第35話 夕暮れのベンチで二人

 オレンジ色の空をバックに背の高いミッチーと小柄のマキのシルエットがだんだん遠ざかる。俺と美波は二人が完全に見えなくなったのを確認してから、茂みの影から出て、さっきまでミッチーとマキが座っていたベンチに座った。


 俺は大きく息をした。抱き合うミッチーとマキを遠くから見ていたのと、美波が俺のすぐ隣にいたので、緊張となんだかわからないドキドキで、ちゃんとした呼吸が出来ていなかったようで、まるで水の中に潜っていたのかと思うぐらいに苦しかったのだ。心配していた鼻血がぶり返さなくてよかった。


「はあ、びっくりしたわね」


「苦しかった、いや、うん、ビックリした」


「のぞき見なんて、私たち悪趣味ね」


 美波がキュっと肩をすくめた。


――私たち、だって?それに、悪趣味だって? つまりそれはイケナイことを二人でしてしまったってこと。二人の間に二人だけの秘め事ができたようで、なんか嬉しかった。


「あの様子だとあの二人、仲直りしたみたいだわよね」


「うん、でもミッチーはああみえて結構頑固なところあるからなあ」


「…なんだか、一度にいろんなことがありすぎてちょっと何から話していいかわからないけど…バンド、本当に残念だったね。結果6位だって知ってた?」


「ああ、…でも、6位まで票が取れたのは、美波たち、テニス部のおかけだよ。チラシ作ってくてたり、Tシャツまで作ってくれて。ホント応援、ありがとうな」


「いいのよ。私たちコスプレも楽しんだしね。ほら、結構に似合ってるでしょ、パンクファッション」


 美波はベンチを立つと、ファッションモデルのようにくるりと回って見せた。


「このエッチピストルズのTシャツも気に入ってるの」


 「うん、すっごいカッコイイよ。雑誌から抜け出ててきたみたい」


「ホントに?」

「ホントに」

「ホントにホントに?」

「ホントにホントに」

「ホントにホントにホントに?」

「ホントにホントにホントに」

「やだ、なんか増えていってない?」


 俺たちの間でこのフレーズはお約束のようになって、二人してクスクスと笑った。


 美波のようなはっきりした顔立ちはメイクをすると本当に大人の女の人のように見える。同い年には見えない。けれど、クスクスと笑う美波はやっぱり美波だ。いつもだいたい、制服かテニスウエア、あと夏祭りの時の浴衣姿の美波しか見たことがなかったから、パンクファッションも新鮮でカッコイイけれど、いつものテニスウエアが美波には一番似合っていると思った。

 

「なんか、ごめんね」


「なんで美波が謝るんだよ」


「…なんとなく…。ヒロくんたちにはテニス部に入ってもらって練習もして頑張ってもらったのに、本業のバンド活動がこんなことになっちゃって」


「そんなことないよ。そりゃあ、目標である学祭に出れなくなったのはショックだけど、さっきも言ったけど、6位にまで票を集められたのも美波たちの宣伝、応援のおかげだよ。じゃないと、俺たち…」

 ふと、ナオキナオヤの顔が頭をよぎった。きっとあいつは、宣伝も何にもなしで選考会に出たんだろう。


「人気投票って残酷よね。判断を人に委ねるのって。選ぶ人の好みによって勝ち負けが決まるのでしょう? いくらがんばったってそのがんばりがその人たちに届かないっていうか、解ってもらえなかったり、響かないっていうか…そういうこともあるのよ」


「…まあ、そうかな」


「だから、私はテニスが好きだわ。テニスは勝つか負けるか。強いものが勝って弱いものが負ける。引き分けなんてないわ。ましてや好き嫌いの好みで勝敗なんか決まらない。ちょっとでも怖くなって、甘いボールを返すと、ガツンとやられるし、思い切って攻めても自滅するときもある。戦っている相手がそこにはいるけれど、自分との戦いでもあるの。それに、負けは負け。勝ちは勝ち。誰がどう言おうが結果は明白だわ。他人に勝ち負けを決められるのって嫌よ。私は絶対嫌だわ」


 美波が一点を見つめてキリっとして言った。濃いアイメイクと赤い口紅、パンクファッションも手伝ってか、俺なんかが意見を述べる隙間もなく、張り詰めた空気。かなりの凄みがあったけれど、その後すぐに、


「…なんてね。ヒロくんたちのステージを観て思ったのでありました。ふふふ」


 美波は俺の方を向いていたずらっぽく笑った。


「あー、あれ、ちょっと不完全燃焼ぎみだったけど」


「私、最初はビックリしたけど、すごいカッコイイと思ったのよ。なんか圧倒されちゃった。ヒロくん、戦ってるなって思ったの」

「戦ってる?」

「そうよ。ファイティング。恭ちゃんも褒めてたわ。スゴイって」


「え、恭太郎が?そっか。実は俺、あいつが応援に来てくれるとは思ってなかったな」


「恭ちゃんは時々上から目線だけど、ホントは優しいから」


 少し、はにかんだ様子で恭太郎のことを話す美波。この二人きりのベンチで恭太郎を褒める美波を見たくなかった。


「それに、まさかあのまーくんがあんな凄いパフォーマンスするとは思ってなかったしね。私、ステージであんなに生き生きとしたまーくん見るの初めてかもしれない」


「俺もオギーのはち切れぶりには正直びっくりした。あいつやるじゃんって…」


「彼、小さいときからずっとクラシックギターやってたでしょう、巷では"クラシックギターの神童現る"とか言われてちょっと有名だったの。でもあるときからステージ恐怖症になったみたいで、音楽家を目指す者の大事なコンテストで、ステージ上で何も出来ずにに固まったの」


「固まった?」


「そう、あまりの緊張に耐えられなくなって固まったの。ただ椅子にギターをもって座ってるだけ。電池の切れた人形みたいだったわ。それから、自信をなくしてギターを弾くことをやめていたのよ。それに何気にイジメもはじまっちゃったみたいで」


「…あいつ…、イジメられてたとは言っていたけど…」


「そう、まーくんは本当は私たちと同じインターナショナルクラスに入る予定だったけど、イジメられるからって、知っている人のいない普通科に行ったのよ」


「…そうか」


「でもね、まーくん、ヒロくんたちとバンドやり始めてから、とっても明るくなったのよ。自信を取り戻したっていうか、強くなったというか、どんどん自信をつけて変わっていって、実際、久しぶりにテニスコートで会った時は、まーくんだと気が付かなかったしね。私、幼馴染だからわかるの。彼は今、ハッピーだって」


「ああ、変わったよなオギーのやつ。クールになったよな。最初は超ダサかったのに、コンタクトレンズにしたり、髪染めたり、あいつのファン、結構いるんだぜ」


「だから、バンド、道端君に辞めて欲しくなくて、まーくんのこと嫌いになって欲しくなくて、続けて欲しいのよ。みんなでバンド続けて」


「俺は、もちろんバンドは続けるよ。もうすでに来年の学祭ねらってるし。ミッチーも戻ってくるさ。オギーとも仲直りするって。俺、あいつと幼馴染だからわかるんだよ。心配しなくてもあいつはテニスにもバンドにも戻ってくるって」


「道端君がいないと、大会に出場できないわ。最低でも男子四人女子四人じゃないと棄権扱いになるの。そうなるとみんなが頑張って練習したのが水の泡になっちゃう。道端君にテニス部に戻ってきて欲しい。道端君が男子のエースだし。…でも、道端君が私たちインターナショナルクラスの人とはやってられないって言ったのが気になるの」


「それは…たぶん、…あいつの家、ちょっと複雑で、まあ、その、ぶっちゃけあんまり裕福ではなくて、ここの学園の入れたのも離婚して大阪にいるミッチーのお母さんが学費を出してるみたいで、ミッチーの気持ちとしては複雑で、なんか、お金持ちの人とは価値観が違うとか、そういうことじゃないかな。よくわかんないけど」


「道端君そんなこと私たちに対して思っていたら悲しいな。私はそんなことちょっとも思ったこと無いのに。…マキが泣いちゃうのもむりないよね。好きな人にそんなこと言われたら…」


「でも、そんなに深い意味は無いと思うんだ。オギーがステージでギター壊したことで、物を大切にしない金持ちは嫌いだと思ったんだろな、あのオギーが壊したギター、ミッチーは、百万円のギターだと思ってたみたいでさ。まあ、それはオギーが不燃物の日に拾ってきたギターだったんだけど。その辺、大きな勘違いがあって、あいつの性格上、あとに引けなくなったところもあると思うし。あいつは思ったことを全部バーっと言って、腹んなかにはなにも残ってなくて次ぎの日にはケロってしてるタイプだから」


「…結構真面目なのね。道端くん」


「真面目?そうなのかな。なんか、いろいろあるね」


「…そうよ、いろいろあるわよ。家が裕福だからって幸せばっかりとは限らないのに…」


「とにかく、ミッチーは大丈夫。あいつテニスの素質あるみたいだし、あいつが一番テニスを楽しんでると思う。それに学祭に出れなくなった今、違う見方をすれば、テニスに集中出来るってことだから」


「そうだといいのだけど。私、試合に出たいの。そして勝ちたいの。恭ちゃんに認めてもらうためにも」



 ――また恭太郎か…



「美波っ」


「ん?」


「あ、……いや、あの…、その…、テニス頑張ろうぜ。俺、美波の足ひっぱらないようにすっからさ。ミッチーのことだって大会まであと一ヶ月ちょいあるからなんとかなるさ。大丈夫。試合でれるよ。そんで、勝とうぜ!」


「そうね。いろいろみんなあるけど、ポジティブシンキングで行きましょう!!ごめんね。私、キャプテンなのに、オロオロしちゃって。もっとしっかりしなきゃね。ヒロくんのおかげでキャプテンとしてしなければならないことが見えました。アドバイスありがとう」


「え、別にあの、…どういたしまして」


 俺は何てことを聞こうとしたんだろう。もう少しで、まだ恭太郎が好きなの?って聞いてしまうところだった。


 気がつくと、辺りはオレンジ色からパープルに暮れかかっていた。


「夕暮れってあっという間に終わるわね。もう暗くなっちゃった。そろそろ帰らなきゃ」


「送っていくよ」


「ありがとう」



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