第八話 八方塞がり
学院の秘密基地を上から下に引き継いでいることからしても、ルクレール家の三人兄弟は仲がとても良い。大人になった今でも、お互い何かと相談し合っている。
今回のフロレンスの件も例外ではなかったので、ジェレミーの言う緊急三者会議、要するに三人の話し合いはすぐに開かれることになった。長女のミラが王家に嫁いでから会議はいつも王妃の居室で行われるようになっている。
ジェレミーがアントワーヌとフロレンスの密会を目撃したその翌日、フロレンスはジェレミーと王妃の居室に来ていた。
「何なのよ、ジェレミー。人払いの上レベッカまで居てはいけないなんて、よっぽどのことなのね?」
フロレンスは挨拶をしたきり、青ざめた顔でずっと黙り込んでいる。
「姉上、フローの奴こんな初々しい見た目によらず、不倫の上に不純異性交遊、未成年搾取、と罪状を挙げたらきりがありません」
「なあに、その面白そうな話? 最近退屈だったのよね」
「全然面白がる類のことではありませんよ、姉上。コイツ俺達の秘密基地を淫らな行為のために使っていたんですよ」
「お兄さま、私たち何もやましいことはありません、と申し上げました!」
「奴にも言ったけどな、婚約者が居る女が別の男と密室で二人きりになっていたらコトに及んでいようがいまいが関係ない。発見したのが俺じゃなかったらどうなってた?」
「まだ半分も話が見えないのだけど、奴って誰なの、フロレンス?」
「ペナルティーとか言う学院一回生ですよ」
「ペルティエです、お兄さま!」
「ジェレミー、アンタには聞いてないわよ! フロレンス、貴女の口からおっしゃい」
「はい。彼は、アントワーヌはある日私があの大木の上に居た時に丁度下を通りがかったのです。何でも私の気配を察した、とかで木の下から話しかけられました」
「気配を察した? あの木の上に居た貴女のことを?」
「はい。そして彼を木に上げて差し上げて、色々話すようになりました」
「もう貴女しか使ってない秘密基地だけど、そんな初めて会った男の子を入れちゃったりしてねえ……フロレンス、貴女って案外肉食系?」
「肉食かどうかはともかく、会うのは二回目だったのです。中庭で最初に会った彼はとても可愛らしくて……弟が居たらこんな感じかしらと思いました」
フロレンスは頬を赤く染めた。彼女は強烈な姉と兄の下で育ったからか、ずっと素直で可愛い弟か妹が欲しかったのだ。
「秘密基地を発見された時も誠実な彼のことは信用できる、と思ったから魔法で基地まで上げたのです。でもふたを開けてみればアントワーヌはしっかりしていて、歳の差はあまり感じなかったのです。聞き上手で、彼と話した後はいつも嫌な気分も吹き飛びましたわ」
王妃とジェレミーは呆れ顔で視線を交わした。
「結局のところノロケ話になりつつあるのだけど! アントワーヌくんはまだ一回生と言うことは今十二か十三歳でしょ? 若いっ!」
「はい、十二です」
「やっぱり貴女、ショタコンだったのね!? それにそのアントワーヌ君だって十二歳で五歳も年上のお姉さまと逢引ねえ。ジェレミー、アンタ十二の時何やっていた? せいぜい鼻水垂らしながら野山を駆け回っていたくらいでしょ?」
「酷い言われようじゃないですか。姉上だって十二歳の頃はそんなものでしたよね」
「一度会ってみたいわ、そのアントワーヌくんとやらに。というのは置いといて、それでもフロレンス、貴女もうすぐ他の方に嫁ぐのでしょう? どうして……」
それからフロレンスは観念して、ラングロワとの不和や暴力を振るわれたことまで話した。
「あのランジェリーとかいう奴、許せないわ!」
「ラングロワです、お姉さま」
「自分より弱い人間に威張り散らすなんて最低。しかも二人きりの時を狙ってでしょ。一方的に婚約破棄出来ないのを分かってやっているわね」
「そうですよ、フローをぶつなんて。今度ランジェリーに会ったら俺は自分を抑えられる自信がありません」
フロレンスはもう名前を訂正するのは諦めた。三人は黙り込んでしまった。夏、フロレンスが学院を卒業したらその後すぐに嫁ぐことになっているのである。
「父上には話したのか?」
「いいえ。ラングロワ家が婚約破棄を認めないと言っている限り、ルクレール家からはどうしようもないです。お父さまに無駄な気苦労を掛けたくありません」
「そうね……万策尽きるとはこのことだわ……」
もうすぐフロレンスは本格的に婚礼の準備を始めなくてはならない。あまりに結婚間近の娘に見えないフロレンスを、母親のテレーズは心配している。
「フロレンスがあまり元気がないのは、いわゆるマリッジブルーというものなのかしら」
フロレンスはもともとの性格もあるだろうが、あまり手のかからない大人しい子供だった。上の二人、特に姉の方に父親が手を焼いていたのを見てきた彼女は、いつまでも父親にとってはいい娘でありたかった。
この結婚を取りやめることが出来ないのであれば、もう覚悟を決めてラングロワに嫁ぐしかない。
学院の昼休みや放課後には残された時間を惜しむようにアントワーヌとフロレンスは逢瀬を重ねた。と言っても決して一線を越えるどころか、キスや抱擁さえもしない。ただ、お喋りをするだけである。もう結婚やラングロワの話題は避け、他愛無い話しかしないことで現実を忘れようとしていた。
ジェレミーに見つかって以来、ますます二人は慎重になり、人に知られないよう細心の注意を払っている。アントワーヌは向かいに座ったフロレンスが自分に微笑むのを見る幸せを噛みしめていた。
卒業式が目前に迫ったある日、会えるのももう今日が最後と覚悟していた二人はいつもの様に木の上に居た。お喋りにも花は咲かず、ただ見つめ合っていた。アントワーヌがついに口を開く。
「多分フロレンス様にここで会えるのも最後でしょうから、僕からいくつかお願いがあるのを聞いてもらえますか?」
「ええ、何でしょう?」
「フロレンスとお呼びしても構いませんか? もちろん二人だけの時ですけれど」
これから二人きりになれることなどないと、お互い分かっていた。
「え、ええ。もちろんよ」
フロレンスは涙目になりながらニッコリ笑って答えた。
「ありがとう、フロレンス。僕は貴女が幸せになれるならそれでいいのです。でも、もし貴女が嫁ぎ先で悲惨な結婚生活を強いられるのであれば、その時は何としてでも貴方を救い出します」
「そのお気持ちだけでも十分よ、アントワーヌ」
「僕はまだ無力な少年ですが、今にきっと貴女に相応しい男になってみせます。そして、貴女を不幸から救出します。フロレンス、その時は僕と結婚して下さいますか?」
「まあ、うふふ……」
「僕は本気ですよ」
「ええ、ええ……私を貴方の奥さんにして下さい。ごめんなさい、笑ったりして。だって……まるで夢のようなお話なのですもの」
フロレンスは堪らずはらはらと涙を流し始めた。
「最後のお願いは……その、貴女を抱き締めてキスしてもいいですか?」
アントワーヌがそれを言い終えるよりも前に二人どちらからともなく近付き、強く抱き合い、熱い口付けを交わした。
「嬉しいわ。一度だけでもいいから貴方の方からキスして欲しかったの、えっと……ですからその……」
「ええ、知っていましたよ」
「嫌だわ、アントワーヌ、いつも寝たふりしていたの?」
「だって貴女にキスや髪の毛を撫でられるのをやめて欲しくなかったから……目を開けるタイミングをいつも逃してしまっていたというか……」
「もう……アントワーヌったら!」
フロレンスは真っ赤になって笑いながら泣いた。こうしてアントワーヌの腕の中で彼の胸にもたれかかれるのも最初で最後のことだろう。
涙を拭いて昼休みが終わる前に別々に学院に戻りながら、フロレンスは彼女の中で何かが大きく音を立てて壊れていくのを感じていた。卒業式の後すぐ、夏の終わりにラングロワとの挙式の日が迫ってきていたのだ。
『さようなら……アントワーヌ』
その日以来、長い間フロレンスは心から笑うことが出来なくなった。
***ひとこと***
ミラ王妃の登場です。この時彼女は22歳、エティエン王太子は生まれたばかりの赤ちゃんでした。
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