第38話 素顔のままで
「ミッチー、じいさんの具合どう?」
「ああ、先週無事退院してん。心配かけたな。前より元気になってもうて、あのじーちゃん。ほな」
授業が終わった放課後、ミッチーはカバンを肩にかけ、今日もさっさと教室を出ていった。
「ミッチーさん、今日も当たり前のように帰りますね。テニスはもうしないのでしょうか。やっぱり僕のせいですよね。僕があのときにギターを壊したから…」
「ミッチーがこのままテニス部辞めたら大会は棄権扱いになるっすよ。ゼロからテニスやってまあまあ上手くなったのに試合に出ずに中途半端で終わるのはいやっすよ」
テニスの試合まであと二週間となった。心配してミッチーの家に行った日から、ミッチーと俺達の間には、テニスやバンドのことには触れてはいけない、ぎこちない何かよそよそしい不自然な空気が漂っていた。そんな雰囲気を打開すべく、今日、ミッチーをテニスの練習に誘おうとしたけれど、本題に入る前に、ミッチーは言葉短めに帰っていった。
もしこのままだと、カンちゃんの言う通り本当に俺たち螢川学園テニス部は棄権扱いになるかもしれない。
美波たちからも「道端くん、まだ忙しいのかしら?どうなのかな?」と聞かれはじめてるし。俺は、こんな調子で何事もなかったようにはぐらかすミッチーのハッキリしない態度にイライラしていて、それがムカムカに変わった。
「もうがまんならね。悪い、今日テニスの練習行けないって美波に言っておいて」
部室兼スタジオの前で俺はくるっと向きを変えると猛ダッシュでミッチーを追いかけた。
校門を出て、公園を抜け商店街を抜けて歩いているミッチーの後ろ姿発見。俺はそのまま駆けてミッチーを呼び止めた。
「待てよミッチー」
とカッコよく呼び止めたかったのだが、一心不乱で走ってきたので、息が上がり、ぜいぜいして声が出ない。
「ま、待っでえええ…ミ、ミ、ミッ……ヂー…ゼィ、ゼィ……」
「げっ!!な、なんや、ヒロ、そんなに走って…」
自動販売機でジュースを買って、俺とミッチーは川べりの橋の下に座った。橋の下の土手壁にはグネグネした英語の落書きがあって、何気にションベン臭かったけれど、空気がひんやりしてて涼しかった。俺はジュースを一気に飲みほして、その勢いで話しを切り出した。
「どうするんだよ」
「何が?」
「何がって、テニスに決まってるだろ。試合」
「ああ、テニス」
「じいさんが入院したのは大変だったのわかるけど、もっと責任感じろよ。お前が来ないとテニス部は大会に出場できなくなるって知ってるだろ?」
ミッチーはしゃべっている俺のほうを見ず、川を眺めてジュースを一口飲んだ。
「…ぶっちゃけ、そんなん、俺じゃなくてもいいやん。頭数揃えたらええんやろ。誰かスカウトしたらええやん。ナオキナオヤとか暇そうやし。あいつ誘うたらどうや。まあ、あいつがテニスラケット持ってる姿、想像つかへんけど」
「――?! ミッチー、お前それマジで言ってんの?」
「ああ、マジちょっと見てみたいなあ、ナオキナオヤのテニス。プププッ」
「ミッチー、ふざけんなよっ! マジ頭きた」
「ふざけてなんかない」
その冷めた口調が余計にムカつく。
「ふざけてるって、なんでそんなにいい加減なんだよ。じゃ、洋子は、一緒にペア組んで練習をしてた洋子はどうなるんだよ」
「あいつは上手いからペアが誰だろうと関係ないんや。大会に出れたらいいんや。ただ勝ったらいいんや。あいつらは」
「そうじゃないだろ」
「そうや。だれでもいいんやて。頭数だけ揃うたら。ヒロ、あいつらのために俺たち、担ぎ上げられたわけやで、全部あいつらの都合や。ほんで、学園のメンツとか、あいつらも大人の都合に担ぎ上げられてる。全部大人の勝手な都合や。もう、なんやわからんなってもた。それにもう、いややねん。レベル違いすぎるんが」
「何が、どういう意味だよそれ。俺たち四人の中じゃお前のテニスのレベルが一番上だろ。それとも、オギーとカンちゃんが下手すぎてやってられないってこと?いつからそんなに上から目線なんだよ」
「ちがうがな。テニスのレベルの話やない。ヒロはなんもわかってない。まあ、俺とお前はちがうから」
「……ちがう?…」
「テニス、ほんま蕁麻疹でるほど大嫌いやったけど好きになったんや。けど、また大嫌いになりそうやねん」
―――あ、いつか言っていた。冗談かと思っていたけど、あれ本当のことだったんだ。
「じいちゃんの入院騒ぎがあって、家のこともあって、バンドとかテニスはまじで忙しくて考えられへんかって、バンドは学祭ライブなくなったからとりあえずはいいけど、テニスは大会があるんわかってる。わかってるけど、だんだんそんなんどうでもよくなってきて、じいちゃんが入院してくれてテニスを休む理由ができて良かったって考えてる自分がおる。…最低やな」
「……」
「でも、お前らは友達やから。せやろ?バンドとテニスやめたら友達もやめるんか?やめへんよな」
「やめるわけないだろ」
「こないだ、みんなで家に来てくれたやん、あれ、むっちゃ嬉しかってん。嬉しかったけど、俺んち貧乏やし、なんかこっぱ恥ずかしくってあんなことゆうてもうたけど、ごめんな。やっぱ、どっかで、オギーとか金持ちは苦手やなと思てる自分がおるんや。俺のおかんとか最悪やで、おかんはおとんと離婚して今大阪におるんやけど、再婚相手がめっちゃ金持ちで、それはおかん的にはよかったかもしらんけど、じいちゃんの入院のことかて、実の子供がめっちゃ困ってんのに、ただ銀行に金振り込むだけや」
――あ…。俺は、この前鼻血を出したときに、母さんが鼻に絆創膏を貼ってくれた自分の鼻に触れた。
「まあ、別にええけど。今回も無事サバイバルできたわけやし、じいちゃんも奇跡の生還を果たしたしな」
ミッチーは小石を拾って川に投げた。
「金振り込んでくれるだけでも、ありがたく思うようにしてんねん。実際そうやし」
ミッチーがものすごく大人に見えた瞬間だった。
「ミッチー、ひとつ聞いていい?」
俺は、オギーのためにどうしてもこの事を聞かなければならないと思った。
「オギーのことまだ怒ってる? あいつ、マジ傷ついてるから。一番気にしてるのあいつだよ。いつもしょんぼりしちゃってさ。すぐ泣くし、わかるだろう?」
「…怒ってる訳ないやん。選考会のことは、俺が勝手に高いギターと勘違いしてあんなことになってしまった訳やし。実は引っ込みつかへんなってしもたんや。あいつ、ステージでめっちゃカッコよかったよな。俺にはあんなことでけへん。どっちかと言えばあのステージぶち壊したん俺や。学祭選考会に落ちたんは俺のせいや。オギーに、みんなに謝らなあかんのは俺や」
「―――!!」
俺は、ミッチーのことを全然と言っていいほどわかってなかった。関西弁が真剣さをうすめて面白おかしくチャラチャラしてておおざっぱなイメージを作っていたのかもしれない。本当のミッチーは誰よりも繊細で心優しくって真面目でいつも物事の本質を見ていてそれで不器用なヤツなんだ。
「誰のせいでもないよ。どっちにしろ、俺たちは選ばれてないよ」
「……そっかあー」
ちょっとミッチーが安心したように見えた。
「そうだよ。だからまたぼちぼちバンドやろうぜ。で、狙うは来年の学祭だ。知ってる?結構な人気なんだぜおまえとオギー」
ミッチーが立ち上がって小石を拾って川に投げた。
「……ようあんなことできるなあ」
「え?オギーのこと?」
「オギーもそうやけど、よう三回続けて当てたなあ」
またミッチーが小石を拾って川に投げる。
「三回? あ、美波のこと? あれは凄かったよな。三回続けてビシビシ決めやがって。絶対外すと思ったもん」
ミッチーは川の杭にめがけて小石を投げ続けている。
「なかなか当たらへん」
俺も、杭に狙いを定めて何度も小石を投げたけれど、ことごとく外した。
「おまえ、ヘッタクソやなあ」
「ミッチーだってさっきから全然あたってねーじゃん」
「ははは」
「けどさ…」
「けど、なんや」
「美波は当てたぜ。俺たち、あの時美波の気迫に負けたんだ。だから大人たちに担ぎ上げられてるとは思えないよ。そうだとしても、美波は戦ってたよな」
無言で石を杭に投げ続けるミッチー。
「ミッチー、みんな待ってるよ。マキだって」
「!!……おまえかっ」
ミッチーは小石を投げる手を止め、今までの冷めた口調が一変した。
「えっ?」
「マキに家、教えたやろ」
「俺じゃねーよ。教えてない、教えてない」
もうちょっとで夕日の中でハグしてたのは見たけどって言いそうになった。
「あいつ、家によう来るねん。ケーキとかおかずとか作って」
「そうなの?ぜんぜん知らなかった。マキ、そんなこと部活では全然言わないし。俺じゃねーよ教えたの」
「じゃ、やっぱオギーかなあ…」
「だから、そうやってみんな心配してるし、待ってるって、おまえのこと。このままだと、本当にテニスのことも自分の事も全部大嫌いになるぜ」
「…それは嫌や」
狙いを定めミッチーが投げた小石は杭に命中した。
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