第5話 禁忌を犯シタ理由

 ドアを開けると外の生暖かい空気に出迎えられる。やってきたのは校舎の一番北側にある非常階段だった。


 この非常階段は昇降口とは真反対の位置にあり、人気がない。こんな朝なら尚更である。ゆえに話をするにはうってつけの場所だ。


 今日も暑くなるだろうな、なんてことを考えながら振りかえると美和も暑さに顔をしかめていた。


「こんなところに連れてきて一体なんの話?」

「あー、そうだな……なんであんなことやってるのかを本人の口から聞きたくてな」

「あんなこと?」


 頭をかきながら、言葉を濁すと美和は手すりに体を預けながら眉を寄せた。


 気を取り直して一呼吸置く。

 いざ聞こうと思うとためらわれたが、これは直接聞くのが一番手っ取り早い手段だ。そう自分に言い聞かせ、単刀直入に言った。


「水商売をしてることだよ」


 ストレートでわかりやすい言葉。


 それに虚を突かれたように美和が動きを止め、二人のあいだに一瞬の静寂が生まれるが、彼女はなんでもなかったかのように首をかしげる。


「さぁ? なんの話?」

「知らないフリをしてもムダだ。昨日この目で見た。お前がそういう店で働いているところをな」

「…………」


 確固たる自信をもって話す速人の顔をじっと見つめて美和は黙り込む。

 長い沈黙の末にやがて彼女は口を開いた。


「じゃあ仮に私がそういう店で働いていたとして、それを聞いてどうしようっての? 私の秘密を知ったから脅そうって魂胆? 私がどこでなにをしようが勝手でしょ?」

「あぁ、バイトをするのはお前の勝手だし学校も禁止してないからな。俺が聞きたいのは、なんで普通のバイトじゃなくあそこで働いているかだ。」


 真面目な表情で速人はそう訴えるが、美和はあきれたとばかりに首をふってばっさりと切り捨てる。


「バカバカしい。アンタには関係ない。今後そんな変なことを聞くためにわざわざこんな場所に呼び出さないでね」


 そう言って美和は手すりから離れ、非常階段から去ろうとする。

 速人はその背中を見ることなく、ただ足音を聞いていたが、去りゆく美和がノアノブに手をかけたところで言った。


「このことが学校や友達にバレてもいいのか?」


 ノアノブを捻ろうとした美和の手が止まる。そして彼女は速人のほうを見ることなく呟く。


「ほら。やっぱり私を脅すために使うんじゃない」

「お前が俺の質問に答えてくれないからだ。俺だってこんな手段は取りたくない」


 そういうと、まるでおかしなことでも聞いたかのように美和は吹きだす。


「人の秘密を勝手に調べておいてどの口がいうのかしら? どうせ私のあとを尾けてたんでしょ」

「まぁ……、半分正解だな」


 実際は踊らされているだけだがと内心でつけ足して速人は肩をすくめる。

 いまだこちらに向き合おうとしてくれない美和に咳払いをしてから頭を下げる。


「頼む、教えてくれ。それが分かれば重要な問題がひとつ解決するかもしれないんだ」


 冷静に行動しろよ。

 昨日、終わり際にMにいわれた言葉が頭をよぎる。


 もちろんこの行動がその言葉に反しているのは重々承知だが、美和が犠牲になる前に一刻も早く犯人を突き止めるためには回りくどいことをするよりも直接聞いたほうが早い。


 それに本人の口から水商売の理由を聞きたいという個人的願望も少なからずあった。

 頭を下げてからあまりにも長い数十秒の末、美和の背中がため息と共に上下し、その目が速人のほうを向く。


「お金……」

「え?」

「だからお金よ。お金を稼ぐためにあそこで働いているの」


 美和のシンプルすぎる言葉にいまいち実感がつかめず反芻する。


「金を稼ぐってつまり……」

「大学に行くための学費を貯めてるの。ウチが片親なの知ってるでしょ? 他の家に比べて家計的に厳しいし、そのなかで私は高校へ通わせてもらってる。でも大学まではさすがに無理だから」


 二の腕をさすりながら視線をそらし美和が答える。

 そういえば中学の頃、美和の両親が離婚しているという話を聞いたことがあるのを思い出す。


「だからってあんなところで働く必要はないんじゃないのか?」


 そう言ったが美和はなにもわかっていないとばかりに首を振る。


「いまの大学の学費がいくらかかるか知ってるの? 普通のアルバイトで溜まる額じゃない。だから私はあそこで働くしかないの。あそこなら大学の費用がギリギリ溜まるくらいの給料がでるから」


 きつく眉間にしわを寄せて美和がそういった。

 彼女からすれば水商売をしていることは学校の誰にも知られたくない秘密のはずだ。それなのにこうして自らの恥を晒すことになっている。


 そのことに罪悪感を抱きながらも問いかけた。


「理由はわかった。でもお前は本当にそれでいいのか。大学に莫大な金がかかるのはわかるけど、それはお前の望んだことなのか?」


 その問いかけに美和の表情が歪む。


 確かに昨日、化粧と安くはないであろうドレスを身にまとった美和の姿は綺麗だった。

 しかし同時に、頑張って着飾って本来の自分を覆い隠しているような感じがして、その姿に言い知れぬ嫌悪感を抱いたのだ。


 同時に望んでいた。

 美和の口から水商売をやっているのが本意ではないという言葉が聞けることを。


「……そうよ、これは私が望んで始めたことよ。だから私に構わないで」


 だが、そんな期待を裏切るように美和はきっぱりと速人を突き放して背を向ける。


 足早に非常階段から彼女が去った直後、望みが叶わなかったを知らせるかのようにチャイムの音が速人の耳にこだました。

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