第七話 李下に冠を正さず

 ある秋の日、アントワーヌは木の上の基地でフロレンスに聞いた。


「そろそろ肌寒くなってくるともうここへは来られませんね。残念です」


 学院内ではまず会うこともなく、良くて廊下などですれ違うだけの二人だった。アントワーヌは冬の間ずっとフロレンスに会えなくなると思うと無性に寂しかった。そのまま春になると彼女の卒業まではすぐである。こうして一緒の時をもう過ごせなくなるのではと不安に駆られた。


「秋冬用の第二秘密基地もあるのよ。この先の洞窟なの。今度アントワーヌも案内するわね」


「よろしいのですか?」


「ええ、もちろん。ここみたいに登らなくてもいいから、私が居なくても貴方一人で来られるわよ」




 その約束通り、次に木の上で会った時にフロレンスはもう一つの基地にアントワーヌを案内してくれた。もう少し森を進んだ所にある崖の横穴だった。古い切り株のところに隠れた入口があり、その穴を下ると小さな洞窟になっていた。床には敷物が敷かれ、中はちょっとした部屋である。フロレンスは崖側から浮遊魔法で飛んで入ってきた。崖に開いた穴は木の枝でうまい具合に覆われている。


「ほら、ここだと寒くないでしょう」


「僕にここまで教えても大丈夫なのですか?」


「いいのよ。だって私が卒業してしまうと誰も使わなくなるのですから」


「それは大変光栄です」


 そしてその日以来アントワーヌはフロレンスが居なくても洞窟へ時々一人で来ていた。昼食を食べ、灯りをともして本を読み、毛布にくるまって昼寝をすることもあった。


 フロレンスは魔法で宙に浮かべるので、眠っているアントワーヌを起こすことなく基地に入ってこられた。彼の寝顔を見るのがフロレンスは好きだった。そして昼休みが終わる頃に彼を優しく起こす。


「アントワーヌ、起きて」


 時々フロレンスは彼の寝顔があまりに可愛らしくて思わず唇にキスをしてしまう事もあった。


「貴方がいつも無防備に寝ているのが悪いのよ。それに私の初めてのキスはアントワーヌ、貴方とじゃないと嫌だったし」


 そうささやきながら彼女は寝ている彼に微笑むのだった。




 ある冬の日、いつものように前夜遅くまで勉強していたアントワーヌは基地で昼寝をしていた。フロレンスも後からそっとやって来て、眠っているアントワーヌの側に腰を掛けた。


「アントワーヌ、また勉強のし過ぎで疲れてしまったのね」


 そっと話しかけながら彼の薄茶色の髪をなでていた。その時である。崖の方でガサッガサッと音がした。


「よっ、フローやっぱりここか。」


 若い男が突然入ってきた。驚いたのはフロレンスである。アントワーヌも目を覚まし、ガバッと跳ね起きた。状況を理解するまでに数秒かかった。


「おい! これどういう事だよ!」


「お兄さま、違うのです!」


「何がどう違うってんだぁ? そこのお前、嫁入り前の妹によくも手を出してくれたな!」


 手を出してはいないが、二人きりで密室にいたのは事実である。何の申し開きも出来ない。相手は騎士だというフロレンスの兄、ジェレミーである。


「この野郎!」


 アントワーヌはジェレミーに殴りかかられそうになり、覚悟を決め目を閉じた。


「やめて下さい!」


 一発お見舞いされると歯を食いしばったアントワーヌだったが、その瞬間代わりにフロレンスに抱きつかれていた。フロレンスが彼を庇うのを見たジェレミーは目を見開き、振り上げた拳をそろそろと下ろした。


「フロー、お前……」


 フロレンスは兄の方を振り返って聞く。


「お兄さま、どうしてここに?」


「今日の学院での剣の特別稽古をつける予定の同僚が怪我をしてな、急遽俺が代役で、ってそんなことはどーでもいいだろ! フロー、お前純情そうな顔をしてんのに、俺達の基地に男としけこんでイチャついてたのか?」


「フロレンス様は悪くありません。私の責任です。でも彼女には指一本触れていません、誓って」


「違います、私がここに彼を招き入れたのです。軽率でしたけど、私が悪いのです!」


 ジェレミーは先程からフロレンスがアントワーヌの手をしっかり握っているのを見逃さなかった。


「お前いくつだ? まだチ〇〇も生えそろってねえような若僧だな。最近のガキはませてんなぁ。うちのフローにはな、ランジェリーとかいう婚約者が居るんだぞ。」


「ラングロワです、お兄さま!」


「この際奴の名前なんかどうでもいい。ルクレール家の一大事だ。緊急三者会議を開くぞ、フロー分かったな? 分かったらさっさと学院へ戻る! おっとそこの間男少年、お前は残れ。」


「お兄さま!」


「フロー、さっさと行け。心配するな。もう殴りかかったりしないし、キ〇タ〇ちょん切ったりもしねぇよ。ちょっと話を聞かせてもらうだけだ」


 フロレンスが渋々去った後、ジェレミーは口を開いた。


「さて、お前はうちの妹の立場を分かっていて、二人でここで乳繰り合っていたのか?」


「フロレンス様がどなたかは存じております。婚約されていることも。先程も申しましたように、やましいことは何もありません」


「ヤッてようがヤッてなかろうが関係ねえだろ、童貞君よぉ。婚約者が居るのに他の男と二人きりになっていることが問題なんだよ」


「……はい、申し開きのしようもございません。フロレンス様の名誉を傷つけるのは本意ではありません」


(両想いときてる、こいつら。余計始末が悪い……)


「名前は? 稽古で見掛けたことないから騎士志願じゃねえな。今年の新入生か?」


「はい。今年の九月に入学しました。文科のアントワーヌ・ペルティエです」


「十二、三か」


「はい、十二歳です」


(なんでこんなまだ剥けてもないような少年と……フローの奴、ショタコンか? そういう趣味だったのか?)


 ジェレミーは頭を抱えたくなった。


「お前フローより五つも下じゃねぇか……」


「フロレンス様がある事で少々悩んでいらしたのです。最初は僕、私でよければ何の関わり合いもないですし、話を聞きますよと申し出たのが切っ掛けです」


 フロレンスは婚約者のことを誰にも話せないと言っていたし、アントワーヌも秘密は守ると約束したのでこれ以上は言わなかった。


「……さっきは済まなかったな。カッとなってお前を殴ろうとした」


 この傲慢なジェレミーがこうして謝るとは、アントワーヌは驚いた。


「いえ、そのお気持ちは当然です、お兄様」


「おい、オニイサマ言うな! ほら行け、午後の授業に遅れるぞ、ショタ君!」


「あの、もうフロレンス様に会うなとおっしゃらないのですか?」


「言っても会うだろ、お前ら」


「それは……」


「フローは時々頑固で絶対譲れないところは譲らないからな。さっきお前を庇おうとしてあんなに必死になったフローなんて初めて見た。俺がお前らを無理やり引き離そうとしたら、一生口きいてくれなくなるだけだ」




***ひとこと***

ジェレミーが あらわれた!

ジェレミーは いきなり おそいかってきた!


ということで、フロレンスの兄ジェレミーの登場です。当時二十歳の彼、若い時からこんな感じでした。

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