第16話 ミスター五条寺
「こんにちは、皆さん。私は美波の父の五条寺です」
この人が美波のとうちゃん、いや、お父様なんだ。日焼け半端ねえ。この人こそ松崎しげる級だ。若いのか歳いってるのわからんけど、うちの親父と大違い。なんかスポーツマンって感じでカッケー…なんか、なんか納得。この父にこの娘。
俺は第一印象をよくする為に誰よりも早く挨拶をした。
「北村博司です。は、はじめまして」
体を90度に曲げてお礼をした。その時に自分の靴を見てぎょっとした。
――げっ、きったねーっ!
俺のドクターマーチンのブーツは土埃とドロにまみれて元のチェリーレッドの色が何色かわからなくなっているくらい汚れている。とにかく汚い。ヤバしっ。
俺に続いてみんなが挨拶を始めた。
「道端といいます。はじめまして」
「神田です。こんにちは」
「お久しぶりです。荻窪です。いつも父と母がお世話になっております。この度はお招きいただきありがとうございます。みなさんおかわりなく、お元気そうで何よりです」
―――なぬ?! なんだ。この挨拶の質の違いは!
俺たちはオギーを一斉に見た。
「おお、荻窪さんところの雅臣くん。美波から聞いてはいたが、ちょっと見ない間にずいぶん変わったね。なんかこうおしゃれになったというか。元気だったかい?小さい頃は美波とよく着せ替え人形ごっこをしてたね。いやー、大きくなっててびっくりだよ」
オギーのハイソサエティーな挨拶ぶりは、俺たちとの育ちの違いを浮き彫りにしたが、『やっぱり着せ替え人形なんだ』と、今度は違う意味でオギーを見た。ミッチーとカンちゃんと目が合った。たぶん同じことを考えていたに違いない。
それにしても、俺のドクターマーチン、汚すぎる。気が付かれぬうちにどうにかせねば。
「君たちがテニス部に入ってくれて本当に嬉しいよ。さあ、こちらのリビングヘどうぞ」
俺たちはミスター五条寺と美波の後を付いて廊下を歩く。その間、俺は小声で聞いた。
「おい、ミッチー、ティッシュとか持ってねー?」
「なんで?持ってるわけないやん」
「カンちゃん、なんか拭くもの持ってね?」
「持ってないっすよ」
「オギー、お前は?」
「ティッシュですか?聞いてあげましょうか、あの~」
「いいっ、いいって、聞かなくていい」 すぐさまオギーの言葉を制した。俺は仕方なく、最後の手段、ふくらはぎのとこらへんのズボンの上から靴の甲をあて、歩きながら片足で立ってゴシゴシ拭いた。至難の技だった。途中バランスを崩して転びそうになったけれど、リビングルームに着く前になんとか靴は元の色のチェリーレッドが見えるようになった。そして俺たちはリビングルームへと通された。
――どひゃー。
なんなんだこのリビングルーム。広っ。L字型のソファーにもう一個長いソファー。奥にはグランドピアノがある。高い天井からはシャンデリアがぶら下がっていて、アートのような枝みたいな生け花、まるでホテルのロビー。
「この部屋に、俺んち全部すっぽり入る」
ミッチーがぼそっと言った。
「このテニストーナメントは私と螢川学園とが主催する五条寺杯というトーナメントでね…」
と、ミスター五条寺が話し始めた。
「美波が中学に入ったときから開催しているんだよ。高校ではこれが初めてになるのだが、残念なことに、螢川学園の男子テニス部員が一人もいなくなってしまってね、主催する側の学園があわや棄権になるところだったのだよ。そこへ君たちが救世主のように現れたというわけだ。本当にありがとう。君たちのバンド活動も忙しいだろうに、進んでテニス部に入ってくれるとは、本当に助かったよ」
ミスター五条寺は、俺たち一人一人の手を取って「ありがとう、ありがとう」と言って握手をした。
「えっ!? でも俺、いや僕たちはその、なにも、ただ美波さんと...」
ミスター五条寺の後ろで、美波がこれ見よがしにウインクをした。
「...あっ...そうか、その、いえ、とんでもないです。でも、僕たち初心者ですし...ご期待に添えるかどうか......」
「ああ、大丈夫。大会まであと四ヶ月はある。君たちは筋がいいと美波から聞いているよ。特訓すれば、やる気があれば大丈夫。それに棄権という最悪の事態をまぬがれた。けれど、出るからにはベストを尽くして欲しい。成せばなる成さねばならぬ何事も。まあ、ソファーに掛けてくださいね。どうぞ」
俺たちはふかふかのソファーに腰を下ろした。
「美波から聞いているかな。どういったトーナメントなのか」
「はい。テニス......ですよね。」
「もちろん、テニスはテニスだが。五条寺杯独自のルール、シングルスのように一人が活躍するのではなく、チームで戦うテニストーナメントなんだよ。ミックスダブルス、つまり男女混合、フォーマッチ戦。ああ、マッチとは試合のことね。3勝した方が勝ち二回戦へと進む。2勝2勝になるとシングルスマッチで勝ちを決める。八人四ペア、チームで競う、五条寺杯ならではのトーナメントなんだよ。強い人ばかりが出ちゃダメってこと。だから、作戦も考えなきゃならないし、これは、社会にでると必ず必要となる、チームワーク、作戦、得意、不得意をカバーしあう向上心を磨くためでもあり、また、社会に出て、社交的に、一流の紳士、淑女として振る舞うことのできる人材育成の一環でもあるのだよ。世界はいまAI産業が盛んで、対コンピューター、対ロボットの世界になるだろう。一人でも難なく大きなことをやってのけられる時代が来ているかもしれない。けれど、一人では限界がある。相手がコンピューターやロボットだとなおのこと、人と人のチームワークが大切になってくるんだよ。わたしたちの未来をAIに支配されないためにも人同士のコミュニケーションが大切なんだよ。テニスで大切なのは、心技体。メンタル、テクニック、体力。そしてチームワークを加えることで一層頑丈になる。チームワークと心技体、それはどんな世界でも通じることなんだ。いまのところ参加高校は六校なんだけどね。そんなに規模は大きくない。だからなんとしても欠場は避けたかったのだよ。ああ、そうだ、ラケット、テニスウエア、シューズなどこちらで用意させていただくよ。本当に頼もしい若者たちだ。嬉しいよ。わたしは」
睡魔が俺を襲っていた。
このふかふかのソファーが余計に俺を眠りの世界へと誘う。横を見ると、ミッチーもカンちゃんも目を開けているのが限界ギリギリのようだ。俺は太もものあたりをつねったりして睡魔と戦っていた。目を輝かせて聞いていたのはオギーだけだった。
――やばい。眠い。超眠い。立食パーティーじゃなかったのかよ。そうだ。食べ物のことを考えよう。美波が言ってたキッシュってどんな味なんだろう。パーティーフードはいったいどこだよ。なんか腹へってきたな。
そんなことを考えていたら眠気は覚めてきたが、なんと、なんと不覚にも、
"ギュグウウウウウーーーーーウウウウウウーーーキュピーッ"
と信じられない長さの、信じられない音量の、排水口の音のような俺の腹の虫がなった。
「オーマイゴッシュ!」
と美波が口に手を当ててビックリして俺を見ているし、さっきまで眠気でトロトロしてたミッチーとカンちゃんが急に目覚めて、ヒロ、それはあかんやろ。とか、今の、何の音っすか?と俺バッシングを始めた。
「あっ、すみません!俺の腹の虫ですっ」
あんなに長く、大音量の腹の虫、これはもう潔く俺だと認める以外他はなく、恥ずかしくてただ赤面するしかなかった。ミスター五条寺の前で、美波の前で、しかもこんなゴージャスなリビングルームでなんてかっこ悪いんだ。穴があったら入りたい心境だ。するとそこで
「ドラゴンでも飼っているのかな?」
というミスター五条寺の助け船。その言葉に皆が笑った。場が和んだし俺の恥ずかしさも和んだ。
「あはは、そうなんです。普段なら火を噴くんですけど、今日はなんかお腹減ってるみたいです。ははは」
「あははは、君、なかなか面白いね。話が長くなってすまなかったね。ついつい興奮して。じゃ、ガーデンの方にパーティーフードの準備もできてると思うからそちらへ」
「そうよ。パパの話しはいつも長いのよ。ごめんね。お腹空いちゃったわよね。今日はお天気いいからガーデンパーテイーにしたのよ。テニスコートの横にテーブルを出してもらったの。フードも用意ができてるようね。さあ行きましょう」
グルグルグルーーーーッ。とまたもや俺の腹の虫が鳴いた。
「ドラゴンが返事してるで」とミッチーに言われ
「早くご飯あげないとね」と美波がクスっと笑った。
庭に出てたら綺麗な庭園のような広い庭と、その横にフェンスで囲まれたテニスコートが三面もあった。なんか、もう感覚が麻痺というか、学習してしまって、驚きが驚きでなく、そうだよね、やっぱりそうだよね。と納得に変わってきた。
テニスコートではすでにマキや優、洋子が練習していて、一番奥のコートではちびっこたちが5、6人テニスの練習をしていた。
「洋子、マキ、優ちゃん、男子君たちが来たから休憩にしましょう。ちびっこテニスのみんなもよかったら一緒にどうぞ〜」
と美波はみんなに声を掛けた。
美波は優しい。俺のボキャブラリーが少ないために、"優しい"という表現しかできないけれど、キラキラ輝いているよ。なんか眩しいよ。
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