第4話 ウェルカム・マンホール
アイスクリームだ。
ものすごく厳重な取り扱いのされたバニラアイスだ。
勧められはしたけど、素直に食べていいものだろうか。
これも何かしらの問いかけだったりするかも。
「どうしたのかね。子供が遠慮するものではないよ?」
「じゃあ……その、いただきます」
もう身の振り方なんてどうでも良い。
今はただ、にこやかに接してくれるヴァニラさんを怒らせることが怖かった。
そもそも頭も回らないし。
おもむろに皿を、そしてスプーンを手に取り、ひとさじだけ口に運んだ。
「どうかね。お味のほどは?」
「ええ、美味しいです。僕はあまり詳しくないので、気の利いたこと言えませんが」
「ふむ、その歳であれば仕方あるまい。ちなみにだが、それ一皿で三万円だよ」
「さ、さんまんえん!?」
「ハッハッハ! 冗談だよ。さすがの私もそこまでの贅沢は許されないのさ。もっとお手頃だよ」
「はぁ、驚いた。そうですよね、さすがに三万円のアイスなんて」
「フフフ。やっと笑ってくれたか。心が緩んできたようだね」
ちなみに後で知ることになるけど、このアイスは19800円(税抜)とのこと。
お年玉の倍額がほんの数分で胃に吸い込まれた瞬間だったのだ。
最初から分かってたらもっと味わって食べたのに……。
「あの、ごちそうさまでした。美味しかったです」
「いやいや、こちらこそ『手違い』があった。済まなかったね。それはそうと、ひとつ約束というか、お願いを聞いてもらえるかな?」
「お願い……ですか?」
「今後アイスを食べるときは、ぜひともバニラを選んでもらいたい。少なくともチョコミントなどというものは選ばずにね」
僕の答えはーーもちろんイエス。
この流れで『いやぁチョコミント食いまくります』なんて言える人が居るだろうか。
「我々の思想を理解していただけて良かったよ。それから、チョコミント派を見つけたら、最寄りの党員までヨロシク」
それからはすんなりと釈放してくれた。
建物の入り口でサヤカを待つ。
自由の身になったのは、どうやら僕が先だったようだ。
「今日の遊びは……どうしようかな。もうそんな気分でもないなぁ」
空は相変わらず良い天気だった。
家を出たときと比べて、陽が高いこと以外は何も変わっていない。
それでも心境の変化だけで、こうも印象が違うのか。
ぼんやりと空を眺めていると、背後の自動ドアが開いた。
小走りな足音も聞こえる。
「おまたせソウタ、びっくりしたねぇ」
「サヤカ! 大丈夫だった?」
「うん。色々聞かれたけど、それだけ。話が終わったらアイス食べさせてもらっちゃった! すっごい美味しいヤツ!」
「そうなんだ。僕も食べさせてもらったよ。軍服着たお兄さんにさ」
「へぇ。こっちはお姉さんだったな。ビシッとしたスーツのキレイな人」
男女で違いがあるのかな、どうでも良いけど。
それにしてもサヤカは妙に機嫌が良く、渋谷に着いた時よりも元気な程だ。
完全に盛り下がっている僕とは対照的すぎる。
「それでさ、これからどうする? 遊びに行く気分でも無いんだけど……」
「ねぇ、アイス屋さん行こうよ! さっきバニラアイス食べたら、もっともっと欲しくなっちゃった!」
「……そうなの? それよりもお昼ご飯にしない? お腹空いちゃったよ」
時計は12時を回っている。
お菓子よりも食事を摂るべき時間だった。
「でもでも、アイスも食べようよ! 食べ足りなくてしょうがないのよ」
「そこまで言うなら……探してみようか」
この辺りはオフィス街らしく、お店の数や種類は少なかった。
空いてるのは喫茶店ばかり。
アイス屋さんはもちろん、コンビニすら中々見つからなかった。
「うーん。こうやって探してみると、意外とないもんだなぁ」
「あぁ、早く食べたい。今すぐ食べたいホント今すぐ」
「……サヤカ?」
欲望を満たせない苦しみが彼女から笑顔を奪った。
そして冷静さも。
さっきから爪を噛み、やたら視線を巡らせたりと、ともかく落ち着きがなかった。
「どうしてこうもお店が無いのよ! 都会って何でもあるんじゃないの?!」
「うん。あのさ1回落ち着こうよ。イライラしても始まらない……」
「ああっ! あそこにあるじゃない!」
「え、あれはダメだよ。ちょっと待って!」
サヤカがお目当ての品を見つけて走り出した。
その先には、コーンアイスを片手に散策する女性がいた。
こちらに背を向けて歩く若い女性が。
飛び出したサヤカが一気に距離を詰めると、いきなり脇から飛び付いた。
まるで野犬のように歯をむき出しにして。
目標は右手のコーンアイスに向けられているようだ。
ーー止めなきゃ、でもこれは間に合わないぞ!
僕の側なんてとっくに離れて、邪魔な理性すら追い払ったサヤカは、もはや制御不能だ。
まさか人様のアイスに手をだそうだなんて……。
僕の制止は間に合わない。
白い歯が美しい半球を破壊しかけたーーその時。
「はぁ……。仲間を探してみたら、こんなお嬢ちゃんが釣れるなんてね」
「フガッ!?」
サヤカの口に、銃。
銃口を咥えさせられた。
砲身が太陽の強烈な日差しを反射して、ヒヤリと輝く。
「助かるか、深みに堕ちていくかは運次第。祈りなさい」
ーードパァン!
銃声。
口からは赤い血液。
後ろに倒れるサヤカ。
そして、後ろに倒れ行く体を、サヤカの体を女性が抱き抱えた。
反撃した人物とは思えないくらい、丁重な扱いをしている。
「今日の作戦は失敗だな。引き上げるか」
「えっと、えっと、救急車!」
「無駄だ。これは地上の医者じゃ治せない」
「地上のって……何を言ってるんですか。そもそもあなたに撃たれたんですよ!?」
「あれは治療薬だ。大した怪我にはならん」
真っ昼間の銃声は目立つ。
周りから徐々に不審がる声が聞こえだした。
それでも『映画の撮影か?』とか『投稿動画でもつくってんだろ』なんて聞こえる当たり、ここは日本なんだと痛感する。
「少年。この少女を助けたいなら、私に着いてこい。今ならまだ望みはある」
女性はそう言うと、サヤカを肩に抱えたまま路地裏へと消えた。
僕だけおめおめと帰るわけにも行かない。
ともかく、その後に続いた。
ーーガラガラガラッ。
地面を擦る不快な音とともに、地下への入口が開かれた。
女性がマンホールをどけたのだ。
「さぁ急げ。ヴァニラの連中に見つかったら厄介だ」
「ヴァニラって、あの軍服の人?」
「今は良い。ともかく入れ」
僕は半ば強引に中に連れ込まれた。
そこは薄暗く、先の見通せない空間が広がっていた。
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