喜んでくれた。彼はアントワーヌに後遺症が残ったことをとても気にしていたのだった。


 左足が治っただけで体の筋肉を不均等に使うことがなくなり、アントワーヌは体が数段軽く感じられ、運動も随分と出来るようになった。肩凝りや腰痛までも解消されて快適だった。体を動かすことが楽しいと思えたのは久しぶりだった。


 それからは時々ドウジュに相手をしてもらい、本格的な剣の稽古もするようになった。


「僕は何て運がいいのだろう。剣の腕上達したでしょ、ドウジュの一番弟子になれるくらい?」


「まだまだですよ、若」



***ひとこと***

ビアンカの力により、アントワーヌ君パワーアップです。いつの日か、フロレンスをお姫様抱っこしてランジェリー家からさらってしまいましょう!

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