第十二話 心を以って心に伝う

― 王国歴1028年春


― サンレオナール王都



 アントワーヌは猛勉強の末、六年の学院の過程を五年で終えられることになった。それに卒業後はすぐに王宮に高級文官として就職も決まった。


 ドウジュがラングロワ領で違法にケシの栽培が行われているということを掴んだのは、アントワーヌの学院生活もあと少しになった春のことだった。


 険しい山が多いラングロワ領ゆえ、山中に隠れた農場でケシ栽培を行っているのである。それ故にドウジュもなかなか調査に苦労したようだった。それを報告された時のアントワーヌは吐き捨てるように言った。


「まだ好きに泳がせておくが、今に見ていろ。貴様の言う離縁を成立させる確たる『証拠』と『よっぽどの理由』を突きつけてやるからな。その時は同時に貴様の身の破滅だ」


 そもそもアントワーヌが感情をむき出しにすることはまずないし、このような言葉遣いをすることもなかった。ドウジュでさえ驚いたほどであった。


 ドウジュはラングロワのことを調べ始めた当初から、犯罪ギリギリのことをしてもらうことになるかもしれない、とアントワーヌに頼まれていた。そんなことは百も承知だ、むしろ事故に見せかけるなり何なりとラングロワの始末はできる、とドウジュは匂わせていたのだが、彼の主人はどうしても首を縦に振らない。


『ドウジュを犯罪者にするわけにはいかないよ。それに、僕たちまで彼のような人間に成り下がりたくないし、今彼が居なくなってもフロレンスは第二のラングロワと再婚させられるだけだ』


 そう言うアントワーヌ自身が実は一番焦りを感じていた。一体いつ機が熟すのだろう、と。




 ある日、アントワーヌはいつもの様に図書室の魔術書の塔に居た。結局、あれだけ書物を読んだというのに、魔術が使えないアントワーヌには魔術書は無用の長物だということが分かっただけだった。ただ知識として知っておいて損はないという個人的な興味で時々は読み続けていた。


 そこで久しぶりにクロードに会う。その日の彼はいつもの人を寄せ付けないような雰囲気がなく、なんと鼻歌など歌っている。これはただ事ではないと察したアントワーヌは挨拶の後に半分冗談で聞いてみた。


「教授、何かとてもいいことがあったのですか? もしかして運命の『片割れ』を見つけられたとか?」


「ど、どうしてお前それを……」


 クロードは大層驚いた後、照れてはにかんだ。


「申し訳ありません。何となくそんな感じがして、言ってみただけなのですが、本当なのですか?」


「良く考えてみるとお前も色々魔術書を読み漁っているから、高級魔術師や王族しか知らない白魔術の知識もあって不思議じゃないよな」


「ええっと、おめでとうございます、と申し上げてよろしいのですよね。私は教授のそんなお顔が見られただけで得した気分です」


「お前には敵わないな」




 クロードは学院では学生たちから大変厳しい教師として恐れられていたのである。アントワーヌは時々彼と図書館で話をする時に確かに厳格な人だとは思っていた。無表情のことが多く、笑ったり驚いたりと言う感情は忘れてしまったような感じだった。


 フロレンスによると、九歳の時に強い魔力を覚醒する以前は彼も人並みのやんちゃな男の子だったらしい。そもそも魔術師となる人間は普通生まれつき魔力が備わっている。クロードのように覚醒して強い魔力を手に入れる大魔術師は百年に一度現れるかどうかなのだ。


 クロードの覚醒と同時にこの世に誕生したのが、彼と正反対の属性の魔力を持つ『片割れ』と呼ばれる存在のビアンカだった。覚醒から二十年経ったある日その運命の相手である『片割れ』のビアンカと出会い、クロードは彼女に身も心も惹かれ、大きく変わった。


 白魔術師と呼ばれるその非常に珍しい存在のことを、魔術書を良く読むアントワーヌは知っていたので、妙に機嫌の良いクロードに尋ねてみたところ図星だったのである。その以降、彼はクロードに会う度ビアンカがどうした、可愛いビアンカが、ビアンカなら……とノロケ話を聞かされるようになってしまった。




 さて、クロードの『片割れ』であるビアンカ・ボションは非常に悩んでいた。自分の魔力のせいで、時々知りたくもない事が分かってしまうのだった。彼女は人の気持ちやその人の未来が時々読み取れるのである。


 先日王妃の部屋でフロレンスに紹介された時、彼女が不幸な結婚生活を強いられていることと、夫ではない男性への秘めた想いを感じ取り、一瞬はっとしたが慌てて笑顔で取り繕ったのである。ビアンカはフロレンスの強い気持ちに押しつぶされそうだった。


『将来のあるアントワーヌに迷惑は掛けられない。貴重な学院生活や青春を私の為に無駄にして欲しくない。でも……彼の支えが無ければこの悲惨な結婚生活には耐えられない……』


 ビアンカも運命の人クロードの存在を知った九年前からずっと彼のことを想っていたから気持ちは痛いほど分かる。




 そしてある日、上司に薦められた魔術書を学院の図書館に借りに行ったビアンカは、そのアントワーヌに偶然出会う。フロレンスの時同様、あまりの激しい想いがビアンカに伝わってきた。


『あの極悪非道な夫にしいたげられてフロレンスはまた泣いていないだろうか。彼女の心からの笑顔が見られるなら僕は何だってやる。早く彼女に相応しい男になりたい』


 最初は学院内で迷っていたところ、アントワーヌに声を掛けて図書館へ案内してもらったのだった。図書館内でも魔術書の塔でビアンカが探している本の場所を彼は教えてくれた。お互い簡単に自己紹介もした。


「ボション様はテネーブル教授の『片割れ』でいらっしゃるので存じております」


「まあ、私のことがそこまで知れ渡っているなんて……」


「いえ、学生では多分私だけです。ですから今のところボション様のことを色々聞かされているのも私だけだと思います」


「やだわ、クロードさまったら……」


「以前の教授なら考えられません。一学生相手にノロケ話をされるなんて」


 アントワーヌはそこでにっこり笑ってビアンカを見、彼女は絶句して真っ赤になってしまった。




 その後図書館で勉強すると言うアントワーヌと別れ、ビアンカはクロードの教授室に向かった。その日は彼も学院で教鞭を取っていて、午後の授業が終わり丁度部屋に帰ってきたところだった。


「クロードさま、先程アントワーヌさんと言う学生の方に図書館を案内していただきました。初対面の彼に私のことはクロードさまから色々と聞かされているので、と言われびっくり致しました。」


「いや、だってアイツが聞きたそうにしているから」


「それは違います。公爵で教授のクロードさまに無理やり聞かされたのでしょう? 彼はノロケ話にうんざりしているに違いありませんわ。でも言えないだけです。もうお止め下さいね。お願いします」


「……分かった」


 ビアンカにこうして叱り口調でたしなめられるのも実は嬉しいクロードである。




 アントワーヌとフロレンスのそれぞれの想いに切なく苦しくなっていたビアンカだった。しかしそれと同時に、これは二人の個人的なことでビアンカが首を突っ込んでいいのかどうか逡巡もしていた。



***ひとこと***

ビアンカの登場です。そして今までの泣く子も黙る鬼のジャン=クロード・テネーブル副総裁は姿を消し、ビアンカに会って骨抜きになってしまったクロードに変わりました。


この話は第一作「世界」の「第十九話 惚気」にあたります。そう言えば、アントワーヌ君は取って付けたようにただクロードの惚気を聞かされている学生として登場していましたねー。

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