第四話 高嶺の花

― 王国歴1023年 夏―秋


― サンレオナール王都




 アントワーヌが上京する日がやってきた。一人で旅立つと言っても、王都には住む屋敷もあるし、兄も居る。アントワーヌも時々両親と上京したことはあったし、何の不安もなかった。


 ドウジュのことが少々気掛かりだったが、一緒に馬車に乗せていくわけにもいかなかった。彼は他の人間の前にはまず姿を現さないからである。王都で何処に住むのか、生活費はどうするのか、ドウジュはアントワーヌには何も教えてくれなかった。


 王都に着いてから彼を呼んだらすぐに現れたが、住居や費用の問題など何を尋ねても答えてくれなかった。


「若が心配されることではありません。貴方はご自分のことだけお考え下さい」


 しかし、アントワーヌはそれでは納得できなかった。




 以前兄に言われたことは入学式当日から実感した。将来専門職に就くためにそれぞれの分野の科に進む者達はまだ成績と能力重視だった。しかし一般教養しか取らない者、人数の多い文官職を目指すものは正に親の爵位がそのまま学院内での階級になっているようである。


 学院生活の蓋を開けてみると、アントワーヌの周りには男爵家や子爵家の者達ばかり居る。他の学生たちも同程度の爵位の者同士が集まっていた。




 アントワーヌは王都に出て来てから色々街中を見て回って調べていたが、結局ペルティエの屋敷の近く、平民の住宅と商店が並ぶ一角に小さな家を借りた。プラトー地区と呼ばれる一帯だった。ステファンの仕事仲間に保証人になってもらい、名義はステファンにしてもらった。アントワーヌが十八で成人するまでは彼に代理になってもらうしかない。


「まあ、何に使うか聞かないけど……アントワーヌがちゃんと家賃を払って犯罪や怪しいことに首を突っ込まないのならいいよ。君のことは信用しているから」


「ありがとう、ステファンさん。それで、この家のことですが……」


「男爵にも兄上にも内緒にしていて欲しいんだろ? 私に頼むくらいだから。分かっているよ」


 この家は、身一つでアントワーヌについて来てくれたドウジュへのささやかな贈り物である。彼は何も必要ない、と言ったがアントワーヌはそれでは気が済まなかった。


「王都はペルティエ領に比べて物価も高いし、これから寒くなるしね。それにドウジュ、僕もここでなら人目を気にせずに君に会えるでしょう?」


 彼はまだ納得した様子ではなかったが、アントワーヌはいつも無表情な彼の顔が少し緩んだのを見逃さなかった。




 ある日、アントワーヌは友人たちと休み時間に学院の中庭を歩いていた。彼女を見た瞬間その可憐さ、美しさに息をのみ、思わずアントワーヌは足を止めてしまう。アントワーヌより四、五歳は年上だろうか。


 見るからに高級貴族の令嬢だった。豊かな金髪を頭の後ろでまとめており、それに陽の光があたってキラキラしていた。透き通るような肌に瞳は緑色か、形の良い薄桃色の唇は微笑みを浮かべている。彼女は同級生であろう数人の令嬢たちと一緒に何やら楽しそうに話しながら歩いてきた。


 アントワーヌはその後何年経ってもその時彼女が着ていた淡い空色のドレスまで事細かに良く覚えている。


 急に立ち止まり、彼女の姿に釘付けになっていた彼はすぐ後ろを歩いていた友人の一人にぶつかられ、持っていた本と文具を落としてしまった。


「何だよ、急に止まるなよ」


 そしてよろけて悪い左脚の方に体重がかかり、地面に膝をついてしまった。アントワーヌなどには目もくれず、すれ違うだろうと思っていたその令嬢は何と声を掛けてくれた。


「まあ、大丈夫ですか?」


 しかも、しゃがんで本を一冊拾ってくれたのだった。アントワーヌは恥ずかしさと嬉しさに顔を少々赤らめながらも彼女を見つめ、辛うじてお礼を言う事が出来た。


「は、はい。ありがとうございます」


 近付いてアントワーヌを覗いた双眼は緑というより青緑色だった。そして彼女はアントワーヌににっこり微笑んだ後、他の令嬢達と去っていった。立ち上がってその後姿をぼうっと眺めているアントワーヌに友人の一人が声を掛け、彼は我に返った。


「お前転んでラッキーだったな。綺麗なお姉様に声を掛けてもらえるなんてよ」




 アントワーヌは新入生で、多分最終学年しかも身分もずっと高そうな彼女と接点はなく、普段は中庭でも彼女を見かけることはなかった。しかしその後すぐ思いがけないところで二人は再会する。


 元々人付き合いが苦手なアントワーヌは時々一人になりたくて、学院の裏の森に昼休みに良く行くようになっていた。適当な木の根元に腰かけて昼食を取りながら読書するのが好きだった。時には横になって昼寝もした。


 ある日彼は森の少し奥まで進みすぎたと思ったが、そこに見事な大木を見つけ、その日はそこを昼食の場と決めて座ろうとした。ふと同時にアントワーヌは人の気配に気付いた。彼の頭上、木の上に誰かが居るようだ。耳を澄ますと微かにすすり泣きのような音も聞こえた。


 アントワーヌはドウジュに会ってから彼の素早い動きや研ぎ澄まされた感覚を目の当たりにしているからなのか、人一倍敏感になっていたのである。それともペルティエ領の人間は代々間者の里の人間との血が多かれ少なかれ混ざっているからなのかもしれない。


「あのう、どなたか木の上にいらっしゃるのですね」


 声を掛けてみるが返事はなかった。


「私もそちらに登っていっていいですか?」


「……」


「じゃあ今登ります」


「ちょ、ちょっとお待ちください!」


 一度だけ聞いた声だが覚えている。上の大枝の間から覗いた顔はあの美しい人だった。少し目の周りが赤かった。やはり今まで泣いていたようだ。


「あ、貴方でしたの」


 たった一度だけ中庭ですれ違った下級貴族のアントワーヌを彼女が覚えているとは思わず、驚いた。


「登るというのは冗談ですよ。ご安心下さい。僕、左足が悪いので情けないですが貴女の所までいけませんから」


「え、そう……」


「貴女のお邪魔をするつもりはなかったのです。僕は別の場所で食事を取ることにします。失礼します」


 彼女のように何でも持っているような人間にもそれなりの悩みはあるのだろう、こんな所で一人泣いているくらいなのだから、とその場を去ろうとした。貴族令嬢が何故そんな高い木の上に居るのか不思議ではあった。


「待って、行かないで。今貴方をここまで上げますわ」


「え? うわわ……」


 アントワーヌが振り向いた途端、彼の体が宙に浮き上がった。そして彼女の居る大枝の所までふわっと上昇し、彼女の前にそっと降ろされた。


「私、移動魔法だけは得意なのです。フロレンス・ルクレールよ。ルクレール第一秘密基地へようこそ」


 フロレンスの花が綻ぶような笑顔にアントワーヌは見惚れた。


「あ、アントワーヌ・ペルティエです」




***ひとこと***

フロレンスがあらわれた。

アントワーヌは ぼーっと みている。


ということで皆さまお待たせしました、ヒロイン登場です。ルクレール家の末っ子、フロレンスでした!

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