第2話 文字化ケ電話が告げるモの

 午後六時。

 学校を出た速人は街の中心街にある交差点にいた。


 ただ信号待ちをしているだけなのに、すっかり夏と化した空気にじんわりと汗が吹きだす。

 同じように信号待ちする人たちにも暑さに顔を歪めたり、ハンカチで汗を拭う者がいる。


 これで八月になればもっと気温が上がるというのだから、毎年それをやり過ごしているのが信じられないものだ。

 まだセミが鳴きだすのも時間の問題だろうなと、本格的な夏の気配を感じながら木影に身をよせた速人は美和のことを思い出す。


 少し言いすぎただろうか。

 後悔が心中にじわじわと広がる。陸上のことを触れられるとイマイチ過剰な反応をしてしまう。


 自分でもわかるほど一生懸命だったし、中学じゃそれだけを取り柄にやってきた。しかし続けられなくなった。

 それは誰にも止められることではなかったし仕方のないことだった。


 こうして学校帰りに中心街におもむいて書店やゲームセンターで時間を適当につぶして家にもどる生活サイクルも陸上をやめてからはじまったものだ。

 美和がいうように立ち直るべきなのはわかっているが、速人にはその先のビジョンがいまだ見えずにいた。


『先月から続いている連続誘拐殺人事件ですが、すでに三人もの犠牲者を出しているにもかかわらず、未だ犯人逮捕への有力な手がかりは見つかっていません』


 ふとそんな音声が聞こえてきて速人は顔をあげる。


 道をへだてた向こう側、中心街のシンボルとされる高層ビルの壁面に設置された液晶ビジョンでニュースが垂れ流されており、テロップには『連続誘拐殺人犯 いまだ捕まらず……』という見出しが堂々とでている。


 この街で最初の事件が起きたのは二ヶ月前。川の河川敷だった。


 眠るように遺棄されていた二十六歳の女性は四日ほど前から行方不明になっており、全身の血が抜かれたうえで防腐処理が施されているという実に奇怪な形で遺棄されていた。

 当初の警察の見解としては特殊な手口から犯人をすぐにあげられるという趣旨の会見が開かれたが、そんな予想を裏切るように二件目、三件目と同様の手口の事件が起き、いまもこうして街をさわがせている。


 世間でも個人でも問題が起きて今年は散々な年である。

 あと一ヶ月もすれば夏休みが始まるというのに物騒なもんだ、なんてぼんやりと液晶ビジョンのニュースを見ているとポケットに入れていた携帯が震える。


 吉田だろうか、まだなにか言い足りないのかと思って携帯を取りだし、そして表示された番号をみて、速人は怪訝に眉を寄せた。


 携帯に表示された相手の電話番号は文字化けを起こしており、数字のあいだに奇妙な記号が羅列されている。


 それをみた速人は携帯が壊れたのかと思った。

 だが、壊れるような扱いかたをした覚えはないし、こうして着信そのものは問題なくを受け取っている。

 実際に携帯はいまも早く出ろとばかりにその身を震わせていた。


 いつまでも鳴り止やまぬ文字化け番号に言いしれぬ不気味さを感じつつも仕方なく速人は通話ボタンを押して携帯を耳に当てる。


「もしもし」

『…………』


 返事はない。

 速人は自然と電話口の向こうに耳をすませる。


「もしもし?」

『……お前、三森速人か?』


 突然、鼓膜を震わせた男の声に驚きながら速人はその声が誰のものであるかを記憶を辿って割り出そうとする。

 しかし、速人の記憶のかぎりでは男の声は初めて聞くものだった。


 同時に困惑する。

 なぜ名前をフルネームで問うのか、誰にかけているのかわかっていないのか。

 不審半分、好奇心半分で問いかける。


「アンタ、誰だ?」

『いまどこにいる?』


 こちらの質問を無視した問いかけ。

 有無を言わせない不躾な電話口の相手に、少しムッとして速人はケンカ腰に答える。


「まずアンタが誰だよ。初対面の人間にはまず名前を名乗るもんだろ」

『……Mだ。いまはそうとしか名乗れない。それよりもどこにいる?』


 しばしの沈黙ののちに電話の相手はそう名乗った。

 速人は思わず黙りこむ。周りの雑音に対して電話口の沈黙がひどく明瞭に感じられる。


 Mが本名ではないのはわかりきっている。

 本名も名乗らずに居場所をたずねてくる不敬なこの男に、このまま電話切ってやろうかとも思ったが、最後に文句でも言ってやろうと、一呼吸おいて速人は再び切りだした。


「なんでそんなこと言わなきゃいけねぇんだよ。だいたい本名の名乗らない奴に言うことなんて――」

『いいからッ! どこにいるか言え!』


 突如響きわたった苛烈な感情のこめられた声におもわず耳を遠ざける。

 切迫詰まった迫力に気圧された速人はつい自分の居場所を言ってしまう。


「中心街にあるビルの液晶ビジョンの前だけど……」


 一瞬の間が空き、紙をめくるような音にあわせてMが呟く。


『なら、そこから北に向かって歩いてコンビニの角の路地へ入れ』

「はぁ? なに言ってんだお前……突然電話かけてきておいて、こっちがそんな命令に従うと思ってんのか。まず誰なんだよ、お前は」

『俺のことはどうでもいい。指示に従え。そこに答えがある』


 そう言われて、速人は眉間にシワを寄せた。


 この男はいったいなにをさせたいのだろう。

 相手の意図がまったく読めないことに不安を感じたが、同時になにかのイタズラではないかと、この事態を軽くみていた。


 だからこそ、どうせいつもと変わらない一日をすごすなら付き合ってやろうと思い、指示に従って歩きだす。


『そのまままっすぐ行って置物がある居酒屋を左へ行け』


 続けてMが指示してくる。

 その後もMは隣で見ているかのように的確に指示を出して誘導し、速人はだんだんと大通りから離れて狭い路地のほうへと誘われていく。


「おい、この先になにがあるってんだよッ」

『もうすぐだ』


 Mがそういうとほぼ同時に速人の視界が開ける。


 辿り着いたのは小さな公園だった。


 ビルなどに囲まれているせいで大通りからは死角になっているのだろう。ずいぶんと雰囲気の寂れた場所だ。

 薄気味悪い公園を見回しているとベンチの影から足が覗いていることに気付く。


『彼女だ』


 携帯からMが短くそう告げる。

 首を傾げつつ速人はおそるおそる足のほうへと近づいていく。


 投げ出された足のそばにはハイヒールが転がっており、スーツを綺麗に着こなしているのがわかった。

 回りこんで顔を覗き込むと足の主は女性で、眠っているのか、妙に白く小さめな顔の瞼はしっかり閉じられている。


「おい、アンタ。大丈夫か?」


 試しに声をかけてみるが、彼女はピクリとも動かない。


「ただの酔っ払いじゃねぇのか?」


 電話口にいるであろうMにも速人は話しかけてみるが、彼もなにも答えない。怒ったり黙り込んだり、訳の分からないやつだな。

 そんなことを思いながら携帯を一度耳から離し、速人は女性に触れようとする。

 そしてその肌に触れた瞬間、速人の心臓がドクンと跳ねた。


「おい……どういうことだよ。なんで……」

『これをお前に見せたかったんだ』


 Mの呟きを聞きながら、あとずさった速人はそのまま地面に尻もちをつく。


「なんで……なんで人が死んでんだよッ!」


 目の前の女性の肌は氷のように冷たかった。

 それを死体だと脳が理解すると同時に心臓の鼓動は早くなり、周りの景色が歪むような錯覚におちいる。


 突然の文字化け番号からの電話に女性の死体とつぎつぎに起こる事態に混乱する速人に対し、Mは冷静に言葉を紡ぐ。


『それは連続誘拐殺人事件の四人目の被害者だ。そして、この事件はいずれお前にとって他人事じゃなくなる』

「どういうことだ……」


 答えを求めて空回りする思考のなかで残された理性が気になる言葉をひろう。


『いいか、よく聞け。美和が……お前の同級生の名護美和がいずれその被害者と同じ目に遭う。だけどいまならその運命を変えられる』


 速人は自分の耳を疑った。

 美和が、殺される? 連続誘拐殺人事件の被害者として?


 あまりに現実離れした事態に胸はさらに苦しくなり、誰かに首を絞められたかのような息苦しさを覚える。

 もたらされる情報に対し、速人の思考は停止していたが、たった一言だけをなんとか呟く。


「なにを、言ってんだよ……」

『お前が犯人を捕まえて未来を変える。俺とお前でアイツを救うんだ』


 そうMは真面目な調子で突拍子もない言葉を告げた。

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