第37話  テニスコートの異変

 ミッチーが練習に来ていないこの一週間、テニスコートの周りに変化が起こった。


 最初はニ、三人だったギャラリーが、日に日に増えている。テニスコートの囲いのフェンスにへばりつく女子たちの黄色い声。


「オギー、オギー、こっち向いてー」「きゃー、オギーっ」「ミッチーはどこ?ミッチーいないの今日?」「ミッチーイイーー」


 こ、これは、この人だかりは、俺たちエッチピストルズのファンだ――――。


 信じられないという思いとともに気分は高まった。が、オギーと、ここにいないミッチーは女子たちから黄色い声援を受けているのに対し、俺とカンちゃんはなぜか野郎どものみに囲まれた。


「かっこよかったです。あの時の鼻血、本物ですか?」「ドラム最高です」「またライブしてくださいよ」とか言われて、握手を求められたりした。


 向こうのコートでは「静かにしてくださーい。静かにー、ちょっと荻窪くんもなんとか言ってよ」と洋子がフェンスにへばりつく女子に注意を促していて「あのー、静かにしてください。お願いします」とオギーが言葉を発すると「キャーーーーーーー」「オギーかわいいー」「もっとしゃべってーー」と黄色い声が倍増した。


「ははは、あれじゃ逆効果だな」


「ヒロちゃん…、バンドのベースとドラムは永遠にあんな感じとは無縁っすかね。ま、いいっすけど」


「……。そんな事言うなよ、カンちゃん。悲しくなるし。それにしてもミッチーのやつバカだなあ。こんなに人気が出てるのに練習来ないなんて」


「まだ、じいさんが入院してるっすかねえ」


 ミッチーは今週半ばから学校に来ていてクラスではいつもと同じように何事もなかったように俺たち接しているのに、テニスの練習に来ない。カンちゃんが言うようにミッチーのじいさんがまだ入院してるのかもしれないが、どっちにしてもバンド、テニスの話をするのは悪いかなと思ってこっちは気を使ってるのに、本音を言うと俺はミッチーのハッキリしない態度にイライラしていた。



「き・た・む・ら・君」



 振り向くとそこには薫子がいた。学祭選考会一位で学祭のステージ権利を獲た薫子はもはや螢川のアイドル的存在。いつもなら周りにオタクがいるけてど、今日はいつもの取り巻きがいない。薫子一人だ。


「何しに来てんだよ」


「ふ〜ん、テニスもやってんだ。知らなかった。多才なのね。バンドもやっててテニスもなんて。あ、でもバンドは学祭出れなくなっちゃったね。私達は出るけど」


「うっせーな」


「試合があるんですって?」


「カンケーねえだろ」


「いつう?」


「学祭の前の日の土曜日っすよ」


 カンちゃんが横から急に出てきて会話に加わった。


――なっ!?


「へー、そうなんだー。バンドはダメだったけどテニスでは頑張ってね。薫子、応援いこうかなー」


「来んな」という俺の言葉は、


「来てくれっすかあ? まじっすかあ?いやあ、うれしいっす。応援があるとやる気でるっすよねえ」


 と横から会話に入ってきたカンちゃんの能天気な声にかき消された。


「じゃ、決まりっ。応援行くわね。なにか差し入れ持っていこうかなあー。うふふ」


――な、何を勝手に…


「ちょっとあなた、どこから入って来たの?部外者はテニスコートから今すぐ出なさい」


 洋子が目を光らせて強い口調で薫子に向かって言った。


「やあだーー、こわーーーい」



「ほら、うちの副キャプテンの洋子さんもそう言ってるだろ早く行った行った。しっしっ」


 薫子は俺のオタク時代を知っているし、コイツといるとリズムを崩される。どうも苦手だ。関わりたくない、早く去ってくれ。


「なあにー、北村くんまで。ひどーい」


「もう、いろいろあって疲れてるんだよ。これ以上の面倒はごめんなんだよ。はい、はい、帰った帰った。もとの地下へ帰った帰った」



「ふんっ、失礼しちゃうわね。…え? 疲れてるの?北村くん。じゃ薫子、エナジーハグしてあげる」


「はあ?」


 薫子はタタタっと小走りで俺に近づいたかと思うと、「エナジーーーーハーーーグ!!」と言ってむぎゅうっとキツく抱きついた。


―――!!??


 アイスクリームのような甘い匂いが鼻をくすぐった。俺の肩のあたりに薫子の頭があって、薫子は抱きついたままその頭を上げて上目使いで俺を見ていたずらっぽく笑った。


 俺は突然の展開とその甘い香りにクラクラとなって「ちょっ、ちょっ、ちょっと、やめろって」と言ったつもりだったが声に出ていなかった。薫子を突き放すこともできず、やっとの思いで体をよじって薫子を離した。


「な、な、なんだよ、いきなり。バカじゃねーの?」


 そう言いながらキョロキョロして美波を探した。

―――どうかこっちを見てませんように。


 美波は向こうのコートのベンチの近くで、こちらに背を向けて素振りの練習をしていてこちらの様子に気づいてない。


―――良かった。見られてない。


「何って、エナジーハグよ。そこらのエナジードリンクよりずっと効果的でしょ。元気でた?」


「マジ、バカじゃね?」


「あは、照れちゃって、顔真っ赤」


 なっ――!


「ちょっと、まだいるの?あなた。はやくコートから出ていって。練習ができやしないわ。邪魔、邪魔」

洋子の激が飛んだ。


「怖い怖い。じゃあね北村くん、バーイ。ラヴハート」

 後退りしながら両手でハートの形をつくって見せて、くるっと向きを変えて薫子は駆けていった。長い黒髪のツインテールが左右に揺れた。


 何なんだあいつ、からかいやがって。薫子ごときに照れる俺じゃないし、薫子ごときに赤くなるだとお? 無い、絶対あり得ない。それに、迷惑だ。美波に誤解されたらどうしてくれるんだ。それにだ、こんなの、あいつのファンに見られたら俺、絶対殺される。


「何?あの子、あ、確か学祭の…」


「そそ、アイドルっすよ。螢川学園の。ホント何っすかねあれ。俺も疲れたって今度言ってみるっすよ」


「はあ? 神田くん何言ってるの?そうじゃなくて、ほら、荻窪くんも、ぼやぼやしないで、練習練習。ウオーミングアップ始めて」

洋子がまくしたてる。


「じゃ、まず最初、乱打からね。ヒロくん相手お願いするわ」素振りの練習を終えた美波が言った。


「オ、オッケー」


 ポジションについて、ニ、三回素振りをしたら薫子のアイスクリームのような甘い香りがほんのりと漂った。薫子が顔を埋めた肩のあたりをぼんやり見ていると、ビシッとボールが飛んできた。


「始まってるわよ。どこ見てるの? ボールいきまーす」


「あ、あ、ごめん」


 美波の打ってくるボールが最初っからやけに気合が入っていて攻撃的で、俺は打ち返すことが出来なかった。






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