第六話 蛇の道は蛇
二日後、ドウジュはラングロワの情報を仕入れて報告にやってきた。
ガスパー・ラングロワ、998年に当時ラングロワ侯爵夫妻の長男として出生。四つ下の弟は幼くして流行り病で死亡。他の兄弟はなし。貴族学院を1016年卒業後、文官として王宮に就職。二年後、1018年から1021年の退職までの四年間、国庫管理院所属。退職理由は領地の管理に専念するため。それから現在に至るまで領地に滞在。昨年フロレンス・ルクレール侯爵令嬢と婚約。
「ここまでが略歴です。ラングロワは王都へは一、二か月に一度戻ってくるだけです。ラングロワ家とルクレール家は親同士が昔馴染みで親しく、ガスパーとフロレンス様は婚約が決まってから初対面だったようです」
「うん、それは僕もフロレンス様から聞いた」
「ラングロワは表向き温厚な人間を装っておりますが、屋敷の使用人の評判は良くないです。感情にむらがあり、時には暴力を振るうとも」
正にフロレンスの言った通りだった。
「貴族間では良くも悪くも目立たない人間のようです。王宮に在職中はまあ仕事は真面目にしていたようですね。時には真面目過ぎるくらいだったとか」
「ここまで良く調べられたね、ドウジュ。ラングロワ家に怪しまれていない?」
「若の心配には及びませんよ。今日はこれからラングロワ領に発って向こうの様子を見て来ようと思っております。私の勘では叩けばいくらでも埃が出ますよ、このラングロワは」
「彼の領地は王都からどのくらい離れているの?」
「南東に少し、馬車で半日もかかりません」
「くれぐれも気を付けて、ドウジュ」
「私の留守中、代わりに若の側につく人間を呼んでいます。おい、出て来てもいいぞ」
「はい」
若い女性の声がして、開け放たれた窓から声の主が音もなく部屋に現れた。アントワーヌよりも少し年上の少女だった。ドウジュと同じような間者の装いをまとっている。
「この娘はクレハと申します。先日里から参ったばかりですが、お役に立てると思います」
「若さま、よろしくお願い致します」
「えっ、いいの? クレハさんは僕に名前言って……」
「よろしいのです。クレハは私と一生を共にすることが決まっているので」
「ドウジュの婚約者さんですか?」
「ええ、まあそのようなものです」
いつも無表情なドウジュはこんな時でも眉一つ動かさなかった。
「クレハさん、よろしくお願いします」
「彼女を呼ぶ時はその同じ笛を吹いてください」
ドウジュの留守中、特にアントワーヌはクレハを呼ぶような用事はなかった。そしてドウジュは一週間ほどで戻ってきた。
「若、結論から言いますと大した情報は得られませんでした。しかし、あの領地は着くなり予感がしましたが、何かが怪しいです。北部の険しい山々のせいで、大抵の者はラングロワ領を通り抜けず回り道をします。ですから人の出入りはそう多くはありませんが、領地の境には関所が設けられており、通行人は検査されます」
「へえ、何の為だろうね。何か持ち出されたくないとか?」
「それはまだ分かりません。私の様な大義名分のない人間はまず領地に入れず、追い返されますね。ラングロワは王都と同じく、外面はいいですが領地の屋敷の使用人の評判もあまり芳しくありません。彼らはラングロワのことを異様に恐れています」
「ところで、両親の前侯爵夫妻も領地に居るの?」
「彼らは爵位を譲る少し前から領地の屋敷には住んでおりません。今は王都の屋敷か、夫人の実家の別邸を行き来しております。その別邸は王都のすぐ北に位置します」
「彼らはラングロワ領の実態を把握しているのかな?」
「断言はできませんが、知らない様ですよ。彼らはごくごく普通の善良な人間です。ただ長男の教育を間違っただけでしょうね」
「ドウジュ、ありがとう。今日はゆっくり休んで。クレハさんとも久しぶりだしね」
アントワーヌはいたずらっぽく笑ってみた。ドウジュは相変わらずニコリともしなかったが、鼻の頭を掻いていた。それが照れた時の仕草なのだ、とアントワーヌは気付いたのだった。
次にアントワーヌがフロレンスと木の上で会った時、彼女はまた泣いていた。
「ラングロワさまがちょっとしたことで逆上して遂に私の頬をぶったのです。父に言って婚約を解消してもらう、と申したところ、そんなことは出来ないだろう、と。王家とも繋がりのある侯爵令嬢との折角の縁談を、白紙に戻す馬鹿が何処にいる? と開き直ってしまいました」
「婚約破棄は本当に無理なのですか?」
「侯爵家両家が署名してしまっているのです。双方の合意で婚約解消するか、余程の事がない限りはこちらから一方的に破棄は出来ないのです」
「将来の妻に暴力を振るうのは立派な理由になりませんか?」
「証拠が何処にある? とすごまれました……」
可哀そうなフロレンスは唇が震えていた。アントワーヌははらわたが煮えくり返る思いだった。こんな素晴らしい婚約者が居るのに何ということだ。もし自分がフロレンスと結婚できるなら一生全身全霊をかけて彼女を慈しみ、大事にするというのにと彼は憤った。
男爵家の次男で将来設計については投げやりだったアントワーヌは、この日を境に勉学に励むようになったのである。ラングロワに対する怒りと悔しさがバネになったということはアントワーヌも認めていた。
それから彼は苦手な人付き合いも努力してするようにし、友人を増やした。ステファンがいつも言っている。
『貴族社会だろうが商売だろうが何でも人と人の繋がりは大切だよ。ひょんなところで知り合いのつてで道が開けたりするからね。誰とでも自然に仲良くなれる人は、貴重な能力を生まれながらにして持っているよね。羨ましいよ』
アントワーヌは人見知りをする上に、口下手だったがそれを克服しようと努めた。今までは将来何になりたいとかはまだ漠然としていたが、とりあえずは文官として王宮に勤めることに決めた。
少しでもあの高みに咲き誇っているフロレンスに近付けたら、彼女に一人前の男として認められたら、という必死の思いだった。例え彼女はもうすぐ他の男によって手折られてしまうことが分かっていても……
***ひとこと***
クレハが なかまに くわわった!
パーティーは三人になりました。
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