第33話 ヒツジの話。

 生徒たちはすでに下校していて、学校内はシーンと静まりかえっていた。廊下をぬけ、とぼとぼと校門へと向かう。メンバーたち、テニス部のみんなはもう帰ったんだろうな。あんなに自信満々で挑んで、学祭に出場できない上に、こんなことになってしまった今、あいつらに会ったって気まずいだけだし、今日はもう誰にも会いたくない。


 胸元を見るとTシャツにべったり付いた血が干乾びたようになっていた。お気に入りだったこのTシャツ。洗えば落ちるかな、このこびりついた血。あぁ、家に帰ったら超怒られるだろうな。さくさく帰りたいけれど、家路に向かう足取りは重い。


 学校の門を出た所で、後ろから声がした。

「よう、ゾンビ」


 誰だ?と思って振り向くと、そこにはナオキナオヤが塀にもたれて立っていた。

「ちっ」とわざと大きく舌打ちをした。このタイミングでこいつとは話したくない。


「なんだよ。漫才師。まだなんか言いたいことあんのかよ」


「ふふふ、言っただろう。お前たちなんて絶対選ばれないって」


「はいはい。そうでした。予想当たって嬉しいか。そもそも、おまえも選ばれてないし、言えた立場かよ。んじゃな」

 はや足でその場を去ろうとした。これ以上の面倒はごめんだ。


「僕は最初から自分は選ばれないと確信してたから、予想通りってわけ。おそらくYZニッポンさんも選ばれないと自分たちで、そう思ってたんじゃないかな」


――なんだよ。こいつ、ついてくるなよ。うざいな。


 と心で思ったが、俺の目がそう言っていたのか、ナオキナオヤは察したようだ。


「僕、帰り道こっちだから。別にお前について行ってる訳じゃない。だけど、今日のこと、正直、なんか胸がすーっとしたよ。お前がステージでわめき散らしたこと、僕がいつも思っていたことだからね。お前が『ノーフューチャーフォーユー』って叫んだとき、僕も一緒に叫びたかったよ。…それが言いたくて」


「…!」


「ここの生徒たちはもう終わってる。って言うか、始まってもないな。なんせ投票、多数決ってルールだからね、始まってもないこの狭い世界の中では無理。選ぶ者が片寄っていれば片寄ったものか、無難な者しか選ばない。まあ、要するにヒツジだよ。ヒツジ。思考能力の無いヒツジ。先頭の一頭を誘導すればみんな後について行くのだけど。僕はそんなヒツジになんかになりたくない。一頭のヒツジを誘導する羊飼いになる。一頭だよ。一頭だけでいいんだ」


「ヒツジ…?一頭?」


「そうさ。お前、ヒツジだと思ったら、ギリ、ヒツジじゃないな。と思ってさ」


「なんだ、それ」


「ま、いいや。じゃ僕、こっちだから」


信号の手前でナオキナオヤは左に曲がった。ヘッドホンを耳につける前に思い出したように振り向いて俺に言った。


「そうだ、僕、最下位だったんだ。お前たち6位だったみたいだよ。惜しかったな。まあ、でも今日は久しぶりに楽しかったよ。お前の血まみれのゾンビショー、最高に素晴らしかったよ。じゃ」



――変なやつだな、あいつ。一方的に小難しいことベラベラとしゃべりやがって。あいつコミュ障じゃなかったのかよ。ゾンビショーだとお?こちとりゃ、好きでゾンビみたくなったわけじゃないんだよ。ヒツジがどうしたって? 俺がギリ、ヒツジじゃない?訳わかんね。不思議ちゃんかよ。


 けれど、不思議とナオキナオヤに対して嫌な気はしなかった。ただ、投票結果が6位だと知って、悔しさがいっそう増した。



 家に帰ると、母さんが俺の腫れた顔と血だらけのTシャツを見て、目をまん丸くして一瞬引いたようだが、その後、気持ち悪いくらいに優しかった。もっと叱られると思った。


「鼻、大丈夫?母さん似のすっとした綺麗な形の鼻、折れてなくてよかった。ただの鼻血で。男前が台無しになるところだったわね。ちょっと傷があるわね。絆創膏貼ってあげる。内出血してちょっと腫れてるから、氷で冷やすといいわ。こっち来て」


「いいよ。自分でするから」


「貼ってあげるって」


「……」


 こんなに近くで母さんを見るのは久しぶりだった。いつの間にかこんなに母さんに接近することがなくなっていた。最後にこんなに近くで母さんを見たのはいつだっただろう。母さんが俺の鼻に絆創膏を貼りながら言った。


「バンド、残念だったね。お父さんには概要だけ話しとくから後は自分で言ってね」


「…うん」


「けれど、最低でも、ルールは守りましょう。Tシャツ、洗ったらそれ落ちるから。お風呂場のバケツに入れといて」


「…ありがと。そんで、…ごめん」




 俺は部屋に入ってベッドに寝転がった。

「終わりだ…」

完、終、ジ・エンド、フィン。学祭に出れないという結果を真正面から受け止めていた。それと同時にステージで演奏した快感、ステージで鼻血を出しながら叫ぶ、あの快感を思い出してニマニマして、またすぐに学祭に出られないことを改めて実感し歯がゆく思った。しかも6位だとお?あと一歩及ばずか…。


――クソがっ。何がパンクだよ。何がアナーキーだよ。何やってんだよ。意味なんかねーよ。意味なんか。


「クッソー、クソ、クソ、クソーー!!」


俺は、枕を叩いた。そしてナオキナオヤが言った言葉を思い出していた。


『一頭のヒツジを誘導する羊飼いになる』



「お兄ちゃん、お兄ちゃんっ!!」

 満里奈が俺を呼びながらドタバタと階段を上がってきてノックもせずに俺の部屋のドアを開けてあたふたとして言った。


「お兄ちゃん!お兄ちゃん!五条寺さんが来てるよ!!」



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